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2011年02月26日(土) ■ |
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『南へ』 |
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NODA・MAP『南へ』@東京芸術劇場 中ホール
『ザ・キャラクター』『表に出ろいっ!』に続く「祈りの三部作」であり野田さんの最新作。そしてこの作品は、野田さんの最新戯曲集『21世紀を信じてみる戯曲集』に掲載されています。『21世紀を憂える戯曲集』から『21世紀を信じてみる戯曲集』へ。祈る、信じる。そうするしかないのか、そうせざるを得ないところ迄来ているのか。それひとつだけで芝居一本書けるんじゃないのってモチーフが5個くらい(いやそれ以上?)入っている。久々にわかりやすくはない展開ですが、野田さんの言葉の強さをますます感じる作品でした。
天皇にまつわる話は1996年の『TABOO』で書かれた。野田さんの作品に“怒り”を強く感じるようになったのは2003年の『オイル』からか。以降『ロープ』『THE DIVER』と、実際に起こった出来事をモチーフにした作品も増えてくる。そして前々作『ザ・キャラクター』の背景はオウムの事件。その筆致で再び天皇について書いた。そしてメディアとマスコミ、日本人、そして北と南に分断されたあの国のこと。怒りは祈りに姿を変えるが、その底に流れる思いは途方もない悲しみ。
記憶を辿ることが時間への旅となるが、その記憶は自分のものとは限らない。嘘ばかりつく女の記憶は自分のものではない。彼女はひとの記憶を盗んでしまう。キタから来た彼女は腕をひきちぎられても構わない程に故郷へは戻りたくない。南のり平と名乗る男の記憶は曖昧で、「日本人」と名乗るしかなくなる。「日本人」が「火山が噴火するぞ」と帝に知らせに行く途中で命を落とそうが、腹を切ろうがそのくらいではマスコミは振り向かず、民衆は気付くこともない。辿り着いた先にいるのは帝と皇后ではなく、彼らの御毒味であり巫だ。
火山は噴火するのか?もし噴火したら帝が危ない。しかし帝をひきとめて噴火しなかった場合、「帝のお墨付き」を得られなかった民衆が飢える。
非常に多面的な作品なのでそこだけを強調は出来ませんが、個人的には丁度鷺沢萠さんの「ふつうの名前」(『待っていてくれる人』に掲載されている)を読んでいたこと、新燃岳に取材に来ていたマスコミがここ数日であっと言う間に撤収して富山へ向かったと聞いたこと、を強く思い出させる作品でした。鷺沢さん、以前「Take Me Home, Country Roads」(客入れ時に流れていた。この曲が本編にこう繋がるとは)についても何かで書いていた憶えがうっすらあるんだけど何だったか思い出せない。鷺沢さんにこの舞台を観てもらいたかった、と思った。
導入部のツカミは素晴らしかった!演出はラウドな部分が多い。パイプ椅子を大量に使ったセット転換は音込みでやかましい。NODA・MAPでは『パイパー』から大人数のアンサンブルを起用していますが、今回でひとつの形が確立されたようにも思いました。アンサンブルが報道陣と民衆両方を担っていたことも印象的。ネクストシアターの手打くんがいたのも嬉しかった(笑)。振付は黒田育世さん。そういえば『TABOO』でも行列をスローモーションで見せる演出があったような記憶がありますが、今回の帝の行列が軍靴の行進へと変貌したスローモーションには鳥肌がたちました。
台詞も大声でのやりとりが多い。チョウ・ソンハくん演じる道理は理詰めでのり平を追い詰めるが、矛盾点や首を傾げる箇所もある。しかし彼はマスコミの関心を掴む。内容に関わらず声がデカい、大声で騒ぐことでひとは振り向くのだと言う皮肉にも見える。「日本人」を論破する役をチョウくんが演じたということにもいろいろ考え込んでしまった。勿論それが全てではありませんが。
それにしてもやはり芸劇、音の返りが悪い。改装によってなんとかなるのかな…なんとかしてほしい。野田さんの作品を上演するホームなら、野田さんの台詞がハッキリ聴こえる設計にしてほしいです。ホントこれ大事!お願いします!能舞台を連想させる装置、火山の噴煙にあたる箇所に映像を映し込んだ空間はとても映えました。ホールの構造を巧く使ったなあと言う感じ。うーむしかしこの拡がりが音を散らすのか?どちらも活かすことは出来ないのだろうか。いい感じに改修されるといいなあ。
妻夫木聡さんと蒼井優さんとてもよかったです。妻夫木くんが声を張ると倍音がこもったような音になって、それが妙に憂いを帯びて聴こえる。底抜けに明るい表情と動作で「火山は噴火するぞー」と叫んでも、どこかに不安が感じられる。それが“狼少年”にならざるを得なかった寂しい人物を印象づけるのに効果的だったように思います。『キル』の時指摘されていましたが、ホント堤真一さんの声に似て聴こえる。普段の声はそんなに似ているとは思わないのに。野田さんの作品に出演する女優さんって普段の声色とは違う、所謂「野田さんの好きな声」(=「野田さんの台詞を語る声」としてもいいか)的な独特な声色になることが多いのですが(深津絵里さん然り宮沢りえさん然り)、妻夫木さんはその男優の系譜にあたるのかも知れません。
蒼井さんはその「野田さんの好きな声」の発声ではないのですが、彼女独特の声が“嘘吐きの女”にピッタリに思えました。あのーあれだ、これ説明しても私以外の誰が「ああ!」って言うんだってアレですが、アニメ(ねこのやつ)『銀河鉄道の夜』のザネリの声を思い出すんだよ!「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ」ってあれ!(笑)聴きようによってはなんか神経を逆撫でされる声なんですよね。それが後半変わってくる。作り話から真実を伝えようとするもその足許は揺らぎ、誰もその声に耳を傾けようとしない。切迫感溢れる声に聴こえてきました。これはどこ迄意図しているか判らないけどすごいなと思いました。
帝と妃(の巫)から強制送還される人物へと変貌する複雑な役を演じた藤木孝さんと銀粉蝶さん、代々その土地に生き、自然の声に耳を澄まし乍らも自分の生活を貪欲に確保する旅館の女将ミハルを演じた高田聖子さんも素晴らしかったです。
情報量、その交錯がいつにも増して多く、個人的には消化しきれていない部分があります。しかし自分にとって信じること、祈ることとは何かを考える機会になりました。信じることをやめてはいけない。祈ることをやめてはいけない。しかしその祈りが向かう先のことを考えなければ。それが嘘ではないと知っているのは未来だけだとしても。
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2011年02月20日(日) ■ |
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『巨星ジーグフェルド』 |
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同一の呪法による二つの儀式〜菊地成孔と菊地成孔によるダブルコンサート〜『巨星ジーグフェルド』@新宿文化センター 大ホール
こちらも映画のタイトルから。類家くんと研太さんそして新加入の大村さんが合流し、ようやく新DCPRGのメンツが揃いました。しかし次のライヴには大村さん出られないそうです(苦笑)。丈青や千住さんは既にキャリアがあるのにも関わらず参加してくれて嬉しいみたいなことを菊地さんがMCで言っていたように、ますます傭兵部隊の装いが強くなったので、全員が集まる機会は減るかも知れない。でもそれはそれで面白いことだ。
あ、ちなみに野音の音源はDVD-ROMで出ます(『BOYCOTT RHYTHM MACHINE AGAIN』DVDROM+フォトブックレットセット、DVDROMのみ)。楽しみー。
確認の意味も込め(と言うか自分が判らなくなりそうなので・笑)改めてメンバーとパート。
菊地成孔(Conduct、Organ、CDJ)、坪口昌恭(Key)、丈青(Key)、津上研太(Ss、As)、高井汐人(Ss、Ts)、類家心平(Tp)、アリガス(B)、大村孝佳(G)、千住宗臣(Drs/Right)、田中教順(Drs/Left)、大儀見元(Perc)
千住さんと田中ちゃんの配置が、昨年の日比谷野音とは逆になりました。日比谷では朝霧JAMとハシゴだった千住さんが遅刻してきて、下手側からステージに入ってきてたのでその都合だったのかな。
と言う訳で、菊地さんのおはなしからスタートと言う珍しい構成。夜毎残虐の限りを尽くすペルシャ王を鎮めるため、シェヘラザードが語って聞かせた『千夜一夜物語』。そのなかのひとつに「シンドバッドの冒険」がある。シンドバッドが暴れものの猿の群れを踊らせることによって治める。踊らずにいられない猿たちはどこだ?
はいはいここですよ、踊らせれ踊らせれ。と言う訳で、終わって「やーやっぱりホールだと短いよねー」なんて時計を見てみれば3時間経ってた。怖い!
吉見さん(Tabla)がいなくなり、野音でゲストだったリッチー・フローレス(Conga)がいないレギュラーメンバーであの部分はどうやる?といちばん気になっていた「CIRCLE/LINE〜HARDCORE PEACE」のブリッジは、大儀見さんと千住さんに時折田中ちゃんがからむと言うものになっていました。いんやそれにしても千住さん、白シャツ着用でアンニュイなグレイプバインのひと(私の思うイメージ)みたいな雰囲気なのだが涼しい顔して変態高速ドラムを叩き出すので怖い。しかも叩きっぱなしなのに全然ヨレないのねー、キープ力が強靭と言うか…あのーただ正確なだけってんなら別にビックリもしないんですよ、巧いなーとは思うけど。なんたって“BOYCOTT RHYTHM MACHINE”ですからね。
なんだろなーテンポとリズムをキープしつつなおかつグルーヴを掘り起こす感じ…ちょっと今回PAが難しかったようで(クラシックホールだから?)ベースが聴き取りづらくなる部分があり、それは演奏者側もそうだったらしく「構造I」(これは今日やるよねー!なんたって「現代呪術の構造」だから!)はかなり危なかった。コンダクター真正面にアリガス、その近くに田中ちゃんと言う配置だったのですが、ふたりはお互いをフォローしつつ演奏している様子もとれました。その様子を時々笑い乍ら見遣りつつ(そんな余裕もある!)千住さんはガスガスリズムを発掘しているようにも見え…それがすごい頼りになる感じで。普段DCPRGはベースをガイドにして聴く(踊る)んだけど、今回は千住さんがガイドになった。
しかしアリガスと田中ちゃんのやりとりを見る千住さんはちょっと羨ましそうにも見えた(笑)微笑ましい。
あーでも序盤はPAそんなに問題なかったんだよ、「PLAYMATE AT HANOI」ではアリガスのベースラインでゴロゴロッと一気にビート感が化けるところがあって、あれは鳥肌たったわー。そして音の通りがよければ今後田中ちゃんがすんごい面白いことになりそうな気もする…そんな、終演直後にツイッター検索して自分の評価を確かめたり(菊地さんの日記参照)しなくてもいいから!(笑)そんなん気にせず好きにやればええがな!
丈青も野音で聴いた時程のお客さんぽさはなくなり、坪口さんと真っ向からやりあってる感じもして面白かったです。類家くんのソロはやっぱり格好いいし、久々DCPRGで聴く“永遠の四番打者”研太さんの音には惚れ惚れ。そして大村さんですが、バリッとメタルのひとで、こないだのTAKUYAくんが入った時の流れから自然に移行して聴けた感じ。と言うかこれ、菊地さんの狙いでもあったんだなあ…DCPRGを再始動するにあたって、最初からギターはメタルで行くつもりだったんだなと。「Mirror Balls」のソロ、すごく映えてました。
今回の2days、菊地さんのハヤリは童貞と処女だったようで(笑)「僕らは音楽に身を捧げて打ち込んできてる。だから大儀見以外は皆童貞」とかそういうことばっか言ってたんですが、音楽に身を捧げてるってのは笑い乍らも素直に頷いちゃったなー。そんな彼らが最後に演奏した「Mirror Balls」には荘厳な空気すら感じました。アウトロのフレーズ、菊地さんにはホールに設置されているパイプオルガンで弾いてほしかったくらい。音楽に忠誠を誓う彼らの演奏には、狂乱の底に脈々と流れる神聖さをも感じました。
あと面白かったこと: 「坪口は野音でショルキーのシールドが抜けたので、今回新しく無線で飛ばすやつを買った」。ワイアレスになった坪口さんはのびのび動きまわっておられました(微笑)
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2011年02月19日(土) ■ |
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『冷たい熱帯魚』『エロス+虐殺』 |
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『冷たい熱帯魚』@テアトル新宿
園監督の作品を観るのは哲司さん主演の『夢の中へ』以来。その後『紀子の食卓』『エクステ』やらの比較的メジャーな作品や『時効警察』の演出を手掛けてたりして、なんだかオープンな感じになったのかしらと思っていたところ昨年『愛のむきだし』の評判がすごくて。
いんやー面白かった。これ迄観た「詩人が撮った映画」と言う印象ではなく(それも好きでしたが)「映画監督が撮った映画」になってた。でも詩人的な映像も沢山あって、それがまた美しくて。愛子がろうそくを灯すシーンとか綺麗で、あんな状況なのに(笑)ポワーとなったわー。そして役者への演出もきっちり目が行き渡ってると言うか。監督やん!146分なんですがテンポがいい、全く長く感じない。カット割りや編集がかなり細かくて、でもうるさくならず、観ていて気持ちがよいくらい軽快に展開する。エンタテイメントな作品に仕上がっています。爽快。
ここ数年で何があった…早くも新作出来てるようだし。寡作な印象がありましたがこれからバンバン撮るのかな、楽しみだ!
と言う訳でエンタテイメントとして観ました。劇場は結構笑いに溢れてました。でんでんさんの怪演っぷりホント素晴らしいですが、とにかく吹越さんの抑えの演技と反転する爆発力、そして黒沢さんの馬力がすごい。約10日間の出来事なんですが、内容が濃くて怒濤です。
それ迄の社本と、反撃に転じてからの社本のギャップがすごくいいんですよ…ひとあたりは悪くなく、星とプラネタリウムが好きでもの静かな社本。でも前妻を亡くしてすぐ巨乳の若い嫁を迎える辺り欲望の方向がわかりやすいので、観ている側に妙なモヤモヤ感を与えるんですよね。それが終盤ああなって、あっ本性出た!となる。
いや…本性出た、と言うより解放された!って感じかも。人間たるものそういうもんです。精神に異常を来している人物は出てこないと言ってもいい。滑舌あんまりよくない(何言ってるかわかんないとこも多々ある・笑)村田の話術にふらっと引き込まれてしまったり、強い方にすぐなびく女たちに愛嬌を感じたり。業だわー、共感出来るわー。愛と希望なんてないのです。地球はツルツルした青い星ではなく、ただのゴツゴツした岩なのです。ああこの台詞は詩人が書いたものだわーと思ったわー。
しかし最後の社本の行動はひょっとしたら社本の妄想なのかなと思わせられる部分もあって、そうなるとああやっぱり人間って束縛されたまま生きていくんだなあ、でも頭の中は自由だよねと思った。
あと家族についてもいろいろ考えさせられましたがこれは園監督の映画では毎回出てくるね…あっあれだ、ポール・トーマス・アンダーソン監督作品好きなひとはああっと思うところ多いと思う。お父さんとこどもの関係、とか信仰を服従と紙一重とする冷静さ、シニカルさとか。でんでんの説法、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の牧師を思い出したもの。
村田に「淡水魚が1,000万円と言うのは僕も高過ぎると思います」と言うシーン、嘘の証言を特訓させられるシーンの、吹越さんの落ち着いた声のトーンすごくよかった。おとなしさを印象づける演技があるからこそ、後半の狂乱が映える。殺人を目にして小さく震え続けるフッキーはうさぎさんのように可憐だったわ!
そして黒沢さん!ヘルムート・ニュートンの写真に出てきそうなヌードを持っている身体とは当時『六月の蛇』で彼女を主役に据えた塚本晋也監督のコメントですがホントそう、ばーんと拡げた両脚で大地をしっかと踏みしめるような力強さ、脚長い!そのうえかわいい…あの屈託ない笑顔で「あいよ!」「半分出来たよ!」なんて言われた日にゃあ。何が半分出来たかって、死体解体なんですけどね。パンフに書かれていたけど『攻殻機動隊』の草薙素子を彷彿とさせる髪型で、もう義体かってなセクシーコマンドー体型しかし過度なマッチョではない格好よさ。ここ迄くるともうジェンダーフリーダムで、すんごく女性を感じさせる顔声身体なのに、ストーリー中いちばん漢であった。バイトの娘たちを指導する厳しさ、戦況を見極める勘の良さ、解体の手際のよさ。いちばん頼れるわ…女的にはいちばんついていきたい人物だったわ(笑)。
そして自分はスプラッタが好きなのではなくバイオレンスが好きなんだなと思いました。いや、映画ですよ。
あーやっぱり『愛のむきだし』観よう、長さに怖じ気づいてる場合ではない。映画館で逃したのが悔しいな、初見は映画館で観たいなあ。と思うとパタッとかからなくなるような気がする。ついこないだも特集上映してたし、この日(19日)も新文芸坐のオールナイトにかかってたんだよねえ。
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同一の呪法による二つの儀式〜菊地成孔と菊地成孔によるダブルコンサート〜『エロス+虐殺』@新宿文化センター 大ホール
映画のタイトルじゃないですー、でもあれからとってますね。ちなみに『エロス+虐殺』の英訳は『Eros Plus Massacre』。マサカーとくれば「Killing Time」!
クラシックホールでのPTA。クラブ仕様が続いていたので久々に座って聴いた感じ。気持ち的にはわああ踊らせれ!と悶絶する箇所もあったり。うーんしかし着席でガッツリ聴く高揚と言うのもあるのでどちらがいいとは一概には言えない。こういうホールの方が弦の響きはいいし。
『他人の顔』のワルツもレパートリーに入り、プレイヤーのソロに起因するアレンジもどんどん変わり、同じ曲をやっていても毎回新しい発見がある。特に鳥越さん(B)が動くと曲の違う面が見えてきて面白い。今回はピチカートでなくボウイングでのソロも仕掛けてどんどん拡げていってた。NKDSには鈴木さん、PTAには鳥越さん。菊地さんとこのベースは腕利き前提ですが、曲の展開を左右する起爆剤にもなるひとばかりでエキサイティングです。DCPRGのアリガスも今後楽しみですよね、既にすごいと思っているけど。
で、それに伴ってか?吉田さん(1st Vl)がどんどんハジけてきていて格好いい。弾いてない箇所でも、ちょっとの変化も逃すまいとしている様子が見てとれて絵になります。
告知成孔は告知をしてもその内容が間違っていることが珍しくないので、MCは信用しないでフライヤーとかをチェックした方がいいと思います。今回も公演日や劇場を間違えてました(笑)。
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2011年02月18日(金) ■ |
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『沼袋十人斬り・改訂版』 |
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THE SHAMPOO HAT『沼袋十人斬り・改訂版』@シアタートラム
さすがの老犬、いつもより多くまわっております。早くも今年のベストになりそう。
初演は昨年の、新型インフルエンザによるキャンセルで観られなかったのです。今回やっと観られて嬉しい。単語ひとつひとつを慎重に選択した上で、シンプルなものへと磨きに磨き上げた台詞はもはや円熟の域ですが、その台詞の背景をより深く分厚く感じさせられたのには感服しました。それにしてもこういう手法で来たかと驚きもしたし、それに伴う演出をこうあてはめるかと言うことにも驚いた。自分たちのことを老犬と言うだけある。老境の焦燥と攻撃性、突破口への嗅覚と経験による引き出しの数。
背景を感じさせる容量について。例えば「この赤ん坊プリンの匂いがする」と言う、500円玉貯金泥棒のこうちゃんが発した台詞。彼は赤ん坊の匂いを嗅いだことがない?赤ん坊を抱いたことがない?ミルクと言わずプリンと表現したと言うことは?……この台詞には、それを発した人物の心情、生まれ育った環境、それ迄の経験値等々を想像する余地が無限に含まれる、その上詩的でもある。
別府は何故携帯電話を持っていたのか、何故そのことを星とリンゴちゃんには内緒にしていたのか、その背景。「どんな思いをして貯めたと思ってんだ」と言う500円玉貯金を父親(の遺骨)との北海道旅行でパーっと使ってしまう、その背景。盲人の女性が携帯電話で夫と罵りあいのケンカをした後、そのつまらない原因を解消するべくそっと友人に連絡する、その背景。前後の時間をも想像させる。別府と父親はどんな関係だったのか、どう暮らしてきたのか。帰宅して盲人の妻の死体を発見した夫は、どんな思いだったか。
これら想像を喚起させる台詞の数々は、観ているこちらの想像のキャパシティの限界をあぶり出すことにもなる。恐ろしいなー、なんでこんなことが書けるの……。
赤堀さんのあの微細な台詞を板に載せられる役者さんたちの力にも圧倒させられました。ほんっとーに微妙で繊細な言葉たち、だからこそちょっとした解釈の違いでニュアンスが出せないものばかりだと思う。黒田さん演じる雇われマスターリンゴちゃんの戦争話、あれを告発ではなく間をもたせるための世間話にする不気味な軽さ。飛び降りようとしている女子高生を説得する星の切実さが裏目裏目に出てしまう不器用さ。こうちゃんの善人面とその場しのぎのいきあたりばったり、こうちゃんの妹が踊るフィギュアスケートの無様さと輝き。40過ぎの男同士のハグは、最初に笑いが起こり、徐々に静まり返っていった。あのびみょ〜〜〜〜〜うなニュアンスを出せるひとたちってなかなかいないのではないか。すごく難しいと思うよ……。
そういう意味では役者としての赤堀さんもすごい。ブリーフ一丁のちょデブ(ゆるめ)が、空になった500円玉貯金用のペットボトルを手に立ち尽くしている図ってほら文字にするとすごく間抜けでしょう?なのにこのシーン、泣きそうになりました。ほらーここもびみょ〜〜〜〜〜う。間抜けさと悲しさ、どっちかにちょっと傾いただけでも印象が変わる。この、赤堀さんの全部晒しますの覚悟みたいなものがここ数年…『その夜の侍』辺りから顕著と言うか凄まじい程。赤堀さん主演で全部晒します路線、野中さんを主役に据えた日常に潜むハードコア路線、日比さん主演のちいさな幸せとちいさな不幸が絶望的に膨張する路線といった劇団のレパートリーから考えていくのも面白い。どうなるんだろうこの劇団。
そして演出。小さなエリア内での大冒険と言う赤堀ワールドを今回はエセ歌舞伎で見せた。ええっこうくる!?しかしこれがまた絶妙。なんちゃってツケやなんちゃって見得、キマらない『三人吉三』の名台詞、「がんばれ!」「学芸会!」と言ったかけ声、幕を使ったチェイス劇。スズメバチの大群を金色の紙吹雪で見せたのにもシビれました。ロマンティストー!『その夜の侍』『立川ドライブ』での新機軸の演出を経てこう来たか…ホントまだまだ解らないし、興味が尽きない。
やだ泣いちゃう、やだ格好いい、やだすごい!ああこのひとたちシャレじゃなくて命懸けでやってる(血圧的に)、死にものぐるいでやってる(呼吸器的に)、とゲラゲラ笑い乍ら戦慄する二時間十分。傑作。
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2011年02月12日(土) ■ |
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『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』 |
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『金閣寺 ―The Temple of the Golden Pavilion』@神奈川芸術劇場 ホール
セルジュ・ラモットの原作翻案を、伊藤ちひろさんが宮本亜門さんとのディスカッションによりブラッシュアップした台本で上演。原作をわかりやすく追ってい乍ら、若者三人の物語としての焦点も絞られていました。吃音の溝口、光のように眩い心身ともに健康な鶴川、陰の魅力を持つ内翻足の柏木。しかし光にはやはり陰があり、陰はその力を持って輝く。どちらにも寄れない溝口は、ふたりとは違うと言うことを行動で示す。三人を演じるのは森田剛、大東俊介、高岡蒼甫。当て書きか!と言うくらいのハマりよう。
森田くんはひとの目を惹き付けるアイドルとしての星を背徳へのベクトルとして輝かせる。このひと『IZO』も『血は立ったまま眠っている』もそうだったけど、命を懸けて信じたひとやものごとに裏切られる孤独な寂しい少年と言う姿が似合う。惑いの経過を少年が青年に変貌する姿と重ね合わせられる、ある種年齢不詳な魅力も持っている。大東くんは絵に描いた好青年の印象を打ち出しつつ、他の道を歩みようがない人生や、溝口との関係性について思いを巡らす場面でほの暗さを随所に滲ませる。高岡くんは身体の障害と引き換えに、悪を理路整然とした言葉に変換する弁を手に入れ暗躍する人物像を魅力的に演じる。
それにしても昨年末観た『M』でも思ったけど、三島の文学世界を可視化すると如何にトンデモないものになるかと言うのがよく解った。文字だと三島のその、言葉で描写出来ないものなどないのではないかと言う技量で何もかも美しく表現されているけど、実際に具象化すると笑える場面も多い。そこらへんの突っ込みどころも押し出しが強く、見所になっています。亜門さんもそこのところ覚悟のうえで、明確に提示したようです。『M』の文脈からしても鶴川=聖セバスチャンの象徴だし(その彼が実は…と言うところがまた三島の願望成就にぴったり)、男性同士のエロティシズムは避けようがない。そして女性の扱いが酷いわ〜、流石三島(笑)。溝口の憧憬と憎悪の対象でもある複数の女性たちを、ひとりの女優が演じる仕掛けもよかったな。中越典子さん。ヤな女だったり母のようだったりと様々な女性を演じ分けていました。上手い。
演出も挑戦的で、やりたいことをとことん詰め込みましたと言う感じ。あとこれは亜門さんがどこ迄意図したか判らないけど、新しい劇場のプレゼンテーションにも見えました。天井の高さや奥行き、裸舞台の空間をまるっと見せる。今後この劇場をどう使うか、観に来た演出家のディレクション心をくすぐるような仕掛けをも感じました。意識してやっていたとしたらすごいサービス精神。寺山修司を思わせるアングラ的な表現がありますが、方法論の交通整理はしっかり出来ているので、観た印象はスッキリしています。そう要素はてんこもりなのにスッキリ見えるってのは見事だわ…難解と思われがちな三島作品の見せ方としてすごいなあと思いました。思えば昨年森田くんは寺山修司作品に出たんだったなー。
学校の技術室のようなセットで、机や椅子を駆使して場を作る。黒板や天井近くの空間に映像を照らし、移動や心理描写を反映させる。寺の畳や、溝口と鶴川が腰を下ろす白詰草が咲く野原、金閣寺を包む炎といった照明も美しかった。朗読部分や登場人物のモノローグにはマイクを使用し、該当人物ではない出演者がそれを語る部分もある。代わり映えしない日常の繰り返しは、リズミカルな音楽(福岡ユタカさん!)に載せた小野寺修二さんによる振付でシステム化されている。場面転換は主に大駱駝艦の面々が行い、ときにはその身体をも装置として提供する。階段と化した舞踏家たちの上を溝口と鶴川が踏みしめてあがっていく場面等で、身体が作り上げる舞台と言うものを意識させる。
そして何にどひゃーとなったかって、山川冬樹さんが金閣寺だったことですよ。いやもうね…観る前にTwitterで何の役かを知ってしまい(ネタバレ回避してたのに、まさかご本人によるRTで知るとは・泣)覚悟はしていたものの、やはりすごいインパクト。キャストスタッフ発表になった時は「演奏」とクレジットされていたのに、途中から「出演」になったのでどういうことだろうと思ってたけど……。役名は鳳凰、金閣寺のてっぺんにいるあの鳥。初めて実物の金閣寺を目にした溝口に「それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。」とこきおろされるその“カラス”は、溝口の葛藤の歩みとともにその存在感を増していき、前へ踏み出そうとする彼の前に立ちはだかります。溝口が女性と交わろうとするとボエェェェェェエ、なんか新しいこと始めようとするとボエェェェェェエ。マイクで増幅されたホーメイとノイズがもうなんてえの、孫悟空のあれ!頭についてて三蔵法師がお経読むとギリギリギリって絞まる輪っか(今検索して緊箍児と言う名前だと知る)みたいだよ!もう溝口でなくとも勘弁してくださいと泣きたくなる……森田くんのファンからすれば「やめて金閣さん!これ以上溝口を苦しめないで!」と思ってしまったのではないだろうか。ああっすごく感動したのになんでこんな感想に。ホントすごい声なんだよ!
そんな金閣さんと溝口の対決とも言えるクライマックスはもー、弾丸のような山川さんのホーメイと絶叫する森田くんの声のガチンコ。直接身体をぶつからせている訳ではないのに接近戦、肉弾戦のように感じられる、破滅の痛みと甘さ、美しさが激烈に伝わるシーンでこっちの首もガチガチです。このシーン時間にするとそんなに長くない筈なんだけど、とにかく濃くて随分長く感じた…それこそ金閣寺に火を放った溝口がその場から離れ左大文字山にのぼり、その火と煙を眺めやる迄…そのくらいの時間経過に感じた。もっと観ていたいと感じた。終わるのが惜しかった。それを引き受け静かに最後の台詞を語る森田くんの鎮まりっぷりもすごかったな…本当に火が消えていくような……「生きよう」と言っているのに、達成感に充ちたものではなく抜け殻になったような身体。印象的なラストシーンでした。
あ、でもね山川さん、鳥の声とかもやってました。溝口と鶴川が仲良く話している場面で窓から顔を出してピチピチ、ピピピピピ…とやっていたところは心休まるひととき。しばしの安息を得た溝口の心情に寄り添う優しいさえずりでした。
新しい劇場のオープニング公演で「継続する美は嫌いだ、建築もそうだな」なんて台詞があるってのにもニヤリとさせられました。今後のラインナップも楽しみです。
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・KAATは新しい建物独特の匂いがまだしてた。ホールは大きめのSePTみたいな作りで見易かったです。1Fのカフェのランチもおいしかったー
・せっかく横浜迄来たので帰りは中華街→山下公園→赤レンガ倉庫→みなとみらいを散歩して帰って来た。寒いの好きな方なんで楽しかった
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2011年02月10日(木) ■ |
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『浮標』2回目 |
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葛河思潮社『浮標』@吉祥寺シアター
もともとはこの回が千秋楽で、だから休みもらってでも平日マチネのチケットとったんですが、その後追加公演が出てホントの千秋楽は13日(日)になったと言う(笑泣)。うう、この休みをもらうために前日のソウルセット諦めて仕事片付けたわよー。と言う訳で前説で長塚くんが「元千秋楽へようこそ」とか言ったのにムキーとなった(笑)。
そうなんです、この公演、全員キャストが出てきて並んだ上で、長塚くんが前説を始めるところから上演がスタートするんです。上演時間についてや携帯をオフに等の諸注意をした後、作品の時代背景を説明して、その上で「ト書きには『時は現代』となっているので、この芝居も現代から始まります」と言う。その後、キャストが周囲を囲んで見守るなか、白い砂が敷き詰められた上演エリアへ五郎役の哲司さんが裸足で降りていく。芝居が始まると、キャストは両端に設置されている椅子に座って、エリアで行われる芝居を見守る。
エリア内では「そこにいないひとについて」話される。戯曲の構造からすれば、本来その言葉たちを当人たちは聴いていないことになっている。しかし、エリア脇の椅子に座って当人が話を聴いている、と言う演出を長塚くんは加えた。顕著に効果が出ていたのは、赤井と五郎、美緒が赤井の妻である伊佐子について話す場面。戦地へ赴くことが決まった赤井は、自分の家の者と折り合いが悪い伊佐子のことを案じた上で、彼女への愛情と信頼を口にする。戯曲の設定では、その頃伊佐子は五郎の家へ向かう電車の中にいる。しかし安藤聖さん演じる伊佐子は椅子に座ってその話を聴き、涙を流すのです。
語られない言葉。当人は知らない言葉。それを聴くことが出来ていたらどんなに幸せか、あるいは聴くことが出来ないでいられることがどんなに幸せか。主を失くした言葉たちは、そうやって二度と語られることなく消えていきます。それはもう、数えきれない程膨大なもので、人間らしさに溢れている。矛盾している。100%の悪人も、100%の善人もいない。皆が皆、自分に片をつけようともがく。生まれ変わりはあり、そんなものはなくて、神様は在って、いる筈がない。死んだらどこかの赤ちゃんとしてまた人生を生きると言う望みが死への絶望を和らげ、自分の人生は唯一無二のこれっきりだからこそ、精一杯生きることが出来る。
田中哲司さんはその膨大な量の言葉をもって五郎を演じ切る訳ですが、これが見事に身体を通った言葉として聴こえてくる。当時ならではの言葉遣いも多く、万葉集を朗読する場面もある。それが、しっかりその演者の解釈を通して聴こえて来ると言えばいいのか。炎のような五郎、圧倒される熱を持った言葉。過去哲司さんが出演した長塚演出作品――『ビューティー・クイーン・オブ・リナーン』にしろ『sisters』にしろ、長塚くんは哲司さんに絶対的な信頼感を置いている印象があります。本当に素晴らしい五郎でした。美緒を演じた藤谷美紀さんも、死の床で揺れる決意、五郎への思慕、自分が遺していくものについての悔いや心配を繊細に演じておられました。
前述の人間らしさ、矛盾を絶妙に表現した峯村リエさん、江口のりこさん、山本剛史さんもよかったなー。ちょっとの違いですごくイヤな人物像になってしまう繊細な役柄を、押し退きのタイミングや声色、表情でフォーカスを甘くさせる技量が素晴らしかった。バリッと判断つけられない。そしてそのどれもが本当の気持ち。瞬間瞬間で嫌悪が魅力に転じる。タイトルである“浮標”を口にする唯一の人物、京子を演じた中村ゆりさんも、若さならではの揺れを繊細に演じていました。
それから彼らとはちょっと違う面で魅力的な登場人物たち。苦労は多かったようだが常に明るく五郎と美緒に尽くす小母さん役の佐藤直子さん、自分の困窮をも笑い飛ばす裏天さん役の深貝大輔さん、ちょっと間が抜けている程に素直で明るい美緒の弟、利男役の遠山悠介さん(ネクストシアターにいる子だった!)、そしてかつて小説家で荒れていた時期もあったが、今は達観したような佇まいの赤井役、大森南朋さん。うーん皆よかったな……ぐすん。
そして役者長塚圭史はやっぱりいいなと改めて思いました。自分を科学者といい、美緒は確実に死ぬと五郎に引導を渡す医師の役。彼の言っていることは全て正しい。五郎の気持ちは解るが、自分がどこ迄彼を助けてあげられるかも解っている。長塚くんが哲司さんに今回出演のオファーをしたとき「圭史が出るなら出る」と応えられた、と言う記事を読みましたが、このある種対決でもあるシーンで役者長塚と哲司さんは向かい合いたかったのかなと思いました。
この戯曲は私戯曲でもあります。三好十郎とその妻、操の話。操の死後十郎は再婚し、この作品を書いたとのこと。再婚相手のことを考えました。十郎と操が語り合ったさまざまな言葉たちは、多分十郎とその後の妻には語られない。しかしその妻と十郎は、また新しい言葉を重ね続けていったのでしょう。そしてその言葉は、皆消えていってしまうのです。ふと思い出したのは、鴻上尚史さんが書いたテキストでした。数日前『幽体の知覚』を観た時に連想し、頭の隅にあったからかも知れません。
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別れることが悲しいのではなく、二度と語られなくなる言葉が生まれることが悲しいのじゃないかと思うことがあります。(中略)二度と語られなくなった言葉の想いは、宙ぶらりんのまま、さまよいさまよい、どこにたどり着くのだろうと思うのです。言葉が、言霊で、力を持つものなら、その二度と語られなくなった膨大な言葉達の想いは、きっとどこかに集まっているはずです。そして何かを生み出そうとしているはずなのです。
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「来世だとか死んだ後の神様だとか、そんなものを信じてゐなかつたからこそ、奴さん達は今現に生きてゐる此の世を大事に大事に、それこそ自分達に与へられた唯一無二の絶対なものとして生き抜いた。死んだらそれつきりだと思ふからこそ此の世は楽しく、悲しく、せつない位のもつたい無い場所なんだよ」
圧倒的な舞台でした。NHKでオンエアあるようですが、上演時間が長いのでカットされちゃうかな?あの熱量が伝わるオンエアであることを願います。
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2011年02月06日(日) ■ |
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『ダンス・イン・ザ・ミラー』 |
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東京バレエ団『ダンス・イン・ザ・ミラー』@ゆうぽうとホール
東京バレエ団によるベジャール・レパートリー。『ダンス・イン・ザ・ミラー』初演と『ボレロ』、間にベジャールバレエ団芸術監督ジル・ロマンからの「サプライズ・プレゼント」として急遽プログラムに加えられた『チェロのための5つのプレリュード』。
『ダンス・イン・ザ・ミラー』は東京バレエ団のためにつくられた新作で、ベジャール振付の名場面をジル・ロマンが再構成したもの。昨年末上演されたばかりの「M」から、日本未発表の「現代のためのミサ」「未来のためのミサ」「ヘリオガバル」迄、過去に執着せず再演されない作品も少なくなかったベジャールのレパートリーを一挙に観られる貴重な作品になっていました。
「Je ne pourrais croire qu'en un Dieu qui saurait danser(わたしは踊ることのできぬ神を信じることはできない)」と言う『ツァラトゥストラはかく語りき』からの引用を語るベジャールの音声、析を手にした若き日のベジャールがフロアに正座し、ツケ打ちを行う映像から幕は開きます。サイケロック色の強いピエール・アンリ「ジャーク」にのって、ジーンズ姿のダンサーたちが飛び込んでくる。アヴァンギャルドではあるけれどクラシックバレエをきちんとやってないと踊れないと言うベジャールの振付に加えてジーンズ、これはかなり大変そう。しかしそんなことを微塵も感じさせないダンサーたちの笑顔と躍動。ジャンプや走る場面も多く、「バロッコ・ベルカント」ではブレイクダンスまで織り込まれている。
「M」や「火の鳥」でもダンサーたちはジーンズだったんだけど、いやあ、格好よかったわ…全編の要所要所で、ブレイクダンスや体操競技を思わせる倒立からの宙返りというアクロバティックなソロを見せてくれたのは高橋竜太さん。実際体操競技をされていた方だとか。着衣が乱れないように、長めのジャケットがジーンズのウェスト部分に縫い付けてあり、それも含めた動線が美しい。カジュアルな衣裳で踊るバレエもいいですねえ。一方「ヘリオガバル」で登場したのは、タイツ状のぴったりしたバレエダンサーらしい衣裳を身にまとった上野水香さんと柄本弾さんのカップル。トライバルなリズム(チャドの伝統音楽)にのせた官能と野性が紙一重なダンス、見応えありました。「舞楽」 の小笠原亮さんや 長瀬直義さん、全編通してベジャールの世界を旅し、お芝居的な要素も演じた木村和夫さんもよかったー。 フィナーレは「未来のためのミサ」から。人生を絶望では終わらせない、と言う強い意志が感じられる、明るく幸せな幕切れでした。黒子的な役割だった団員さん(上下黒服で、バミリテープやメジャーをポケットに入れていた)も全員出て来たところにも笑顔。
上演前に舞踊評論家である(映画の記事も沢山書かれてますね)佐藤友紀さんによるプレトークがあり、ロマンとベジャールの出会い、東京バレエ団とベジャールの関係等興味深いお話が沢山聞けたのですが、「未来のためのミサ」本編(『ダンス・イン・ザ・ミラー』には入っていない)ではペンギンの衣裳と振付があるとのこと。これについてベジャールは「ペンギンのいる南極は、地球がどんなに汚染されても最後迄清潔でいられる。ペンギンも生き残る」と話していたそうです。そんなふうに考えるベジャールは素敵だし、だからこそ常に生命力溢れる作品を生み出せたのだなと思いました。
『チェロのための5つのプレリュード』は吉岡美佳さんと高橋竜太さんのペア。バッハの有名な曲からのものですが(清水靖晃さんがサックス編曲版を手掛けたアレです)、この曲からこんなかわいらしい作品が!高橋さんはなんとボクサーコスチューム、コミカルな動きでチェロにおそるおそる触れたり思いあまって抱きしめたり。それをこっそり見乍らムッとしたり、はしゃいだ笑顔を見せたりとくるくる表情を変え、幸せそうに踊る吉岡さん。面白かったし、ひとなつこい魅力がありました。やーこれまた観たい。日本初演はクリスティーヌ・ブランさんと小林十市さんのペアだったそうです。うわーこちらも観たかったな……。
そして『ボレロ』。ようやっと水香さんのメロディを観ることが出来ました。官能的でエモーショナルなメロディ。二列目から観たこともあり、すごい迫力。ネイルのつやが照明に輝くのもハッキリ見えたし、激しい踊りのせいか?どこかにひっかかったのか?髪の毛がちぎれて飛び散った瞬間迄見えた!お人形のようにかわいらしい顔立ちが終盤に近付くにつれどんどん厳しい表情になる。リズムのダンサーたちと感情のやりとりをしているような一体感も素晴らしかったです。
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2011年02月05日(土) ■ |
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『幽体の知覚』 |
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小谷元彦展『幽体の知覚』@森美術館
『Phantom-Limb』は発表されたとき結構な話題になった衝撃作で印象に残っていたのですが(鴻上尚史さんが『天使は瞳を閉じて インターナショナル・ヴァージョン』の「ごあいさつ」で“ファントム・ペイン”について話していたことが頭にあったからでもある)、その作家さんと『New Born』シリーズやおおかみの毛皮ドレス(両袖部分がおおかみの頭部)『Human Lesson』、人毛で編んだドレス『Double edged of thoughts』の作家さんが同一人物と気付いたのは随分経ってから。身体感覚が大きな要素を占める作品が主ではあるものの、手法が多岐に渡っているので全容がつかみづらい印象でした。
オッシャレーにも見えるし、デザイン面からすると非常に洗練されている。しかしその素材は骨や歯、髪の毛だったりする。ふとした瞬間そのギャップに気付き、モヤモヤ感が一気に不気味さに変換されギョッとする。洗練されればされる程その実感が身体から離れていく感じがすると同時に、身体について、肉体についての自覚が強烈に促される。ボンデージ&ディシプリンな作品も多い(拘束具的な装置等)。容れ物としての身体。魂がそこに宿るか、と言うことも含め、“幽体が知覚を持つ”ことについても考えさせられる。目に見えないもの、肉体の喪失、脳化するシステム。それを頭において作品を観ていくと、どういう作家さんかがちょっとクリアになってきたように感じました。
いちばん楽しみにしていたと同時に、何故これを小谷さんが?と思っていた映像を使ったインスタレーション『Inferno』も、インタヴュー(森美術館公式ブログ『映像で彫刻をつくるということ 〜小谷元彦インタビュー(2)』)でご本人が語っているように「映像の彫刻」と言う観点から観ると腑に落ちる。時間とともに変化するもの(それは肉体もそうである)をどうやって捉えるか。その瞬間を捉えたときには、すでにその対象は次の瞬間に移動している。常に追いつかない感覚。
んあーしかしこれ、ひとりっきりで観てみたいわ…土曜の昼と言うこともあり、行列が出来ていたのです。20人くらいずつ作品内に入って観た(こんな感じ)ので、アトラクションっぽい雰囲気になっちゃってたのがちょっと残念。側面は映写幕、天井と床面は鏡になっているので、ひとが多いとその鏡像も多くなる。映像の可視面積が減るので、理想としては多くてもこのくらいの人数で観たかったー。平日夜遅くに行けば多少空いてるかなあ。
あとこのひと、恐ろしく器用な印象。今回メイキングの様子も映像で流れていたのだが、弁が立つし、自分の作品を解説するのも巧い。外見もオシャレなお兄ちゃんと言う感じで、通りかかった年配の鑑賞者が「…この子が作ってるの?」と驚いていたのも納得な、独特の軽さがある。このギャップも、作品に通じるものがありました。見せ方の整理も巧い。
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2011年02月03日(木) ■ |
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『WE DON'T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY...』 |
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『WE DON'T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY...』@ユーロスペース 2
音の情報量を相当上げられる(圧縮しなくていい!)HD直結デジタルシネマパッケージによる爆音!昨年の爆音映画祭での上映は逃していたので、いい音で聴ける映画館で観られてよかった。
東京にはノイズが溢れている。駅構内のアナウンス、車内放送、工事現場、音声広告。ゴミに舞い降りるカラスたちの声、夢の島の上空を悠々と飛び回るカモメの群れ。さまざまな音が耳に飛び込んで来る。廃校では坂本弘道がチェロを引きずり、夢の島では大友良英がターンテーブルとギターのノイズを衝突させている。街の音と、演奏家が発する音が音楽になっていく。音楽番外地、東京。
演奏シーンと出演者たちによる座談会、街のノイズの映像と音で構成されています。ドキュメンタリーではあるのでしょうが、映画そのものが音楽作品のようでもある。轟音と爆音が繰り出され、時折演者たちの声が静かにじわりと沁みわたる。
坂本さんが「この東京、こんな風景がこのままずっと続くとは思えない」と言っていたように、都会の音は廃墟の音でもあるかのようでした。破壊と再生、生と死が繰り返される。この変化こそが都会で、姿とともにそこにあるノイズも更新され続ける。ノイズに溢れているけれど、自分が必要とするものは耳に自然に飛び込んでくる。そこにリズムが生まれる。メロディが聴こえてくる。無意識に身体が反応している。
ライヴシーンは勿論、山川さんの思いの吐露や大友さんとL?K?Oのタンテ談議等貴重な話も満載で楽しめました。いやー面白かった。普段は競演と言うかたちでノイズでコミュニケーションをとっている。世代も出身もバラバラ。使う楽器も手法も違う。そんな彼らが言葉でお互いのことを知る。違う姿が見えてくる。
例えば山川さんとL?K?O。「こんなふうに冷静に話してますけどね、山川さんライヴになると動物みたいなんですよ、こないだだって僕のタンテにギター押し付けてめちゃくちゃにしちゃって」「おぼえてない…」「ひどいこのひと〜(泣)」、大友さんとNumb、Saidrum。「生まれたときからもうビデオゲームがあったんだ……」。東京とノイズが彼らを巡り会わせている。
撮りおろしに加え、今はもうないライヴハウスでの演奏風景もクレジットされていたので、膨大な素材から厳選したようです。山川さんの授業の様子も!貴重なものが観られました。面白かった!
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2011年02月02日(水) ■ |
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『流れ姉妹 たつことかつこ〜エンド・オブ・バイオレンス〜』 |
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真心一座 身も心も ザ・ファイナル『流れ姉妹 たつことかつこ〜エンド・オブ・バイオレンス〜』@本多劇場
『流れ姉妹』四作目、ファイナル。いやはやビックリするくらいよかった…かんどうした!千葉さんすごいよこの風呂敷のたたみっぷり!あ〜舞台っていいな〜と心の底から思えるお芝居でした。笑えて泣けて、ってのはテレビや映画にも勿論あるんだけど、笑えるのに泣けるそれが同時にクる、そしてその濃度が半端なさ過ぎていっそ笑えるなのに涙出る、と言う感情の振り幅が激し過ぎてしっちゃかめっちゃかになる無尽蔵のパワーは舞台ならではです。
徳永京子さん言うところの、「河原さんは全方位に気配りが利く」ってのもようわかった……あの段取り、訳の判らない(笑)小道具や舞台転換、その他もろもろ膨大な案件のとりまとめ、それをタイトなスケジュールの中モノにする手腕が見事です。これ『時計じかけのオレンジ』とほぼ同時進行でやってたんだよね…すごいわ。身体には気を付けてくださいマジで。
ゲストレイパー古田新太とゲストラバー池田成志両氏は当然のように持ち味全開ガチンコで素晴らしい。ふたりともラバーでありレイパー、それぞれの去り際も余韻を残しまくりです。古田さんてホント受けの芝居が巧いなあと思うのは常ですが、今回の役がまたえーとネタバレしますよゲイコミュニティの居場所を作るべくハーヴェイ・ミルクのごとく立ち上がるが実のところゲイは偽装でその昔愛した妹が目の前で自ら命を絶ちそのショックでずっとEDと言う複雑を通り越してカオスな役でしーかーしーそれが実にチャーミング!女々しい!かわいいそしてかわいそうああわたし騙されてるでも騙されてもいいの守ってあげたい!無理!は〜あれはふるちんにしか醸し出せないなにがしかだわ、ああこういうのを誘い受けって言うんだな。その受けか。と言う役です(どういう)。ホントこういうのやらせると巧いな〜にくいわ〜。
対して成志さん、一昨年寄席に出た腕を活かした講談師役で弁舌滑らか顔芸も多彩(笑)そんでお調子者を演じ乍ら実は裏街道を歩いて来た暗さと狂気が時折顔を出すその恐ろしさ、これこれ!怖い成志!そして演じるはえーとすごいややこしいぞシリーズ初出し実はたつことかつこには腹違いの兄がいた!兄はたつことは連絡をとりあっていたが姿を消し、実はかつこの保護観察司・末次(元ヤクザ)としてふたりを陰から見守っていたのであった!末次はその後整形し講談師・松川金水としてたつこの前に姿を現したのだった!その間紆余曲折複雑怪奇などっか頭のネジが外れているけど妙に色気があると言うこの役はナルシーならでは!あー格好いい!あー顔が濃い!顔芸も素晴らしかったよ……。
こんなキャラクターをふたりに当てて書いた千葉さんもすごいが、それを見事に血肉化するふたりの底力を目の当たりに出来る嬉しさと言ったら…しかも小劇場規模(本多ではあるが)でってのは久々ですよね。いやホントよかったよ、往年のファンも楽しめると思いますよー!
しかも途中迄ふるちんの役がお兄さんてことになってんのね。で、あれ?実はこっちがお兄さんで、しかも整形した末次…?って感じに徐々に謎が解明されて行く流れも巧い!ハラハラドキドキの二時間半!そう休憩なしで二時間半くらいあったんだよ…怒濤の展開クライマックス迄中だるみなし、ゲイパレードはあるわパイは投げるわ鮭が瀧を登るわ龍は昇天するわもーちょーかんどうー!はあはあはあ。
こーゆー荒唐無稽なストーリー(だけど登場人物たちは皆しっかり自分の足で大地に立ち、前に歩いていくんだよ……!)、を書き上げた千葉さんすごいホントすごい。そしてそれをあますところなく舞台に立ち上げた河原さんホントすごい。そしてそれは座長・村岡さんがいたからこそ!村岡さんのために書かれた役、悲劇のヒロインかつこ。シリーズを通して陵辱され続けた彼女は菩薩のごとき愛情の深さで全てを包み込んでいく訳ですが、このファイナルで彼女はどうなる?観客誰もが案じたかつこのゆく末、そして誰もが祈ったかつこの幸せ。それを目にすることが出来た観客の幸せ!あの幕切れはホントに素晴らしかったー!いんやそれにしても村岡さんちょー格好よかったわ…一座のどの男よりもオットコ前であった。古田さんをアレしてコレしてのシーンはあまりのめくるめく男闘呼らしさに抱いて!とか言いたくなった。
そしてカーテンコールでキャスト全員並んだ時「え、これだけの人数だっけ?」と思ってしまう、八面六臂の活躍ガヤ四人衆。レギュラー役以外は全部ガヤの四人で演じるってのは頭では判ってるし、その早替えっぷりも見どころなのですが、改めて人数見ると「すくなっ!」と思ってしまう程、台本上の登場人物は多い(そこらへんのまとめ方も河原さんすごいと思った)。小学生のこどもからハードゲイのポリスマン、ヤクザとその愛人、食堂のおばあちゃんと年齢も性別もバラッバラしかしそれが何故か皆ハマると言う…すごい、すごいよー。個人的には伊達くんの、スナック虹のマスター(て言うかママだあれは)がツボでした。似合い過ぎる……。
ホンのことばかり書いてしまったが、千葉さん演じるたつこも素晴らしかったんだよー!菩薩のかつこと対照的な修羅の姉たつこ。母殺しの罪を背負っていると思い込んでいた彼女が重荷を下ろせた意義は大きいし、彼女のバスタオルが外れた意義も大きい。これ文字にすると何がなんだかって感じですが、彼女のバスタオルは鎧だったんだよ〜(泣)そんな彼女が兄と共に仏門に入ったことは、修羅を自分の中に抑え込みつつもひとときの安らぎを得たのだろうと、せつなさを感じつつその後ろ姿を温かく見送る気持ちになりました。ああ大団円!
あー凱旋公演行きたくなってきた…前進座でやるってのがまた!前進座は2006年5月の大駱駝艦・天賦典式『魂戯れ』で行きましたが、そのときは歌舞伎小屋の仕組みである花道、迫り出し(すっぽん)を使っていました。『流れ姉妹』はそれに合わせて演出等変えるのかしら、どうなのかしら?大衆演劇をひな形にしているこの一座、前進座ですごく生きそう。あー気になるー!
ともあれファイナルおめでとうございます、千秋楽無事幕が下りますよう!
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その他。
・序盤小銭貯めてふたくちコンロ買うんだってシーンがあるんだけど(勿論部屋にはひとくちコンロ)、ラストシーンではちゃんとふたくちコンロになってます!ここチェック!涙!
・パイ投げのシーン、観客席にひとつ投げ込んで騒然。お皿に脱脂綿を貼ったにせパイでした(笑)こういうの、ハイレグジーザスでうんこ投げるぞー!と投げ込んで実は味噌だった、と言う話を思い出しますね…河原さんこういうとこは三つ子の魂(まちがい)だね……。まあ味噌でも投げれば服汚れますがね。それは流石にもう出来ませんね(やれと言っている訳ではない)
・銭湯のシーンで裸足になった成志さん、右足首に手術跡がまだ生々しく残っていたのにハッとなる。舞台上の動きで気になるところは全くありませんでした。リハビリ自体は順調のようです、無事完全復調しますように
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2011年02月01日(火) ■ |
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『浮標』 |
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葛河思潮社『浮標』@吉祥寺シアター
力作。三幕四時間弱の上演を全く長く感じません。言葉の力と演じる者の力で、終始舞台上に視線と気持ちが釘付け。
それにしても哲司さんすごかったな…先日チラ見した『白夜行』予告映像に出ていたひとと同一人物とは思えない憔悴っぷり。あれを公演期間中毎日演じているなんて…ひいー役者って恐ろしいー(泣)あと改めて長塚くんっていい役者だよなあと思った。
ふんがーしかし、ウチのおとーさんとおかーさんを見ているようだったよ…しんどい。いやウチのおとーさん画家じゃないけど。あんなにエモくもないけど。揉めるような財産もなかったけど。おかーさん、病院から帰って自宅療養してたとき(結局最期は病院だったが)はあんなふうにずっと安楽椅子に座ってたよ。藤谷さん見てるとおかーさんを思い出したー!あの居ずまい…ホントに病気なんじゃないのこのひとってくらいの(小学生のような感想)
……いや、そこじゃない、キモがそこじゃないのは判ってますよー。はー、いつ迄経ってもこういうことは憶えているもんだな。
もう一度観に行くのでそのときにもうちょっと突っ込んで書きます。
メモ:
・1939年発表の三好十郎作品。横文字が多く出てくるので多少現代向けに書きなおしたのかな?と思ったが、そのままだった。テキストはこちらで読めます→青空文庫:『浮標』三好十郎
・植田正治の写真がモチーフのヴィジュアル
・椅子に座っている(その場に出演していない)ひとたちの顔や目線の移動を演出で指定、あるいは役者とのやりとりを通して決定している部分がありそう。自分に関する台詞をその人物は(ストーリー上)聴いていない設定だが、舞台上で椅子に座って聴いている。登場前の伊佐子の様子に顕著
・折り合いをつけると言うこと
・何故か客入れがソウルセット
・新国立の『浮標』(2002年)で五郎を演じた生瀬さんがいらしてました。どういう思いでご覧になっていたのかな
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