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2019年06月30日(日)
『神と共に 第二章:因と縁』

『神と共に 第二章:因と縁』@新宿ピカデリー シアター1




『第一章:罪と罰』から一ヶ月、待ってた〜あれやこれやの謎が明かされる〜と仕事行くときより早起きしてウキウキ出かけましたよ。朝イチの上映にも関わらず盛況でございました。シネコン規模でこの動員は嬉しいなあ。本編に入る前、第一章のダイジェストが流れるのも親切。

さて、消防士くんは無事(つってもまー大変でしたわね)生まれ変わったようです。いよいよあとひとり、あとひとり無罪を勝ちとり、生まれ変わらせることが出来れば三人の使者も千年ぶりに現世で生きることが出来る! しかしそこで使者のリーダー・カンニムが選んだ死者は例の消防士くんの弟。ex.怨霊じゃねえか。本人あんまり生まれ変わりたいと思ってないし、そもそも怨霊は裁判にかけられませんよ。どうすんのよ……。それじゃあと閻魔様の出したお題をクリアすべく、使者のヘウォンメクとドクチュンはしばらく現世へ行くことになります。死者と使者が頻発してややこしいな。

とっくに寿命が尽きている筈のおじいちゃんと孫、そのふたりを見守っている屋敷神・ソンジュとしばし暮らすことになったヘウォンメクとドクチュン。この屋敷神ってのがマ・ドンソク! マ・ドンソク! 腕っ節を封印し(あ、序盤だけちょっと筋力披露してた)、芸術を愛するひたすら優しい座敷童ならぬ座敷おいちゃん(?)ですよ。ボーダーのノースリーヴがマブリー♡です。彼の語りにより明らかにされる、千年前の使者三人の関係。おおおおおう、そうだったのね……。以下ネタバレしてます、未見の方はご注意を。

そんなこんなで第一章も第二章も、兄と弟の話なのね。そして第一章では全く部外者だった父親というものの存在感がドカッと増します。お父さん、お父さんよお…ことの起こりもお父さんの選択だった訳で、最後の最後(ほんっと最後)にお父さんがもうひとひねり、という、これでもかという展開。第一章で地獄ヴィジュアルや裁判の流れを周知させているので、第二章はドラマをじっくり見せる。よく出来てる。興味深いのは、儒教色を打ち出し乍らも最終的には「赦し」を選択する者たちの存在により、ストーリーが儒教から離れたところへ着地したと感じたところです。劇中出てきた「悪い人間はいない、悪い環境があるだけだ」という台詞を、登場人物の誰もが体現している。そして、その誰もが環境下を離れた相手を赦す。ちょっと宗教の話となるとややこしくなりますが、ざーーっくりいうと儒教は「努力すればなんとかなる」、キリスト教は「努力しようが自分ではどうにもならん」。今作のストーリーはどのどちらでもなく、どちらでもあるハイブリッドな……とかいうと宗教戦争になりそうなんで深掘りしませんが、この融通が利く信仰ってだいじだと思います。そういう意味ではとてもモダンな作品。

千年という時間自分を責め続けたカンニム、そのカンニムの目の前でのびのび育った(笑)ヘウォンメク。そして環境に左右されず聡明なドクチュン……というと、ドクチュンの貴さがわかるというものですが、その彼女でさえ殺人を犯している。脛に傷がひとっつもないひとなんでいませんよ。罪なんていくらでも作れる。「事実だけを話せ、判断はするな。判断や解釈は聞き手がする」。彼らは、生まれ変わってもまた傷つき、傷つけ、そして赦して生きていく。それを見せてくれたこの作品、愛せる。個人的には消防士の弟のような性格に憧れます。ああいう人物でありたいわー。冥界へリクルートいいじゃないいいじゃない。てか冥界の住人ってなんなの、結局は皆ex.人間なの? 閻魔様の過去が知りたいね! てかあのガワをもともと持ってた閻魔様、誰よりも赦しを知っていた閻魔様。何があったの、何を見てきたの。

さて、そこで気になるのは屋敷神。ああなったってことは、彼はもう…ね……(泣・ネタバレしてますといいつつここは心情的にボカす)。三人にとてもだいじなことを教えてくれた。三人の千年は彼に会うための千年だったのかも、と思わせられる、ある意味恩人。人か? しかし株とファンドはあかん、あかんで。神でさえその動きは読めない、経済って恐ろしいですね。そうそう、この株の件をはじめ、国家規模の経済危機、都市再開発による地上げ、国際養子縁組、といった社会的課題をしっかり描いているところもよかったな。「この国で正直に生きたらホームレスになってしまう」という台詞は重い。

それにしてもヘウォンメクの髪型にはウケた。あれ、ヘアスタイルっていうより妖怪アンテナというか、どうぶつの毛が逆立ってるのと同じ原理なのかね…「俺はやるぜ俺はやるぜ」の心意気が表出してるもので、シュンとなるとシオシオになっちゃうのね……くくく………。白いヤマネコ(!)時代のロン毛もお素敵でした。しかし千年前にはあんなキレ者だった子が何故こんな子になった。カンニムの育て方か。カンニムもさぞや困惑しただろう、「環境が環境ならこんな子だったの?」って。でもそうすると、前世のヘウォンメクがいかにたいへんな環境下で育ったかということがわかる訳で、そこでまたカンニムは反省しますよね。つらしま。ヘウォンメクを演じたチュ・ジフンは今月公開の『工作』にも出演しており、本国での評価もかなり高かったようなので楽しみです。

使者たちのその後、新しく冥界にやってきたあの子、閻魔様代替わり? と「それからそれから?」要素もてんこもり。続編があるとかないとか、続きが観たーい! 待ってますー!

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・お前はどうして泣いているのだ? 「神と共に 第二章:因と縁」┃A PEOPLE
相田冬二さんによるレヴュー。そう、「時間を享受することの本質を、わたしたちに語りかけてくる」!

・赦すという観点でいえば、オ・ダルスの役はしれっと違う方が演じてましたね。彼が赦されるときはくるのかな。世間に身をさらす仕事柄、難しい問題ですね……



2019年06月08日(土)
六月大歌舞伎 夜の部『月光露針路日本 風雲児たち』

六月大歌舞伎 夜の部『月光露針路日本 風雲児たち』@歌舞伎座


奮闘と二度書いてしまう程に奮闘してましてね……(投稿する前にちゃんと読みなおしなさい)。三谷幸喜が歌舞伎座で初の作・演出、原作はみなもと太郎の『風雲児たち』。これの「蘭学革命篇」は、昨年三谷さんの筆でドラマ化されていますね。今回は1700年代末、大黒屋光太夫の漂流譚を舞台化です。以下ネタバレあります。

スーツ姿の尾上松也が登場、「先生」としてこれから観るお話の背景についてレクチャー。舞台と客席を繋ぎます。この辺り、『日本の歴史』でもとられた手法ですね。慣れたものでのっけから質問を募る(笑)。観客も心得たもので、積極的に手を挙げる。そこで出るのは「今つきあっているひとはいますか?」「好きなスイーツは何ですか?」、大ウケです。松也丈も「芝居のことじゃないのか!」などといいつつ「そんなこと、ここでいう訳ないだろう!」「パレスホテルのマロンシャンティイです!」と積極的に絡む。すっかり和んだところから一転、キリリと口上。切れ味鋭い語りで一気に観客を引き込みます。

謀叛を恐れた徳川家康の令で、船に帆柱を一本しかつけられなかった時代。不安定なそのつくりが長い航海に耐えられる訳もなく、多くの遭難事故が起きることとなった……。これ、結構衝撃でした。確かに当時の日本の船って独特な形だけど、単に材料とか技術不足だと思っていた。酷い話だ、家康ってやつはよお……。物語はここから始まります。伊勢から江戸へ行く筈が、辿り着いたのは遠き露西亜。そこから苦難の十年間。「来年の正月は日本で迎える」「皆一緒に、日本へ帰る」。その一心で奮闘した船頭・大黒屋光太夫とその仲間たち。

八ヶ月の漂流、最初の島で四年を過ごす。海路と陸路を移動し、大帝エカテリーナに謁見し、日本に戻れたのは遭難してから約十年後。その距離と時間を考えただけでも、どれだけの苦難だったかは容易に想像がつく。筋書に載っていた地図(イヤホンガイドを借りたひとにもおまけでついたそうです)を見て、改めて気が遠くなる。だいたい最初の、漂流で八ヶ月て……。言葉がわからない、食べるものも違う。慣れない土地で病にかかる。17人の水主たちが、櫛の歯が欠けるように死んでいく。船頭の自信に欠け、帆柱を折れと指示しなければと後悔していた光太夫(幸四郎)は、試練を経る度強くなる。船上では頼りなかった磯吉(染五郎)は自分の語学の才に気付き、現地のひとたちと水主の橋渡しとなる。たくあんを独り占めするような個人主義だった真蔵(愛之助)は仲間を思う気持ちを、ひねくれた不平ばかりいっていた庄蔵(猿之助)は素直さを身につける。

「ひとは変わる、いくつになっても成長する」。三谷さんが得意とする群像劇は、こうして笑いと涙を誘う。「信仰」もだいじな要素で、庄蔵と真蔵は仲間のために神を選び、光太夫は神に見切りをつける。『日本の歴史』の弥助と信長同様、異文化から好奇や蔑みの目で見られること、興味と共感が尊重と敬意に変わることも描かれる。原作があっても、劇作家の書きたいこと、伝えたいことはこうして顔を出す。

笑いと涙がめまぐるしく入れ替わるのも今回の特徴。第三幕 第三場「露西亜国イルクーツク元の光太夫屋敷の場」が秀逸。「ロシア式のお別れの挨拶」として光太夫が庄蔵にキスをする。あちこちから笑い声が起きるも、直後に唸る義太夫(浄瑠璃:竹本六太夫、三味線:鶴澤公彦)、慟哭する幸四郎丈、猿之助丈、愛之助丈。衝撃といっていい程の凄絶さだった。静まり返り見入る観客、やがて鼻をすする音があちこちから。この名場面は歌舞伎でなければ観ることが出来なかった。そして歌舞伎の裏方さんたちの懐の深さに舌を巻いたな…現代劇の演出家を迎えた歌舞伎公演を観る度巻いてるけどな……美術(堀尾幸雄)、照明(服部基)、衣裳(前田文子)等のスタッフは三谷さん側から現代劇チームを招聘していましたが、注文に応じて小道具から何からバッチリ「歌舞伎の装束として」揃えられるこの地力。第二幕 第四場「露西亜国雪野原犬橇疾走の場」がもう、もう! いぬたちが登場したときの客席のどよめきといったら! いぬの着ぐるみ、いぬたちの隊列、鳴りものにのせて走るフォーメーションをアングルを変えたっぷり見せるさま、そのいぬたちが吹雪のなか一匹一匹力尽きていく所作……ここも実はめちゃめちゃ歌舞伎だった。物語の展開はだいじだけど、歌舞伎ならではの幕見でこの二場面だけでも観てほしいです。私はここでいちばん泣きましたよ……。

猿之助丈の個人技も堪能。通る声と美しい口跡でぼやくぼやく、船から落ちたり橇から落ちる動作からコサックダンスを模した所作へと繋ぐ。その滑らかさ、無駄のなさ。ぐいぐい観客を笑わせ、沸かせ、のめりこませる。会話のリズム感も抜群。いやはや、脱帽。思えば『黒塚』は、初代猿翁がロシア訪問で感銘を受けたバレエやコサックダンスをとりいれた踊りもあった訳で、こんなところで縁があったなあとも思い出したりも。エカテリーナ(二役)の華やかさも素敵でした。蜷川さんと組んだ『じゃじゃ馬ならし』を思い出しましたね。

三幕で満を持して(?)登場、八嶋智人も松也丈の「先生」同様客席を味方につける。観た感じでは完璧に通常営業でした。頼りになるわ……。異文化に興味を持ち、積極的にその対象へ向かっていく博物学者という役柄もぴったり。硬軟織り交ぜ芝居を転がしてくれました。最年長の水主、久右衛門を演じた彌十郎丈(ブログで喉の不調を訴えられていたので心配していたけど大丈夫だった。千秋楽迄おだいじに……)、ロシアの娘マリアンナを演じた新悟丈(うきゃーかわいい! 民族衣裳も似合っててお人形さんのよう! そしていつも声が素晴らしい!)。高麗屋三世代の連携と、よきお仕事を観られて幸せでした。

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・ちょっと気になること。事前説明的な口上があるのは導入として面白いしいいと思うんだけど、ここ最近、「お芝居ですからね、想像力を働かせてくださいね」とわざわざいう公演が多くなったような印象。やる方も不安なのかなあ

・歌舞伎座「六月大歌舞伎」初日開幕┃歌舞伎美人
「犬ぞりで雪原を走る様子は、歌舞伎座では見たことのないスペクタクル満載な場面となりました」。いやホントに……この画像もっと大きいのないかなーアーカイヴされてるとこで

・【公演レポート】涙と笑いが歌舞伎座を包む「六月大歌舞伎」、“三谷かぶき”はトリビ屋の大向うも┃ステージナタリー
私が行った日は威勢のいい大向こうさんが結構いて、「トリビ屋!」もいい感じに飛んでおりました。楽しかった! そしてチェブラーシカとのコラボクリアファイル、かわいいよ〜



アリョンカを歌舞伎座で買えるなんて…前述のチェブコラボといい、松竹のリサーチ力よ……。チェブ以外のロシア雑貨もいろいろ売ってました、マトリョーシカとか

・【東京會舘とパレスホテル東京】 マロンシャンテリー食べ比べ【銀座スカイラウンジ】┃雑記と記録。
松也丈の話から、気になって調べてみた。東京會舘のものをパレスホテルで仕入れてると思い込んでいたけど、外見からして全然違いますね。どちらもおいしいのは間違いない。パレスホテルのもいつか食べてみたい〜



2019年06月01日(土)
韓国ナショナル・シアターカンパニー『ボッコちゃん〜星新一 ショートショートセレクション〜』

韓国ナショナル・シアターカンパニー『ボッコちゃん〜星新一 ショートショートセレクション〜』@東京芸術劇場 シアターイースト


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1.「ボッコちゃん」(『ボッコちゃん』所収)
2.「知人たち」(『たくさんのタブー』所収)
3.「おーい でてこーい」(『ボッコちゃん』所収)
4.「鏡」(『ボッコちゃん』所収)
5.「宇宙の男たち」(『宇宙のあいさつ』所収)
6.「ひとつの装置」(『妖精配給会社』所収)
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以上6作品を、7人の出演者で。本国での上演では7作品だったそうで、何がカットされたのか気になるなー。

字幕用の電光掲示板が舞台両袖にあり、縦書きで日本語訳が流れます。前方の席だったので、舞台と字幕をいったりきたりするのがなかなか負担で、目の奥が痛くなってきたので途中からは6割くらいしか見ていない状態だったんだけど、いやー憶えてるもんだなー。当時新潮文庫で出ていた作品は多分全部読んでるんだけど、あの数だしタイトルなんて忘れてる。なのに始まると「ああ、あれだ!」と鮮やかにテキストが甦る。小説文体のナレーションはモノローグで語られていたけど、ほぼそのまんまだったんじゃないかな。

黒基調、艶のある床材と壁材による美術は、SF世界の無機質なイメージと、映り込みを効果として使う実用的な要素もあり。「ボッコちゃん」はバーで起こる話なので、オープニングは皆ドレスアップ。滑らないようにか、2作目以降は足袋のような靴下が基本になりました。「おーいでてこーい」のリアルタイムの映像を使った“穴”、「宇宙の男たち」の手持ち照明による星の表現が素晴らしかった。この照明、「ボッコちゃん」のバーのシーンで皆が手にしていたグラスに発光体を入れたもの。劇場の闇が宇宙の闇に繋がる。その前の「鏡」ではレーザーを使ったド派手な照明も見せてくれたので、その振り幅も面白かった。劇場を愛する者たちの「見立て」を堪能。

人間の好奇心と嗜虐性を、カラッとしたユーモアに包んで表現するとより怖くなる。「鏡」のつかまった悪魔ちゃんがすごくかわいくて(コスチュームも素敵!)ニコニコ観ていたけど、エスカレートする暴力にみるみる観客がひいていく様子とかもうこわいこわいにんげんこわいあくまよりこわい。今も昔も変わらんなあ。男性の役を女優が演じる作品はふたつだったかな。それとも、あのひとは「男優」だったのだろうかと思う。そういうことも考えるようになった、これは昔と今の違うとこ。「われわれが過去から受けつぐものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア。」星さんの言葉を受けて、われわれはどこ迄行けるかな。

「宇宙の男たち」冒頭、登場人物が『2001年宇宙の旅』でおなじみのテーマ「ツァラトゥストラはかく語りき」を唄いあげる。客席から笑い声。その反応を受けて、演者が何かを呟いた。アドリブだろうか、字幕が出ない。やっぱり皆知ってるねえ、とか宇宙といったらこれだよねって感じだったのかな。言葉は通じない、でもひとつの曲やひとつの映画に共通認識がある。うれしくなったりせつなくなったり。ちなみに、「ボッコちゃん」は「ボッコちゃん」と発音されていました。思えば韓国語の「ちゃん」にあたる言葉な何なんだろう。

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・観劇後に知ったのですが、出演者のひとり、イ・ボンリョンさんは『アジア温泉』で成河さんと悲恋におちる女性を演じたひとでした。うわー気づかなかった、大人になって……!

・開演前、いつものごとく携帯の電源を切ってください等の諸注意がありました。そこ迄は普段劇場で見る風景。続けて「劇中Wi-Fiを使用する場面(リアルタイムで撮影した映像をWi-Fiで飛ばしていたのだと思われる)がありますので、重ねて電源オフをお願いします」というアナウンス。すると、そこで慌てて携帯を取り出すひとが続々と。「ま、いいや」「大丈夫だろう」と思ってるひとが多いってことですよね……「何故切る必要があるのか」を念押しで伝えるのは効果ありますね。ホントのところは、ヴァイブ含め音が鳴ることも(っていうかそれがいちばん困る)上演に支障があるんだけど、そこはどうやったら伝わるのかなあ