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2019年07月28日(日)
『シークレット・サンシャイン』

『シークレット・サンシャイン』@早稲田松竹


フジの配信とアプリにへばりつく合間を縫って行ってきました。お昼にチャイカにも行けて満足。夏期は冷製ボルシチがあるよ!

『バーニング』公開に伴いイ・チャンドン監督作品の上映機会が増えています。最初はスクリーンで、とずっと待っていた作品を遂に観ることが出来ました。原題は『밀양(密陽:ミリャン)』、英題は『Secret Sunshine』。2007年作品。観る前からこれ絶対好きなやつ、という予感があったけどそれを鮮やかに裏切り……というと言葉が悪いな、予想とは違う着地点で、なおかつ期待を大きく上まわるものだった。ひとは簡単には救われない。しかし、時間をかけて癒される。原題になっている「密陽」は韓国釜山近くの地方都市名。開巻まもなく、その地名にまつわる印象的な会話がある。物語が進むにつれその意味が少しずつ大きくなり、ラストシーンで輝きを放つ。登場人物の誰も気付いていないひだまりの在処、それを静かに示す幕切れが深い感動を誘う。

ソウルから密陽へ移り住んだ、夫を亡くした女とその息子。女は少しずつ嘘をつく。他人にも、自分にも。他人についた嘘が悲劇を招き、自分につく嘘は自身を苦しめる。隣人にすすめられた聖書をきっかけに、彼女は教会へ通いはじめる。彼女は信仰によって変わったか? 信仰は彼女を救うことが出来るか?

刑務所での会話は痛烈な皮肉だ。「見ているだけ」の神にどこ迄自分を委ねられるか、数々の苦難を、神からの試練だといつ迄耐えられるか。神は罪を許してくれる、でも神が許しても私は許さない、許せない。教会の仲間は許せない彼女を悪と罵ることもなく、疎外することもなく、彼女のために徹夜の祈祷会を開くような善良なひとたちだ。ただただ、彼女のことを救いたいと思っている。自分が許せなくても周囲が許せと迫る圧力は、それが善意からのものであっても辛いものだ。彼女自身も許したいと思っているのだ。というより、憎むことにうんざりしている。犯人だけでなく犯人の娘に迄その影響が及ぶこと、自分がついた嘘、自分についている嘘(これは亡夫の不貞を頑に信じないことも含まれる)、そういったこと。彼女を生きながらえさせるのは宗教ではなく、おいしいとも思っていない食事であったり、近所の住人とのちょっとしたおしゃべりだったり、何かと理由をつけては自分にかまってくる男のふるまいだったりする。伝道はその活動内容よりも、外に出て他者と話すこと自体の意味が大きい。

彼女と犯人の娘には共通点がある。父親という存在に脅かされている。彼女は父から逃れてきたが、心理的にはその影響下にある。犯人の娘は、自分の父親が何をしたか知らない者はいない町を出て行くことも出来ない。近所の住人は皆顔見知りで、家の鍵をかけずに外出出来るようなちいさな町だ。二度目の美容院のシーンが強い印象を残す。たどたどしい会話、鏡を通して見るお互いの顔。彼女はあの場を立ち去ったのは、娘にではなく神に怒りを感じたからだろう。そして、そのことがきっかけで、以前のやりとりで気まずくなった(その気まずさが生まれたのは一度目の美容院での出来事だった)近所の住人と笑い合うことが出来るようになる。彼女は聖書の教えを通し、密陽に住むひとびととの交流を通じて、少しずつ光に顔を向けていく。彼女が集会に仕掛けるいたずらのパンチが効いてる。笑った。こういうちょっとしたユーモアの積み重ねで、ひとはなんとか生きていける。

極端な話、信仰は趣味の一環でよいと思っている。他者と共有するものでもない。神という存在はいつでも自分の傍にいるが、ただいるだけだ。教義は自分の生きる道を照らす。しかしこの道を選べと強制するものではない。近年は許そうとする当事者に、許すな憎めと周囲が圧力をかけてくるケースも増えている。自分がどうしたいかを見失わないためにも、自分だけの信仰=信念は必要だ。信仰は一種のアンガーマネジメントだと考える。

チョン・ドヨンは好きな役者。この作品で大きく評価されたとのこと(カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞)、納得。このひとがなんか食べてるシーンを観るのが好きなのです。『ユア・マイ・サンシャイン』でも『無頼漢 渇いた罪』でもそういうシーンがあった。幸せな食卓も、苦悶の台所も。彼女のもぐもぐと動くほっぺたには喜びも悲しみもつまっている。ソン・ガンホはもうガンホさんがガンホさんでガンホさんだった。調子はいいけど悩みを抱えてて、ちょっと軽薄ででも悪人ではなく、愚かで誠実で。神がいたとしたら、そして神が人間をつくったとしたら、彼こそ“ちいさき神の、作りし子ら”だ。これ程タイトルロール(そうなのだ、そう解釈した)にふさわしい人物像もない。名画座の特性か年配も多い客層だったが、ガンホさんがガッツポーズとるシーンでおっちゃんらがドッとウケたのが面白かった。なんだか応援したくなってしまう、数々の「背景」に存在する彼はまさにシークレット・サンシャインだった。

世界はいつもこわくて、いつもさびしい。でもそのなかにあたたかい光はある、と思える映画。これも一種の信仰。

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・シークレット・サンシャイン┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。てかイ・ソンミン出てるって知らなくてわーとかなってました、ちいさな役だけど印象に残る役。ヘンな長ゼリフもあるし(笑)。『工作』観たばかりなので感慨深いものがありました

・『シークレット・サンシャイン』イ・チャンドン監督 インタビュー┃Cinema Factory
日本公開当時のインタヴュー。信者に「キリスト教をより深く理解させてくれた」といわれた話、そうそう! って感じ。決して宗教批判ではないんですよね。「(教会へ)通わないと寂しいし、行けば何となく気が楽になるから」でいいのだと思う



2019年07月21日(日)
『美しく青く』

『美しく青く』@シアターコクーン

鳥瞰による定点観測。鳥瞰というと神の視点と思われがちだが、赤堀雅秋のそれはひとびとの心のうちを知った風には描かない。ただ目をそらさず、淡々と、粛々と、長い時間をかけて見守る。だからこちらも目を凝らし、耳をすまし、見逃すまいと足を運ぶ。建設中の防潮堤、猿が逃げ込んだ森は舞台全体を大きく使い、その大きさ、深さ、暗さを見せる。家屋のセットは緊密(美術:土岐研一)。こまごまとつめこまれた生活用品に、住人の暮らしぶりを見る。波の音の大きさに、海の近さを知る。コクーンでの演出も四作目。空間をもてあましていたように感じた過去数作(『世界』は残念乍ら見逃してしまった)からはうってかわって、上下左右、奥行きの使い方をモノにしている。転換時の照明(杉本公亮)も効果的。海に消えた誰かを探すサーチライトのようにも、海で迷う誰かに手を差し伸べる灯台の光のようでもあった。

震災から八年後の現在。被災地のどこか。防潮堤が建設中。山から降りてきて畑や住居を荒らす猿を退治するべく町の自警団が乗り出すが……。住人の誰もが家族や近しいひとを失くしている。誰をどうしてかは、徐々に明らかになっていく。直接的ではなく会話の端々にそれが現れる。当人の告白ではなく、住人たちの世間話として。注意深くその声を聴く。

彼らの持つぶっきらぼうな思いやりや見返りを求めない気遣い、気付いていないふりをすることで綻びを修復していくさまは、彼らがこの地を離れずずっと暮らしていくための知恵でもある。「いやなら出ていけ」、そんな言葉を吐くひとたちは、それに気付くだろうか。ひととしてあたりまえと思われるこうした「情」は、いとも簡単に「正しさ」に踏みつぶされてしまう。ルールを守れ、迷惑をかけるな。

自警団で活動する主人公は「正しさ」を盾にする外面のいい人物。このひとのすんごく指摘しづらい身勝手さの描写が見事。いやー、微に入り細を穿つその描写、赤堀さんの本領発揮ですわ。こわいひとだわー(そこが好き)。あまりにもあまりにも「おまえ…そういうとこだよ……」という言動を積み重ねていくんだけど、最も強烈だったのは、B'zのコンサートのチケットがまだあるか調べてやるよとスマホ見るふりして結局何もしないとこ。そ う い う と こ だ よ!!!!! 感がすごくて向井理すごいと感心した(役がですよ)。文字では伝わりづらいがほんっとムカつきますよ、そういうのがずっと続くのです。さりげなーくさりげなーく。大東駿介がキレなければ私がキレてたわ! 有難う大東くん(の役)! で、その大東くん(の役)も「どう怒っていいかわからない」状態、という混乱と葛藤が沁みた。

飲み屋のおかみに秋山奈津子、はすっぱだが情に厚い愛すべき人物を素敵に演じる。久しぶりにあの手の(?)大倉くんを観られたのも楽しかったわ、あと赤堀さんの役がまたいい味でね、ははは。こういう幸せもあるものですね。

赤堀さんの描くものは、愚かで愛すべき人物が、ちいさな世界で右往左往する物語。彼らがオロオロしたり、ゲラゲラ笑ったり、そんな時間を上空からそっと見つめてる。その光景をだいじに掌に包み、いつでも持ち歩けるよう差し出してくれる。ある町がわが町になるその瞬間を胸に劇場を出る。そしてだいじな宝物のようにときどきそれをとりだして、そっと撫でてホッとするのだ。



2019年07月20日(土)
さいたまネクスト・シアター『朝のライラック』

さいたまネクスト・シアター 世界最前線の演劇3[ヨルダン/パレスチナ]『朝のライラック』@彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO



風に揺れるレースのカーテンを境界に光と影が、過去と現在が交差する(照明:金英秀)。蜷川幸雄の演出にも見られたこれはオマージュなのだろうか。あの向こう側へ行くことが出来れば。しかしそれは叶わない。少なくとも、自分が生きている限りそこへは行けない。そこにいるひとに会うことも叶わない。Apple製品は世界のどこ迄行き渡っているのだろう、なんてことを考える。登場人物のひとりが持つスマートフォンから流れる聴きなれたメロディ。遠い国がグッと身近に感じられたシーン。演出は俳優座の眞鍋卓嗣、翻訳は渡辺真帆。美術は伊藤雅子、音楽は時々自動の鈴木光介。

移り住んだ町がダーイシュ(ISIL)支配下となったドゥハー(「朝」の意)とライラク。その美しさゆえ、軍司令官と町の長老に狙われる妻、妻を守ろうとするも逃げ場を失って行く夫。両親も恋人も失い、「洗脳」されたようにふるまう夫の教え子。信仰を悪用する宗教というものがあり、それを利用する集団がいる。銃や暴力を用い思想を強要する武装集団と、それらに演劇と音楽という芸術で対抗する教師。その狭間にいる教え子の心情を思うと胸がつまる。芸術により伝えられた教養を持っているからこそ、教え子の苦しみは深い。

疑問は多々ある。何故戒律的な土地に移ってきたのに肌を見せるような服なんだ(「女は誘惑などしていない、それを利用する男たちが問題なんだ」という理屈とは別の話だ。彼女は土地の風習や礼儀を踏みにじっているように見える)、何故そこで歌を唄っちゃうんだ、大きな音たてちゃうんだ、切るのは手首じゃないだろう(頸動脈だろう)、教え子の言葉を聞き入れようともせずなじり続け、誤解が解けたあと謝ろうともしないなんて酷い。そして最後、教え子にあそこ迄いっておいて、あの選択。あんまりだ。芝居として見せるため、描写を極端にしているのだろう。現実がどれ程残酷なものなのか、観客は想像しなければならない。それは恐らく容易なことだ。と同時に、解決策を想像することはとても難しい。アフタートークで作者のガンナーム・ガンナーム氏は「長老の性的欲望はライラクという女性だけでなく、武装組織の少年たちにも向けられている」と話した。戦争の歴史上ずっとそうだったのだろうが、レイプがはっきりと戦略といわれるようになったのは比較的最近のことだ。「結婚」という言葉にすりかえられるそれは、今も世界のあらゆる場所で起こっている。

ネクストが取り組んでいるこのシリーズを通して、彼らの基礎がとてもしっかりしていることに改めて感心する。翻訳もの独特の台詞まわしに違和感がない。複数の人間が同じ台詞を語るとき、まったくズレがない。さまざまな国籍、年齢の人物を演じることの出来る役者が揃っている。「役者」としてあたりまえのことだが、それが出来るひとはそう多くない。ガンナーム氏は「俳優が役を裏切ること程罪なことはないが、今回の出演者たちは役を裏切らなかった」とも話していた。ネクストの面々と客演の占部房子、素晴らしかったです。松田慎也と占部さんの体格差が美しかった。夫が妻の腰を抱くと、妻の身体は羽根のようにふわりと宙に浮く。夫は包み込むように妻を守る。ダンスのよう。リーディング公演でドゥハーを演じた竪山隼太は、今回教え子フムードの役。彼は抑えた演技でこそ輝くように思う。彼の演じるフムードは、生まれた場所と時代が違いさえすれば、芸術を愛する心優しい大人になっていただろうと思わせてくれた。とてもよかった。ライラクの母ハンニとフムードの恋人であるファーティマを演じた茂手木桜子は、娘を思う母親と、母親はじめ家族からも恋人からも引き離されてしまった娘という女性たちをはかなく演じて見事だった。

アフタートークでの話をもうひとつ。現在のシリアやパレスチナの演劇界はどうなっているのか? 劇場の前で関係者が殺される事件も起きているが、闘っている演劇人は沢山いる。だがコメディの公演は減ったとのこと。コメディが上演出来ない状況と、コメディを作っている場合ではないという空気に支配されている社会と……。重い言葉だった。



2019年07月19日(金)
『工作 黒金星と呼ばれた男』

『工作 黒金星と呼ばれた男』@シネマート新宿 スクリーン1


あの状況での「僕と冒険しませんか?」……名台詞!

原題は『공작(工作)』、英題は『The Spy Gone North』。2018年、ユン・ジョンビン監督作品。「黒金星」はブラックヴィーナスと読みます。工作員のコードネームですね。北朝鮮の核開発について調査するため、韓国から送り込まれた韓国国家安全企画部(ex. KCIA)の工作員。長期的、慎重な根回しの末、北の対外経済委員会所長の信頼を得た彼はときの最高指導者・金正日と接見する機会を得るが……。

「黒金星」ことパク・ソギョンのモデルは実在する(後述)。映画どこ迄が史実か、それは判らない。金大中が大統領になったのは事実、その裏で北と南に取引があったのは事実。しかしその取引の内容は闇のなか。祖国に命を捧げると同時に祖国を疑うことになる黒金星は、国の捨て石になるものかという意地よりも、真実を知りたい、間違っていることに加担したくない、それこそが国のためになるという気持ちを優先させたように見える。それは恐らく所長も同じ。だからふたりは「冒険」という大博打を打つ。

序盤と終盤はかなり圧縮、開巻15分もしないうちに北朝鮮側が接触してきて、40分程で平壌に入っている。黒金星が北を出国してからの十年も嵐のような展開、そして濃厚。対して中盤はじっくり見せる。黒金星と所長が駆け引きを通じ、お互いの信じる「国」と「信念」を通じて徐々に信頼関係を築いていく様子を、対話で丁寧に積み上げる。カメラはものいわぬ人物の顔にこれでもかと接近する。そしてここぞというタイミングで、その表情すら窺えないくらいのひきで撮る。観客はふたりに浮かんでいるであろう表情を想像し、胸を熱くする。なんて粋で、効果的な演出。

黒金星はファン・ジョンミン、所長はイ・ソンミン。ふたりは「無」にすら映る表情を見せる。黒金星は工作員、所長は独裁国家の人間という理由からのそれだが、黒金星はときに「演技」として感情的な面を露にし、所長は「本音」として終盤の激情を見せる。他の誰も知らない秘密を共有し、二度とない時間をともに過ごした、友というにはあまりにも運命的なふたりの、抑制と解放の表現が素晴らしい。ふたりの人生を現したかのような偽物のロレックスと、矜持が刻まれたネクタイピンをそっと見せるシーンは万感胸にせまる。黒金星の上司をチョ・ジヌン、北の国家安全保衛部課長をチュ・ジフン。保身と野心の果てに破滅していくという対比が見事。『金子文子と朴烈』の水野役、キム・イヌがクスッとなる役で出てた。あとパク・ソンウンがいい味で……って出てるって知らなかったよ! いい役だなあれ!(笑)なんかノホホンとしててさ……そうそう、随所に見られるユーモアもいい。ジフンさんのクラブのシーンが見ものです。このとき一緒にいる北側幹部役が『新しき世界』にも出演していたキム・ホンパで、これがまあかわいらしい。このシーン、その後の彼らを思うとせつなさ倍増です。

多くは台北で撮られたようだが(何しろ韓国人は世界で唯一北朝鮮に入れない国民だ)、セットやCGによる北の街の描写が見事。半年程前に読んだ『TRANSIT』(42号:「韓国・北朝鮮 近くて遠い国へ」)で見た建物が次々と現れる。『タクシー運転手 約束は海を越えて』が1980年、『1987、ある闘いの真実』が1987年。韓国の近代史をほぼ10年区切りで見ていく。自分の記憶と照らし合わせ乍ら、徐々に身近な出来事として感じられるようになってくる。1996〜97年……まあ、まだ最近と感じるくらいには自分も歳をとっている。天神山のフジ行ったなー、富士山で電気グルーヴの「富士山」聴けて楽しかったなーとか。「富士山」、そんな前の曲か。色褪せないなー。

閑話休題。リアルタイムで目にした、知っていた出来事の「裏の裏の裏」(今作のキャッチコピー)が、現在韓国で次々と映画になっている。金大中夫人の李姫鎬が亡くなったのはつい先月のことだ。こうした題材の映画を撮ることが可能な状況になってきた、ということだろう。それはものいえぬまま消えていったひとたちに言葉を与え、世に発表していく意味もある。北の最高指導者が金正日から金正恩に代わった今、所長はどうしているだろう……。虚構を通し現実という真実を探る。登場人物たちを隣人のように思える作品でもある。韓国映画界、これからも目が離せない。そして振り返る、日本はどうだ?

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予告編

本国版予告編

・工作 黒金星と呼ばれた男┃輝国山人の韓国映画
ソンウンさん、友情出演だったのねー。ジョンビン監督がプロデューサーを務めた『華麗なるリベンジ』の縁かな

・コードネームは「ブラックビーナス」、故金正日総書記と面会した韓国人スパイ┃AFP BB News
黒金星のモデルとなったパク・チェソ氏のインタヴュー(!)。映画では足首にマイクを隠していたが、実際には……という箇所だけでも衝撃です。本国公開時の記事

・金正日氏と会った韓国人スパイ 酒勧められ…賭けに出た┃asahi.com
朝日新聞、20190722夕刊。web版は有料記事だけど参考に

・北朝鮮で金正日に肉薄したスパイ 実在の物語を“リアルなエンタメ”として描く方法とは?『工作 黒金星と呼ばれた男』ユン・ジョンビン監督インタビュー┃ガジェット通信
膝を打ちまくる

・【オフィシャルインタビュー】映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』ファン・ジョンミンへの11の質問┃韓流MPOST
「演劇のようにセリフがとても多いのですが、セリフを言い合っている姿が、アクションで闘っているかのように見えたらと監督は考えられていました。韓国でもこの作品の宣伝をする時は“マウス・アクション(=註:言葉のアクション)”という言い方をしていたくらいです」。マウス・アクション!(膝を打つ)

・90年代韓国に実在した対北工作員の物語『工作 黒金星と呼ばれた男』┃大場正明┃ニューズウィーク日本版
これは読ませる。関連書籍の紹介も

・緊迫した撮影やファン・ジョンミンの笑顔収めた「工作 黒金星」メイキング映像┃映画ナタリー
「ファン・ジョンミンの笑顔」何故これを見出しに(笑)

で、メイキング映像。あのシーンってCGだったの?!(レストランとか。グリーンバックで撮ってる)と驚かせられるところも


おまけ。つくづくヒイッとなるキャッチフレーズですわ。いろんな意味で

(20190811追記)
・見応えある熱演と緊迫感 実話に基づく韓国スパイ映画『工作』┃原田泰造 × コトブキツカサの「深掘り映画トーク」
原田さん、ジョンミンさん好きなんだねーって映画好きなのね、知りませんでした。とても突っ込んだ内容で面白い。この連載今後もチェックしよう!

(20190823追記)
・《北風》9招把台灣變北京!寶島團隊獨家揭密變身魔法┃CATCHPLAY On Demand
台湾ロケ地案内。「僕と冒険しませんか?」の橋はもうすぐ解体されてしまうそうです



2019年07月13日(土)
東京成人演劇部 vol.1『命、ギガ長ス』

東京成人演劇部 vol.1『命、ギガ長ス』@ザ・スズナリ

松尾スズキが立ち上げた大人の演劇部、旗揚げ公演。何故か指定席があると気が付かず「そうかー、初心に立ち返って整理番号付チケットか」なんて思って自由席をとっており、しかも整理番号1番だったんで意気込んで開場時間に行ったら自由席は前三列のベンチ席だけだったというね……。いやー、スズナリのベンチ席久々。当日券のひとが自分の椅子を持って順番に入ってくるのも久々。舞台美術は松尾さん、小道具製作(パンケチ! あれかわいい! 物販にあったら買った!)は庭劇団ペニノから玉置潤一郎が参加と、家内制手工業な趣もあり。一応書いておくと、安藤玉恵の夫君はペニノのタニノクロウです。

そして近しいひとといえば、目から鱗の人選が。開演前、終演後のカゲアナと劇中の「効果音」に吹越満! おおうこれ、事前に発表になってましたっけ…知らなかった……。これがまた凄くいい効果で。考えれば考える程出口なしの憂鬱な問題を、ちょっと突き放して観ることが出来る。

かつて「死んじまえ」でなく「生きちまえ」を呪いの言葉として使った松尾さんは、人生の過酷さをどこ迄オモシロに出来るかというのをずっと書いている。今回はいよいよもうダメだと思ったときの対処法としても観られる。「生きちまえ」といわれてしまったなら、何が何でも生きてやろう。というか、死ぬのも面倒くさいのね。『欲望という名の電車』でブランチも言っていたじゃない、「死ぬのって、お金がかかるのよ」。8050問題、捏造されたドキュメンタリー、死に際してのちょっとしたトリビア。いやあ、献体は視野に入れてたけどそこでも競争があるってのは知らなかった。ためになる(?)。そういう意味では松尾さんの演出は観察者、同時に身を以ての実験、実演者だなー。それでいっぺん疲弊しきって休業もしてる訳で、何故そこ迄、とも思うがそれが松尾さんだといわれれば頷くばかりです。そして、そこ迄身を削って描く作品は「面白い」。作劇の巧さに唸る。とにかく会話のリズムがよくて、ここでそれをいう! とかその固有名詞ここでブッ込んでくる?! という組み立て方が見事。そしてあらゆるところにキラーフレーズ。「私、活発なんですよ!」「シャンパン飲みたい、って思ったんです」とか脳内に残ってしょうがない。『マシーン日記』の「紙が余ったのでUAの似顔絵を描いてみました」とかも、未だに急に浮かぶことがあるもんな……。イタさだけを売りにしているひとたちとはそこが違う。

で、松尾さんの書く言葉ってのはある種経験を積んだ巧さを持つ演者でないと語りこなせない。リズムを失ったら伝わらないニュアンスが沢山ある。松尾さんと安藤さんはその辺り安心で、とはいえ安藤さんのコメディエンヌっぷりを拝見したのは初めてでしたので感嘆しきり。認知症の母とアルコール依存症でひきこもりの息子の罵りあいが、落語、漫才へと移行していくさまの鮮やかなことといったら。この日は収録用のカメラが入っており、ドキュメンタリーを撮られている母子の芝居をまた撮っているカメラが真横にあり、このカメラも芝居の一部なのか、それとも舞台というリアルを撮っているのか……という奇妙な感覚に陥る。撮られた映像は編集され、何かしらの媒体に使われる。そのときこの作品はどんなふうに伝わるだろう。映画祭に行けるかな? 「出来過ぎ」は作品としては使えないのだ。

とりあえず帰宅技調べたのはセ◯ミンのCMと(笑・知らなかったわこれ。昨年のことだったんですね)あの電話番号って何だったっけかということでした。あのメロディが聴こえたら自動的に電話番号が思い出せた! 刷り込み怖い。このふたつはちゃんと出版された戯曲にも記されているのでしょう。

記憶の断片、認知症の人物が見る夢、アルコール依存症が見る幻覚。朦朧とした意識から顔を出す感覚の鋭さ。「あらっ、あなた妊娠してる?」「漬物はないんだよ」。寂寞な思いとともに、これらの台詞は記憶に刻まれる。



2019年07月09日(火)
downy & THE NOVEMBERS Presents『情けの首』

downy & THE NOVEMBERS Presents『情けの首』@Shibuya WWW X



彼らは誰に向けて演奏していたのか。そこには誰もいない? いや、いたとすればただひとり。フロアにいるひとへ、でなくても私は構わなかった。この場に立ち会わせてくれただけで充分。ましてや、こんな音を聴かせてもらえた。アンコールがなかった(基本いつもないそうだが)のにも素直に納得出来た。あんな演奏の、あの「弌」のあとに何をやれというんだ。公演は終了ですとスタッフがいうと、戸惑うように鳴らされていた手拍子が拍手に変わった。
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Vo, G:青木ロビン
B:仲俣和宏
Drs:秋山タカヒコ
VJ:zakuro
Ableton Live + Push:SUNNOVA
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SUNNOVAさんはサポートということだけど、もはや欠かせないメンバー。

downyには『情けの庭』、THE NOVEMBERSには『首』というライヴシリーズがある。2017年12月8日、THE NOVEMBERSを迎えてCLUB QUATTROで行われる予定だった『情けの庭』は、青木裕さんの体調不良により延期になった。翌年の3月19日に裕さんは亡くなり、その日の夜、downyはWWW Xで演奏していた。

・downy自主企画「情けの庭」がメンバー体調不良で延期┃音楽ナタリー
・downyの新ワンマン「砂上、燃ユ。残像」急遽決定┃音楽ナタリー
・downy青木裕、48歳で死去┃音楽ナタリー

「約束だったから」「あの日以来のダブダブ(WWW X)でね、」とロビンさんがぼそり。過度に感傷的になることはなかった。四人はフロアを見ていない、ひたすらお互いを見ている。呼吸を、指先、喉、舌、爪先を合わせることに集中している。猫の目のようにくるくる移動するビートの起点、増幅していくグルーヴ。いつにまにか全員がステージの内側を向いている。力が入りときに歌声が裏返ってしまうロビンさん(珍しいのでは)、バランスを失いそうになる程前のめりになる仲俣さん、激しくしかし的確に裕さんの音を送り出すSUNNOVAさん。そんななか涼しい顔でハードコアビーツをホイホイ繰り出す秋山さん……ときどきそれを見て我に返る(笑)。そうだ、秋山さんの演奏どうなってんのってのを見たかったんだ。

低めに組んだシンプルなセット。シンバルはライド、クラッシュのみ。あとはハイハット、スネア、フロアタムってとこか。全体的に肘と手首の反動で軽々叩いているように見えるが、ひとつひとつの音がクリアで粒立っており、その全ての圧が高い。あとブレイクどこよという連打で全くリムにひっかからないというところもすごい…なんじゃありゃ……。そこで再び我に返る、えっとドラムがあんまりすごいんで注目しがちだけどそこにぴったり(ホントぴったり!)寄り添ってるベースがすごくねえ? あまりにも見事なコンビネーションなのでその様子を見たいと首を伸ばしたが、ステージが高くフロアに段差のないWWW Xは余程いいポジションをとらないとステージ奥が見えないのであった。下手側にいたのだが、結果秋山さんの方をガッツリ向いている仲俣さんのお尻をひたすら見ることになった。自分でも必死に何を見てるんだろうと思ったが、まあ仕方がない。

そんなこんなで感情が行ったり来たりで忙しかった。そしてVJに色の記憶がない。このバンドのステージは、空間全体が鮮やかな色彩に染まる印象だったが……今回はモノクロ基調だったのだろうか。ロビンさんは白いシャツ、あとの三人は黒の上下だった。

「じゃあね、バイバイ」というMCのあとに演奏されたのが「弌」。ここでプレイヤーの様相が変わる。仲俣さんがフロアを向く。厳密にはフロアの上を見ていた。そこに誰かがいるかのように。有線のイヤモニをモニターに直結していたようだが、そのコードがふわりと揺れる。ロビンさんも立奏。爆音、また爆音。音が塊になって飛んでくる。鼓膜が痺れるような感覚。

ロビーでSmashing PumpkinsのTシャツ着てるひとを見かける。「1979」の歌詞を思い出す。“どこで死ぬのか知らない 塵になるんだろうか 忘れ去られて、この星の土のなかで ご覧の通り ここには誰もいない”

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セットリスト
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01. コントラポスト
02. 葵
03. 凍る花
04. 春と修羅
05. 海の静寂
06. 左の種
07. stand alone
08. good news
09. 㬢ヲ見ヨ!
10. 弌
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どちらもセットリスト公開してくれるの、有難い。
先攻のTHE NOVEMBERSは初見。お噂はかねがね……うっかり手を出すと噛みつかれそうなすごみ。Vo.の小林さんは赤いアイラインをひいたスタイリッシュな装い、高音で迫力を出せるという稀有な歌声。耳に刺さりました

・客入れがマニックスの『THE HOLY BIBLE』まるまるかけるやつでファーとかなってた。終わったら続けてデモver.がかかったのでアニバーサリー盤ですね…うれ、うれし……。前述のスマパンTのひとといい、あー近い〜と勝手に嬉しくなるなど

・翌日調べて納得というか合点がいったというか、仲俣さんて2012年当時後藤まりこのサポートやってた方だったか…千住くんとバッキバキにやりあってたあのすごいベースのひとね……

(20190714追記:めっちゃ色あった(笑)。自分の心情が反映されたんだなー)



2019年07月07日(日)
FEVER 10th anniversary / TOKYO No.1 SOUL SET presents『THREE ROOMS』

FEVER 10th anniversary / TOKYO No.1 SOUL SET presents『THREE ROOMS』@LIVE HOUSE FEVER



前半で「Rip Van Winkle」聴けた時点でもう感極まってたんだけど、アンコールでやっぱやるでしょーと予感してても実際「Too Drink To Live」のバックトラックがスカフレによる生演奏ってもうね! 一応解説しとくとソウルセットの「Too Drink To Live」の元ネタというかバックトラックが「Rip Van Winkle」なんです。これを! ライヴで!! 聴けるとは!!! で、思い出したが初期の初期ってバックトラック違いましたよね。もっとダークな感じで……。あれの元ネタは何だったんだろう、ヒロシくんが探してくるトラックの奥深さよ……。

という訳で3月5月ときて『THREE ROOMS』のトリを飾るはTHE SKA FLAMES。観るのいつ以来だ…Ricoと共演したとき……ってそれ何度もあったわ。90年代半ばくらいかなあ。そんなこんなで今誰がいるんだっけという有様でしたが、伊勢さんはお元気でした。ナベさんはゲストとして出演。わかっちゃいたけどステージ狭い。楽屋もさぞ狭かろう。そしてわかっちゃいたけど呑んでる呑んでる。普段と違ってフロアに(ソウルセットファンの)女性が多いから緊張していつもより汗かいてるとか、名古屋場所を休場してきましたとか、伊勢さんのMCもゴキゲン。で、そのMCにバンド内から茶々が入るっていうか皆勝手に喋ってる。「Tokyo Shot」では俊美くんが飛び入り、このときのフロアの沸きっぷりすごかった! 久々にサークルモッシュに巻き込まれそうになり笑顔で逃げまどう(笑)。“Let's Do the SKA. Enjoy your self.”、そのとおり!

ソウルセットの面々もニコニコです。「もう楽屋が居酒屋みたい」「居酒屋FEVER」「ステージ始まってんのにずっと楽屋にいるひとがいた」とかむちゃくちゃいってましたけども、事実でしょう(笑)。つうかソウルセット側も今どういうメンバー編成になってるか知らないっぽかった。歴史が長いバンドはそうなるよね、演奏してないひともいたり(笑)。「つきあいは長いけど、そこ迄親しくないんだよね」って、それソウルセットの三人の関係に近いのでは。俊美くん曰く「もう30年くらいのつきあいになるけど、イヴェントとかで一緒になるとまず乗るバスの順番で揉めてるし、楽屋でも揉めてるし、ステージ上がっても揉めてるの。でも、音出すと……めちゃくちゃかっこいい」。ホントにね。で、それってソウルセットもそうですよ! 揉めてるかは知らんが。でも近年ステージ上でビッケと俊美くんの罵りあいが増えましたよね、よきことよきこと(微笑)。

それにしても、こんなにシンガロング出来るバンドだったのねと改めて思ったりした。いつの間にやら皆唄ってるとうか。そしてソウルセットのライヴサポートにはなちゃんがいるのホント心強い有難い。あのベースラインがないソウルセットのライヴ、今となっては考えられない。今回はゲストヴォーカルでトーイが来ました。「24歳です」にフロアがどよめいてた。いつも思うが、ひとつのバンドを長く聴き続けられるって幸せなことだ。ビッケが「ずっと活動してんのよ、曲も出してんのよ!」ってボヤいてたけど、「Stand Up」はもはや盛り上がり必至の定番になっている。「なつかし〜」だけで聴いてるひとはそう多くないよ。

アンコールは前述の「Too Drink To Live」、オーラスは「黄昏'95」、「もう続けてやっちゃお!」「Eね! Eだよ!」「えええ、不安〜!」といいつつキーだけわかってればほぼぶっつけで出来ちゃう、ソロもまわせちゃう。最高、シビれる! フロアにおりるひと、フロアにビールあげるひと、観客のカメラにピースするビッケ(笑)、ウェーイこれこれ、これですよ。楽しい! 楽しい! 皆で記念撮影しちゃうのわかる! 「黄昏'95」先輩方との共演で、俊美くんの甘えたさんっぷりが全開になっておりかわいらしかったです。「伊勢さん大好き、歌声だけじゃなくてあの自然体のMCも。俺もああなりたい、目標です」「伊勢さん死なないでね、俺伊勢さんが死んだらいやだなあ」とかいいだしておいおい言霊ってあるからやめれ! と思ったけど、優しい伊勢さんはニコニコとそれを受けとめていた。伊勢さんと俊美くんがハグして肩組んで帰っていく後ろ姿、素敵だったな。

ところで「黄昏'95」のとき、俊美くんが中須さんにキスされてたんですよ。見たんですよ。あんだけステージにひとがいて、無礼講でどしゃめしゃで、フロアもどしゃめしゃな感じだったので幻かな? と思ったんですよ。でも翌日キスしてた、instaに動画あったってツイートを見たもんで、instaを血眼になって探すワタシであった。無事見つかりました有難うございます有難うございます。現実っておそろしい、酒っておそろしいそしてすばらしい。格好よかった、はあ格好よかった、この界隈の不良は格好いいね、いくつになっても憧れのひとたち。




オフィシャルアカウントじゃなくて各自あげるとこがソウルセットっtr感じ(笑)。



2019年07月06日(土)
『ビビを見た!』

『ビビを見た!』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ



一人称だと他者の言動が当人の解釈を通して語られるので、それに寄り添うことが出来る。モノローグのない舞台だとそうはいかない。あの警官の、署長の真意がどこにあるのか、自分で考えるしかない。ネクタイの男の子が叫ぶ「何もしらないくせに!」という言葉に胸を衝かれる。

1974年発刊の、大海赫による児童文学を舞台化。上演台本・演出は松井周。小学生の頃、図書室にあったものを読んだ。絵のタッチが『モチモチの木』の滝平二郎に似てる〜と思って手にとったんだけど実際に読んだらそうでもなく(切り絵や版画という手法をこどもなりに「似ている」と思ったんだな)、話もえらい怖くてなんだこれ……と思った憶えがある。

「七じかんだけ(略)おまえにおもしろいものをみせてやろう」という声とともに光を知るホタル。同時に光を失う街のひと(とどうぶつ)たち、追い打ちをかけるように告げられる「敵」の襲来。ホタルが7時間で目にしたものは、露になる人間の暴力性と、それでも近しいひとを気遣い守ろうとするひとたち。そして「ビビ」。

45年前に書かれたものとは思えない。わからないものへの恐怖からデマが飛び交い、ひとびとが攻撃的になる経緯は、今観ると現実のものとして身にしみる。「ワカオ」は自然災害の象徴とも思われるが、児童虐待者としても解釈出来、天変地異とはまた違った「見えない」恐怖をあらわしているように感じる。家の中で何が起こっているか、隣人たちは知らない。それでもこどもは各々の家に帰って行く。前述のネクタイの男の子とその母親のエピソードは上演台本のオリジナルで、他者には介入出来ない親とこどもの関係性が掘り下げられている。原作と違う描写でもうひとつショックだったのは、逃げてしまった飼いねこを置いていくしかなかったところ。ここ数年の災害で、家族であるどうぶつたちを失ったひとたちの話をよく目にするようになった。

冒頭の「見えないこと」についてのレクチャーと、観客を暗闇へと招待する導入は『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』。主人公の憧憬がミュージカルとして具現化するシーンは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。トランポリンや平均台、バランスボール等、演者の動きが不安定になる運動器具を効果的に美術に組み込み、「見えないひと」は実際に目かくしをした状態で舞台に立つ。ホタル役・岡山天音とビビ役・石橋静河以外の出演者の顔を見るのが難しくもある。ファンの方はもどかしい思いをするかもしれないが、この演出はよかったなあ。親しみやすいモチーフで、解釈が難しい物語の間口を拡げる効果があった。「ニジノ・タワーぐらい」大きなワカオを、声と身体を分離し浄瑠璃のように表現する手法も楽しく観た。

岡山さんと石橋さんのピュアな佇まいが美しい。岡山さんの演じるホタルの達観、石橋さんの無防備さと懸命さに胸を打たれる。姿は勿論は大人なのだが、ふたりはこどもに見えた。こどもだからこその諦め、こどもだからこその無知。岡山さんの声にはおちつきが、石橋さんの声には芯がある。ビビは希望も絶望も持ってる。ホタルはビビと遭うことで、生きていくうえで大切なものを手に入れる。ふたりとも優しく、そして強い。しかし現実世界は、その強さをもって生きるにはあまりにも厳しい。終盤はふたりを観てるだけでせつなくなった。彼の名前のように、舞台のふたりは暗闇のなかで発光しているように見えた。

そして久ヶ沢徹がすごかった。彼が演じる複数の役は現実社会と災厄の具現化で、とても怖いものばかり。そこに絶妙な抜け感を出してくる。冒頭のナレーションと車掌のアナウンスにおけるすっとぼけ感、恐ろしいワカオがときどき見せる間抜けっぷり。フードを被った黒衣姿でステージ脇の講演台に陣取り、マイクの効果も駆使して演じたワカオの声には、このひとの「おかしい」感をまざまざと思い知らされた。久ヶ沢さんの(頭)おかしい=狂気は笑いの手法として使われることが多いけれど、今回は怖い方に寄っていたなあ。いやー怖かった、そしておかしかった。ホタルの母役、樹里咲穂の抑制された演技も素晴らしかった。我が子の目が見えるようになったのが「こんな日じゃなければねえ」という台詞、こどもと過ごした日々が凝縮されているように響いて涙が出た。濱田明日香によるTHERIACAのアシンメトリーな衣裳も素敵でした。コラボTシャツ販売してたんでわーと近寄ってみたら三万円台だったのであとずさった(笑)。

松井さんの描くディストピアはいつもグロテスクで、しかしユーモアにあふれ、鳥瞰的、観察的だ。登場人物たちが他者を愛おしく思い、たいせつに扱う気持ちがそうした演出のなかから浮かび上がる図式は、突き放しているようで実に生々しい。そこに好意を持つ。

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・「ビビを見た!」┃KAAT 神奈川芸術劇場
公式サイト。
あとKAATの広報誌『ANGLE』2019/07-09掲載の白井晃×松井周対談がすごく面白かった。この作品を上演しようと企画した経緯、お互いの演出法が「魔法のよう」に見えるって話。web版探したけど見つからないなあ、あるといいのにな。気になって奥付を見たら、今井浩一さんが編集されておりました。あ、やっぱりひっかかるものなのねと思った

・大海赫『ビビを見た!』┃復刊ドットコム
2004年に復刊された原作が物販にあったので購入。テキストは流石に忘れている箇所もあったけど、絵はひとめ見ただけで初見の恐怖がまざまざと甦った。一度しか読んでいないのに、余程インパクトあったんだな。今読み返すとやっぱり大人目線になるというか、避難させるひとたちの性別と年齢制限に納得しつつもひっかかりを覚えたり、警察官、運転手と車掌といった公的機関に携わるひとたちへどう信頼を置くか、といったこと迄考えさせられました。いやさ、男性を女性が蹴落として出発する列車とか…いろいろ……え、それはそれで酷くないかと思ったり……。
この復刻版には大海さんによる「種子明かし」あとがきと、よしもとばななによる解説がついています

・【公演レポート】松井周演出「ビビを見た!」開幕に岡山天音「皆さんにとってのビビを見つけて」(コメントあり)┃ステージナタリー
静止画像で観ても画になる美術だなあ。スチールがそのまま作品に見える。そしてビビかわいい