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2018年05月30日(水)
KNOWER DUO SET(KNOWER × Umber Session Tribe『No One Knows』)

KNOWER × Umber Session Tribe『No One Knows』@月見ル君想フ

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Live :
KNOWER (Duo Set)
umber session tribe
DJ :
Harada Kosuke
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月見ルはあのキャパでトイレが3つもあるの素晴らしいな……(Greenroomのギャラリーステージ、ホールなのにトイレが2つしかなく長蛇も長蛇の列だったことを思い出し乍ら)とシモの話から始めてますが、ライヴ本編もシモ(後述の動画)に始まりシモ(「The Government Knows」のリリック参照)に終わった。なのに何故こうも胸がいっぱいになるの? ツアー最後の夜は、なんとも感動的なものになりました。個人的には「Window Shop」が聴けたのホントうれしかった、これかなり初期の曲なんだよね……ルイスのソロアルバムにも入ってて。どちらのヴァージョンもだいすきです。

この日は『KNOWERを囲むスペシャル・イベント』なんてものもあったのですが、仕事の都合で間に合わなさそうだったので応募を断念。通常のライヴならまあ大丈夫だけど、収録となると進行上遅刻は許されないものね。しかしこのニュースタイトル、最初見たときライヴじゃなくてファンのつどいみたいなものかと思ったよ……ともあれ映像公開を楽しみに待ってます。というわけでこのイヴェントでツアー終了と思いきや、月曜日になって追加公演のアナウンス。しかも今回観られないと思っていたデュオセット! バンドセットで観られたのはとても嬉しかったけど、デュオはまたの機会だなあ、いつになるかななんて思っていたら! イヴェント後の出演だから時間的にも間に合うと即予約です。雨のなか靴をビタビタにし乍ら青山へ。

イヴェントに参加していたポンチさんと合流、様子を教えてもらいつつセッティングを見ていると、おお、ドラムも演奏するようです。Vo × Launchpadで全編通すと思っていた。


(こんな感じでやるのかと……)

ルイスはシンセもドラムも勿論ダンスもやってまー忙しい、まーせわしない。ジェネヴィエーヴとルイスが真顔で同じ振り付けを踊るシンクロっぷりも素晴らしく、フロアがドッとわきました。ふたりの身長差がすごいので画的にも面白いしかわいい。そう、かわいい、かわいい! ステージ後方の壁面いっぱいには彼らのコンテンツでおなじみの動画、フロアはすっかりKNOWERワールドです。オープニングからアレですよ、『LIFE』のアートワークにも登場しているち◯こロケットが宇宙を旅するやつ。これ。日本CD盤ではち◯このとこにイヴェントのおしらせステッカー貼ってうまいこと隠してあったよね(笑)。赤と青のライオンやアイスをなめるいぬ、挙動のおかしなねこにおおかみ。ループ動画をバックにドバドバのEDMサウンド、ゲラゲラ笑い乍ら踊りまくった! たまらん! このVJも演奏と同期させてルイスがやってたっぽいなー。せわしない……。

そのせわしなさを象徴するような出来事が。ルイスが曲間、ではなく曲の途中でいきなりストップボタンを押し、長いMCを始めたのです。オーディエンスへの感謝、日本でCDを出せたことへの感謝。ジェネヴィエーヴの「愛してます」頂きました! 発音めっちゃ綺麗! そしてフィジカルリリースに尽力してくれた友人であり、この夜のライヴを企画したKaz Skellingtonこと渡邉航光氏(後述)への感謝。ジェネヴィエーヴが「コーキ、コーキ」とフロアを煽る。何事もなかったかのようにプレイボタンを押し、途中だった曲を再開(そう、頭に戻らないのよ)するルイス、そういうことはしょっちゅうなのか、やはり涼しい顔で唄いだすジェネヴィエーヴ。いいコンビだなー。

チープでファニー、ブラックな愛嬌たっぷり。しかしそこかしこに顔を出すのは音楽への真摯な姿勢と情熱。アッパーなナンバーが千本ノックのように続くなか、どうしようもなく沸き起こる感傷。「Die Right Now」では、ふたりが動画を撮影している様子や制作の現場に集った友人たちとのシーンが流れて走馬灯のようだった。走馬灯といえば最後に動画が逆再生されていったところも。ジェネヴィエーヴの荘厳な多重コーラスにのせて、KNOWERワールドが現実へとひき戻されていく。コンテンツのクオリティを信じ、レコーディングからミックス、マスタリング迄、そしてMV制作も全て自分たちでやってきた彼らの活動歴は決して短くない。Kazさんが「前回ここ(同じ月見ル)に彼らを呼んだとき、こんなにひとはいなかった。そして今夜ここにいたひとたち、きっと自慢になるよ。自慢にしていい」といったように、彼らをとりまく環境は急激に変化しているのだろう。このままDIYを貫くのか、それとも? シーンに属さない彼らのホームのようなコミュニティ、その未来はどうなる? 見ていきたい。

おそらく完全オフ日はなかったと思われる今回の来日。1日2ステージの日もあり、ジェネヴィエーヴは喉の疲れが歌に直結しそうな声なので、相当メンテに気をつかわないとならなかった筈。最終日は正直ちょっとキツそうだったかな。ルイスも初日観たときより頰がこけた気がする……身体に気をつけてね。今後の展開も楽しみにしてます。元気で、そしてまた来てね!

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セットリスト(こちらのツイートを参考にさせて頂きました、有難うございます)

01. Knower Rulez
02. Butts Tits Money
03. What’s In Your Heart
04. Around
05. Time Traveler
06. Gotta Be Another Way
07. Pizza
08. Things About You
09. Die Right Now
10. More Than Just Another Try
11. Hanging On
12. Overtime
13. Window Shop
14. Stay (Rihanna’s Cover)
15. Let Go
16. The Government Knows
encore
17. Cry Tomorrow, Laugh Today

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Kazさんのバンド、umber session tribeもよかった…イキのよいHIP-HOP、キレのよいラップ。途中でホーンが入り、せつなくゴキゲンなファンクナンバーに。格好いい! 面影ラッキーホール聴きたくなったよう。「ルイスはいつも俺のことを気にかけてくれる、兄みたいな存在。彼のおかげで新しい事業を始めることが出来たし、本当に人生が変わったくらいの影響を受けた。彼に日本でCDを出せないかと相談されて、わからないことだらけのなか試行錯誤していろんなところに働きかけて、リリースを実現出来た。本当にうれしい」とのこと。Kazさんは『LIFE』CDのライナーも書かれています。


今回のツアー、彼がいたからこそここまでバラエティに富んだものになったんだろうな。KNOWERを日本に紹介してくれて本当に有難う。

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・LA発超絶エレクトロ×ジャズファンク、KNOWER来日スペシャルインタビュー│Playatuner
2016年の記事、インタヴュアーはKazさん。彼らの活動歴を振り返るのにうってつけの内容です。つくづくwebのアーカイヴって有難い


追加公演の告知ツイートしたとき、ふたりともしっかりPlayatunerのTシャツ着てるんだよね。彼らのリレーションシップが感じられてジーンときた



2018年05月26日(土)
KNOWER BAND SET(『GREENROOM FESTIVAL '18』)

KNOWER BAND SET(『GREENROOM FESTIVAL '18』)@横浜赤レンガ倉庫

ヨコハマたそがれ、久々Greenroom。クリマンが噛むようになってエラい規模がデカくなり、あのゆるい雰囲気はなくなっておりました。まあなあ、エリア区分の難しい場所なので、チケットを買っていないひとをどこ迄許容できるかは難しいところですね。しかしあのロケーションは捨て難い。駅から徒歩十数分! 目の前海! カフェとかすぐある! 休憩時間はGranny Smithに行きました、アップルパイウマイウマイ。

KNOWERに照準を合わせて行ったのでのんびり。他はEGO-WRAPPIN’、ハナレグミを観ました。どちらも野外がよく似合ってたなー。エゴは喉を痛めてしばらく休んでいた中納さんの復帰一本目だったそうで盛り上がった。「くちばしにチェリー」聴けた!「うたいたかったーーー!!!」とシャウトしておりました、格好いいー。ハナレグミはトリ前ということで「ジミー・クリフの前!」「ジミー・クリフと同じステージに!」「このあとはジミー・クリフ!」と舞いあがっていて微笑ましかった。潮風に吹かれて聴く「明日天気になれ」の気持ちいいことといったら。

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ON THE RADIO@InterFM

ラジオ番組に出演ですよ。行けばわかるだろと呑気に構えていたのが失敗だった、InterFMブースが見つかりません。マップにも載ってないとは予想外過ぎた。チケットいらないエリアの筈、出店の並びの……とその方へ向かうも観客と遊びに来た地元のひとと観光客で激混みも激混み、なかなか前に進めません。ようやく見つけたブースはRED BRICKステージの最後方、ここも激混み。なんとか最後の5分程話を聴けました。ルイスの好きな音楽ツールはGarageBand(Mac付属のソフト)だってよ。機材に凝らなくてもいいものは作れるというのは勿論だけど、それでもGarageBandはいいよ! とのこと。結構真面目な話が続いていたのか、こんなことではつまらない人間だと思われちゃう、昔は火をつけてまわるのが好きだったんだよ、とかいいだす。それはつまらない云々の前に奇行。そして危険。

このひとにしては普通の格好。しかし5月にダウン。フード。デカいサングラス。ジェネヴィエーヴはかわいいし、小柄な自分に似合う服を知ってる感じだなー。EDM界のチッチとサリーと呼びたい。PSY・Sも思い出すね(どちらも若い子には通じないたとえ)。しかしビートシーンだのジャズシーンだのEDMにエレポップと、どう紹介すればいいやらという多面性。レーベルはUNIVERSAL JAZZだしショップではクラブミュージックのとこにおいてあるし、ややこしいわー、いいわー。

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LIVE@GALLERY STAGE

Greenroom唯一の屋内ステージ、ウェーイ最前でガッツリ観てきました。踊りまくって満足。そもそもBLUE NOTEだと踊れないってのがフェスを選んだ決め手でしたのよ。

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Vo:Genevieve Artadi
Drs:Louis Cole
Key:Rai “SUN RAI” Thistlethwayte
Key:Jacob Mann
B:Sam Wilkes
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KNOWERといえばEDMという先入観を剥ぎとるきっかけ、バズりまくったこの動画とほぼ同じメンツで来ました。SaxのSam Gendelは欠席、Keyにジェイコブが加わった編成。どえらかった…なんだありゃ……音源やYouTubeでも魅力は伝わるけどこのバンドはライヴで観るのをすすめる。こりゃすごい。ライはMacBookをおいてたけどあれはエフェクト用だったのではないか、おそらく同期なしの完全人力。サムは座奏。全員イヤモニなしの耳栓ありだったかな。

もうさ、えげつないくらい巧いんですわ。巧いが一定のラインを超えると変態としかいいようがない。きもちわるい(笑顔で)! サンダーキャットちゃんのいうとおり、「こいつらはまじでアホだ。愛してる」と叫びたくもなるわ。皆さん演奏にハマりまくるあまり挙動がおかしく、顔芸もすごかったです。特にサム。ずーっと笑ってましたね…所謂ベースソロといわれるものはないんですが、聴いているとなんじゃこりゃ全編ベースソロじゃねえかという弾きっぷりです。エフェクトも相当使ってたな。リズムキープのためのベースってこのバンドではいらんわ、タイム感が共有出来てるもの。よって皆さん各々ソロを演奏してたらすっさまじいグルーヴ地獄の釜が開いたって自由さです。ダンストラックであり乍らブリブリ変則リズム、ファンク、しかし最高にポップ。そしてこのアティテュードはどうにもパンク。ポリもぶっこんでましたがな。なんだよ好きなものしか入ってねえ! ひとりだけ謎だったジェイコブ・マンもきもちわるい(=きもちよすぎる)フレーズグイグイ入れてきてたなー。key×2って編成も面白かった。エレクトロ満載なのにめちゃ野生度高い!

ドラムに専心、オープンハンドで叩いて叩いて叩きまくるルイスもたまりませんでしたね。ハイハット、キック、フィルがすごいです。全部か。てかやっぱキックかなー。手数だけでなく足数も多い。そりゃもう多い。(通常でいうところの)ドラムソロではスティックでバスドラを叩いていた。腕長い。そしてライはもう嫌味か! てくらいの技巧でサラサラ弾いて、フロアを煽る余裕もある。ライやルイスは長い(通常以下同)ソロもありましたが、いつ曲に戻ってくるかは日によるようで、他のプレイヤーがニコニコしつつキューを窺っている緊張感もすごかった。皆いい笑顔だったなー。

ちなみにライはSun Rai名義でリーダーアルバムを出しています

そんな演奏を従えたジェネヴィエーヴの歌! 動画を観ていたときは「凄腕揃いのプレイヤーのなかヴォーカルの線は細いかな、音響バランス難しそう、バンドセットだと厳しいかな」なんて思っていたがとんでもなかった。オープニングの「TIME TRAVELER」ではわあ、この声大好き〜なんて聴いていたが、「BUTTS TITS MONEY」のヴォーカリゼーションで完全に降参、おれに聴く耳がなかったのや……。尻に乳に金、ブラックなこのリリックの繰り返しにこうも感動させられるとは。隣の男の子がブレイクごとに「Yes!」て合いの手入れてその都度フロアに笑いが起こってたんだけど、歌はめちゃめちゃシリアスに聴こえるという不思議。ファルセットもウィスパーヴォイスもめちゃめちゃ通る、リリックがめちゃめちゃ刺さる。芯の強い、まさにザ・プロフェッショナルな歌声でした。「HANGING ON」と繰り返し唄い乍らしっかと足を地につける。踊り、跳びはね、ブレイクが終わるタイミングをはかるためドラムセットの前に仁王立ちになる。その姿はまごうことなきファイティングウーマン。もうすっかり虜です。鉄腕アトムならぬ鉄腕ジェネ! ちなみに網タイツにホットパンツ、網シャツにTシャツを重ね着するという衣装でしたが、NINJAをイメージしたんだろうか。

といえばルイスの着ていた黒いシャツにはマクドナルドのロゴが刺繍されていた。マクドだよな〜てずっと気になってた……なんでマクド? アメリカの象徴? ライは何故か私物のリュックをステージに持ちこんでた(別にそこから機材出すとかもなくただおいてた。本編終了後そのまま持ってかえって、アンコールでまた持ってきてた)けど楽屋に置いとけないほど大事なものが入ってたんだろうか。そんなちょっとオカシなひとたちが繰りひろげるステージ、終始笑いがとまりませんでしたよね……踊り乍らだし過呼吸になりそうでしたわのよ。

「THE GOVERNMENT KNOWS」でフロアを煽っていたルイスがドラム前に座り、ハイハットを刻み乍ら「one, two, overtime.」と「OVERTIME」に繋ぐラスト、待ってましたと阿鼻叫喚のフロア。歓声と拍手鳴りやまぬなか再登場、メンバー同士ちょっと耳打ちしてオモムロのアンコールは『Family Dinner Vol. 2』でもやったSnarky Puppyの「ONE HOPE」をメタル仕様で! 終演後出るのはためいきばかり、口を開けば「す、すご……」「すごか…った……」と語彙がなくなっている有様でした。いやはや最高でした、またきてね、今度は野外で観たいです!

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セットリスト

01. TIME TRAVELER
02. AROUND
03. BUTTS TITS MONEY
04. ALL TIME
05. WHAT’S IN YOUR HEART
06. CHINESE FUNK
07. PIZZA
08. GOTTA BE ANOTHER WAY
09. HANGING ON
10. THE GOVERNMENT KNOWS
11. OVERTIME
encore
12. ONE HOPE

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ふたりともいい顔。こちらこそ有難うですよ!


ジェネヴィエーヴがリハ動画アップしてた、「ONE HOPE」!


BLUE NOTEが画像アップしてた

・LIVE REPORT『2018 5.27 sun. The EXP Series #20/KNOWER』│BLUE NOTE TOKYO
翌日のBLUE NOTEの様子。あああやっぱりこっちもも行きたかったなああ。「Thinking」はルイスのソロセットでもやっていたけどKNOWER仕様だとどんな感じだったのかな



2018年05月25日(金)
LOUIS COLE SOLO SET

LOUIS COLE SOLO SET@Shimokitazawa BASEMENT BAR

KNOWERが来日しております。Thundercatがらみで知ったドラマー+サウンドクリエイター、ルイス・コールとヴォーカリスト、ジェネヴィエーヴ・アルターディによるLA発エレポップ・デュオ。動画や配信、ライヴが主な活動の場なので日本の媒体には情報が少なくYouTubeを漁りまくる日々だったのですが、この度日本のレーベルと契約し、配信のみのリリースだった2016年の作品『LIFE』が世界初CD化、それに伴い来日公演が決まりました。ウェーイ対価を払わせてくれとやきもきしていたところだったので喜びいさんで追っかけますよ!


アメリカにはもうタワレコの実店舗はありませんので嬉しかったらしい。

今回メジャー仕事とインディー仕事のオファーをかたっぱしから受けているようで、プロモーション、ソロセット、バンドセットでのフェス、単独3公演とイヴェント収録、デュオセットと怒涛の一週間。いやはやタフですね、初日はルイスのソロセットです。いやあよかった……すごく閉じててすごく開いてる。ドラマーとしての技量とサウンドクリエイターとしてのギークっぷり。自分(だけ)がわかりやすい例えでいうとスクエアプッシャーのドラマー版のような感じですわ。ソロ作品(このAmazonのレヴューを読んで知ったが『菊地成孔の粋な夜電波』で紹介されてたとのこと。調べてみたら一度や二度どころじゃなく、この数年間断続的にとりあげられてた。ラジオはなかなか聴けてないので知らなかった……はああ、繋がるもんですねえ)では内省的な美しい楽曲を発表しているルイスの二面性を観られてよかったです。

ステージにはDrsとちっちゃなKey、MacBook。ダウン着てフード被ってサングラスして出てきておもむろにセッティング開始、スネアのチューニングにかなり時間をかけてました。そのままぼそっと名乗って一曲。リズムとサンプリングした自身の声を順繰りに重ね、コーラスワークをじっくり聴かせます。ずっとこの雰囲気でいくのか? と思っていたらその後よいしょと脱いだダウンの下はSHITとプリントされたTシャツ、仕込んでる(笑)。「さっきそこで買ったんだ」とにんまり。下北ェ……。「両親が来てるのにこんな服着て!」とかいってた気がするがネタだろうか、思わずフロアを見まわしてしまいました(後日本当にご両親来てたらしいと判明)。ちなみに客層は幅広く、ジャズ畑から知ったか結構年配の男性もいらっしゃいました、スーツの。こういうフロアっていいな。

その後鉄板「Mean It」に「Bank Account」とアッパーセットをガンガン披露、インプロもどんどん挟んでいく。イントロドンで「YouTubeのやつ!」「銀行口座のやつ!」という声があちこちからあがり、笑い乍らの大合唱です。リリースされてない楽曲を共有出来ているのって強いなあ。「Thinking」も聴けて嬉しかった、いやはや盛り上がりました。ドラムアホうまい、多重演奏緻密(しかもガンガンその場でアイディア足していく)、ダンスおもろい。そう、ダンスもありましてよ。映像や画像で見る限りかなりの長身だなあと思っていたが実際そうで、長い腕と脚を窮屈そうに折り曲げて演奏する姿、ここぞとばかりに腕をふりまわすダンスとま〜一挙一動に不気味な愛嬌がある。ステージにはその日演奏するバンドの楽器が最初から全部置いてあったので、序盤スティックや腕が近くのコードに引っかかったりする場面もあってちょっとヒヤヒヤしました。ヘッドフォンしたまま立ちあがったらコードがピーンとかなってohとかいってた(笑)。

しかしデッカい手でちまちま弾かれるちっこいキーボードからはブリブリのどファンクグルーヴ、コンパクトなバスドラからはツインペダルかと思うような(覗き込んで確認しちゃったよ)連打連打。メタルか。そして歌がよい、声がよい。物憂げなファルセットに低音のラップ、性急なリズムに荘厳なハーモニー。なんだかディズニーの『ダンボ』に出てくるピンクの象を思い出して夢見心地になってくる(この例えも自分しかわからん。すみませんね)。悪夢と紙一重ですな。観客とコミュニケーションをとるべくいろいろ話したり煽ったりもするけれど、演奏に集中するとまた閉じていく。ヘッドフォンを片方だけして演奏してた途中で音を拾い切れなくなったのか(まあフロアも大騒ぎでしたので)「ごめんやっぱヘッドフォンする!」と両耳塞いだあとの豹変ぶりには好感を持ったというか、むしろ惚れた(笑)。

歓声をひとしきり受けたあと、いそいそと自分で撤収してる様子も微笑ましい。スティックは何使ってるの? とか明日のGreenroom行くよ! とかいろいろ話しかけられてましたが、急に声かけられると一瞬ビクッとして即ファンとの交流仕様に切り替えるスイッチが見えるような挙動にますますギークみを感じたのでした。いやーいいもの観た。それにしてもマルチにも程があるな。ドラムを存分に聴きたい反面あの歌声もじっくり聴きたい、ビートトラックも堪能したい。とてもじゃないが一本のライヴだけでは全貌が見えない、しかしそのひとつひとつが魅力的。こういうところにもトム・ジェンキンソンを連想したのでした。

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・Mean It - Louis Cole (ft. Sam Gendel)

サム・ゲンデルにも来てほしかった!

・bank account (short song) - Louis Cole

銀行口座のやつ(笑)

・メモ的に。スクエアプッシャーに通じるものがあるというのは一応根拠がありまして、その二面性や長身(笑)、スタイルだけではなくそもそもスクエアプッシャーのリズムはジャズドラムからインスパイアされているんですよね。当時のインタヴュー↓

レコードを紹介したあとバディ・リッチの演奏動画も流れます。一聴瞭然。ルイスもジャズに基盤がある(お父上がジャズミュージシャンってところも共通してますね)し。こうなるとShobaleader Oneの楽曲ちょっと叩いてみてほしいですわ、アダム・ベッツと叩き合ってほしいわ(笑)
久し振りにこの動画観たがトムちん若いわー、21歳。手首ほっそい! 指ほっそい!

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さて、このイヴェントはZA FEEDOのレコ発パーティにルイスがゲストで呼ばれた形。失礼乍らルイス以外の出演者には全く予備知識がありませんでしたが、主催のZA FEEDOも、OAの木(検索泣かせなバンド名ね……アンダーグラウンド気質だなあ)もDJの高崎アフィもとてもよかった。アットホームな雰囲気で楽しめました。

ちなみにZA FEEDOのとき何曲かジェネヴィエーヴと並んで観ました…隣に来てヒイッとなった……私(154cm)と同じくらいの身長だった、てかもうちょっとちいさいかも。Tシャツとふわっとしたスカートの普段着でかわいかった! ステージを見ようと爪先立ちしたりピョンピョン跳んだりしててわかる、わかるよと思った(低身長の共感)。パーティを楽しんでたようでよかったよかった、明日楽しみにしてますよと念を送りました。



2018年05月23日(水)
『市ヶ尾の坂 ─伝説の虹の三兄弟─』

M&Oplays プロデュース『市ヶ尾の坂 ─伝説の虹の三兄弟─』@本多劇場

竹中直人の会による初演は映像で観ました。スズナリから本多へ、まず舞台空間が大きくなったので、その分家に奥行きが出た。ほどなく取り壊されるであろう古い家屋の哀愁に、入場するなり魅入られる。季節や時間帯を的確に示す、窓から射し入る陽光も美しい(美術:長田佳代子、照明:沢田祐二)。暗転も心地よい。

現代劇のつもりで観ていたら、「道玄坂の麺道場」という台詞。おお、初演と同じだ。プライムの地下にあった麺道場、当時よく行った。今はユニクロになっている……ということは、これは初演と同じ1992年が舞台だ。当時は現代の物語。今は26年前の物語。というこちは、もうこの家はなくなっており、三兄弟も別々に暮らしているのかもしれない。市ヶ尾の景色も、劇中語られる「田園都市開発」とやらによって景色も変わっているのだろう。そう思うと、追憶の劇として見方も変わる。四半世紀も前のことか。

奥の奥迄噛みしめられる、岩松了の台詞を堪能。舐めつくしたい欲求に駆られるくらいだ。言葉そのものの意味と、話し手が意図するところと状況を読みとって初めて気づく意味。時間の経過とともに真意が明らかになる、音楽と同じ時間の芸術だ。窓から見える坂道、二階から見える花火。ミニーズハウスへ向かう並木道。その描写の美しさはまるで絵画のよう。話したことが嘘でも本当でも構わないと、麻生久美子の声をうっとりと聴き、その表情と容姿をうっとりと眺める。おそらく三兄弟と同じような惚けた顔で見ていただろう(笑)。気味の悪い(ほめてる。初演では竹中直人が演じた役ですよ!)大森南朋、次男ならではのバランス感覚三浦貴大、ひねくれ末っ子森優作。とってもいやらしくてかわいかった。そんな彼らを池津祥子のような姐さんがどっしりしっかり支えたりイジったりしてくれたのは頼もしい。

舌を巻くのは、三兄弟の狂態の真意が明かされるラストシーンに言葉を使わないところだ。人妻に対して一種異様な態度をとる彼らは、彼女に何を映しているのか。ナイロン100°Cの『わが闇』で三姉妹がダバダをハモる名シーンを思い出したが、同じ時代を同じ環境ですごした者たちの間合いは、はたから見るとグロテスクに感じることもある。彼らのはしゃぎぶりは謎ですらあるが、台詞の端々に布石がある。それが、台詞の一切ないラストシーンで明言される。この気持ちの悪い鮮やかさ! 岩松了だいすき!(笑顔で)

生脚堪能の舞台でもあった。屋内の一場ものなので、登場人物はまず靴を履いていない。部屋着だったり、ジョギングウェアだったり(笑)。無防備な状態でいる住人たち=三兄弟のもとへ、清潔でよそいきな身なりをした人妻が訪問する。家政婦はご近所さんのうえ買いもの帰りだったりするのでストッキング等履いていない。日常にぱっと咲く花、口を開ける闇。その目まぐるしさに翻弄される快感に身悶えしつつ劇場を出ました。

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・朝倉の揚水車群│福岡県朝倉市
三連水車の里はこちら。かわいい。人妻が語る水車の様子は三兄弟が聴き惚れるほど瑞々しいものだが、この彼女の思い出にも疑惑が生じる。彼女は見ていない、体験していないことを美しく描写する術に長けている

・福岡・朝倉の「三連水車」、1カ月ぶり通水再開│日本経済新聞
2017年8月2日の記事、再開してよかったね。初演から再演の間に起こったこと。次男はあのあと水車を見に行けたのだろうか

・岩松作品の再演といえば『鳩を飼う姉妹』が観たーい

・観劇前にYOUNGでカレー食べたんですが(ウマイウマイ)、そこを出たとこで「本多劇場はどこですか…」とスーツケースをひいたひとに声をかけられた。まるっきり反対方向ですがな。しかも遠い。一緒に行ってあげられたらよかったんだけど、劇場行く前に寄るとこがあったのでなんとか口頭で説明したけど無事に辿り着けただろうか。駅周辺が変わってしまっているから道に迷うひとも多そうだな



2018年05月20日(日)
イキウメ『図書館的人生 VOl.4 襲ってくるもの』

イキウメ『図書館的人生 VOl.4 襲ってくるもの』@東京芸術劇場 シアターイースト

『図書館的人生』シリーズ、今回はこの三本。

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#1『箱詰め男』(2036年)
#2『ミッション』(2006年)
#3『あやつり人形』(2001年)
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アカシックレコードも連想するのですが、人生のライブラリーというだけあって過去上演されたものの変奏曲もありました。『ミッション』は本公演で2012年に上演されたヴァージョンもありますね(このときの演出は小川絵梨子)。タイトルのあとのカッコ内は、その出来事が起こった年。それぞれが少しづつ繋がっている。尻切れトンボに感じるものもあったが、人生ってそういうものだ。ひとの人生のある時間を切りとる、複数の役を演じる役者にも、それを観る観客にもそれぞれの人生がある。短編集、スケッチ、イキウメのカタログとして観ても楽しい。盛隆二の芯のある芝居と、浜田信也のタップがいいアクセント。絵画のようなラストシーン。非常に優れたデザインの作品を観た、という満足感がありました。

カタログというのは演者や脚本、演出の旨味を太っ腹に並べてくれるものでもある。いやはや達者だなあと感心しきり。そして演者はいい声揃い。もともと高音の大窪人衛からハスキーな森下創、倍音テナーの安井順平と舞台で聴くのが気持ちよいのなんのという声質と滑舌を持つ劇団員に加え、客演三人の女優の声がまたよくてね。男優のみの劇団となり、女優を客演で呼ぶというシステムはいい効果を生んでいる。ホンに応じてさまざまな世代の演者を招聘出来る。深い響く声の千葉雅子、鈴を転がすような声の小野ゆり子、瑞々しい張りのある声を持つ清水葉月。理路整然とした台詞の多い前川作品をどう響かせるか、耳心地も考慮しての人選なのだろうか。声というと、引退された岩本幸子さんの声を聴きたいなあ、と今でもときどき思う。

客演といえば田村健太郎もよかったな。やさしくてひとなつこい、常に友人や恋人を気にかけている人物がふとしたことで豹変する。というか、外的要因からそうならざるを得ないところに連れていかれる。人間の善性は環境と状況の奴隷にすぎないというサンプルを、説得力を持って見せてくれた。

数日前、twitterのタイムラインに賞味期限切れのおにぎりを踏めるか、についてのコメントが並んだ。『聖地X』を思い出した。ただの石にしめ縄を巻いたらどんな効果がある? 畏れの在処と根拠を探す。誰(何)を責める/責めないかではなく、そうなってしまう仕組みを探す。それでも責めずには生きていられないひとが存在することへの受け皿も探し続ける。ツールとしての「祈り」、それを必要とするひとがいること。欲求と使命の境界、そこで生じる落とし穴。これらにセーフティネットはあるのだろうか? 研究は続く。

スタッフワークはいつも素晴らしいけど、今回は美術(土岐研一)も音響(青木タクヘイ)も照明(佐藤啓)も冴えまくっていた。朝日が演者にも映り込む、窓枠のシルエットは鳥肌もの。スッキリした女優陣の衣裳(今村あずさ)もよかったな。就職活動クローンの装束には苦笑しつつも納得。かみむら周平の抑制された音楽も心に沁みました。



2018年05月19日(土)
『ハングマン HANGMEN』

PARCOプロデュース 2018『ハングマン HANGMEN』@世田谷パブリックシアター

やー、過去観たマーティン・マクドナー作品のなかではいちばん笑った、黒い笑いですが。構成としては『ウィー・トーマス』に近い。特に二幕目。不在のものを巡りエスカレートする暴力、あっけない解決、残された死体と、その後始末。寓話のような幕切れは、昨年映画界を賑わせた『スリー・ビルボード』に通じるところもあります。目安として、当方いちばんヘコんだのは『ピローマン』です。

1965年、絞首刑が廃止されたばかりのイギリス北部の町、オールダム。最後の“ハングマン=絞首刑執行人”ハリーが退職後開いたパブへ集うのは、開店と同時にやってくる三人の常連客、勤務時間になっても職場へ向かわない刑事、「最後のハングマン」の記事を書きたい新聞記者。そこへやってくる、ロンドン訛りで洗練された身なり、でもどこかがおかしい若者。執行を担当した死刑囚は冤罪だったのか? という横糸に、その若者、執行人の元助手、ハリーがライバル視していた「吊るすのがいちばんうまい」No.1ハングマン、ロンドンからきた若者に好意を持つハリーの娘という縦糸が絡む。ハリーがかつて誇りを持って従事していた仕事の腕は、その制度がなくなったのちも存分に活かされる。しかしそれで何かが解決するということはない。執行人は捜査はせず、判決を下すこともない。時代においていかれつつある、ひとりの男の物語。

死刑囚の独房、パブ、ハンバーガーショップ。場面ごとのリズムが独特。インタヴューが行われるパブの二階は抽象的な扱い。なかなか演出家泣かせな場面転換にも感じる。SePTの天井の高さと盆を気持ちよく使った空間使い。吊るしも派手に出来てよいですね(…)。クダを巻いている酔いどれたち、ふさぎがちな思春期の娘、ハングマン一家に近付く素性がわからぬ男、彼らが口にする不安と不穏。それらの積み重ねからジワジワと緊張感を高めていく一幕、一気に状勢が動く二幕。怖い、そして面白いのは、二幕目で爆発するであろうヴァイオレンス(感情でも、暴力という行為でも)のために一幕目が用意されていると待ち構えている自分に気づくことだ。実際、感情を逆なでするような人種差別、地域や職業に対する侮辱がちょっとした会話の端々にこれでもかと仕込んである。それはもう執拗な程、丁寧に。こいつをどうにかしなければ、してほしいという感情がこちらに積もり積もったあげく、溜飲が下がるような展開。ところがそれは見当違い、という結末。笑いも黒くなるというもの。

今回の翻訳は小川絵梨子。テキレジも丁寧にやったのではないかと思われる。イギリス北部のなまりを東北弁的なアクセントにしたのはわかりやすいアイディア。ああいう台詞まわしをする田中哲司というのはなかなか珍しい。哲司さんの近年の仕事のなかでは珍しいキャラクターに思えるが流石に巧いし、色気があって愚かで懸命な役は彼によく似合う。体格もよいので、蝶ネクタイに山高帽、ベストといったクラシックな衣裳もよく映えます。娘の終盤の台詞は1960年代のイギリスではありか? いや現代でもあるか?! とちょっとマクドナーの露悪趣味に苦笑。その台詞を言い放たれる父親、そして妻から冷めた一言を放たれる夫が哲司さんという図式に、役者とは因果な職業よのおという苦笑も。

三上艦長の使い方が贅沢! 途中迄出るってこと忘れてたよね……それだけ話に引き込まれてたってこともありますが。幕間に「あのNo.1執行人、これから出てくるんだろうなあ。……あっ、艦長出るんだった!」とやっと気付いたくらいで。それもあり、登場したときはよっ千両役者! と声をかけたくなりました(笑)。

そうそう、ロンドンの若者はエドワード・オールビー『動物園物語』の登場人物、ジェリーみたいだった。長ゼリ的な意味でも。相手との距離感を掴もうとしない、会話はモノローグにしかならない。あれは怖くて物哀しい。大東駿介がいい仕事なさいます。あの不気味さ素晴らしかったなー、美しい容姿なだけに尚更。あの長ゼリはホント大変だと思うけど、それを台詞のたいへんさではなく、語る人物の内面に渦巻く嵐として聴かせてくれたところにも唸った。そう聴こえた。カーテンで仕切られ、誰にも見守られることなく、謎のまま消えていく。彼は哀しいひとだった。

おもろうて、やがて哀しきマクドナー。

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・カーテンコールで長塚くんが座長みたいな挨拶してたのに密かにウケた。哲司さんがガンガン前に出て挨拶するキャラじゃないとはいえ……ま、その名前で客を呼べる演出家だし、出演もしてますからね



2018年05月12日(土)
さいたまゴールド・シアター『ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春』

さいたまゴールド・シアター『ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春』@彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO

出演者自身に起こった悲惨な体験を、当人が台本化し演じるシリーズ『ワレワレのモロモロ』をゴールドシアターで。ゴールドの面々が個人史を舞台に載せる作品というと、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団のメンバーである瀬山亜津咲とのタンツ・テアター『ザ・ファクトリー3』という傑作がありましたが、岩井秀人構成・演出の今作も素晴らしかった。『わが家の三代目』『友よ』『無言』『パミーとのはなし』『荒鷲』『その日、3才4ヶ月』の6セクション。

ハイバイ式、出演者による上演に際しての諸注意で開幕。ひとなつこいキャラクターの遠山陽一が担当。注意は3つ。携帯電話等音が出るものの電源を切ること(というか、呼び出し音が鳴ることとヴァイブ機能の違いが僕には分かりませんので、とにかく音が出ない状態にしてくれればいいですといっていた)。飲食OK、ただ、食べものの入っている袋は一気に開けること。地震の際はスタッフの指示に従うこと。ここ迄はハイバイと同じ。そして3つ目、上演時間は変動すること。台詞を忘れて思い出したり誰かに教えてもらったりしていると長くなる。台本の数ページをすっ飛ばして台詞をいうときもある。そういうときは短くなる。何かあっても、僕が責任とりますからと監督の岩井さんがいってくれました。とっても若いのに、たいしたものですねえ。ですって。ウケた。

そしてこの日はもうひとつ、おことわりがありました。出演者のひとりが喉を傷めてしまい声があまり出ない。他の役者が代わりを務めることも検討しましたが、彼女はだいじな仲間。マイクを持って芝居することをお許しください。

果たして登場した彼女の声はかすれ、聞きとれない箇所もあった。中盤以降、舞台上でちょっとした話し合いが行われ、彼女の台詞を他の役者が分担して話す場面もあった。この舞台上での変更に演出家は介入していない。ひとりの役者が咄嗟に「ここは僕たちが分担しよう!」と提案して決まったことだ。

プロンプはついていない。上演時間は予定より少し延びた。観る側の注意力と咀嚼力も求められる。例えば従来の芝居では強調されて発せられるであろう重要な言葉にメリハリがなかったり、台詞をここぞというタイミングで噛んでしまったり。ときには群衆的な役割のひとが早まって(あるいは遅れて)同時に喋ってしまったり、大声を被せてしまったり。上演時間が長い! とか台詞噛んだ! とか鬼の首をとったように騒ぐひとにはおすすめ出来ない公演だ。ただ、そういったこと以外のところで瞠目するものが多くある。だからゴールドの公演に通いつめてしまう。きっかけは蜷川幸雄だが、彼が演出していない作品のどれもが魅力的で、見逃せない、次も是非観たい、と毎回思わせられる。

いちばん若い出演者が1945年生まれ。劇団にはもっと若いひとも在籍している。ひとつの作品に構成するなかでたまたまこうなったのか、「悲惨な体験」を演劇にするというこのシリーズでは戦争という体験のおおきさがものをいったのか。広島で被爆した方、お国のために死んできなさいと母親に送り出され予科練で終戦を迎えた方。今回は出演していないが特攻隊の生き残りもいた筈だ。そうした体験が舞台上で繰り広げられる。ここで岩井構成の妙が光る。そのエピソードのなかに批評性を持つ人物を登場させる。戦後をアメリカ人とのビジネスで生き抜いた人物に、恥ずかしくないのか、自分だけいい思いをすればいいのかと言葉を投げる人物がいる。主人公は、それらの言葉を受けて立つ。捨てられていく古い冷蔵庫を演じるのは劇団最年長の男性だ。彼は戦中の思い出をぽろりぽろりと呟くが、故障して異音を発しているのだと片付けられる。新しくやってきた冷蔵庫は、アメリカ人を演じた女性だ。複数のエピソードが複数の役を演じる役者で繋がり、役と演者がレイヤーになる。作者が長年抱えていた記憶に、自分が思ってもいなかった意味が生じる瞬間が現れる。

家族(ペットも、だ)の死、友人の死。自身の死も身近になる。その孤独に他者の視線を注ぐ。視線は岩井さんのものでもあり、観客のものでもある。「悲惨な体験」の記憶はこうして拡散され、つらい思いをしまいこんでいた胸が少し軽くなる、かもしれない。

ハイバイドアはなかったけれど、巨大な額縁状の引き戸を模した装置(美術:山本貴愛)がいい仕事をしていた。額縁をスライドさせると、舞台はさいたまのアパートからパリのカフェ、真夏の広島へと変わる。1940年代から2010年代迄、時代の変化もシームレスに観ることが出来る。

一種イレギュラーでもあったこの日の公演で、興味深い出来事があった。冷蔵庫のエピソードの主人公は、前述の声が出なくなっている女性だった。彼の夫を演じる男性が積極的に彼女をサポートする。台詞を分担しようと提案したのも彼だった。夫としての台詞と、共演者としての言葉が入り混じり芝居は進む。カタログをいくつも読み、サイズや機能を検討しつくしたうえで店に出向いたのにまだ迷ってしまう妻に夫が軽口をきく。それを受け、女性が放った最後の台詞は、夫と妻の役柄だけではない意味を持ったように聞こえたのだ。ひとが長年続けていく生活というもの、他人とくらすということの途方のなさ。日々揺れる演劇、予測のつかない幕切れ。こんな舞台を見せてくれる集団、そうそうない。そしてこんな面白い集団がそれぞれ抱える個人史をこういう形で、新たな魅力を加えて見せてくれた岩井さんに感謝。

こうなると、シリーズ化してゴールドのメンバー全員のモロモロを観たくなる。観客は創作のたいへんさを知らないもんだから気軽にこんなこといっちゃうけど、現場はたまったもんじゃないだろうなあ。幕が開いても気が休まらないだろう。でも、次回を楽しみにしています。

それにしても『グッド・デス・バイブレーション考』の翌週これを観たのは刺激的だった。松井さん(サンプル)と岩井さん(ハイバイ)の作品を対で観るの楽しいな…すごいひいってなるけどな……。自分をつくった親というものがどちらもいなくなった今、いろいろ考えのリハビリをし乍ら観ているところもあるな。いいタイミングでした。

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たまたまだが蜷川さんの三回忌当日。アフタートークは故人を偲びつつ、笑いの絶えないものになりました。書けないことが多すぎるが印象に残ったことをちょっとだけおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。前後していたものをまとめちゃったりもしています。出席者は岩井さんと、飛び入り参加の渡辺弘さん。さい芸の制作統括で、蜷川さんと二人三脚でゴールド、ネクストを育ててきた方です。進行は徳永京子さん。

・(劇団は成長していくものだが)ここは出来ないことも増えていくんですよね。その「事情」を了解したうえで、お客さんは観ていくことになる。その面白さ
・とはいってもやる方はたいへん(笑)。今回はまず、なんで台本書かなきゃいけないんだってところから。で、書いてきたら手書きで。あ、手書きなのね……と。そして達筆過ぎて読めない。演出助手が入力作業やってたんだけど「読めません」って
・結局書かないひともいたんだけど、他のひとの出来あがりをみたらやりたくなっちゃったみたいで「またやるよね、今度は書くから!」っていわれた
・(近年、ゴールドの公演はネクストシアターのメンバーが歩行補助やプロンプ等のヘルプで入るのが通例になっていたが)今回ヘルプはなしでやってみます、と始めたんですけど、途中からネクスト…きて……! と何度も思いました……
(当日パンフレットには演出助手に佐藤蛍さんの名前はありました)

・公演がない時期、頭や身体がなまらないようにと蜷川さんがその道のスペシャリストを講師として呼んできても「演じるために入団したのになんで座学がいるんだ」とか「ダンス練習恥ずかしい」とか。全部舞台に立つためのレッスンなんですけどねえ
・蜷川さんのところではまず作家読みというのがあるんですけど(劇作家本人が台本を一度通しで音読する)、終わったら「てにをはが違うんじゃないか」とか(笑)
・破格の集団ですよね

・蜷川さんはわかりにくい記憶をわかりやすく見せる天才だった
・結成時から三分の一の人数になっちゃった。亡くなったり健康上の理由以外で退団したひとはいない
・認知症が進みもう無理です、と自分の意志で退団した方が翌日稽古場に来てしまったこともありました
・でも、舞台に立ちたい一心で、歩けなくなっていたひとが歩けるようになった事例もあるんです(盒鏡兇気鵑里海函
・このあいだの公演は岩松さんがひきうけてくれて、今回は岩井さん。蜷川さんが亡くなったとき「これからどうする?」と訊いたんだけど、辞めますというひとはひとりもいなかった。どこ迄やれるか判らないけど続けていこうと思います
・まだやれてない、やり残していることもありますしね
・いろんな方に作品を書き下ろしてもらってますけど、劇団員の反応ってやっぱり気になるみたい。それこそ今回の芝居でも出てきましたけど台詞をひとことでももらえるとすごく嬉しいんですよね。あと(男1、女1とかじゃなくて)役名がちゃんとあったり。そういうのを聞くと、次に反映させたくなるようです

・蜷川さんは上に出ていきたいと自分に近づいてくるひとに対してオープンで、売れたいんだろ? 俺を利用しろよ、とよく言っていた。最大限に利用したのはゴールドシアターのメンバーではないか

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・悲喜こもごもを作品に昇華、ゴールド・シアター×岩井秀人「ワレワレのモロモロ」│ステージナタリー
ゲネプロの様子。毎日こうとは限りませんよ〜ある意味スリル満点

・彩の国さいたま芸術劇場の“ゴールド”な挑戦 ─ノゾエ征爾、岩井秀人、菅原直樹が語る「高齢者演劇」の将来│ステージナタリー
前述の渡辺さんも参加している座談会。もーこれたいへんさがビシバシ伝わってきてすごい面白い(ヒドい・笑)

・『我らに光を ─さいたまゴールド・シアター 蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦』徳永京子
今作のサブテキストにもなる、劇団員のインタヴュー集。ゴールドシアターのメンバーになる前、どんな生い立ちでどんな仕事をしていたか。バラエティに富みまくっている骨太の個人史。既に亡くなっている方もいる


よい顔されてらっしゃいました



2018年05月05日(土)
KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』

KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』@KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ



『ブリッジ』を最後に一度解体、しばしの休息をとり、松井周のひとりユニットとして再始動したサンプル。その一作目は戸川純を迎えた姥捨山伝説。しかし、「元ポップスター」を演じる戸川さんは男性を演じるという。どういうことだ? 観ていくうち、納得するほかなかった。彼女は年齢も、性別も、そして生殖能力の有無も超越していく役だった。しまいには人間という生物学的な種類すら曖昧になり、肉体を必要としなくなる。

種を生き残らせるための策を練る人間たちは、生殖能力を労働力とし資本に替える。マッチングはお見合い、子宝(劇中では「ひよっこ」と呼ばれる)は通貨になり、品質により選別される。ルーツが判らない「野良」ものは、社会貢献のためにさまざまな仕事に就く。このあたりはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を想起させたが、今作で重点的に描かれるのは、「ひよっこ」を手放した側のひとたちだ。生きているとなにしろ腹が減る。「ひよっこ」を売るにしろ捨てるにしろ、それは食べるためだ。一方、年齢を重ね肉体が傷んできた人間は、口減らしの意味も含め「船出」を促される。こうして整理していくと、ごくごく自然ななりゆきだ。愛憎、嫌悪すらも平熱になる社会の仕組みや、そりゃ尤もだという優性思想の指摘。劣性とされる人物もそれを望む。

理想的な社会だ。ただし、その理想を目指す過程で打ち捨てられるものがあり、差別されるものが生まれる仕組みへの策がない。死への肯定観があり、肉親を捨てることは自然の摂理だという説得力がある。松井さんの描く世界は神話化する。肉体を失ったものたち、いや、肉体を捨てたものたちの行方を追う。彼らはラジコンのヘリコプター(『聖地』)に、こども用玩具の車でつくったタクシー(『ゲヘナにて』)に、改造したトラック(『永い遠足』)に……そして手製の方舟に乗って何処へでも行くことが出来る。残された者たちは、死への時間を待ち乍ら、家族という名のコミュニティを形成する。不思議と清々しささえ感じる幕切れだ。劇場を出る足どりは軽く、死と同じくらい生にも肯定的になる。禁忌とされている歌を唄うシーンもチャームに満ちていて、それが悲惨な経緯であってもつい笑顔になってしまう。松井作品のこういうところに惹かれてしまう。

戸川さんは約12年ぶりの舞台出演とのことだったが、ライヴ活動はコンスタントに続けていることもあってか、声の通し方や振る舞いは流石の一言。彼女が演じる老爺は「船出」にノリノリだが、その日が近づくにつれ老婆のようになり、やがて幼女へと変態していく。驚くべきことに、二時間程の上演時間のなかで、戸川さんの姿が本当に「そう見える」。登場シーンでは本気であのじいさんが戸川さんだと気づかなかった。ショッキングですらあった。この12年の間に何度かライヴは観ているが、車椅子のままステージで唄うこともあった。劇中使われる歩行補助器は実際に必要なのだと思った程だ。ところが彼が家族とくらし、娘や孫と言葉を交わすうち、声のトーンや姿勢といったスキル的な面だけでなく、肌艶すらも男性から女性へ、そして童へと変化していく。補助器を使わず軽やかに歩く姿を見て、これは「役者だから」なのだろうか、と思う。やはり彼女は不世出の表現者なのだ。

ストーリーの芯となるのは娘と母親。その両方の立場を担う稲継美保が見事。焦燥、諦観、生命力。救いのなさそうな結末に、それもいいかもと感じさせる人間の強さ。サンプルの体現者といってもいいだろう、野津あおいの強力な受身力。今回はイタさよりも痛/傷み(心身ともに)が直球、あれは惹かれる。体現者といえば板橋駿谷が素晴らしかった。大人な身体とこどもの頭。戸川さんとのジジイと孫の関係も微笑ましく、歌(「ラップはギリギリ歌じゃねえ」そうだが・笑)でも戸川さんと二枚看板。椎橋綾那の役柄には女性という生物の弱点を見せつけられてつらかったが、清々しさすら伴う退場シーンには拍手を贈りそうに。その際ちらっと聴けた歌声、もう少し聴きたかったな。彼女は浪曲師でもあるそうだ。そして役者松井、笑いの部分も含め気持ち悪くて最高。ダフトパンクなサンバイザーも最高。

音楽と演奏は宇波拓。この日の演奏パートナーはイトケンでしたが、どうやら日によって違うそうです。

松井作品との出会いは蜷川幸雄が縁だった。『聖地』は今でも、生涯のベストに入っている作品だ。そして舞台役者・戸川純との出会いは蜷川演出の『三人姉妹』だった。魂の乗りものとしての肉体、自分の肉体を役に差し出す役者。この関係を目撃したくて舞台を観ている。戸川さんをあの役でオファーした松井さんに、そしてそれを彼女以外には成し得ない、それでいて新しい魅力をもまとった造形で見せた戸川さんに感謝。そして蜷川さんに感謝。

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・KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』 松井周 インタビュー│ローチケ演劇宣言!
「でも僕は戸川さんに、自分をおもしろがる人とどこか同調していないようなパンクな印象を持っていて、ずっと俳優をやっていたいんじゃないかと感じていた」
「元に戻ることだけが幸福じゃないだろうと思うんです。(中略)その状態を受け入れて、新しい関係を築いていくことがこれからの価値観にならないかと考えていて」

・青年団出身で年齢も近い松井さんとハイバイ岩井さん。作品にも相似性を感じることが多い。家族をモチーフに選ぶこと。ひとの営みをグロテスクギリギリで描くこと。そんなグロテスクな、自分が描いた世界の住人になる(出演する)こと。まるで鏡のような……なんてことを考えていたら、
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岩井
松井
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なんと岩松(了)が隠れているじゃないか。と気づいてひとりニヤニヤ納得する昼下がり。なんだよ大好きなわけだよ(笑)



2018年05月01日(火)
『アメリカン・ヴァルハラ』

『アメリカン・ヴァルハラ』@新宿シネマカリテ スクリーン2



映画はジョシュ・ホーミのモノローグから始まる。時間は誰にも乗る(ride)ことが出来ない。一瞬でも時間をつかまえて、自分の思いどおりに操ることが出来ればと願うが、それは不可能なことだ。俺は助手席に乗っているだけ。助手席から、目の前を流れていく風景を見ているだけ。

写真家でもあるアンドレアス・ニューマンとジョシュの共同監督作品。自分のバンドを失った(といっていいだろう)イギー・ポップが、新作を制作するにあたってのパートナーにQueens of the Stone Ageのジョシュを指名することから全てが始まる。イギーの音楽を聴いて育ったジョシュはその大役に舞いあがり、同時に困惑する。返事を迷うジョシュへ、イギーは追い討ちをかける。ツアーに出ているジョシュのもとへ自作の資料を送りつけたのだ。同じ曲を演奏する日々、クリエイティヴィティに渇望しているツアー中にこの仕打ち(笑)。イギーの意気込みといおうか、創作への渇望が感じられるエピソードだ。

フェデックスの封筒に入った紙束をとりだして、ジョシュはふりかえる。「妻のブロディ(・ドール)に相談したんだ、どうしようって。ブロディは『こんな貴重なものを受けとっておいて断るなんて、失礼だ』といった。それで決心した」。背中を押してくれたブロディに感謝。ジョシュはバンドメイトであるディーン・フェルティタと、かつてプロデュースを務めたArctic Monkeysのマット・ヘルダースを召集する。アジトはランチョ・デ・ラ・ルナ・スタジオ。すわデザートセッションズか?! かくして『Post Pop Depression』プロジェクトはスタートする。

レコーディングは秘密裏に行われ、制作過程を記録に残すつもりもなかったため、レコーディング風景の多くは静止画像(写真)で構成されている。イギーの仕事ぶりや、彼との思い出を残しておきたいといった個人的な記録──ジョシュやディーンの日記(普段は日記なんて書かないのに、といっている)やマットが撮影した画像を観乍ら、観客はイギーの、ジョシュの話に耳を傾ける。イギーが繊細なひとであることよく知られているが(たとえば『コーヒー&シガレッツ』を観れば一目瞭然)、ジョシュのナイーヴっぷりも相当なもので、レコーディング序盤はお互いある種の怯えすら感じていそうな空気。しかし周囲に人気のない砂漠のスタジオで長い時間を過ごし、食事を共にし話す日々が続くうち、信頼関係が築かれていく。

アルバムクレジットに「Additional Assistance」と記されていた、パトリック“ハッチ”ハッチンソンの役割が明かされる。彼はランチョ・デ・ラ・ルナのハウスエンジニアだが、レコーディングに訪れるバンドマンたちに食事を用意するのだ。レコードはバンドだけによって作られるのではない。表に出てこないひとたちの貢献をさりげなくしらせる。音楽に対して真摯で、聡明なひとたちが的確な仕事をする。不安は消える。これは、という確信が生まれる。幸福な時間が流れ始める。

レコーディングはジョシュが、ツアーはイギーが消極的だったという話も興味深い。イギーは体力的な不安もあったのかもしれない。今度はジョシュがイギーをけしかける番だ。イギーがこのバンドでツアーに出たいと思わせるため、トロイたち迄呼び集めてセットリストを練り(ジョシュ側が選曲したから「China Girl」が入ったとか、いい話だよ……)、過去の名曲たち「The Passenger」や「Lust for Life」をみっちり練習する。微笑ましい。そうして迎えたリハ初日、イギーのもとへデヴィッド・ボウイの訃報が届く。ツアーはスタートし、幸福な時間は不思議な時間へと変わる。

ボウイは去り、ライヴで演奏されるのはボウイに深い縁がある曲。イギーとボウイが共に過ごしたベルリンも訪れる。ファンはあの曲が、この場所がどういう意味を持つのか知っている。ジョシュたちはイギーを鉄壁のバンドサウンドでサポートする。賢者を守る騎士のようだ。クライマックスはロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール。こんな由緒あるホールで演奏するなんてふさわしくないといわれた、こんな綺麗な服を着てライヴするなんて初めてだ。そう笑った先からF**Kを連呼し、イギーは服を脱ぎ捨ててオーディエンスのなかへ飛び込んでいく。フロアとステージを、笑顔とキスの嵐が襲う。マットが泣いてたの、かわいかったな。ツアーは特別なものになった。

最後に再び、ジョシュのモノローグ。時は戻らない、時間は誰にも操作できない。そうか、そういうことだったのか。これは音楽のことでもあったのだ。音楽は時間のアート。時間がとまると音楽も消える。レコーディングは終わり、ツアーも終わる。音はやむ。しかし、レコードは残る。「ジェイムズ・オスターバーグ。有難う、俺を信じてくれて」。胸がいっぱいになっていたところにこのひとこと。はっとすると同時に暗転、エンドロール。涙があふれる。ジェイムズ・オスターバーグは、イギーの本名だ。

タイトルの『アメリカン・ヴァルハラ』を指してイギーはいう。「これは(アメリカンである)自分のヴァルハラ、アメリカという国のヴァルハラだ」。働き続けなければ、動き続けなければ価値がないとされる国。盟友を亡くし、自身の死もそう遠くないと感じている自分と、この国に対しての思い。しかし同じアメリカンであるジョシュはいう、時間をつかまえられるのは死後か? それなら意味はない。生きているうちに、その助手席で楽しむんだ。自分ではライド出来ない時間というものを存分に生きろ。時間という音楽の物語。音楽にとり憑かれている者たちの物語。ジョシュによる『Post Pop Depression』回想録、そしてイギー・ポップへのラブレター。

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というわけで今作は『女は二度決断する』と同日公開だったのでした。こちらでは本当の発音に近い「ホーミ」表記でした