01. Ef 02. Human Gift 03. Image Game 04. Blizzard 05. Zone 06. Echolocation 07. D(w/タブゾンビ) 08. Bond 09. Infinite Mirror 10. Contemporary Disease encore 11. I miss seeing all 12. Phantasia
スズカツさんも登壇しMacBookを操作。ステージ上の成り立ちは高円寺でやった横川タダヒコとの『TWO OF US』に近い感じでした。ただ、このときは各々やってることが視覚化されていたんだけど、今回はスズカツさんが何やってるか全然わからんかった(笑)。ノイズ/アンビエント担当かな? その場でテキストを抽出して篠井さんに指示を出してるのかな、とも思ったけど、篠井さんは綴じられていない数枚のプリントしか手にしておらず、モニター等を見る様子もなかったので、テキスト自体はあらかじめ用意されたものだったのだろう。篠井さんのリーディングと大嶋さんの演奏+ヴォーカルの丁々発止が聴けました。
閑話休題。風邪をひいていた篠井さん、人力トーカーを駆使して? 地声なのに「Dig The New Breed」みたいなヴォーカルに(わかるひとだけわかってなたとえ)なっていていとたのし。いやいやご本人たいへんだったでしょうが、倍音がノイズみたいになっててすごい味わい深かったんですよこれが。テキストの内容がアレ(著者のケストラーは、これを書き上げたあと夫人とともに自死している)なので、時折人間じゃない何かが語っているようにも聴こえる、というか、そう聴きたいと思っているんだなあというこちら側の願望も自覚。『虐殺器官』を連想するセンテンスもあり、これは実際に『虐殺器官』からの引用なのか、それとも『ホロン革命』にあった文言か……伊藤計劃はケストラーの著書を読んでいたかな、と思ったりする。伊藤さんも今では鬼籍のひとだ。28年前に(ひぃ)『Thirst』を観ていたときには考えなかったことだなあ。このとき既にケストラーは故人で、伊藤さんはまだデビューしていない。ケストラーと伊藤さんが生きていたら、今の世のなかをどう思うかな。
なんて考えると、定番の「Wish You Were Here」にもまた新しい深読みが出来るものです。ピンク・フロイド、ベートーベン、アート・リンゼイ、坂本龍一、キング・クリムゾン、といった引用に、聴けば聴く程そのとおりですとしかいいようのないテキスト。頭の上にもくもくと暗雲が浮かんでくる。しかしそれを瞬時に吹き飛ばし、見える筈のない日差しを見せてくれる幕切れが用意されていました。篠井さんのクリアな笑い声。ライヴの醍醐味というか、生きもののしたたかさを見た思い。いやはや痛快。