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2011年03月26日(土)
『三島 近代能楽集「邯鄲」「葵上」』

ここ二日間ログイン出来なかったので(携帯では入れたらしい)気になって調べてみたら、エンピツさんて岩手にあるんですね。住所地図で調べたら内陸の方ではあったけど、何かあったのかな…大丈夫かな……ご無事で!

十年近くここ使ってるし愛着あるし、ブログは自分にはしっくりこないので(オールインワンとか苦手ですねん)なくならないでほしいのね……。はー、しかしそうだよなあ、サーバが被災地にあってデータ全部とぶって有り得るよな。バックアップなどとっていません。そうなったらもう仕方ないけど、でもエンピツの中のひとには無事でいてほしいよ!サーバを守ってくれて有難うございます。

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結城座『三島 近代能楽集「邯鄲」「葵上」』@アサヒ・アートスクエア

1635年創設の歴史を持つ江戸糸あやつり人形芝居の結城座が、三島由紀夫の戯曲を上演。19日に観る予定でしたが、日程が変更になりました。カーテンコールの際、結城孫三郎さんがご挨拶。上演することが出来てよかった。

どちらも能楽や翻案で観たことはあるものの、三島戯曲では初めて観る演目です。「近代」として書かれたものを、松本修さんの演出を加えより「現代」に近付けている。そうなると内容の下世話さ…と言うと身も蓋もないが(笑)身近にある出来事として捉え易くなってくる。『葵上』とか、昼ドラなみにドロドロですねん。『THE DIVER』を観たときにも同じ感想を持ったけど、つくづくおめー(男)がいちばんダメなのになんでおめーには何のお咎めもねーんだYo!て思うわー。

しかし先日三島の『金閣寺』を観たときは女性の扱いにやっぱ三島だよねーと思ったもんですが、今回の上演作は男性の空虚さ…いや、そういうとまだ聞こえがいいな。ぶっちゃけ空っぽさがこれまた身も蓋もなく描かれていたことが面白いなあと思った。『葵上』の登場人物、若林光は光源氏な訳ですが、まー何もない。彼に何を言っても響かないし、彼に何を言われても薄っぺらく聴こえるばかり。底の割れた容れ物のようです。『邯鄲』で主人公が見る夢も、これが人生か?と思える程に何もない。次郎(主人公)は結局自らの意志であちら側に行ってしまう(=乳母と暮らすことを選ぶ)のですが、これらの優柔不断を突き詰めれば運命に迄成り得、なおかつそれをただ受け入れることが人生になる。三島さん、女性だけでなく男性にも厳しかったわ……(笑)。

さてその空っぽ感は、人形が役を演じることでズバリと容赦なく表現されます。なにせあやつり人形です。操り師がいないと動かない、自身の力では全く動かない。声も操り師が天上から降ろす。三島戯曲ならではの美しい言葉の羅列も、生身の人間が語ることを前提としていなかったのだろうと納得出来てしまう程に素直に聴くことが出来ます。操る人形と操り師の男女が入れ替わっているものもあり、特に孫三郎さん操る六条と千恵さん操る光のやりとりは批評的でもあり興味深く観ました。

浅草はこれ迄とあまり変わらない印象。節電しているお店は多いけど、もともとギラギラと装飾された街ではないので、照明少ないなーと感じることもありませんでした。普段から商店街が閉まるのも早いしね。以前新春浅草歌舞伎で「夜の部を観た後浅草を楽しんでいただく筈が、その時間には軒並みお店が閉まっていた。なので今年からは、18時には全ての演目が終わるようにしました」と言っていたものね(笑)。活気はある、でも夜の暗闇をだいじにしてる。



2011年03月20日(日)
『I love Poo』

『I love Poo / 菊地雅章ベネフィットコンサート』@Shinjuku PIT INN

11日以降いちばん聴いた音楽は「A〜C〜♪」、好きなどうぶつはさよなライオンです。さよなライオンは長いヴァージョンじゃないとアップにならないんだよね…長いのに当たると嬉しい。そして15秒と30秒とでは曲のBPMがびみょ〜うに違うので、最初の数音でどっちのヴァージョンか判るようになってしまった。しかし!1分ヴァージョンはまだ観たことがない!ただいマンボウとかのパートもあるやつ!観たい!(中毒)そして「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」のナレーションはUAだと知る。ああ、言われてみれば!

ACに苦情の電話を入れる暇なひとは「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」を心に刻んでNHKを観ればいいじゃない(マリー・アントワネット)。

閑話休題。あの日以来、芝居は二本あったけどライヴに行くのは初めてです。

闘病中である菊地雅章さんのベネフィットコンサート。ところがご本人から「これで集まった金を東北にまわせ」と申し出があったとのことで、発起人のひとりである本田珠也さん困惑気味(苦笑)。えーと、どうしよう。どちらにもまわるといいのですが、それは主催者にお任せしようと思います。

しかし珠也さん私服だとなんだか気のいい兄ちゃんだったわ…NKDSでの盛装オールバックでバリバリドラムを叩く姿しか知らなかったので、最初出て来たとき誰かわからんかった……。その強面な珠也さんがちょっとしょんぼりした様子でご挨拶。開場前に余震もあったそうで(全然気付かない自分鈍過ぎる)、ちょっと重い雰囲気で開演。しかし続いた演奏は素晴らしかった!昼の部のみ観ました。

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■吉田達也・菊地雅晃 インプロセッション

メンバーは吉田達也(Drs)、菊地雅晃(B、Electronics)、坪口昌恭(Org etc)、藤原大輔(Ts)、松村拓海(Fl、B-Fl)。雅晃さんは雅章さんの甥っ子さんです。菊地成孔クインテットライヴダブのメンバーでしたね。BOOM BOOM SATELLITESの初期アルバムにも参加されています。

インプロで1曲45分セット。雅晃さんから音出し、続いて吉田さんの軽やかで静かなドラムが滑り出す。吉田さんのインプロスキャットも聴けた。あ、有難い。B-Flの実物初めて見たし、音も初めて聴いた。演奏者に笑顔が見え、フロアにもそれが伝染してくる。緊張と弛緩が交互に現れ、フロアの不安な空気がだんだんほぐれてきたように感じました。

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■DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN

一ヶ月前「前日富山でのライヴがあるので、翌朝新幹線で帰ってきます」と言っていた。各路線の運行が不安定なのでどうなるかなと思っていたら、どうやら飛行機で帰ってきたらしい、「羽田から」と言っていたので。その富山のイヴェントについて成孔さんが吠えてるのでリンクを張る。いやーこういうこと書かせると最高に面白いですね菊地さんは。不謹慎を許せない不寛容な方は読まない方がよろしいですよ。鈴木くんいいやつ。いいライヴだったようでよかったです。

さて演奏の前に成孔さんからご挨拶。これこのひと独特な毒と笑い込みなので、本人の声色とか表情なしの文字だけで読むと誤解を呼びそうなので、大丈夫そうなところだけ箇条書きします。フロアはリラックスし、ちょっと明るい雰囲気になりました。

・菊地雅章さんとは3回程共演したくらい、なのでPooさんと呼ぶなんておこがましい。なので以後菊地雅章さんと呼ばせて頂きます(と言いつつ何度かPooさんて言ってしまい自分でも笑ってた)
・ひとつだけ文句がある、今日のタイトル、『I love Poo』じゃなくて『We love Poo』だろう!でも珠也もテンパってたんだよね、解る!
・今日と富山公演のGはTAKUYAさん。大村くんに他のライヴが入っていたので再び代打をお願いしたら、大村くんの方のライヴはこの度中止になった(苦笑)
・名盤『SUSTO』について。これはスペイン語で「恐怖」を意味する、じわじわくると言ったものではなく、英語で言えば「PANIC」のニュアンスに近い、そんなタイトルをジャズのアルバムに付ける菊地雅章さんって!
・菊地雅章さんに関しての強烈な思い出は、私の記憶が確かならば1983年、中野サンプラザでの来日公演。『SUSTO』に収録されている「Circle/Line」をやった、先週声かけて集めたってな感じの演奏メンバーはこれを完奏出来なかった(難しいから)。4分くらいで止まってしまった。菊地雅章さんは最初の30秒は演奏したが、あとはずっと怒っていた
・後にDCPRGを結成するとき、「Circle/Line」を完コピするバンドを作るんだ、と坪口昌恭らに声をかけた。忘れもしないON AIR EASTで完奏したときは、完奏したと言うそれだけでメンバーがハイタッチしてしまう程だった。今では寝てても演奏出来ます。嘘です
・今日の演奏は、『SUSTO』に収録されている「New Native」のベースラインを拝借した、今で言うマッシュアップですねの「Playmate at Hanoi」と「Circle/Line」。DCPRGでは「Circle/Line」の後に僭越乍ら私の曲「Hardcore Peace」が続きます、熱狂的な菊地雅章さんファンには申し訳ない。「Playmate at Hanoi」と「Circle/Line」は菊地雅章さんの快復を、「Hardcore Peace」は被災地の復興を願って演奏します。安寧なピース等ありません、ピースはハードコアなものです

と言う訳で45分セットのDCPRG、レア。メンバー全員ピットインのステージにのりきったのにも驚いた。しかし両端はギリギリ。自分がいた位置からTAKUYAくんは見えませんでした。そのTAKUYAくん、坪口さんがソロのところでちょっとフロアにレスポンスを求めたんだけど、やはり客が堅くなっていたのか鈍かったんですね。そしたら坪口さんの隣にすっと出て来てフロアを煽り始めたのです。これで我に返ったひと、多いと思う。自分がそうでした。そうだ、今は音楽を楽しんでもいい!

丈青のソロで「丈青!」と声が飛ぶ。それを聴いた成孔さんと研太さんが顔を見合わせて笑う。大儀見さんが、千住くんが笑顔でブイブイ音をまわす。「Circle/Line」の高井くんのソロすごくよかった。満杯のフロアで身体を揺らす、となりのひととぶつかる。歓声があがる。たった10日しか経っていないのに、音楽を聴いたのはとてもとても前のことだったように感じた。

最後に成孔さんは「皆さん玉子を買い占めないでください、大きな玉子焼きが出来るだけです」と言って去って行きました。この毒とユーモア、ナイス!

あの日以来初めて音楽を聴いたひとも多かったんじゃないかな。非常時に聴く菊地さんの話とDCPRGの演奏はまさしくハードコアピース。塞がっていた心がパンと開いたような気分になりました。前を向くのだ、笑うのだ。

菊地雅章さんが元気になりますように。何のためらいもなく、笑顔で音楽を聴ける日が再び来ますように。



2011年03月18日(金)
『灰の人』

大駱駝艦 天賦典式『灰の人』@世田谷パブリックシアター

上演前に麿さんからのご挨拶。もう舞台に出るための白塗りをされているからでしょう、音声のみが劇場に流れました。来場者へのお礼と、我々は消えた御霊が安らかに、と言う思いを胸にただただおどるだけです、と言ったようなこと。上演に際して麿さんがお話なさるの、初めて聴きました。
(追記:全文がこちらにアップされています。テキストは拾えないよう画像になっており、しばらくするとインデックスに飛ぶようにしてあるところが“らしい”。消えてしまう、残らない。心にだけ残る。・大駱駝艦天賦典式公式サイト

ハッとするようなおどりがあった。11日〜初日迄に構成を変更したのか、11日以降の自分がそういう解釈を勝手にしたのかが判断出来ない。今しかないものを観た。

暗闇にちいさな炎が浮かび上がる。火を灯したのは壺を背負った少女(童子、妖精のようにも見えた)。我妻恵美子さんです。彼女のソロで開幕。続いて登場するふたりの男性ダンサーはいつも一緒、離れずにペアで踊り、少女と火鉢を囲み、舞台で起こる出来事を見詰め、要所要所でユーモラスなおどりを見せる。少女は薔薇の花に点火し、その燃える花を麿さんが素手で握りつぶす、火が消える。白塗りの掌は煤で黒く染まる。ぎゃっ、格好いい!

火から灰が生まれ、シンデレラのモチーフも現れる。火鉢から出て来るのはガラスの靴ではなくて下駄。下駄には“ぴったりのサイズ”と言うものがない。多くのシンデレラがきっといる。シンデレラたちはその足のサイズのように、自由に自分の行く世界を決める。お城に嫁いでいかなくてもきっと楽しい人生はあるよ?

初めて感じるような、新展開が多かったように思います。声を発する場面が多い。普段のカウントや合図としての発声である「シュッ」と言う息づかいとは別の、台詞的な音声もある。そしてはっとさせられたのはここだ。舞踏は「重力の所産」が基本で、足をしっかりと地に着け、摺り足でおどる。痙攣するような所作もある。この所作が、この日は揺れる大地と大きな波に翻弄される者の姿に見えたのだ。白塗りの顔たちが表情を歪ませる。困惑と悲しみが浮かんでいるように見えた。錯覚だったのだろうか。どちらにしろこのセクションは死のイメージに満ちていた。

しかしその後、まさしく灰が舞うようにふわりと浮く舞踏が現れる。十数人のダンサーがパイプで出来たサークルに囲まれ、ふわりふわりと舞い歩く。そのうち彼らは交互に足を浮かせていく。ふわり、ふわり。片足ずつあげて行進するその姿は重力を感じていないよう。死して灰となる、しかし灰は肥やしにもなる。風で飛ばされて行った灰はどこかの地に舞い降り、新しい命が生まれる。そうやって繋がっていく。火は命を照らす、火は命を鎮める。生まれて来るものにも消えていくものにも火は寄り添う、そうして皆灰になる。

勿論大駱駝艦ならではのスペクタクル、ユーモアはどっしり根を下ろしています。麿さんのドレスも素敵でしたわよ。ここ数年女性ダンサーさんの衣裳がとてもかわいくスタイリッシュになったような印象があって、毎回おどりとともにそれを観るのも楽しみになっています。

フィナーレは普段より短いものでした。他劇場でもそうですが、交通機関が不安定なため観客を早く帰途に就かせるべく、カーテンコールを短めにしているところが多いのです。天賦典式のフィナーレはカーテンコールにも繋がるもので、流れる曲も含めて大きなポイントなのですが、短時間に凝縮された今回のそれはとても印象に残るものでした。麿さんの合図で舞台に集まり、こちらをまっすぐ見詰め、ゆったりと礼をした艦員さんたちのあの表情を忘れることはないと思います。万感胸に迫るとはこのことか。

ご家族が被災している艦員さんもいらっしゃいます。胸を打つおどりでした。おどりには祈りがあると感じられたものでした。



2011年03月12日(土)
『国民の映画』

『国民の映画』@PARCO劇場

『三谷幸喜生誕50周年スペシャル企画三谷幸喜大感謝祭』のラインナップが発表されたとき、この作品のタイトルを見て「なんだか楽しそうなタイトルだな、どんなコメディになるのかな」と思っていた。とんでもなかった、これはヒトラー内閣における宣伝大臣ゲッベルスが構想する、ナチ政権下のドイツ人のための“国民の映画”にまつわるストーリーだったのだ。

普通の映画好きなおじさんに見えるゲッベルス。小日向さんが演じることでその人物像はますます気のいい“普通のひと”に見える。段田さん演じるヒムラーも、園芸と虫の好きな普通のひと、白井さん演じるゲーリングも、気前のいい“普通のひと”。架空の人物はふたりだけ、実在した登場人物たちは皆“普通のひと”だ。ちょっとずるい、ちょっとお調子もの、ちょっとひねくれもの。彼らの人物紹介に一幕60分を使う。

二幕の105分で、そんな普通のひとたちが、集団となって流されて行くさまを見せる。そして集団に流されなかったひとも見せる。流された、あるいは流されなかった人物たちの行く末は、芝居を観るものだけが知ることになる。今舞台上で繰り広げられていることがどれだけ“普通に”狂った方向へ向かっているか、その結果どうなったか。知っているのは未来だけだ。その未来を観客は知っている。

ナチス、ヒトラーと言う単語は語られない。ユダヤ、は終盤噴出する。無意識下の差別は罪深く、最も恐ろしい台詞を口にするのは気だてのいいゲッベルスの妻だと言うのにも背筋が寒くなる。品良く語られたその台詞は、今でも耳にこびりついている。

三谷さんはコメディ作家としての自負が勿論ある筈で、しかし今回『三谷幸喜50周年』ラインナップ中唯一自分発信であったこの作品を書くに当たって、技巧としてのコメディを封じている。無論“普通のひと”が生真面目に立ち回ることによって滲み出る滑稽さはある。しかし底に流れるテーマは重く厳しい。そこで改めて気付く、三谷さんはいつもそういう重く厳しいテーマを作品の中に潜ませていた。今回それが、技巧としてのコメディを取り払うことで、よりハッキリと水面に浮かんできた。テーマは何もない、ただ笑って帰って貰うのがコメディとしていちばんだと三谷さんは常日頃言っているが、やっぱりそれだけではないのだ。それを指摘する程野暮なことはないと思うが、今回の作品は敢えてそこを考えずにはいられないものだった。三谷さんはやっぱり厳しいもの書きだ。その思いは、登場人物のエーリヒ・ケストナーとエミール・ヤニングスに集約されていたように感じた。もの書きは書いたものを発表出来なければ意味がない、どんなに惨めでも映画に関わっていたい。最後に彼らが選んだ道は……そんなふたり。

集団の怖さ、ひとりの才能ある人物に心酔してしまう構造、それでも流されなかったひとたち。そして命を落とすひとたち。苗字も一度しか台詞に出て来ない架空の人物を演じた小林さんのモノローグは、その物静かな佇まいとともに、心に焼き付いている。映画はひとに夢を見せる、映画はひとを魅了する。それをプロパガンダに使う時代があった、国があった。いや、今もどこかにそれはある。その渦中に放り込まれていたと気付いたとき、あなたはどういう行動をとりますか。未来を知っている観客に、この作品はそう呼びかける。

現在を映す鑑である演劇ですが、特に今それを痛感しています。そしてそれは珍しいことではないことも。しかし先月観た『南へ』とともに、この作品は恐ろしい程に今を映し出している。情報の提供、選択、集団心理、個人の力と非力。今しかない符合に戦慄し乍ら、それでもその先はあると示されたこの二作品を観られたことに感謝します。

あとこの作品、宣美が秀逸でした。優れたデザイン力を持ったナチスとあの時代。その不穏さを見事に表現していました。

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前日の大地震の影響で、公演がどうなるかと当日朝迄情報チェックをしていました。PARCO劇場は上演することを発表しました。ソワレだったけど電車が混みそうだし、家にいるとついついテレビを観て電気を消費しそうだし、家にいても劇場にいても地震がきたときの危険度は一緒のように思ったので(これは個人の判断ですよ)、昼過ぎに出発。

山手線は激混み。帰宅するひとを優先した方がいいでしょうし、まあ歩けない距離ではないので代々木から歩きました。途中休憩で入ったカフェ(原宿の奥の方)の店員さんは、自転車で荻窪迄帰ったと明るく話してくれました。こういうときお店が開いているとホッとするし、店員さんの笑顔にもホッとしました。

上演前に三谷さんの挨拶がありました。決して新しいとは言えない建物の9階。以前中越地震当日に同じPARCO劇場で『夜叉ケ池』を観たのですが、本当によく揺れたし怖かったことを憶えています。そんな観客をリラックスさせるべく笑いも交え、しかし真摯な話をしてくださいました。文字だけでニュアンスが伝わるか難しいですが箇条書きします。

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こんなときに芝居を観に来てくれて感謝します、悩みましたが上演することを選択しました。ひとりでもお客さんが来るのなら幕を開ける、と言う劇場の判断です。
来られない方も沢山いらっしゃるようで空席も目立ちますね。マチネもそうでした。その分リラックスしたのか、役者はとてもいい演技を見せてくれました(観客笑)、ソワレもきっとそうなると思います。
お芝居を観て、少しの時間だけでも不安を忘れて楽しんでもらえたらと思います。……そういう時に限って、あまり笑えないテーマの芝居を書いてしまったのですが……(観客笑)
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(追記:その後整った(微笑)全文がこちらにアップされています。やっぱりこの日は舞台も客席もテンパッてましたね、そりゃ当然。本当はこう言いたかったんですよね!現在も三谷さんは上演前のご挨拶を続けているようです。・PARCO劇場公式ブログ『震災後の「国民の映画」上演にあたり、三谷幸喜さんからのご挨拶』

入りは八割と言ったところか。余震も何度かありました。出演者の演技も決してベストだったとは言い難い。しかしマシーンではない、人間が演じることについて強く考えさせられました。この状態の役者が観られたのはきっとこの日だけなのです。そして、三谷さんが言った通り本当に、私は少しの間だけ不安を忘れて芝居に引き込まれたし、グラブさんと新妻さんの歌に魅了され(素晴らしかった)、笑顔で拍手をしました。カーテンコール迄しっかり観て、作品について考える心の余裕を持ち家に帰ることが出来ました。観に行けたことに感謝します。

こうしてこの日の公演は行われましたが、PARCO劇場は、来られなかった方のチケットの払い戻しを発表しています。
・「国民の映画」3/12公演のチケット払戻しについてのご案内

■ちなみに
地震当日は徒歩帰宅。家のなかは結構なことになっていました。棚からiMac(初代おにぎり型、ボンダイブルーのやつ)が転落していたよ。これが落ちるってどんだけ…不思議なことに棚は倒れていなかった。下に置いてあったCD山を直撃したようで、何枚かは粉々に。データ取り込んでてよかった。このiMacは既に引退させており、つい数日前にどこに引き取ってもらおうかねえなんて業者を教えてもらったりしていたところだったので、拗ねちゃったのかなと思ったりした…ご、ごめん……。
そして食器棚は無事であった。ビバ引き戸。しかし細工が細かいお気に入りの小皿は欠けてしまっていた。中でぶつかりあったんだね……あとはまあ時計が落ちてたりとか本の山が崩れてたりとか。掃除掃除。
以降会社へ徒歩通勤が続いたりなんやらありますが、この程度問題ないぜ!と思うことにする。これは間違いなく長期戦になる、やれることはやり、自分の力が及ばないことにはただただ祈る。芝居を観られなかったら仕方ないと思い、観られたらただただ感謝する。生きていることに感謝する

街が復興しますように、弱っているひとが元気になりますように。亡くなった方々が、安らかに休めますように。



2011年03月06日(日)
『日本映画をリードする二人の天才 PART 1 三池崇史のカオス』その2

『日本映画をリードする二人の天才 PART 1 三池崇史のカオス』@新文芸坐

と言う訳で本編の三本です。まとめて観ることで気付いた部分があったりして面白かった。DOAとイチのロケ地被り(龍が死体燃やす屋上=金子が死体燃やす屋上とか署長が笛吹いてる屋上=ヤクザマンションの屋上とか)がよくわかって楽しかったり、垣原と松平斉韶の心情に共通点を感じた(どSでどMで生きてる実感に飢えている)ことも、続けて観られてよかったなあと思いましたー。た、たのしい。

■『DEAD OF ALIVE 犯罪者』
初見がビデオだったので(Vシネとしては正しい出会いなのか)、スクリーンで観られて嬉しかった…序盤の腹からラーメンがパーン!ってのからもうアガったわ〜。終始満面の笑顔で鑑賞、ほっぺが痛くなる程です。リキの元気玉をスクリーンで観られて感無量でございました。
いやもういろいろ思い出した…きぐるみの朱鷺が撃たれて羽根が飛び散るとこで泣いたんだった(バカ)。いやだってなんできぐるみよ?あのシーンで?いやちゃんと理由付けあるけど!あれが撃たれて舞い散る羽毛がまた美しいってのがバカらしくて泣けるんだよー!
そしてまたトモロヲさんの出番に気付けずエンドロールでああっとなった(龍の幼なじみ役)。

■『殺し屋1』
うえーんやはり素晴らしい!久々に大スクリーン+大音量で観たイチはよかった…ホント傑作ですわこれ。
今観ると、あたりまえだが皆若い。おーもりくんとか、二十代だもんね…大学生くらいに見えますよ。黒目ー!それにしてもあのラーメン食べるシーンのおどおどっぷり…こんなこいぬのような子が数年後に日本から恐れられる天才ファンドマネジャー(役)ですよ。その片鱗はかけらも見えない…三池さんは片鱗見えてるって言ってたけどそれは役者の資質がと言うことですね……だってこのいぬっころと鷲津が同じひとって信じられん。役者って怖い!
そして國村隼さんが若く見えたわ、とても。なんだろ髪の色のせいかしら…今は今で貫禄あって素敵ですよね。
映画館でもDVDでもアホ程観ているので新発見と言うと、絶命寸前の金子の声「タケシ〜」が森進一の声に似ているってことくらいか。それにしても音が本当に素晴らしい。乳首を床に投げつけたボツッと言う音、何度聴いても絶妙で鳥肌たつ…音効と言えばの柴崎憲治さんの仕事です。ボアのメンバーが手掛けた音楽も最高です。三池作品と言えばの遠藤浩二さんではないんですよね。
遠藤さんとはその後何作も作っていますが、人物デザイン(これはもう衣裳だけにはとどまらないものだったと思う)を手掛けた北村道子さん、美術の佐々木尚さんと組んだこの作品は三池さんにとってエポックだったのではないかと思います。ご本人もトークで仰っていたように、この後他分野のクリエイターと組むことによって映画におけるデザインがかなり変わる。猥雑さに洗練が加わり、粗野のなかに美しさが宿るようになった感じ。

DOAとイチ、どちらの舞台も歌舞伎町。今では随分寂れてしまっている。活気あるあの街の姿が映像として残ったことは嬉しいな。まあ風林会館周辺は今でもあんな感じだし、残るところは残っているけど。イチでちらっと映る『しびれるキャバレー 日の丸』も健在です(笑)。

■『十三人の刺客』
ようやっと観られた…公開当時体調も悪かったしすごく落ち込んでた時期だったのでいろいろ気力がなかったんだよ。先々月に同じ新文芸坐でやった新旧『十三人の刺客』上映も行きたかったんだけどどうにも時間が合わなかった。
ううう、観られてよかった。もう大変。なんかもーいろいろ燃えたぎってしまいそうな程の興奮振り、公開当時の記憶が殆どないので(いや観るつもりではあったんだよ、でもぬあー当時のことはもう思い出したくねえ)どのくらい盛り上がってたかを追体験したくて夜な夜な2ch映画板の刺客スレを遡って読む有様です。スレも熱くてすごい盛り上がってて16スレもあって、で2chって落ちちゃうとしばらくHTML化されないじゃない?…ミラーサイトやキャッシュを見付けてきて読むこの自分の執念を何か他の善行…慈善事業等に使えないものか。しかし公開半年弱で16スレてどんだけ。パンフも中古をゲットして嘗めるように読んだ。このパンフすごいいい出来ー、内容ギッシリ写真もデザインもよくてこれで600円てすごいな。
と言う訳でひとさまの感想を読むのが楽し過ぎて自分は何を書いたらいいか判らなくなってしまいました(バカ)。とりあえずひとの感想と2chを読んだ上で明確になった自分のツボを過剰書き。

・内野さん(間宮図書)の顔芸がすごかった。その表情と、グロテスクな程浮かび上がる首の血管と身を切っていく音で、介錯なしの切腹を見せる。この演出はすごくよかったなー
・そうこちらも音効は柴崎憲治さん。もうすごいすごい。このシーンだけでなく、刃物で肉を切る音がもう…本物よりもリアルと言うマジック
・幸四郎さん(牧野靭負)の切腹シーンとの対比としてもよかった。こちらは切腹→介錯で、刀が首を断つ画を見せる。こういうところにCG使うのも面白い
・CGと言えば牛のCGがチャチくて萎えたって感想が多かったんだけど、あれ自分は爆笑ポイントでした。三池さんらしい!て感じで
・それにしてもテンポがよかった。えっ、141分?うそぉてなもんで。オールナイトの最後の一本だったのに(スタート3:40)眠くなるどころか目は冴える一方でした。脚本は天願大介さん
・泥まみれでの斬り合いが始まるともう誰が誰だか判んなくなるんですが(笑)むしろそれがいい

・新左衛門が殿を討つ決意をするきっかけとなる重要な役を、ネクストシアターの茂手木桜子さんが演じていてビックリ!熱演素晴らしかったです
・櫓の上から口上を述べるシーン、役所さん(島田新左衛門)と松方さん(倉永左平太)とふるちん(佐原平蔵)の三人で、えっその三人のなかにふるちんが?と嬉しい反面ビビる。ええっいいんですか?みたいな(失礼)
・そのふるちんは槍の名手。いろいろとちょー格好よかった。いい役だった…(涙)刺客のメンツに入る迄の人生をいろいろ感じさせる、背景への想像力をくすぐる役でした

・で、その槍の名手と言う触れ込みがあったので、高岡くん(日置八十吉)はふるちんに間違って刺されたのかと思った(笑)
・そう、そうなのよ…これって十三人のうち殆ど死んじゃうんだろうな、誰が最初に死んじゃうのかな、誰が生き残るのかな…と言うところもポイントなんですが(前知識全く入れてなかった)、まさか高岡くんが最初とは……。ガーンとなった反面いやこれ役としてはおいしいかも、と思い直す
・また伏線があったもんね!一瞬交わすあの微笑み!このシーンコンマ何秒かで「あ、きっとこの後死ぬ!」と思ったもん、思った途端……うーん、やっぱりおいしい。すごく印象に残った
・十三人のなかに近藤公園くん(堀井弥八)が入っているのが何げに嬉しかったわー
・伊勢谷くん(木賀小弥太)は妖精てことでいいです
・十三人に入れてもらえたときの伊勢谷くんの嬉しそうな表情よかったなあ
・結局最後誰が生き残ったのか?と言うのが議論になっていて、いろいろな解釈があって面白いなあと思いました。どちらにもとれるようになっているのが今回の場合楽しめるのでいい

・で、稲垣くん(松平斉韶)ホントすごかった!あー何をやってもツマンネ、「今日と言う日がいちばん楽しかった」。残虐なんだけどヘンに品がある、その壊れた浮世離れっぷりがすごい
・これはかなり難しい役…どっちかに寄っちゃいそうだもの。キチガイで嗜虐性のある人物か、敷かれたレールから外れられない苦悩の人物か。稲垣くんはそのどちらにも偏らず、まるで当て書きされたかのようにそこに在る。不気味な程それが似合う
・何しろ「もう解決手段がない、殺してしまう他ない」と観客に思わせなければならない人物。いや思う思う思います、どうにもならんよ!観終わった後フィクションで本当によかった…映画でよかったと思った……
・道徳がーとか倫理がーとか、そういうところから自由になれる楽しさ。映画ならでは
・しかしこれ地上波では放送出来ないかな…出来てもカットされるところ多いだろうな。テレビ朝日も製作に参加してるのに(苦笑)

・しかし「今日と言う日がいちばん楽しかった」のは、殿だけでなく皆そうだったんだろうな。刀はダイコンを切るくらいしか役に立たないなんて言われていた頃の侍たちは、ひとを斬ったことがない者が殆ど。そんな時代に侍と言う生き方を選んだ者たちが歩む人生、辿り着く果て

・市村さん(鬼頭半兵衛)のなんて言うんですか、違う時代だったら!違う職業だったら!違う上司だったら!上司がアレだから!いや上司がアレだから?な役どころももう…思うところあり過ぎて大変です。うわあん
・あと光石さんの(役ですよ、役)言うこと聞くとろくなことにならないんだなと思いました(笑)。陣笠が爆風で吹っ飛んでカッパみたいになっててかわいかった。かなり笑える役どころ。しかし最期はキメてくれました

あー他にもいろいろあるがキリがない、面白かった…またスクリーンで観たいよ!今二番館を血眼で探しています…また丁度二番館での上映がひと段落した時期なんだよね、ホント今回完全に乗り遅れた、く゛や゛し゛い゛…とりあえず早稲田松竹にはこれからかかるみたいなので是非行きたい。

いやはや濃い一夜でした。楽しかった!



2011年03月05日(土)
『日本映画をリードする二人の天才 PART 1 三池崇史のカオス』その1

『日本映画をリードする二人の天才 PART 1 三池崇史のカオス』@新文芸坐

ちなみに来週のPART 2は『黒沢清 恐怖の系譜』だそうです。

三池監督のトークと、『DEAD OF ALIVE 犯罪者』『殺し屋1』『十三人の刺客』上映。22時半から翌朝6時と言うミッチリさで、あー途中寝落ちするかもと思いきや、あまりの面白さに最後迄ギラギラ。ああ燃えたぎった…最高でございました。初見は『十三人の刺客』だけだったんだけど、『DOA』はスクリーンで観るの初めてだったし、『殺し屋1』はアホ程観てますがやっぱり何度観ても面白いしそのうえスクリーンだし音いいし、寝る暇等なかった。

まずはトークから。聞き手は『映画秘宝』編集部の馬飼野元宏さん。三池監督ってもともと話が上手いし面白いんですが、馬飼野さんがまた聞き上手の転がし上手で、ぶっちゃけた話が沢山聞けました。書いてもいいかなーという部分を箇条書き。記憶で起こしているのでそのままではありません。

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・当時レンタルビデオと言うのは孤独な青少年のためにあった(笑)。『DOA』の頃はVシネ全盛期。竹内力と哀川翔はともにVシネのスターで、彼らが主演した作品は、6,000本出ればヒットのVシネで10,000は出た。なので一緒に出せばその倍になるだろうと(笑)そこからの企画。どちらもスターなので、エンドロールの名前の順番に苦労した。そこが見せ場です(笑・『タワーリング・インフェルノ』でのマックイーンとニューマンの話みたいだな)

・“あの”ラストシーンは、勿論台本には書いてませんよ。あんなラストって知ってたら、撮らせてもらえなかったと思う(笑)。プロデューサー…現場にもプロデューサーはいるけど、そうじゃない出資者のひとたちね、彼らがいないところで予算とスケジュールを詰めて撮影日を三日残して、その三日で撮った。で、試写で見せたら「いいじゃない、面白いね」って。結果オーライ。でも、いつも結果オーライだと思う

・『殺し屋1』は、山本英夫さんの原作の色は極力残した上で垣原のヴィジュアルは変えようと、北村道子と言うすごいスタイリストと組んだ。初めて映画の衣裳、美粧部以外の人間とやった仕事で、以降スタイリストやヘアメイクは映画畑以外のクリエイターと組んでいる。CGも出始めの頃で好き勝手やれた。画としての精度より、こういう画が撮れたら面白いよねって。「良く出来ている」より「面白い」、駄菓子屋みたいな感じでね

・大森南朋は今いい役者になって活躍してますね。このイチ役でもその片鱗が見えてますよ。この映画では××ばっかりしてる役なんですけどね(笑)

・映倫のレイティングについて。『殺し屋1』はエロではなく暴力描写でR18が付いた初めてのケースだったそうですが、以降イチが基準になったそうで、それ以上になると審査規格外(審査適応区分外)、劇場にかけられませんとなる。それが『インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(日本では自主規制R18として単館公開されました。詳細はこちら

・もともとはアメリカのケーブルテレビからの依頼。怖いの作ってってことで作ったんだけど、提出したらこんなの放送出来ないと言われた(笑)。自由の国だから自由に作っていいって言ったのに!…トビー・フーパーは喜んでたけどね(ニヤリ)。宿した子供を引きずり出すと言う描写が、堕胎を許さない宗教観からも嫌悪されたみたい。でもイギリスでは歓迎されて、ノーカット上映された。キリスト教はヨーロッパの方から来たんだし、こっちの方が厳しそうなんですけどね

・アメリカは自由の国だと言っているけど、実のところその自由と言うのは非常に幅が狭い。ヨーロッパはアンダーグラウンドにも歴史と土壌があるから、その懐は深い。こういう映画を海外に持っていく場合は、ヨーロッパの方が市場と理解がありますね

・『十三人の刺客』はR指定になっちゃうかなって思ってたんだけど大丈夫でPG12になり、テレビCMが打てた。映倫もいいひとが増えたんですね(笑)。切腹とか首がとぶとか、時代劇だから、そういう時代でのことなのでってことでOKだったみたい。大義のためと言う根拠もあったし。イチは大義とかないから…暴力の根拠はちゃんと原作に描かれているんだけど、映画の二時間でそれを説明するのは難しかった(そう考えると時代劇ってバイオレンス映画にはうってつけですな)

・稲垣吾郎さんについて。馬飼野さんが「SMAPのメンバーがあんなヒールをよく…」と言ったら「でもSMAPってヒールでしょ(笑)と言うか、完全無欠じゃない、だから憎めない。不完全だからこその魅力が出る。勝新さんとかそうだったでしょ?」

・稲垣さんや谷村美月さんが従来のイメージからかけ離れた役を演じたことについて。あれは(ああいう役を)役者が欲してるんだと思う。芸能界での立ち位置とか周囲の思惑とか、抑圧があるのでしょう。そういった中で、違う自分を出せる役を求めているんじゃないか。まあ最悪俺のせいに出来るしね、監督がああいうふうに撮ったんだからって(笑)。だからいろんな(イメージと違う役をやりたい)ひとが来てくれるんだと思う

・で、ひとり決まると最初は「えっ?SMAP?」となるんだけど、ちょっとすると「……成程、それは面白い」と、魅力的なキャストが集まってくる。そしていいチームワークが出来る。それは本編にも反映されていて、(役所さん演じる)島田新左衛門のもとに何故あれだけ命を懸けられるひとが集まったのか、その理由は描かなかった。新左衛門の人間性を細かく描いたり台詞で説明したりはせず、最低限で。かすかに匂いが残っていればいい。省略することで説得力が出ることもある

・「しかしこれ、アメリカ公開決まってテキサスに持っていくんだよ。NYでもやるみたいだけどテキサスって…誰が観るんだろう(笑)」と言ってたら、馬飼野さんが「いやでも『テキサス・チェーンソー』の本場ですよ」と応えてウケた

・『忍たま乱太郎』は、映倫は大丈夫としてもワーナーが公開してくれるかどうか(笑・ええ?)夏休み、家族皆でトラウマに(爆笑)。シネコンにポケモンやハリー・ポッターを観に来て満員だったら、「こっちが空いてるよ〜」って(笑)

三池監督の翔兄ィのものまねが似ててウケた……高い声で「ああ、そだよっ」ての(笑)。印象的だったのは、事前にプランを出しても、現場でどんどん変えていってしまうと言う話。「スケジュールのこともあるから一ヶ月くらい前にプランを提出しなきゃならないんだけど…絵コンテも描くけど、現場に入ると絵コンテ通りに撮るのがバカらしくなっちゃう」。プレゼンテーションのプロではないから事前にプレゼンしろって言われてもねえ、という言い方もしていました。現場でしか出ない発想って絶対あるんですよね。そしてきっとその現場の空気を敏感に感じ取ってこそ、撮れるものがある。

そういえば『殺し屋1』も、「こう撮ったんだけど、ここをこう出来ない?」って素材がドサッと来てCGのひとが苦労したって『殺し屋1 パーフェクトガイド』に書いてあったなあ。でも「無茶はしない。出来る範囲で」。つまり振る無茶は出来る無茶だと言うことです。スタッフの実力を知っている、現場を仕切る監督ならではの発言だと思いました。

長い。映画本編については後日。