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2011年01月30日(日)
『わが心の歌舞伎座』

『わが心の歌舞伎座』@東劇

東劇へ向かう途中にある歌舞伎座跡をしばし見渡す。建物は撤去済み、仕切り幕の向こう側は見えません。基礎工事が進んでいるのでしょう。

180分の上映、途中「幕間」としてインターミッションが10分入ります。しかしあっと言う間。歌舞伎座の長い歴史を考えると180分でも足りないくらいでしょうが、カラッとした構成でテンポ良く幹部陣のインタヴューとその代表作の上演映像、さよなら公演の千秋楽と一般非公開だった修祓式、そして最後の閉場式を見せていきます。ヘンにウェットにしなかったのは、歌舞伎はこれからも続くと言う強い思いがあるためでしょう。同じ気持ちの観客も多いと思います。

180分じゃ足りないと言いつつ、目の前に映し出されるのは数々の名演。贅沢極まりない。収められていない演目は、まだまだいくらでもある。そう思うと気が遠くなる、改めて伝統芸能の濃さと厚さを感じるとともに、それを守りつつ時代を反映させてきた役者さん、裏方さんたちに敬意を抱かずにはいられません。

普段は見ることの出来ない舞台裏の映像も堪能。楽屋やその入口の様子、控え室でてきぱきと仕事をする狂言作者、床山、大道具の方々。裏口の外でとんぼ返りの稽古をする役者さんたち。印象的だったのは『仮名手本忠臣蔵』四段目、勘三郎さん演じる塩冶判官切腹の場で、舞台袖や襖の陰に盛装で平伏していた背中、背中、背中。客席からは全く見えない場所に座している家臣たちは、舞台上の魂を昇華させるべく役を演じきる。同じく『仮名手本忠臣蔵』十一段目前の舞台転換。大道具さんたちが幕間の十分間で見事に三場分の装置を組み立てあげる。そして閉場式後、翌日にはもう取り壊しが始まるのに、丁寧に館内を掃除する裏方さんの姿。見えるところ、見えないところ。どんなときでも、どんな場所でもプロフェッショナルの仕事を完遂する表方と裏方。厳しくも美しい光景でした。

建物に情緒を感じると同時に「これは古い…相当傷んでいる……」とも思う。老朽化が激しい。安全面から言っても、建て替えは避けられなかっただろうことが理解出来る。仁左衛門さんが「歌舞伎座が建て替わったときに後輩たちが、『この素敵な先輩たちが使っていたんだ』と言われるような役者に私たちがならなきゃいけない。新しい歴史を作っていかなければ」と仰っていたのが心に残りました。

これぞかぶきもん、スーパー歌舞伎の映像も。もう舞台にたつ猿之助さんを観ることはないのだろうか…今回も、演目紹介(『義経千本桜』のスペクタクルっぷりと言ったら!)はあったけれどインタヴューはありませんでした。

それにしても芝翫さんのお顔は綺麗だった。やっぱり生きざまって面構えに出るんだなあ。荒事芸と波乱の多い名跡を代々受け継ぎ、自身も壮絶な闘病を経て舞台に立っている團十郎さんは“そういう”顔をしているし(『勧進帳』での、弁慶飛び六方の気迫は胸に迫るものがありました)、菊五郎さんも仁左衛門さんも幸四郎さんも吉右衛門さんも、勘三郎さんも玉三郎さんも“そういう”顔。明るい笑顔でいきいきと芝居の話をしていた富十郎さんは、今月三日に永眠されました。エンドロール後に、追悼の言葉が映し出されました。

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よだん:出店が減っていていやな予感はしていたのですが、ぎんざ日乃出が休業に入ってしまいました。休業と言ってはいるけど閉店ぽい。サイトにお知らせが出ていたものの、実際に歌舞伎座向かいの本店が閉まっているのを見るとショックおおきい。うう、これから歌舞伎観劇のときのお弁当どこで買おう…スタンプ(カードがいっぱいになったら割引になる)も集めていて、さよなら公演千秋楽の日にはもういっぱいになっていたんだけど、「これから歌舞伎座がない間は営業が大変だろうから、再開したらすぐ行って、そのときに使おう!」と思っていたのに(泣)あれ以上に形が美しく、なおかつ味もおいしいてまり寿司を探せる気がしない……



2011年01月28日(金)
『その街のこども 劇場版』

『その街のこども 劇場版』@東京都写真美術館ホール

理不尽な出来事にどう向かい合うか。そしてそれをどう乗り越えるか。あるいはその出来事を、自分の心の中のどの部分に置いておくか。ふたりの“その街のこども”の、ふたつの向き合い方。昨年オンエアされたドラマが劇場版として公開されました。ドラマよりちょっと長くなってた。

15年振りに故郷神戸にやってきた美夏。広島への出張途中、衝動的に新神戸駅で新幹線を降りてしまった勇治。いろいろなやりとりの後、ふたりは夜通し神戸の街を歩く。美夏は親友を震災で亡くし、勇治は父親が震災を利用した商売で大儲けしたことで“ハミゴ”にされ故郷を離れる。美夏は今年こそは追悼のつどいに出るのだとやってきた。勇治は別に思い入れはないと言いつつも、何かがひっかかっていて神戸で降りた。

渡辺あやさんの脚本が繊細。過剰な説明はない。主役のふたり(森山未來、佐藤江梨子)と勇治の上司(津田寛治)が、限られた言葉の裏にさまざまな思いを忍ばせる。上司のポジションもよかった。実際に震災に遭っていないひとの代表でもある。あんな大地震は起こらないと言ってしまう、しかし部下がどんな思いで設計の仕事をしているかを考えていない訳ではない。それを津田さんが絶妙に演じている。

実際に震災を経験している森山くんと佐藤さんの、アドリブかと思うようなやりとりを手持ちカメラがここぞと言う距離で捉える。ちょっと離れる、ギリギリ迄近付く。ボソッとボケてボソッとつっこむ、関西人同士の言葉の応酬も、起こった出来事の重さを思い出すと言うつらい作業を緩和させる。逆に、そうでもしないとつらさに押しつぶされてしまうのかも知れない。あの街のことばつかいは、こういうときに優しく感じる。

メインの3人以外のキャストは、殆どが役者ではない神戸でくらすひとたちだったそうだ。ラストシーンの追悼イヴェントは、昨年の1月17日当日に撮影された。そしてその夜このドラマはオンエアされた。

実際に震災を体験していないひとがあれこれ言うのも失礼だし、当事者が「わかる訳がない」と思うのも当然だと思う。この作品は、その溝に丁寧に置かれたもののように思う。溝は埋まりはしない。しかし橋を渡すことは出来る。そしてこんなことがあった、と言うことを忘れないようにすることは出来る。

自然災害は、いちばん諦めがつきやすく、いちばん納得がいかない。ひとに酷い目に遭わされたりしたときは、その対象を追及し、あるいは憎むことにエネルギーを費やすことは出来る。しかし自然が相手では……。あんなにいい子だったのに、あんなに仲がよかったのに、どうしてあの子が死ななければならなかったの?何を責めればいいの?その答えは永遠に出ない。世界は理不尽なことで溢れている。こどもたちは理不尽な世界でおおきくなる。このドラマは、そのこどもたちを見守る目線で描かれている。台詞のやりとりにも出て来たけど、「学校が休みになって嬉しかった」とか、多分あると思うのこどもには。こどもはそれだけタフで呑気。そしてこどもたちがタフで呑気でいられるように、おとなが守ってやらなければならないと思うの。かつて“その街のこども”だったおとなたちが。

うーん、気持ちはパンパンなのに言葉ではうまく説明出来ないや。脚本よかったー、役者よかったー、演出よかったー、そして音楽よかった!大友さんと阿部さんのタッグは『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』でもよかったけど、こちらも素晴らしかったです。

そんで個人的なあれで言うと、今ウチの田舎(都城)がたいへんなことになってるんで、とにかくおさまってくれと祈るばかりです。

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よだん:サッカー日本代表の長友選手はFC東京時代都城にキャンプに来ていたり、おじいさまが都城のひとで親戚が都城に沢山いるとか、名前の佑都はその縁のある都城から一文字とられたとか言う話(『長友選手に都城市特派大使委嘱』)を知ってますます好感度アップだよ!クルテク(似てるから)とか呼んでますけど。アジアカップ決勝のアシストすごかったね!

そんでスポーツとか芸術って、何の役にもたたないからと社会情勢が傾くとすぐ規制されるけど、ひとの気持ちを元気にしたり心にポッと灯りをともすことが出来るし、そういうのってとても大事なことだと思う。目先のことに惑わされて、イージーに無駄だと切り捨ててはいけないと思う。そんでクリエイターは、そんな周囲に振り回されないで活動出来るといいなと思う。



2011年01月22日(土)
『犬とあなたの物語』『AKIRA』

『犬とあなたの物語 いぬのえいが』@TOHOシネマズ川崎 スクリーン2

レイトの『AKIRA』の前にもう一本観ようかね、楽しそうなものを気軽に、と観に行ったら気軽なんてとんでもないヘヴィーな内容で腰が抜けた。おーもりさんが出ているパート(長崎俊一監督)は重く厳しいストーリーです。

6話によるオムニバス。オープニングタイトルも出さずいきなり本編、あっと言う間にひきこみます。おーもりさんと松嶋菜々子さんの「犬の名前」がメインなのですが、その前後にいぬと人間のさまざまなエピソードが、デフォルメを加えられてテンポよく配置されています、相当おかしい(笑)。お笑い芸人さんが沢山出ていて、それも効果的でした。

「犬の名前」を観ている+観たあと、それらいぬとの楽しい暮らしの描写がジワジワ効いてきます。巧い構成。以下ネタバレあります。

「一郎!」「美里!」やたらめったら名前を呼び合う夫婦の会話で幕開け、アメリカ映画か(と言うより翻訳劇の舞台かな)と思う程の違和感。実はこれが仕掛けだったのだと後で気付くことになります。やってきたペットのラッキーは自分の名前を呼ばれないと振り向かない賢いいぬ。いぬを飼うことに後ろ向きだった一郎とラッキーが少しずつ心を通わせていく描写が丁寧。ほのぼのしさも然程なく、そっけないくらい。しかしあたたかみがあり、徐々にラッキーが家族の一員になっていく経過がとても微笑ましい。

一郎は若年性アルツハイマーに侵され、日々記憶を失っていきます。仕事に必要な英単語、自分の家、家族の名前……。いぬに餌をあげる習慣を憶えていても、いぬの名前を忘れます。ラッキーのことを自分がちいさい頃に飼っていたいぬ、ジローと呼びます。自分の名前がラッキーだとわかっているラッキー。ジローと呼ばれたラッキーは、それでも一郎に寄り添おうと歩いていくのです。

前の席に家族づれがいて、ちっちゃいおんなのこが時々ちいさな声で「かわいいね」「あはははは」なんて話していたのですが(迷惑ではなくむしろほのぼのしかったよ)、彼女がそのシーンのとき「ジローじゃないよ、ラッキーだよう」なんて言ったもんだから周囲のひとたち一気に涙腺決壊。おまっ何してくれる!嗚咽が出そうになったおえーい(泣)…映画館ならではのエピドードですな。ああ映画館で映画を観られるっていいなあ。

一郎の介護のため美里がだんだん疲弊していく様子がシンプルに重ねられていきます。過度にドラマティックな演出はない。仕事内容を軽減してもらう。会社も協力してくれる。しかし綺麗だった流し場にはいつの間にか沢山洗い物が溜まっている。一郎と美里は懸命に日々のくらしを維持しようとしますが、それはジワジワと崩壊していきます。「ああ、こうなっていくんだ、これはどうしようもない」と納得させられてしまうのです。

近くに助けを請えるひとがいなかったら?いぬを預けられる環境がなかったら?実際そういうひとの方が、きっととことん悩むのです。しつけが出来なかったから、大きくなってかわいくなくなったから、なんていい加減な理由でいぬを捨てたり殺したりするひとは、ペットが家族だなんて意識することすらしない。里親をさがす組織があるじゃんとつっこむひともいそうだけど、それに気付かない程美里は追い詰められていたのではないかと思います。

本当にそのことを考えているひとたちは、他人が知らないところで、黙々と行動している。ペットは家族です!なんて言うのは簡単だし、良識を振りかざすひと程裏にある事情を顧みていなかったりする。ひとりを助けなければならないとしたら?優先順位をつけなければならないとしたら?彼らはなんと言うのだろう。家族とは、絆とは責任とは覚悟とは、についても考えさせられる内容でした。

いやそれにしてもしんどかった…このままでは家族を傷付けてしまうと悩んだ一郎が美里に首を絞めてもらおうとする描写も酷だった……。休日に家族で、とかデートで、と観に来たひとはエラい目に遭うと思います(苦笑)。でもすごくいい話だったなー。おーもりさんの演技も素晴らしかったです。黙ってるときの演技がえらい説得力ある…あとなにげないシーンが絵になりますね。いぬと座っておにぎり食べてるシーンとか。保健所の職員役の斎藤歩さんもよかった。ちょっとした台詞の言い回し、いぬを返してと美里に迫られたときの表情が印象に残りました。

巨大化したジローが出てくるシュールなシーンがあったんだけど、そこもよかったなー。ここでCG使うんかいって言う(笑)。こども+夢(?熱出してうなされてる)の支離滅裂な視界の表現としてとても面白いものになっていました。それにしてもしばこいぬってホントかわいいわ…バリバリのねこ派だけどしばは大好き。

あー、あとひとって自分が先に死ぬことばかりを想定しがちですが、自分が残されたときのこともそれと同じくらい考えておいた方がいいよねとつくづく。自分が見送られる前に、ちゃんとひとのことを見送らねば。

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『AKIRA』@チネチッタ川崎 CINE12

22年振りにスクリーンで『AKIRA』を観た…しかもシネコンのいい音響で。か、かんげき……ドリパスありがとー!(泣)

ドリパスと言うのは、映画のグルーポンみたいな共同購入システム(サイトはこちら)。観たいとチケットを買ったひとが既定人数に達すると上映が成立します。成立しなかったら上映なしよってのもドライ過ぎてなんだかムズムズする…実際未成立のものも過去何作かあって、それってどうも……と思ってもいるのですが……。試行錯誤中のようで、改善点も出てきているので、いい方向に進めばいいなーなんてえらそうに思っていたりもして。

そんなある日、『AKIRA』が上映企画に登場。昨年の爆音上映会では満席で入れなかったんだよ!お、お願いします。買います買います。あっと言う間に既定200枚が売れ200枚追加、当日券(以前のドリパスではなかったそうですが、ここ最近は出してるそうです)もありで、チネチッタで2番目に収容人数の多いスクリーンで観ることが出来ました。おおお…22年前は田舎の映画館で、視聴覚室くらいのちっちゃーいところだったんだよ…う、うれしい。シネコンなので音響もいい!芸能山城組のケチャがー!ギャー、これこれ!!!

フィルムはかなり傷んでおり、色彩がああ昔のアニメだなあと思ったものの、それ以外は今観てもぜんっぜんオッケー。公開時は原作がまだ終了しておらず、ミヤコさまやカオリちゃんその他もろもろの設定がかなり違うのですが、原作を読了している今ではその部分も補完しつつ観られる。そうカオリちゃん…カオリちゃんなんだよね……すごいいい子なんだよー。そしてそんな頻繁に『AKIRA』について考えてる訳でもないのにあーアキラって28号だったよねー金田の名前は正太郎だよねーと素で思い出せる刷り込みっぷりに思わず下を向く。ええ、当時「…ミルク!」とか「血だぁ、こわぁい」なんて『AKIRA』ごっこをしたものです(赤面)。あーキヨコもタカシもマサルもいい子だったよねえええ。

補完といえば、SOLが墜ちていくシーンに昨年のはやぶさの最期を連想したり、ミヤコさまたちの教団にオウム真理教を思い出したり。あとたまたまなんですが、数日前『その街のこども』がらみで阪神淡路大震災のニュース映像をYouTubeで見直していて…その映像がまるっきり『AKIRA』の光景だったのです。飴細工のようにくにゃりと曲がり落ちた高架路、上がる火の手、煤けた空気。『AKIRA』は1988年公開ですが、この時は都市崩壊の描写(『AKIRA』は地震によるものではないが)がまだ絵空事だったように思います。有り得ない話ではないけど想像が及ばない、と言うか。しかし今では全くの現実だと思える。作り手が意図してそう描いた訳ではないと思うし、予言だなんて大層なことも思わないけれど、それでもこの作品には何かを知っているようなヴィジュアルがある。そういう意味も含めて、この作品は過去のものではないのだと思いました。当時観た『AKIRA』とこの日観た『AKIRA』には、確実に違う印象を持ちました。

つい最近宮沢章夫さんが1995年についてのメモを書いており、それのことも思い出した。→・Togetter -「1995年についての考察」

それにしても、金田等こどもたちのあっけらかんとした逞しさと言ったら。東京が崩壊しても「鉄雄は?」「いっちまった」、バイクでブーですもん。笑ってしまい乍らも、この楽観性は見習いたいと思った、いやホントに。あれくらい呑気に頑強でいたいものです。

上映後拍手が起こりました。いやーよかった、嬉しかった。

ものすごく原作を読み直したくなったが前半は実家、後半は押し入れの奥深く。あああ!サントラも聴き直したいがテープです、デッキ壊れてます。そだよー芸能山城組の組曲と台詞入りのサントラと二種あるんだよねー。買いなおそうかな……。



2011年01月15日(土)
HURTS Japan Tour 2011

HURTS Japan Tour 2011@duo MUSIC EXCHANGE

やー、なんだかライヴ初めにいい感じのハッピーなライヴでした。歌の内容は悲恋ものだったりするんだけどね…いいライヴだった!

会場に着くと、アダムが体調不良で今病院で治療を受けており出演はキャンセルとのアナウンス…残念。後日ミッチさんのブログで知りましたが、なんでも来日前に抜歯した傷口にバクテリアが入ってしまったそうです。おだいじに。急遽ギターなしのセット変更でリハが長引いたようで、開場がちょっと遅れました。出てきたセオが「アダムが出られなくてごめんね、ショウマストゴーオン!」つった(泣)。と言う訳で初見が変則セットになりましたが、これはこれでエレポップ度が増しててよかった…次の機会を今から楽しみにしようと思います。

セオさんは大層端正な顔立ちで、若い頃のデヴィッド・バーンを彷彿とさせたんですが…しかし、髪型とか、仕草とかが……もう、もう、モリッシーで!なんだ、あれだよあれ、誰だっけ、自分の映る水面を眺めて水仙かなんかになっちゃった…「神話に出てくるバカそっくりだよ!!」@動物のお医者さん。いや、セオさんはバカじゃないよ!賢そうだったよ!素敵です!まあ仕草がいちいち面白い…見てて飽きない……前奏とか間奏の時マイクコードをいじったり手遊び(この言葉小学生相手にしか使ったことがないよ今迄)するのが面白い……いやその手がまた綺麗なんですけどね。で、伏し目がちがデフォルト。しかし唄い出せばこれが熱唱!しかも安定してる!これはいい…演奏もしっかりしてる。佇まいは80年代エレポップリバイバルな感じだけど、カウベルの音をシンセで鳴らすティアーズフォーフィアーズ(だいすきー!)を思い出す曲もあったけど、ライヴで観るとこれはしっかりしてるわ。懐古趣味にも感じない。いい!

あのヴォーカルの子サマソニではすごい緊張してて手が震えてたんだよと後で教えてもらいまたビックリ。半年足らずでこんなに堂々としたパフォーマンス(唄ってない時は手持ち無沙汰だが)!ひとめに晒されれば晒される程輝きを増す子のようです。これは将来も楽しみだねえととしより目線になる。そして実際見ると意外とゲイゲイしくはなかった。PSBみたいに匂いたつサムシング(笑)はない。しかし曲間用意したカーネーションをバンバンフロアに投げていたのだが、自分の胸ポケットに入れていた深紅のバラだけは前にいた男性に手渡ししたところ、狙ってるなーと思った(笑)。男女ともに愛されるといい!

そんで噂のサポートのオペラ歌手、リッチーがオリバー・カーンに似ていた…で、サッシュベルトの位置に両手を置いて唄うわ唄うわ。唄ってない時は前を向いて仁王立ち、微動だにせず。ソロも素晴らしかったで!そして歌もすごいがキャラ立ちっぷりもすごい。挨拶する時もロボコップ演芸の音が聴こえてきそうだったよ、ギーガシャンギーガシャン。このひともセオもうたぢからがあるなあ、聴いてて気持ちがいい。

一時間ちょいでしたが(持ち曲まだそんなにないしね)ギュッとつまったいいライヴでした。いやーよかった。

よだん。日本語がいちいちおかしい。と言うか日本のレコード会社はどういうふうにHURTSを売りたいのかわからない(笑)。
・Hurts ― The official Hurts website



2011年01月12日(水)
『ろくでなし啄木』

『ろくでなし啄木』@東京芸術劇場 中ホール

若干ネタバレあります。

あーリピートしたくなる話でしたよ。テツの心情を知った上で一幕をまた観てみたい……。でも、何度観てもきっと真実は見付からない。三谷さんが書く“薮の中”。残るのは事実のみ、真実は個人の心の中のみ。つまりどこにもない。三人の若者の別れが描かれます。

もの書きの考え尽くした最低と、世の中を知ってる人間が見てきた最低。そしてひたすらもの書きを信じる女。それぞれがある側面を知っていて、それぞれが秘めた思いを抱えている。全てを知るものは誰もいない。テツ、トミと過ごしたある一夜のできごとから、啄木はもの書きとして生きていく覚悟を決める。そしてそう決めたからには、もう二度と会えない。三人は元の三人には戻れない。

勢いを持つ、魅力溢れる三人の役者。こーれーがーいやはや観たいものをみせてくれたー!と言うもので、非常に楽しめました。藤原竜也、中村勘太郎、吹石一恵に宛てて三谷さんが書いた台詞と物語。またこれが、藤原くんも勘太郎くんも、憎らしい程芝居が自在(わかっちゃいるけど観る度ビビるわ…)。それでいて両者の魅力が存分に発揮されている。この年代で、これ程安心しつつどデカい期待を持って観ることが出来、それでいてエキサイティング極まる芝居を魅せてくれる役者ってそうそういません。もうすいすい物語に没入させてもらえる。初舞台の吹石さんもとてもよかった!あの濃いふたりの間にいて腹の据わった芝居、しかもコメディエンヌとしての魅力も発揮。あの“合図”を必死の形相でやればやる程笑える方向に持っていった演出も巧い、って言うか三谷さん酷い(笑)。

三谷さんにしてはホンの緻密さに欠けるところが若干ありました。うーん、欠ける、と言うのは語弊があるか。役者たちの魅力にひっぱられ、見せ場を作るべく変更を加え続けた結果だったのではないかと思います。その勢いが観ていて非常に気持ちのよいものでした。啄木のその後は歴史的にも知られていますが、トミ、テツの行く末も決して明るくはないかも知れない、とうっすら感じさせる流れ。しかしそれが実にあっけらかんと、清々しささえ漂う印象になっているのです。すごく深刻なシーンで笑いを呼んだり。ある意味濡れ場も清々しい(笑)。若い座組ならではの“勢い”は、残酷さをも明るく照らしてしまうものなのかも知れず、だからこそ激しく荒々しい。

そしてそれは過ぎ去ったこととして描かれる。回想から幕が開き、登場人物はあの一夜を振り返る。この辺りは経験を重ねた人物ならではの厚みが必要だと思いますが、勘太郎くんも吹石さんもそれを見事に表現し、もう戻れない青春のほろ苦さ、せつなさを感じさせてくれました。幕開きの勘太郎くんの声色にもうもってかれたもんね…あのひと声で、ああ、世の中でもまれた人間がひととき落ち着いてここにやって来たんだ、つまりこのシーンは物語の中心となるところからしばらく経っているんだ、と瞬時に了解出来た。このツカミには感服しました。そしてこれがあるからこそ、その後展開される若き日のテツのはしゃぎっぷりや愛嬌溢れる言動に捻れや歪みを感じ、彼の“最低”が明らかになった時ある種の説得力をもった重さを感じることが出来る。彼の明るさの裏にはこんなことがあり、そして今こうしているのだと。あと浴衣姿の場面がやはりいい。何度も脱いだり着たりするので(笑)その度流麗な着付けが観られるのも楽しいです。

藤原くんは老成から程遠い啄木を演じます。無邪気で、世を拗ねて、考え得る“最低”はあの結果。受けの芝居も抑えの芝居も巧いね…しかしこのままいくのか?いや何かある筈…これで終わる筈がない……なんて二幕の途中迄思っていたのですが、最後にこれぞ藤原くんの真骨頂!と言う感情の爆発を自在にコントロールしているかのようなどテンション芝居がきました(この辺り、稽古を観ていったうえで三谷さんが書き換えたところらしい)。ホントこのひとの語りは強い。もの書きの考える最低は結局その程度かと言われ、憎まれることで自分を破滅に追い込もうとする画策は躱される。しかしそれが、彼に覚悟をもたらす。その心情の変遷を、炎が立ち上がるかのような激情、引き潮のような達観といった怒濤の独白で魅せてくれました。

このモノローグも、三谷さんのものとしては珍しい。演出面でも新機軸を意識的に提示していたように思います。転換は暗転なしでどんどん見せて、襖の開閉で場所と時間の移動を表現する。役者が客席に向かって語りかける。等々。エロティック・サスペンスと銘打っていたこともそうですね。藤原くんが三谷さんに「書いてくれ」と言わなかったら実現しなかったこの作品、そして三谷幸喜生誕50周年の第一弾。幸先いいスタートです。



2011年01月08日(土)
『東京旅ノ介』『日清日露戦役擬畫』

山口晃展『東京旅ノ介』、山口晃版画展『日清日露戦役擬畫』@銀座三越8階催物会場、8階ギャラリー

土曜日+本人来場&トークショウ&サイン会後で激混み、もうお帰りになった後のようでした。がびょーん知らないで行った…参加したかった……。

しかし展示は楽しかったー、もう絵を観られただけで有難いです。も〜描けて描けてしょうがない、思いついて思いついてしょうがない、と言った態の作品群にはいつも絶句。本人の中での問題って、この「思いついて思いついて(と言うかもはやもう、ああ見えているんだろう)=頭」と「描けて描けて=手」の間(速度)をつめることだけなんじゃなかろうかと思う程。あと、頭の中にある世界をどこ迄現実世界にある道具で再現出来るか(道具と言えば、あの色、油彩で出せるもんなんだね…岩絵具じゃないんだよ)ってところかな。この絵の具だとここ迄の色しか出せない、この筆だとここ迄の線しか描けない、と言う。きっと彼の頭の中では彩りは無限に染まり、線はどこ迄も滑らかな軌跡を描いていくのだろう。そして、「手」が少しでも「頭」に追いついた時、「頭の中」が自分の手を通して紙に落とされたときの気分と言うのは、こちらには想像が及ばない世界だ。

あの、さらりと退屈そうにひかれているように見える線。その線が夥しい程の精緻さで集まり、散らばり、街の風景を構築していく。作品集もいいけれど、あの線のすごみは実物からでないと伝わりづらい。そういえば山口さんには、水で絵を描く映像作品があった。水が乾くと絵も消える。消えても全然構わない、きっと線がいくらでも降りてくるのだろう。

『東京旅ノ介』は、東京の街並を絵師山愚痴屋といぬ(『すゞしろ日記』にも出てきていた奥さまの実家のあのいぬかな?笑)がご案内する趣向。セクション毎にこのひとりと一匹が落書き調で描かれており、口上を述べている。このぺぺっと描いた絵がまたいいんだよね…筆跡が見えて。たまらん……。山愚痴屋の目に映る東京、山愚痴屋の提案する都市の景観。昔の街並をとっておいて、ビル群の上に立て直そう!上空からそれを見れば、東京の街並は昔のまま。移動手段として『露電』も提案。6人乗りのちっちゃくて薄い電車。かわいい!これいろんな型の線画と、実物大の模型も展示されていたインスタレーションでもあったのだけど、絵の方がいきいきして見える不思議。今にも走り出しそう、電車がいきもののように見える。やっぱりあの線恐ろしい。

この展示会場に電柱のインスタレーションをブチ込んできてるとこもすごかった。17点組の絵と模型。近くで観ていたひとが「本当に好きなんだねえ、こういうの……」としみじみ言っていたのにウケた。山口さんの頭の中はこんなことでいっぱいなんだねえ。

『四天王立像』シリーズや『最後の晩餐』もありました。このセクション、「東京と関係ないけど作品数の都合で…」との口上(笑)いやいや大歓迎ですよ!『四天王立像』シリーズは2007年の『アートで候。』での展示が初見だったのですがこの時完成に到らなかったんですよね(なのでカタログには制作途中のものが載っている)。その後の姿が観られて嬉しかったです。

版画展の方は、『東京旅ノ介』にも展示されていた小さな作品のプリント。タイトル通り日清日露戦争のあれやこれを、見てきたかのように描いている。山口さんの頭の中では、あの戦争はこんなことになっている。

年明け早々観られて嬉しい展示でした。



2011年01月02日(日)
『トロン:レガシー』

『トロン:レガシー』@新宿ピカデリー スクリーン3

掟ポルシェのコスプレしてるひととデヴィッド・ボウイのコスプレしてるひとが出てて、「ポケベル」の字幕が一箇所だけ「ボケベル」になってて、トロンはいい子だった。

ネタバレなしで感想書くとこんなです(笑)以下ネタバレあります。

ストーリーはシンプルで、父と息子の絆とかも折り込みつつ王道アメリカ映画な感じです。東洋思想も入れてきてるし。何でも禅で解決出来ると思うなヨ!最後のおとーさんの特殊能力みたいなのは何なんだヨ!これプログラム関係なくないか……。でもいい話だったヨー。ほろり。おとーさんいいひと!そしてアランいいひと!アランの作ったトロンはいい子!(二回言う)

それにしてもデザインが美しいー。衣裳やセット等美術が素晴らしかったー。色味と言いキューブリックの『2001年宇宙の旅』を連想するところも多かった。女性陣のアイライン太めにひいたメイクも1960年代後半ぽい。クオラ役の女優さん、素の顔も美人なんだけど全然感じが違う。白いおねえさんが差してた傘やレインコートもビニール素材を前面に出していて、未来がクラシックになる面白さ。

と言えば、ラストシーンは『ブレードランナー』を思い出したなー。最初に公開されたヴァージョンの。と言えばこのシーンって、『シャイニング』のオープニング映像だったよな。ここにもキューブリック。うーん、時代は巡るなー。

CGもヘンにCGCGしてなくてよかった。ジェフ・ブリッジスの若い頃の顔が違和感なさすぎて、時々「あれ、こっちが今の顔だっけ?おじーちゃんぽくなってる方が老けメイクだっけ?」と思ってしまう程。しかしあっちとこっちの世界の違いがあまりないのはいいのかわるいのか…ポリゴンでーすって感じじゃないので、コンピュータの中の世界にいますよって感じがあまりないのです。

そしてこれだけ綺麗な映像ならむしろ2Dで観たかったと思ってしまう矛盾。3Dらしいシーンって実のところあんまりなくて。冒頭にわざわざ「2Dで撮ってるところと3Dで撮ってるところが混在してますが、メガネはかけっぱなしでいてね」て注意が出るんだけど、なんなんだこの中途半端感は…先日観た『ガフールの伝説』にはこういう注意はなかったよ。前売りチケットが3Dしかなかったけど、2Dで上映しているところってないかなあ?メガネなしで観たいよー!

ユーリズミックスとかジャーニーの曲がかかるのもよかったな。ダフトパンクのサントラもよかったよー!クラブのシーンの音の通り方も。

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書いてるのは5日。ミック、おつかれさまでした。ゆっくり休んでください。