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2018年04月25日(水) ■
『タクシー運転手 約束は海を越えて』
『タクシー運転手 約束は海を越えて』@シネマート新宿 スクリーン1 原題は『택시운전사(タクシー運転手)』、英題は『A Taxi Driver』。2017年、チャン・フン監督作品。 1980年5月、軍事政権下の韓国で起こった光州事件。報道はうっすら憶えている。全斗煥を「ぜんとかん」、金大中を「きんだいちゅう」と発音していた時代で、事件の重大性は解らずとも、全斗煥の名前は「怖い」という感情とともに記憶された。当時本国では言論統制が敷かれており、未だ解明されていないことも多い。国を守る筈の軍隊が市民に銃を向けたという痛ましさ故に沈黙している当事者も少なくない。韓国現代史最大の悲劇ともいわれているこの出来事は映画のモチーフにとりあげられることも多く、観たなかでは『星から来た男』 が印象深い。 今作は、その光州事件を取材するために韓国入りしたドイツ人ジャーナリストと、彼をソウルから光州迄送迎したタクシー運転手、そして彼らに協力した現地のひとびとを描く。滞納している家賃を払える大金につられたというだけのタクシー運転手は、自国で市街戦が起こっているという事実を目にして衝撃を受ける。報道規制が敷かれていることを知った彼は、現地の同業者や学生とともに、この事実を世界に知らせてほしいとジャーナリストの取材を援護する。私服軍人の追跡や検問を突破し、彼らは取材映像を国外に持ち出すことが出来るか? 重いテーマ乍ら終盤のエンタメっぷりがすごい。しかし後述の記事にあるように、いくつかの印象深いエピソードは実際に起こったことだったという。「こうだったらいいのに、こんなことがあればよかったのに」という願いを形にする、それが史実と繋がる。映画の美点でもある。そういう意味では『アルゴ』 みもあった(ちなみに『アルゴ』は1979〜1980年の話)。映画の最後には、ドイツ人ジャーナリスト=ユルゲン・ヒンツペーター氏の実際の映像が流れる。あのタクシー運転手に会いたい、彼の運転するタクシーで現在の韓国を案内してもらいたい。願いは叶うことなく、ヒンツペーター氏は映画公開前の2016年に亡くなっている。そして映画の公開後、タクシー運転手の行方が明らかになるが、彼も既に鬼籍に入っていた。間に合わなかった、あともう少し時間があればと思いつつも、映画=エンタテイメントの力というものに胸を衝かれる。 タクシー運転手を演じたのはソン・ガンホ。平凡な一市民が歴史的な事件に直面したとき、どんな感情がわきあがるか、どういった行動をとるか。車内でのひとり芝居になるシーンも多く、繊細な演技で観る側を圧倒する。その説得力! 光州の同業者にユ・ヘジン。地方人の情の厚さ、ユーモア。どれをとっても愛情深い。観客の誰もが、主人公であるタクシー運転手と同じくらい彼のその後を案じたに違いない。大学生役のリュ・ジョンヨルは屈託のない笑顔が幼く、現実の不条理をより浮き彫りにする好演技。 そしてドイツ人ジャーナリスト役、トーマス・クレッチマン。『戦場のピアニスト』 で、主人公であるユダヤ人ピアニストを見逃してくれるドイツ人将校を演じた人物であり、自身は足の指を失い乍ら東ドイツから西ドイツへ亡命したという凄絶な過去を持つ人物でもある。演技の確かさと、演者自身が持つ歴史がレイヤーになる。それを知ることもエンタメの力だ。 ジャーナリストと運転手を見逃してくれた兵士がいたように、ユダヤ人を見逃したドイツ人がいたように、命令に従い乍らも、その任務に疑問を持っていた者は確かにいた。制圧側の人間全てが、躊躇なく自国の市民に銃を向けた? そうとは到底思えない。あのときの彼らの心境が知りたい。しかし、それが明らかになることはあと数十年ないだろう。口を開かぬまま死んでいくひとも多いだろう。娘の髪を飾るように、リボンを綺麗に結べるタクシー運転手。彼が空港でちいさく手を振る姿は、ジャーナリストだけが見ていた筈の光景だ。映画を通して観客はそれを共有することが出来る。取り残されたこどものようなあの姿が、目に焼き付いている。忘れられない、忘れられない。 -----・タクシー運転手 約束は海を越えて│輝国山人の韓国映画 いつもお世話になっております、公式よりも作品情報に詳しいページ。稲川淳二似のあのひと(チョン・ジニョン。このページの写真若い頃のだからあんま似てないけど今すごい似てるんだよ、稲川淳二に……) や阪本順治似のあのひと(チェ・グィファ) 、他の作品でもよく観る! 誰だったっけ! てとこ迄わかるのほんと有難い。パンフレットに載ってる配役や役者プロフィール、四人だけなんだもんよ〜。いやでもパンフも当時の韓国のタクシー事情、慶尚道と全羅道の対立の歴史について等読み応えありました。慶尚道出身のガンホさんが「全羅道のごはんはおいしい」という台詞にも、ある種の意味があったのだなあと気づかせてもらいました・弾圧の目撃者、苦悩と人情 光州事件描く「タクシー運転手」│asahi.com 見逃してくれる兵士のシーンは『戦場のピアニスト』のオマージュだと思ってたんだけど、実際にあったことだそう。しかし思えば『戦場のピアニスト』のあのエピソードも実話だったわけでな…… ・힌츠페터(Jurgen Hinzpeter) 촬영부분 Part 3VIDEO ユルゲン・ヒンツペーター氏が取材した光州事件のニュース映像。思えばこれが放送されたのは1980年の西ドイツ。ヒンツペーターを演じたトーマス・クレッチマンは東ドイツで亡命の準備をしていた頃だ。彼は自分の未来のため、危険を承知で国を出ようとしていた。極東で起こっていることを気に留める余裕はなかったかもしれないし、そもそも東ドイツでこの事件は報じられたのだろうか? そして今、朝鮮戦争が終わる可能性が見えてきた。 時間が経つ、時代のなかを生きるということの不思議を思う。自分の生きている間にベルリンの壁がなくなるとは思っていなかったし、38度線が消える(まだわからないけど)とも思ってなかった・拒否した力の支配 民主化を求めた光州事件の教訓―その取材記から│斉藤忠臣 表記が「斉藤」になっていますが、「斎藤」が正しいようです。こちらの方のツイート で知りました。あの日あの場所には、もうひとりのタクシー運転手と日本人の記者がいた。その記者、斎藤忠臣氏の講演録。2008年。斎藤氏も映画公開前に亡くなっている。 これは読めてよかった。取材メモから現地で起こったことを回想しているのだが、「緑色のタクシーが約50台並び」「軍隊に向かって前進をはじめた」なんて、映画よりも派手じゃないか。タクシー運転手と検問所にいた兵士の出身地が同じだったことからフリーパスの暗号迄教えてもらったこと、ソウル支局迄トラックで送ってくれた農家の方がいたこと、盗聴されていて記事の伝送に苦労したこと等、映画で描かれたことをより重層的に知ることが出来た 朝日新聞ソウル支局員の方が、先輩である斎藤記者についてのツイートを。1980年5月24日の新聞記事・韓国映画での「ビンゴ(ご明察)!」にあたる「ディンドンダーン♪」 おまけ、今回ガンホさんで観られて(聴けて)うれしい。館内がどっとわきました。ノリのよいお客さんが多くて、観客一体になって笑ったりハラハラしたり涙ぐんだり。映画館の醍醐味
2018年04月20日(金) ■
サモ・アリナンズ『ホームズ』
サモ・アリナンズ『ホームズ』@駅前劇場 わーい久々サモアリですよ〜。笑うつもりで行ってるこちらの準備を上まわり続けるわんこそばスタイルにもうむせる程笑った、吐きそうになって身の危険を感じる程だった。初演は観ていません。倉森さんのホンを原作に、おぼん ちゅぼん こぼんが脚本、小松和重ブラザーズが演出とのことでした。入場すると佐藤さんと大政さんが前説コントをやっている。そうだったしまった、もっとはやく来ればよかった。眉がウニョウニョしたふたりのメイクを見て、そうそうこれこれ、サモアリにきたなあと思う。 タイトルのとおりホームズとワトソンが出てきて事件を解決するやつですが、まあ彼らが解決するわけではない(笑)。このコンビ、なんかどっちかっつうとドン・キホーテとサンチョ・パンサみたいだったよね……祝・50歳(!)の小松さん、全身バーバリーというかタータンチェックといううるさい柄が似合うのなんの、ルパン三世もしくは次元大介なプロポーションも健在のホームズです。浅野和之おじいちゃんとはるわよねー。といえばそろそろワンダフルズも観たいねえ。相棒ワトソンはハラペ〜ニョっつうかメキシカンっつうかフラメンコっつうかなんだ、あれだ、ゴキゲンだ平田さんだ。最高か。 小松さん的にはくだらなくてなんにも残らないものを〜ってとこがだいじですが、やっぱりいろいろ心に残るんですよ、ああくだらなかったなあって(笑)。こんなにくだらないものを観て、屈託なく笑える幸せよ。劇団員のあたふたぶりに、ゲスト陣の本気のボケに、ずっとケラケラ笑っている小松さんを観られる喜びよ。主よ、人の望みの喜びよ〜。あれとかあれとかアドリブ的なところはもう二度と観られないわけでさ〜名残惜しい……。凍らしたたくあんや酢そうめんの匂いが漂ってくる小劇場の醍醐味も堪能、久々駅前劇場のパイプ椅子も堪能。開演が近付くと奥に入場出来なくなるから空席をつめるお約束、THEATER/TOPSもそうだったなあ。 手足が動かせない状況で笑いすぎて涙を流している久ヶ沢さんの頬を平田さんがぬぐってあげたところが本日のハイライト。美しい光景であった。久ヶ沢さんはスキーシーズンに肩をいわしたそうで腕があがらないアピールをしておりましたがそうよね久ヶ沢さんに限って五十肩はありませんよねえ(微笑)。しかし相変わらずお素敵ボディでございました。女装もかわいかったよ! 小松さんが「みんな歳が歳なんで身体のことも心配だし、今度は四年ぶりとかいわず二年後くらいには集まりたい」といってました。そのあと二、いや〜三…年かな…とかぶつぶついうとりましたが元気でまた会えればうれしい。待ってる〜。ワンダフルズもね〜。 ----- ・ホームが地下になり最寄り改札も閉鎖され、電車を降りて一分で入場! の売り文句は使えなくなりましたが、やっぱりだいすき愛すべき駅前劇場。まあ余裕を持って行けばよい ・アンゼリカの跡地にはパンの田島が出来ました
2018年04月13日(金) ■
AIMING FOR ENRIKE JAPAN TOUR 2018
TONE FLAKES VOL.125 AIMING FOR ENRIKE JAPAN TOUR 2018@THREE ノルウェーのツーピース(G×Drs)インストバンド。彼らのことを知ったのは昨年、まさに初来日してたときで、どうにもこうにもスケジュールの都合がつかずライヴはおあずけ。あー今度いつ来るかなあなんて思っていたので、こんなにはやくまた来てくれるなんてうれしい! FLAKE RECORDSのダワさん感謝! そのダワさんもこういうとりまして 、もうこの規模では観られないかもなあという勢いのツアーになっているようです。初日以降、TwitterやInstagramで動画とともにみるみる評判が拡散されていくのを見るにつけ、SNS時代の音楽の聴かれ方とその情報が伝わるスピードを実感してもいる。またそんな時流に乗れる特性というか、このライヴは逃せないと思わせるインパクトを持っているバンドです。 いやはやすごかった。フロアが混んでて視界がほぼなかったのでどう演奏してるか確かめるのは諦めて踊りたおしていたのだが……てかそうなのよ、めっちゃ踊れる! マスな手法を使いつつも、ライヴだとビート/ダンスミュージックな感触が強い。Gがエフェクターを駆使し、リアルタイムでバンドサウンドを組み立てる。このリアルタイムってのが凄くて、テクノやエレクトロニックのアーティストやDJのように、ワンステージでひとつの作品となるような流れも作ってしまう。リフとリズムで曲間を繋ぎ、グルーヴの圧をあげていく。シンクロするようにフロアの熱もじわじわとあがる、そしてブレイク、歓声とともに手があがる。 ルーパーでリフを重ね、オクターバーでベースの音域もカバーするから音が分厚い。しかしそこ迄はわかってもどこをどうやればああなるのか……エフェクターでエフェクターを操作するというか演奏もするので、ギター本体を演奏してない箇所も多い。その場合、足より手の方が早いし確実なのでしゃがみこんでの演奏(操作)になり、ステージ上のヴィジュアルが地味になる。というか後方からだとステージにいるひとが全く見えなくなる(笑)。そうなるとひとり残されているように見えるドラムを注視することになりますが、まーこのドラムがまたすごくてな。インプロ部分もあるのかもしれないが、ギターのリフパターンが出来あがる(つってもそれがまたすごい早くて驚愕)迄の繋ぎを繋ぎと感じさせないリズムをすいすい叩きだしていく。変拍子もつんのめりがなく、そういうところもマスとはちょっと違う…そしてよくいわれているようにBattlesやLightning Boltと方法論は通じるものの、ノリとしてはやっぱりダンスミュージックだろうか。やっぱ踊れるバンドはドラムがだいじ! Adebisi Shankを思い出すところもありましたが、彼らよりバカ度は薄いです(笑)。というかメンバーの皆さんはシャイな感じでしたね、MCもはにかみながらThank youとかありがとうとかOne more song! とかぼそぼそっというの。あんなすさまじー演奏しててこれだもの、微笑ましいわー。 いやーすごかったなー。Warpからスカウトきちゃうんじゃないのとか思っていたらダワさんがこんなこといってて 苦笑した。いやもうダワさんの情熱にはホント頭がさがる。有難うございます……。今回専任のPAも同行してくれてたそうなんですが、それもあってか鳴りもよかった。LITEも格好よかったです! いい相性の対バンでしたよね。AFEのG、Simenと並んで観ました(笑)。気づいたら隣にいてビックリした。 ----- その他。TwitterとInstagramも、投稿数が多くてどんどん流れていっちゃうからあとで探すのたいへんなのでまとめさせてください……。 ・転換(意図したかはわからないが流れ的にAFEの出囃子になった)でBeastie Boysの「Sabotage」がかかってアガった〜、フロアで聴くと嬉しくなるな セットリストあげてる方がいらっしゃった! 終了後はエフェクターの前にひとだかり、撮影しているひともたくさん。こういうところは小バコというかライヴハウスの醍醐味ですね ライヴが終わったらすぐにこういう感想や動画がどんどん流れてくる。このバンドが今日本でツアー中、近くの街にも来る、となれば行ってみたくなるでしょう? こまかく小さなハコをツアーするインディーバンドにとって、こういう機動性は助けになるのではないだろうか。リスナー/ファンがバンドをサポートするひとつの方法にもなる。勿論アーティストやイヴェンター側が撮影を禁止していたら撮ってはダメですよ 左からGのSimen、PAのEspen、DrsのTobias。ノルウェーのひとだと名前の発音どんななのかな? ハンサムなEspen、この日が誕生日だったそう。ダワさん今回ドライバーも務めてるからお酒呑めなくて気の毒。tweet見てるとすごく気を配ってアテンドしてるし、もう感謝しかない……無事ツアーを終えられますように! ツアーが始まる前にこれ観て(聴いて)すっごい楽しみにしてた「Louis Cole」、やってくれたよ! この流れすごかったなー! それにしてもこのタイトル……いや、現在わたくしKNOWERにどハマりしてるんですが、Louis Coleってここのメンバーというか中心人物なんですよ。ソロ活動もユニークで、セッションドラマーとしても各方面で活躍してる。彼以外に考えられないんだが……なんなの? 接点あるの? どうしてこのタイトル?! 気になるううう・Aiming for Enrikeのライブみてきたよ!-Aiming for Enrikeのギターの多分どこよりも詳細な解説-│ギター女のいろいろブログ 素晴らしい解説。こういうプレイヤー視点のアナライズは手間もかかるしまとめるのもたいへん。書き手さんの愛情も伝わるし、読めてほんとうによかった。有難うございます〜(とここでひっそり)。 そうそう、あの編成であれだけ低音効くのはすごいよね。そしてドラムは寿司のことを考え乍ら叩いていたってのもスゴい(笑) おまけ。この日の会場、THREEだったんですが何故かGARDENのことをTHREEだと思い込んでて、着いたら「本日の出演:山崎まさよし」って書いてあってめちゃめちゃ狼狽えた。てことはGARDENだと思ってた方がTHREEか?! と慌てて移動したらそうだった。開演に間に合ってよかった。そもそも当日一週間前くらい迄FEVERでやると思っていた。ダメすぎる…行く前にチケット確認つってもそもそも会場名を間違えて覚えていてはどうしようもない……
2018年04月11日(水) ■
『素敵なダイナマイトスキャンダル』
『素敵なダイナマイトスキャンダル』@テアトル新宿 芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった── 原作は末井昭の自伝的エッセイ 。既読だったので答えあわせをするように観たところもある。というのも、原作には非常に曖昧な記述が多いのだ。病院に行ったとは書いても、誰の見舞いかは書かない。心配ごとがあると書いてあっても、その内容は書かれていない。しかし、そんな描写にはある程度の予想がつくものだ。映画は、それらの出来事をしっかりと、淡々と描く。殴りあいは小突きあい。慟哭はつぶやき。クレームは身の上話。修羅場は? ズルズルと続くだけ。小銭をバラまきゆらゆら小走り、創刊、発禁、休刊の繰り返し。部数と伝説は淡々と堆積する。金はいくらでも入ってきて、そしていくらでも消えていく。浮いたり沈んだり。それでもまだ人生は終わらない。幸せってなんだろう? 映画は原作の乾いた描写とは異なる肌ざわりで進んでいく。スエイさんがある種の達観を得てこの原作を書く迄の時間が、映画では進行中のものとなる。葛藤や含羞が、柄本佑演じるスエイくんの表情に顕れる。人生は続いていくので、結論は出ない。お母さんが爆発したことは、スエイくんに何をもたらしたのか? お母さんの爆発を売りにしたいのかといわれ口ごもり、すごいと笑ってもらえてホッとする。家族のことがわからないのはお母さんのせいか、おかげか。ひとつ思いあたるのは、あのちいさな村から出ていくきっかけをくれたこと。これが今のところの着地点。 監督は冨永昌敬。音楽は菊地成孔、小田朋美、ペン大。この映像にこの音、至福。登場人物たちの瞳はどれもみな濁っている。峯田和伸演じる近松さんの瞳でさえ、宿した光は潤み、澄んでいるとはいいがたい。男たちのメガネはどれもみな曇っている。寒気のためであったり、ベタつく埃や脂のためだったり。女たちのメガネは曇っていない。対象を、自分の行く末をしっかりと見据えている。前田敦子の凛とした瞳。三浦透子の、いつも遠くを見つめているような瞳。メガネをかけないスエイくんは、ボーヨーとした視点で母親を、母親の浮気相手を、父親を、妻を、浮気相手を見る。淡々とした表情に潜む高揚、狂気、虚無。それらにじわじわと侵食される興奮。柄本佑の面目躍如! この映画には不似合いな快哉を叫びたくなる。 私的目玉のひとつだった、菊地成孔演じる「荒木さん」。モデルは勿論荒木経惟なのだが、彼の役を演じるなんてとんでもない、とあるカメラマンの「荒木さん」というテイでなら、ということでスクリーンデビューでございます。細かいことをいえば2006年に兄上原作『雨の町』にカメオ出演したのが実質デビューになるのではないかとは思いますが(参照:菊地成孔がソロ名義によるシングル“愛の感染”発表│tower.jp )まあいい。このときはうしろ姿と手だけの出演だったので、顔が出て台詞もある(設定と流れだけ決めてあとはアドリブだったそうだが)となるとこっちも緊張するというもの。というかワンシーンだけの出演だと思っていたので予想より沢山出てて狼狽えた。 実際のところ、雑誌に参加した「芸術家」たちとスエイさんとの出会いや交流は、原作でも映画でも描かれない。観客はほぼ全員、あの荒木さんがどの荒木さんなのは承知している。彼を菊地さんが演じるというフックはいい効果になっていた。彼らの青春時代。ある時代のカルチャーに間違いなく名を残し、数々の告発を受け、新しい時代の到来をボーヨーと見つめ乍ら今も生き続けているひとたちの話。青春は終わる。ひとつの時代が終わる。さて、これからどうする? 死に支度だ。スエイさんは今も生きている。余生かはわからない。これが長い。