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2010年06月30日(水)
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』@新宿ピカデリー スクリーン9

立兄ィの映画なのでと覚悟して行きましたが、やはり痛かった。ヒリヒリするいい映画でした。なんだか言葉が出ない。

変な言い方だけど、立兄ィの映画は映画でしかないもので、映画だからこそのもので、だからTVでは観られない面構えの役者たちがTVでは観られない表情を見せてくれる。TVのフィールドでも活躍している翔太くんや高良くんも、映画でしか観られない顔をする。

だから映画館で、映画で観るしかない。

エンディングテーマは阿部芙蓉美さんの「私たちの望むものは」。岡林信康の歌です。「私たちの望むものは生きる苦しみではなく 私たちの望むものは生きる喜びなのだ」「私たちの望むものはあなたを殺すことではなく 私たちの望むものはあなたと生きることなのだ」と唄われて行くラインが、鏡のように入れ替わり「私たちの望むものは生きる喜びではなく 私たちの望むものは生きる苦しみなのだ」「私たちの望むものはあなたと生きることではなく 私たちの望むものはあなたを殺すことなのだ」と終わる。

飼い主を喰い殺したいぬは人間を見る目がある。“最高のこいつら”には他に行くところがない。ケンタとジュンは水平線を目指し、カヨちゃんは前を向く。その先に希望があるなんて、この映画は描かない。しかし、何かある。どんづまりではない。その何かを、カヨちゃんのあの目は見つめている。

いやそれにしてもサクラちゃんと宮くんがすごかった…何あの顔。それを捉える映像。柄本くんも柄本の父ちゃんも、ワンシーンで台詞もないのに恐ろしい存在感の洞口さんも。多部さんの異物感も。そして新井くんが最後の最後迄ダメ〜な子で最高。

舌ったらずなところもあるように思う。しかし、そういうのを差し引いても、カヨちゃんやカズ、洋輔の母親が無言で晒すあの表情は心に突き刺さったし、忘れられない映像だった。カズと対面している時、ふたりを隔てるガラスに映ったケンタの表情も印象的でした。

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以下小ネタ

・しかし山本政志がどこに出ていたか気付かなかったのであった。ちょ、おっさん何ひっそり出てんのよ!エンドロールで名前見てうろたえたじゃないの!
・一箇所「なんじゃあこりゃあ!」と脳内アフレコをしたシーンがあった



2010年06月27日(日)
まぬるねこを観に行ったんです♪(「風をあつめて」の替え歌のつもり)

わかりづらい。思い切り話逸れるが最近NHK教育でやっている『Eテレ 0655』『Eテレ 2355』って番組がお気に入りです。『2355』のオープニングソングが細野さんなんです。この声を一日の終わりに聴くと落ち着くねー。ちなみに『0655』のオープニングは真心ブラザーズ。YO-KINGの声でスカッと目が…覚めそうで覚めない(笑)けど爽やかな朝になりますよ。ねこコーナーも楽しい。

この番組、なんだか独特の癖がある…と思ったら、佐藤雅彦さんが関わってるんですね。

と言う訳で本題。先月上野動物園にまぬるねこの赤ちゃんが生まれたので見に行ってきました。今回でお産は3回目なのかな?里子に出される前にと、ささん(2日連続・笑)と鼻息荒く出かけましたよ。

・参考
TokyoZooNet『マヌルネコの巣箱をのぞいてみよう ─上野  2010/04/30』
TokyoZooNet『マヌルネコ誕生! 新設カメラ大活躍 ─上野  2010/05/14』
TokyoZooNet『マヌルネコの子どもが巣箱から出てきました ─上野  2010/06/18』

まぬるねこの前に2時間近くいたような(バカ)。丁度こねこたちが巣箱から出てきていた時間で、あまりにもかわいくて離れられなかったんだよう。途中ごはんタイムがあり、生後一ヶ月ちょいのこどもたちがもう生肉をあがあが食べているのにショックを受けた。獣……。でもうまく喰いちぎれなくて、肉を引っ張った勢いでひっくりかえったりしててもう悶絶する程かわいい。氷の塊にくっついて寝てる子とかちょーかわいい。たすけてー!

おかあさんはやつれぎみでしたよ。あと気がたってんのかおとうさんとよくケンカしていた。おとうさんはもう13歳(だったかな)で、うとうとしがちでおじいちゃんみたいだった。カメラのコードが脚に絡まって暴れたりしていた。とろい……(飼育員さんが助けに来てくれました)。

ひゃーひゃー言い乍ら借りてきたデジカメで撮影しまくりましたがろくなのが撮れなかった。が、一応公開する。他にも変な画像が置いてあるが気にするな。ちなみに下の方に、東山動植物園のまぬるがいます(2003年撮影)。

・言い訳
初めて触ったカメラで設定変更とかわからんかったのでそのまま撮った
屋内+ねこがビックリするといけないのでフラッシュたけなくて暗い
ガラス張り(しかもくもってる)なのでいろいろ反射して撮りづらい
何せどうぶつなので動く

まあこんなですが、ねこたちの愛らしさは伝わるのではないかと……。いっそのこと動画を撮ればよかったんじゃないかな…ささんが撮ってたので送ってもらう。送ってくれ。いや送ってくださいお願いします。

微妙にマイナーなどうぶつなので、通りかかるひとから悉く「なにこれ?ねこ?」「ま、まぬ…る…ねこ?」「へんなかおー!」と言われていた。しかしそんなひとたちも皆「こねこかわいー!」と言っていた。ふふふ、そうだろうそうだろう。ひとりこにくらしい小僧が「なんでふつーのねこが動物園にいんのー?ふっつーのねこじゃん!」と言っていたがなんだこの野郎(アウトレイジ)ふつうじゃねーんだよ準絶滅危惧種なんだよこのねこはようと心の中で呟いた。

と言う訳でまたすぐ観に行きたいです。だんだん親たちに似たヘンな顔に育っていくんだろうなー(笑顔で)その過程も見たいわん。

閉館迄の残りの時間、駆け足でコビトカバやアルパカやカリフォルニアアシカ(こちらも生まれたばかりの赤ちゃんが見られたよ!もう外に出てきてた)、キリンやゾウやゴリラを見ました。鳥もいっぱい見た。夏の動物園は過酷でしたが(もうぐったり)楽しかった。



2010年06月26日(土)
能楽堂、現美、のらくろード

■至高の華 新作能楽舞踊劇『鷹の井戸』@国立能楽堂
イエーツの原作。村上湛脚本、梅若六郎演出、ドラマトゥルク野村萬斎。出演は梅若玄祥、譚元元、森山開次。
能楽師とバレエダンサーとコンテンポラリーダンサーの共演で、内容的にも古典能楽より判りやすく(予習等せずとも展開が伝わりやすい)面白く観れました。摺り足基本の日本の舞と、トウシューズの音(バレエを初めて観た時に驚いたけど、この音ってかなり大きい)を響かせ乍ら跳躍するバレエダンサー、肌の露出もありで身体の美しさを見せて踊るコンテンポラリーダンサーの違いも楽しめました。
演奏陣に一噌幸弘さんがいた(笑)知らないで行ったので得した気分。一噌さん最近『能楽現在形』に出演されていないけど、やめちゃったのかな。ちょっと前から話題になっているけど、公式なコメントは出ていない。

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予想していたより上演時間が短く14時過ぎには能楽堂を出たので、6月27日迄展示されている(と思っていた)山川冬樹『the Voice-over』@東京都現代美術館に行くことに。辿り着いたら長期休館中。展示は20日で終わっていた。「えええ!?」と叫んだら近くにいた知らないお兄さんが「(美術館内の)レストランはやってますよ!」と教えてくれた……。があーん常設とは言え展示替えがあるので、次いつ観られるか判らないんだよ…ショック。

そういえばここ所蔵の上田薫『なま玉子』もずーーーーーっと展示を待っているのに、出ているのに遭ったことがない。調べてみたら2007年『びじゅつかんたんけんクルーズ』でこどもは観られたみたいですね…いいな……。しかしここにあるの、『なま玉子 B』だったと思うんだけど、画像を観る限り収蔵庫にあるのはBではないな。どうなってるんだ…。このシリーズ沢山あるからわけわからなくなる。
(追記:『なま玉子 C』も所蔵しているようです、となると画像に写っているのはCだな)

・参考
光と緑の美術館『上田薫展 流れ移ろう瞬間の姿』(2000〜2001年)
この街・あの人・どんな顔:上田薫(2003年)
光と緑の美術館『上田薫展II 知られざる小作品たち』(2005年)
現美に出るのを待ってないで、遠出でも展示されてるところを調べて追っかけるくらいでないとずっと観られないかな。はー。

いきあたりばったりで出かけたので、高円寺から移転した無人島プロダクションの新スペースSNACの場所も判らない。こういう時に携帯を持っていると便利な訳ですね。結局教えて頂いたレストランには行かず(また今度ね)清澄白河周辺をうろうろ、Sacra Café.で休憩。ここのロールケーキ大好きなんだー。

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散歩がてら道もよく判らぬまま森下方面へ歩く。そういえばここらへんにのらくろードってのがあるんだよね、と話した直後、のらくろの絵が沢山飾られている商店街が視界に。あ、ここやん。両国に勤めていた頃ちらっと通ったことがあるだけで、ちゃんとお店を見るのは初めて。わーい。

正式名称は高橋のろくろードと言うそうです。各店でのらくろグッズも売ってる、うぎゃー。プリントじゃなくて刺繍でのらくろの絵が入ってるトートバッグがあまりにもかわいかったので衝動買い。帽子屋さんで買ったんだけど、そこのおばあちゃんが「初めて来たの?どこから来たの?」と訊いてきて、いろいろ教えてくれました。のらくろ館ってのがあっちにあるわよ、と言われる。その時点で19時前だったのでもう閉まっているかなと思いつつ、ふらふら行ってみることに。しかしラッキー、区の文化施設(こういうとこ結構遅く迄開いてるよね)内のその場所は21時迄開いていたのでした。地元の吹奏楽部の練習曲が聴こえる。

場所柄か、マンガにちなんだイヴェントもよくやっているようです。明日にはマンガ講座で永井豪さんが来場するそうで、ロビーには『デビルマン』のコミックスや関連グッズが飾られていました。

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■田河水泡・のらくろ館
思えばのらくろってちゃんと読んだことがない。でもあの“のらくろ”ってキャラクターは知ってるし、なんだか親しみもある。のらいぬで、二等兵なんだよねー。田河さんの年表とともにのらくろ年表もあって、実はのらくろは退役の時には大尉になっていたのだった。ええー!最後は喫茶店の店主だったそうですよ。えええーー!!やだちょっと、楽しい!
戦前に描かれたものは検閲にもあったりしていろいろ大変だったようです。原画や当時の単行本等もあって、小さいスペース乍ら濃い、楽しい。改めて観ると、フキダシの形とか動きの表現とか、デザイン的にも非常に面白い。歴史を辿れば田河さん、マヴォ(前衛芸術集団)に参加されていたそうです。これは知らなかったー。
お弟子さんや影響を受けたひとたちの並びがこれまたすごくて。長谷川町子さんのことは知っていたけど、杉浦茂さん、滝田ゆうさんもそうだったんだー。そして山根青鬼・山根赤鬼…どっかで……と思っていたら、青鬼さんの方は『名たんていカゲマン』を描いたひとだった。お、憶えてる!!!小学○年生とかで読んでた!
田河さんは90歳になった1989年、のらくろを忘れないでほしいとマンガ執筆権を山根兄弟と永田竹丸さんに継承し、その年のうちに亡くなったそうです。赤鬼さんも今は鬼籍に入られている。のらくろと聞けばあのいぬの顔がぱっと浮かぶように知られ続けてほしいな。

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予定外のことばかりでしたがなんだか楽しい一日でした、ささん引きずり回してごめん。のらくろードまた行きたいなあ。



2010年06月23日(水)
『2番目、或いは3番目』

NYLON100°C 35th SESSION『2番目、或いは3番目』@本多劇場

土日曜日の公演が全然とれず、平日ではこの日しか行けそうになく。初日開けて3日目のナイロンに行くと言う暴挙です(笑)。いやでもちゃんと観られるものでしたよ…ってそりゃあたりまえか。

ただ今回、なかなか難しい。いや、面白かったんですけど、その物語の奥にはまだ何かあるんじゃないか?と思ってしまう。初見の作家の作品だったらこりゃすごい!と思うだろうけど、ケラさんならまだ突っ込めるんじゃないかな…と思ってしまうのは贅沢だろうか。そして最後迄どちらに着地するか判らない緊張感があります。幕切れには納得出来ますが、その過程が、時間切れでこうなったのか、ケラさんに迷いがあるのか、迷いを抱えたまま終えることこそが大事なことだったのか。うーん、両方かな?それとも幕切れはああだと決めていて、過程を書いていくうちにああいったものになったのか。ここらへん上演を重ねることで変わってくるかなあ、後半どうなっているか気になる。

取り上げられているモチーフもてんこもりで、あーケラさん書きたいことが沢山あったんだなあとは思うけど、それがなんか…取り上げて、それから?と思ってしまった部分も多かった。ひとつひとつのシーンは面白いんだけど……。登場人物はそれぞれ傷を抱えていて、その弱っているところにつけこまれて酷い目に遭ったり、病的な自分に気付けなかったりするんだけど、その仕組みにもうちょっと突っ込めたんじゃないかなーと…ううーん贅沢?峯村さん演じるダーラがキャンピングカーでやっていたこととか、小出くん演じるジョゼッペが何をしていたかとか、その辺りをもうちょっとだけ見せてほしかった。想像で補完は出来るけど、でもやっぱりもうちょっと。で、ここらへんは省略されているのに、屈託ない会話が脱線する様が執拗な程繰り返されると言う、一時期気になっていたところがまた出てきちゃってたなー。前にも書いた憶えあるけど、そこは5回じゃなくて3回でいいんじゃないかな、3回じゃ判らないだろうって観客を信用してないのかな、と思わせられてしまう。いや、面白い、面白いんですよ。でも。

それでも最後の老夫婦の台詞と後ろ姿を観ると、ああ、こうやって生きていくものだよなあ、と微笑んでしまったのも確か。ちょっと『ナイス・エイジ』に通ずるところもありました。

と言えば大倉くんが今回久々に炸裂しており、『ナイス・エイジ』でのアホ長男ばりでした。もう頬骨が痛くなる程笑った…「なんなのこのひと?次何するか読めない!」と言ったヘンな緊張感が客席に漲っていた(笑)。で、笑いとともに「えええ、このタイミングでそんなこと言う?そんなことする?」と言ったどよめきも。もはや名人芸の域…これはナイロンでしか観られない!こんな怪物の受け皿はそうそうないよ……。外部での大倉くんもいい仕事するんだけど、こんだけ壊れた役は他では観られないです。なんだろう、ナイロンのひとたちって皆巧くて演出の意図(台詞の間とか)を汲み取った計算され尽くした演技も巧いんだけど、そしてそれは峯村さんが言っていたように訓練の賜物でもあり、ナイロンの強みでもあるのですが、大倉くんはそこに留まらないと言うか…時々そこから逸脱するように見える面白さがある。ナイロンなのにそれはアドリブなのか?ケラさんの書いた言葉を喋ってるのか?と思うことすらある。それが舞台上ですごく活きる。そして187cmが八百屋舞台から転がり落ちそうになるシーンは、演技だから落ちないだろうと思いつつも最前列だったのでひいっとなった。

峯村さんの演じる悲しみと諦めを抱えた女性像にはいつも心を動かされる。松永さんが今回イヌコさんと同世代の役、しかも久々?のいいやつ!よかった!村岡さんの娘っぷりもすごくよかったなあ。長田さんは老け役が板についてる(笑)。三宅さんは幸せになってほしいと思わせられる、そしてこのひとが喜んでるとこっちも嬉しくなると言う役がホント似合う。本人の明るいキャラクターによるものかな。ゲスト陣のバランスもなかなか面白かったです。マギーと緒川さんは慣れたもの、小出くんと谷村さんはちょっとまだ探り合いと言う状態か。

以下ネタバレ。

通過の物語でもあります。場所も通過するもの、家族のありようも通過するもの。政府から捨てられた地域。自然災害か、戦争か、もしくは何らかの実験の弊害か事故か(チェルノブイリもちょっと連想された)で廃墟のようになり、その中で日々の暮らしを続けるひとたち。「酷い」環境で暮らすひとたちに善行を施すことで自分の存在意義を確認したいひとたち、前の場所にいられなくなったが故に移動してきたひとたちが救助活動にやってくる。いちばん酷いのは自分たちではない、もっとつらいひとたちを助けてあげなければ。そこで安心を見出すのは、自分たちは「2番目、或いは3番目」に酷い目に遭っている、と言った相対的なもの。彼らは身を寄せ合って、お互いを必要とし、お互いを憐れもうとし、必死で生きている。

一幕目が終わった時点では、ああこりゃ後味のわるいものになりそうだな、と思った。終盤になるにつれ思わせぶりな演出が増えていき、同時に他愛のない会話は続き、ここでゲラゲラ笑っていても次の瞬間に絶望的なことが起こるのではないかと言う不安が湧く。よって自分の感情を素直に出せなくなり、どんどん無表情になる(笑)。この地域はガスの実験場になりました、数日後から実験は始まります、と言っているのに、舞台上にスモークが流れ始めたので「まさかもうガスが撒かれ出していて、全滅?」「一刻も早く皆この場を離れてほしい」と言った心配でおろおろし乍ら観ていました。この手の演出はケラさんよく使うんですが、今回はまんまとやられたなー。それも楽しめたと言えばそう。

問題を沢山抱え乍らも、膠着から脱け出すことを選んだひとたち。そして言わない優しさより言う優しさ。最後の最後迄ケラさんは迷ったのだろうが、老夫婦の会話に未来を託した。それは心に火が灯るようなものだった。どんな時でも、どんなことが起こっても、この強さが人間にはある、それを信じたい、と思った。



2010年06月22日(火)
よみもの

■『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子
偉大なマンガ家たちは、どんな父親だったのか?家族にしか見せない顔、家族が知らない顔。三人の娘たちが語ります。
最近読んだ大森立嗣さんと大森南朋さんの対談で、「小さい頃は自分ちのことしか知らないからこんなもんだと思ってたけど、だんだん『ウチは普通じゃないんだ…』と言うのが判ってくる。ともだちの家に遊びに行って、『ごはん食べていきなさい』なんて言われた時とか」なんて話が出ていたなあ。小学生の南朋さんが、白塗り半裸で踊る『はたらくお父さん』の絵を提出したら、お母さまが学校に呼び出された話は有名ですね(笑)。
沢山の連載を抱えていた大人気マンガ家の家には、多数の編集者がひっきりなしに出入りし、原稿があがるのを待っている。るみ子さんのお兄さん・眞さんが、原稿が間に合わなかった腹いせに編集者からいじめられたり池に突き落とされたりした、と言うエピソードには戦慄。りえ子さんがお父さんの彼女と海外旅行に連れて行かれた話も、本人淡々と喋っていますが、淡々としているからこそ当時その場の冷たい空気が想像されて複雑な気分になりました。悲しいとも腹立たしいともつかない微妙な気持ち。
反発もしたけれど、ふたりは偉大な父親を尊敬し、その作品を後世に伝えるために日々活動している。悦子さん家は確執もなく、お互いマイペース(と言うか達観してる?)に過ごしているようにも思えました。いちばん屈託なく楽しめたのは水木家のエピソードだったな。
それにしても普通って言葉はややこしいな。こどもたちからすると、そのお父さんしか知らない訳で、となるとそれがあたりまえ。暮らしていけば、それが普通。

月末にはりえ子さん著の『バカボンのパパよりバカなパパ』が出るそうで(ちょー突貫スケジュールで祖父江慎さんがデザインされてます)こちらも読んでみようかな。長谷川町子さんと言い、最近マンガ家の思い出話がやたら気になっている。

■『荒野へ』ジョン・クラカワー
映画化された時買ってそのまま寝かしていて、やっと読んだノンフィクション。これもある種家族の物語で、アラスカの自然の中で餓死した青年の足跡を丁寧に辿ることで、彼の家族の歴史も暴かれてしまう。青年の死後、マスコミに騒がれ、秘密を世間に広くばらまかれることになった家族の心情をも考えさせられました。ちょっとしたボタンのかけ違い、ちょっとした事故。それが取り返しのつかない別れを生んでしまう。複雑に絡まった糸は誰にもほぐせない。時間が解決出来たかも知れないが、青年にはもうその時間がない。
登山家でもある著者は、途中の章で、結構な頁を割いて自分のことを書いています。そのことが青年への共感、本を書くことの動機にもなっていたように思います。出て行くひとを止める権利は誰にもない。結果起こったことを愚かだと嘲笑することも。

■『告白』湊かなえ
いやー…面白かったと言うと語弊があるか?エンタテイメントとして読みました。彼らのその後に思いを馳せると言う作業はしない。こういうことが起こらないようにと祈るばかり。
もともとは最初の章一遍だったものが評判を呼び、その後の章を書き足したそうなので、ちょっといびつなところもあるような。でもそのいびつさこそが、善悪を抱えた人間の曖昧なところなのかも知れないな。
映画も気になってます。中島監督だし、エンディングデーマがレディオヘッドだし(ハマりそー)。

■『ジャパニーズ・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』中込智子 監修
US版UK版に続いて日本版が出ました。90年代、2000年代のバンドを相当数フォローしてあるのがいい。ブラフマンのトシロウさんが鼎談で話していたことは悲しいけれど多分真実で、でもだからこそ、音楽はいつでも傍にあって、誰でもアクセス出来るものであってほしいと思う。
遠藤ミチロウさんのインタヴューも面白かったなー。そしてミチロウさんや戸川純ちゃんを舞台に起用し、曲の引用も印象的な蜷川さんのこともいろいろ考えた。
個人的にじんわり来たのが、上田現の『Atlas』が紹介されているところ。リリースされた事情が事情なので、近しいひとやファンの間でしか聴かれないかも知れないとちょっと思っていたのです。このレヴューをきっかけに、上田現を、レピッシュを知らない若い子たちが彼らの音楽に触れてくれたら嬉しいな。中込さん有難う。

■『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア
いやっ、これっ、大人になって再読してよかった!ちっちゃい頃に出会ってよかった!とも思うけど。いやもう爆音映画祭に感謝するわ…いいきっかけで思い出させてくれた……。
ひとが死ぬのは避けられないことで、あたりまえで、“そういうものだ”。亡くなったひととの別れ=喪の仕事は、何度もそういう場面に遭うことで、どう対処すればいいか身体が憶えてくる。でも、それに慣れることはずっとない(とスズカツさんも言っていたなあ)。ただただ抵抗せず、流れに身を任せる。すると故人の遺したものや出来事に、安らぎを見出せるようになってくる。それはある種の信仰のようなものだが、対処を知っていることが救いになるとは限らない。それでいいんじゃないかな、との思いを再確認。



2010年06月19日(土)
『星新一展 ―われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア。』

『星新一展 ―われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア。』@世田谷文学館

読んでは忘れていくショートショート、ずっと忘れられないショートショート。星さんのショートショートは随分読みました。好きな世田谷文学館での開催、しかもここのサイトによると初の展覧会だそうで。そういえばどんなひとかはあまり知らない。いい機会だと出かけてみました。

4セクション。第一章の『親愛なる家族へのレクイエム』では、父(星製薬創業者)や祖父(人類学・解剖学のパイオニア)との関係等、星一族の歴史をかなり深いところ迄。スペースも随分割いていました。初めて知ることも多く興味津々。作家になる前…御曹司としての、大企業の跡取りとしての星親一。この歴史が、SF作家星新一へ大きく影響しているのだなあとううむと考え込む。しかもかなり資料残ってんのね…星さんのちっちゃい頃描いた絵とか作文とか迄。や、やっぱいいとこの子……。

第二章からはSF作家の星さんについて。カバー画や挿画を手掛けたふたりのよきパートナー、真鍋博さんと和田誠さんの原画も!真鍋さんの『ようこそ地球さん』の原画すっっっっっごい綺麗だった。しかもサイズそんなに大きくないのね…文庫で見たのが初めてだけど、その1.5倍ってとこ?すっっっっっごく細かくて色も綺麗!線画に色指定の版下原稿もあったんだけど、この指定もすっっっっごく綺麗で細かい字で書いてあって、真鍋さんの繊細さが表れてた。ちょっとここ、感動して身震いしましたよ。そして真鍋さんが1970年代(だったかな)に描いた21世紀の絵がまたよかった…星さんのテキストと、想像からこんだけ“今”の絵を描くなんて。あー、真鍋さん2000年に亡くなったんだよね…あとちょっとだったのに。21世紀を目にしてほしかった!和田さんの線画も和田さーん!としか言いようのない線で感動した…いやあ、ここで観られるとは。思えば切っても切れない関係だよねえ。観られて嬉しかったー。星さんネタが出て来る手塚治虫さんのマンガ原稿も展示されていました。異星人の名前がボッコちゃんだったり、台詞に「俺は星新一が好きだ」と出てきたり。

それにしてもビックリしたのは、初公開の膨大な構想メモ。小さな紙片に小さな字でみっっっっっっっっしり。読めねえ!くらい小さい。星型シールを貼った拡大鏡(ナイス)が置かれていて、それでかろうじて読める感じ。「ケシゴム光線」とだけ書かれたなんじゃそりゃ?てなものから、「正ギを売る会社」と言ったハッとするもの迄。そしてその紙片は、サイズも形もバラバラ。浮かんだアイディアを忘れないうちに片っ端から書き留め、その後スクラップして整理していたのかな。かーなーりーの量あったんですが、これでもごく一部だったそう。1001話のショートショートの影にはこれだけのアイディアがあったのですね…もう気が遠くなる。

そして世田谷文学館名物?のお遊びコーナー。ボッコちゃんバーが設置されていました。NHKで映像化された時のボッコちゃんキャラクターと、星さんの等身大書き割り。そして和室ブースでは、ある日の星さんたちの会合が行われたおそば屋の再現。ちゃんとおそばとかどんぶりものの食品サンプル迄置いてあるの(笑)。ここウルトラマン展の時はセブンとメトロン星人が卓袱台囲んで話をするシーンを再現してた(笑)けど、文学館ならではの固定展示ですよねえ。毎回使い道があるのでしょうが、それにしてもいつも面白いの考えるなあ。床面には星さん画の“ホシヅル”(かわいい)がぽつぽついて、踏んづけてしまわないように気を付けて歩く。

近年NHKでも映像化され、再び注目が集まっているようでもあり、ずっと愛され続けてきたようでもあり。物販コーナーにあった『ボッコちゃん』文庫(1971年初版)は95刷。忘れて、また思い出して、また読んで忘れてしまう。それでも星さんのショートショートを読む時のワクワクする気持ち、楽しい気持ちはずっと心の中に残っている。バッドエンドも多かったのに何故だろう?そのヒントは、この展覧会のサブタイトルにもなっていた「われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア。」に隠されているのかも。この言葉には勇気づけられたなあ。

そういえば最相葉月さんの『星新一 ―一〇〇一話をつくった人』もやっと文庫になったんだった(単行本の分厚さと内容が重そうなことに二の足を踏んでいた)。上下巻に分かれていれば持ち歩きやすいし、読んでみよう。

世田谷文学館での催しの宣伝美術、最近毎回格好いいんだよなあ。誰がデザインしてるんだろう。次回はサザエさん展だそうです。



2010年06月17日(木)
『AT HOME AT THE ZOO』初日

『AT HOME AT THE ZOO』@シアタートラム

初演された1959年(1958年発表、1960年NY初演)から約半世紀。エドワード・オールビーが『動物園物語』に新たな一幕を書き加えました。その『ホームライフ』と『動物園物語』を一挙上演する『アット・ホーム・アット・ザ・ズー』の日本初演です。キャストはピーター:堤真一、ピーターの妻アン:小泉今日子、ピーターが公園で出会う青年ジェリー:大森南朋。演出は千葉哲也、翻訳は徐賀世子。休憩なしの二幕通しで約1時間50分。

『動物園物語』は翻案含めいちばん回数観ている舞台で思い入れも強く、この中で描かれている問題を一生考え続けていくだろうなと思っているくらい個人的に重要な作品。しかも鳴海四郎訳が頭に染み付いている(笑)。新訳で、所謂エピソード1が付け加えられ、キャストも豪華。期待しない訳がない。同時に不安もいっぱい。しかもジェリー役に大森さん。願ったり叶ったりで嬉しい反面、“あの”長台詞がどうなるか心配でもあった訳です、失礼乍ら。

結果は、すごく面白かった。しかもラストの解釈が今迄観たものと違ったふうに感じられたのは初めてでした。『ホームライフ』が付け加えられたことによってピーターの言動に根拠が生まれ、不条理劇の代表的作品と言われる『動物園物語』の謎が少し明かされたように思われました。実際『動物園物語』は不条理劇ではないと言う意見も多く、さまざまな解釈が提示されてきましたが、今回オールビーからヒント(答えではない)を与えられたことによって、いつ迄も古びないこの作品への想像力が更に拡がった。そして謎が明かされることでまた新たな謎が生まれた。人生を通して向き合っていくことが出来る、深く強い作品だと思います。

そしてその新しい解釈を感じ取れたのは、演じたひとたちの力に因るところも非常に大きいと思います。アンの苛立ちと覚悟、ジェリーの焦燥と偶発的な衝動に向き合ったピーター。彼らは、決して植物ではなく動物であり、血の通った人間として舞台に立っていました。八割は性的なことに関する台詞かな。夫婦だからこそ気さくに?話せる身体の悩み、初対面だからこそ話してしまえる性的嗜好。言葉で発するには及び腰になりそうな事柄を、ごくごく自然に口にする登場人物たち。一幕も二幕も密室的な色合いが濃く、ふたりの会話は他者が決して聴くことがない筈のもの。観客は舞台で起こることを覗き見している感覚です。だから演者は客席を全く意識しない、視野に入れない。これが徹底されていた。これあたりまえのようだけどなかなかないもんですよ…。生々しいのにエロくない。しかし不安定な空気が常に漂っている。性的な会話をしているのに、そこに確固としてあるのは人間同士のコミュニケーションとは何か?と言うもので、相手を尊重する努力と寛容さと諦めが色濃く反映されていました。絶対理解し合えない、でも触れ合えるところは少なからずある。そこに自分を落ち着かせる。小泉さんがすごくよかった。気付けば小泉さんの出演舞台11本中8本観ているが、今回の役には共感するところが多々あったし、いちばん好きな役だな。妻、母、女と言う役割を演じる=生きるアン。

ひたすら受け身役の堤さんですが、『アット・ホーム・アット・ザ・ズー』はピーターの物語でもあります。二幕通しで出演するのは堤さんだけ。『動物園物語』で、何故ピーターはジェリーの話を聴き続けたのか?あの場を離れるチャンスは何度もあったのに。逃げることも出来たのに。その火種が『ホームライフ』で描かれています。堤さんはピーターの心境の変化、喚起された感情を抑制した演技で体現していました。夫、父、男と言う役割を無意識に演じていた=生きていたピーターは、それに自覚的にならざるを得なくなります。彼がどういった経緯で「セックスは上手いがファックではない」性行為をするようになったのか、と言う理由(多分アンは納得していないが。そして逆にこういう性格だからこそこうなんだ、と思っただろうな)もピーターの心根を表すもので、好感が持てた。ここにも相手を思いやる努力と寛容さ、そして優しさ。そしてこれをいや〜な感じにさせず、あーそりゃそうなるか、と思わせられてしまうピーター像を創りあげた堤さんすごい。アンとジェリーによって気付かされたことを抱え、ピーターはこれからの人生をどう送るのか。劇中いちばん心を寄せたのはピーターでした。

そしてジェリー役の大森さん。いやー……初めて見るタイプのジェリーだった。自分が観た中でいちばん落ち着きがない(笑)、次どう動くか読めないジェリー。あまりにも読めないのですっかりピーターの当惑にシンクロしてしまいました。そして現代っ子な感じがした、21世紀のジェリー。ここでまた『動物園物語』の強度を思い知らされることになりました。気付かせてくれた大森さんに感謝、すごくよかった。決して台詞をそのまま言っていない(と思われる)んだけど、それはジェリーの言葉を自分のものにしていると言うことで、ここ迄行くともうジェリーが言っているようにしか見えない。ひとと話したい、ひとと向き合いたい繋がりたいと言うジェリーの必死さ、切実さと、それがうまく出来ない自分への焦りと怒りが秒単位で入れ替わり顔を出す。とにかくせわしない。その痛々しさがひとを、ピーターをひきとめる。『ジェリーと犬の物語』の長台詞は、伝えたいことがあるのに言葉でそれを表現しきれずもがくジェリーの悲しみが凶暴な形で投げ出され、観ているのがつらい程でした。そして最後のあのシーンで観客に笑わせたジェリーも初めて観たよ…すごいな、あのカラッとした言い回し。自分に起こった出来事をひとごとのように捉えつつ、しかし自分の行く末をしっかり見つめている。

演出は正攻法、一幕での音楽の印象が強過ぎたようにも思います。しかし、台詞=言葉でストーリーを伝えようとする姿勢がしっかりあり、言葉でのコミュニケートに四苦八苦し、自分の思いが伝えられず困惑する人物を描くオールビー作品への敬意、誠実さが感じられました。ピーターとアンの家からピーターが出かける公園への転換が面白いアイディア。天井が高めでスコーンとしているシアタートラムの空間がよく活かされていました(美術:松井るみ)。

性的な台詞はどうにも身体から離れられない生物だからこそのもので、生殖にも強く結びついている。オールビーはそれを愛に着地させようと書き続ける。言葉と言うツールでしかコミュニケーション手段を持たない人間が、生きるための営みを人生と呼び、それを愛に結びつける。愛って何だろう?人間はどうして愛なんて言葉を発明したんだろう?オールビーは獣姦も俎上に載せる(『山羊 ―シルビアってだれ?』)。人間同士でなくてもいい、いぬでも、ものでも。そうすればきっといつかは人間とも向き合える。一方的かもしれないその思いは、完全な幸せに辿り着けるのか?帰宅したピーターはアンに何と言うだろう。その後の人生をアンとどうやって生きていくだろう。今年82歳になったオールビーは、愛について考え続けている。

以下ネタバレ+小ネタ。

・性差別ってことではなくて、おとことおんなってほんっと違ういきものだわねとしみじみ。いやこれはどうしようもないって…認めざるを得ない。ホント身につまされる話ですよ……。どっちがいいとかわるいとかじゃなくて
・『ホームライフ』の装置、壁上方に丸い穴が開けられていて、照明器具が吊るされているんだけど、この穴が角度によって月にも見えた。で、月=女性の生理、を連想
・そんでふと、生理前の彼女がピーマンと牛肉を一緒に炒める匂いが嫌だと彼氏とケンカになるエピソードが書かれている村上春樹の小説のことを思い出したんだけど、タイトルが思い出せない…なんだったっけ、すごく気になる(追記:『ねじまき鳥クロニクル』だとTwitterで教えて頂きました。有難うございます!読み直してみようしかし三巻もある…どの辺りだ……)
・えーとだからあのアンの言動もそういうものに起因するんじゃないかなーと思ってみる。これ男性からすると「え?え?なんでその話?なんで今?」とかって思うんだろうなあ…はー。こっちからすると唐突でも何でもないんですよ(笑)
・ジェリーの最期、今観るとあの、半平太と共通するものが……あー、これの上演期間中に半平太の最期もオンエアされるんだよなあきっと。うわー
・おーもりくんは随分もっさりしており、おおきないぬ感満載。そんないぬキャラがいぬの物語を語るのでもうたまりません。たすけて!
・小泉さんがアイドルと言う職業を存分に活かしたあの声!で下ネタの歌を唄うんだけどこれが絶品!もうここ大ウケでした。80年代に思春期を過ごした世代は感動すること間違いなし

あーほんとつらい芝居だ。でも大好きなんだ。



2010年06月09日(水)
『1000年後の南米のエリザベス・テイラー』

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール結成5周年記念ツアー『1000年後の南米のエリザベス・テイラー』@LIQUIDROOM ebisu

5周年かー。なんだかあっと言う間だなあ。体調悪かったので20:15くらいに会場入り、DE DE MOUSEを途中から観る。これがすごくよくて!しまった、2曲しか聴けなかった……。ツインドラムとKey、Key+Macの4人編成、ブレーンらしき子(後で調べたらこのひとがDE DE MOUSEなんですね)が妖怪のような動きを…妖怪が誰のことを指すのかは察してください。アッパー、キラキラ、泣き笑いなメロディ、多彩な声の素材が強烈なビートとともに鳴らされる。うひーすごくよかった…また観たい。

続いて菊地さんのDJ、ノイズ、オペラ、トライバル、落語、あと近田さんとかエイフェックスツインとかかけたりしてた。ニヤニヤ。

21時過ぎにPTA登場、ううーん、現時点で今年のベストライヴ。『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』は傑作だと思っていますが、これがライヴで聴く度にますますすごくなっていくと言う…『南米のエリザベス・テイラー』(これは菊地さんのソロ名義だけど)『野生の思考』『記憶喪失学』の楽曲もそうなんだけど。

今回は鳥越さん(b)がむちゃ打って出た、と言う感じで、ソロでもリフ提出でもすんごい動いてました。明らかに今迄とは違うフレーズを大盤振る舞い、ちょっとでも油断したら楽曲自体が崩壊してしまうキワキワ。それに乗ったのが林さん(pf)で、この日のふたりはおおお!?と思う場面が何度もありました。吉田くん(1st vln)もだけど、血気盛んな若者(笑・皆さん見掛けも演奏もクールなんですけどね。しかしこう呼ぶのがいちばんしっくりくる)が走り出すとますます楽曲のテンションがパツパツになり、隠れていた可能性が発掘され、どんどん化けていくのです。曲がいきものになった瞬間を目の当たりにする衝撃。ゲストの林正子さん(sop)も、ちょー難しい上に毎回変わるオケをバックにエネルギッシュな歌を聴かせてくれ、ソロが終わった時わあっと拍手が起きました。おっしゃよく唄いきった!みたいな(笑)。それに応えてガッツポーズをとる林さんやはり男前。登場時には投げキッスもなさって素敵ー!菊地さん曰く「ミドル級チャンピオン」、酷い。立岩潤三さん(tabla)もまた参加してくれ、「国が国なら殺されかねない」クラシックとアラブ音楽を同時に披露。

そんなギリギリの感じだったので、楽曲がグラッとなる場面がちょこちょこあったんです。なんかもーあれよ、新しい展開、リフを与えられたことで曲が暴れ馬のようになってしまい、乗りこなす方も必死、みたいな。「Killing Time」(それにしてもこの曲どんどんBPM速くなってる(笑)それがまた格好いい)の後半、大儀見さんと田中さんのpercの掛け合いから弦4人のリフに戻るところ、バラバラッとなってかなり危なかった。しかしこういう時こそ盛り上がるんだなー。思わず「が、がんばれ!」と握りこぶし。菊地さんアンコールで「楢村さん(2nd vl)がセクシーな衣裳で吉田くんが狼狽してバラバラになりかけましたが」なんて言ってましたが(笑)、その後「演奏者のスキルが上がってきている」とも言っていました。そうなんだよ…あの速さ、あの展開、ハードルどんどん上げてるんですよね。それは今なら出来る、と言う確信があるからで。オペラにポリリズム、不協和音にマンボのリズム。音の怪物が立ち上がる。狂乱のフロア。

CDJ入れたのって今回が初だっけ?DCPRGでは菊地さんはsaxを吹かず、NKDSでは指揮をしない(最近ではちょこちょこキュー出してるけど)、歌も唄わない。今のPTAはそれが全部入っている。「Killing Time」のあの展開ってDCPRGで言えば「Circle/Line」〜「Hard Core Peace」のあの流れの系譜だと思うんですが、しかしDCPRGとはやっぱり別もの。ジャンルレスと言えば八方美人みたいだが、それとはまた違うんだ…なんて言えばいいんだ……。強いて言えばダンスがキーワード。この日のリキッドは、ゲラゲラ笑っている隣でひとが倒れるかもしれない緊張感があって、いつ迄もこの時間が続いてほしいと思いつつ今死んでも後悔はないやと冷静に思えて、汗だくで踊っているのに頭の中には言葉が溢れ返る、キリキリと冴え渡るような涼しさがあった。狂ってる。こういうことはダンスフロアでしか、ダンスに特化した場所でしか起こらない。この、ダンスフロアを信じきっているひとたちが作る空間にいられたことを幸運に思う。

だから、「オルケスタのコンディションが絶頂期にある状態」の今こそライヴ盤出してほしいんだけど、あの狂った空気迄パッケージするのは難しいだろうなあ…と言う気持ちもある。リスナーは贅沢で自分勝手なもんです。

カメラが入っていましたが、「DJブースにメガネを忘れてきて楽譜が見えなくて危なかった」「カメラが入るといつもなんか起こる。大体新規の皆さんはまずYouTubeとかでチェックするんでしょうが、そこに上がっているのは不都合なものばかり」(笑)。MCも久々に冴え渡り、オンエアの時絶対カットされちゃうんだろうなーと言う舌禍マンオブジョイトイの面目躍如でしたよ…最近ここらへん鈍ってたように思うので(苦笑)ちょっと心配していたのですが。いろいろね、世の中面倒くさいもんね。「酸欠なんでおかしいこと沢山言ってますが」って、それが標準でいいです。

で、もうベラベラとインチキ発言を繰り広げて最高だったんですが、その流れで「今日この場所にいる皆さんが私の最大の理解者です」って、こういうフロアへの忠誠みたいな心意気をぽろっと零してくれちゃうところがまたニクい。グッときちゃいますよ…。「優しくて泣き寝入り、素晴らしい国ですね」(名言)。

2時間超、PTAでは最長のライヴだったと思います。楽しかった。DCPRGもそうだったけど、いつぱっといなくなるか判らない。だから毎回観に行く訳じゃない。いつでも最後だと思って観に行っている。次があればそれは必ず更新されている。停滞すれば終わるだけだ。1000年後のエリザベス・テイラーはどうなっている?

(セットリストは後で載せる予定)

セットリスト
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01. 導引(タケミツトーンで)
02. OST組曲(はなればなれに - 映画「アルファビル」〜悲しきワルツ - 映画「バターフィールド8」〜バターフィールド8のテーマ)
03. 京マチ子の夜
04. パリのエリザベス・テイラー(cd-j添え)
05. アリア 私が土の下に横たわる時〜オペラ「ディドとエネアス」より(パーセル(ディドとナンシー))
06. 行列
07. 大天使のように
08. 嵐が丘
09. キリング・タイム
10. 組曲「キャバレー・タンガフリーク」3)儀式
11. ルペ・べレスの葬儀
12. 映画「8 1/2」〜 それから‥‥(ワルツ)より
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E1. メウ・アミーゴ・トム・ジョビン(わたしのともだちアントニオ・カルロス・ジョビン)
E2. 時さえ忘れて



2010年06月06日(日)
『甘え』

劇団、本谷有希子『甘え』@青山円形劇場

食わずぎらいを克服してみようと(…)水橋くんが出演するのを機に観に行ってみました。ああー、確かに面白かった…で、やっぱりこういうものを書くんだなーと言うのもわかった。食わずぎらいの勘と言うのはやっぱり信用出来るな(笑)。面白いんですけどね。

ダメ人間の面倒くささと滑稽さを徹底して描く。共依存のうざったさを『甘え』と言うタイトルに集約させ、それを徹底して突き詰めることで「価値観が変わったって言ってやる」ことが出来るか?

松尾スズキさんに師事、女優から劇作家へと活動をシフトした経緯等もあって、松尾さんの影響について言われていることも多々ありますが、大人計画の場合、そのダメ人間の面倒臭さを愛し憎む存在に迄消化(昇華とは言い難い)し、「人生とは神が仕組んだ長大な罰ゲームである。リアクションしてなんぼなのである」てとこ迄行くんだけど…うーん。

ただ、本谷さん本人は松尾さんの影響を指摘されることが嫌で一時期距離を置いていたけれど、最近「ようやく違うぞ、と余裕が出てきた」そうなので、その違いをこちらが探して行く作業も必要かも知れないなあ。この一本で決めつけるのも強引ですしね。ぬぬう、またの公演を観るかどうしようか……。

あとあれだなー、これに暴力が介入してきたらどうなるかな、と言うのも気になったところ。精神的なDVはオンパレードって感じですが(笑)殴る蹴るの暴力はガタイの良さが反映されますからね。そういう場合、女たちはどうするかなと。凶器を持つその前にどうするか。そういうとこ迄書くひとなのか。うーん書きそう……。で、そこ迄書いてほしいと思いつつ、書かれたら観るのつらすぎそう、自分が(甘え)。

そしてこの手の話は演者がホント巧くないと身も蓋もないものになってしまうと感じました。で、実際役者さんたちの力量のデカさを目の当たりにしたのですが(特に広岡さん。マジでめんどくせー女の典型!なのに時々真実をズバッと言う時の潔さと言ったら。ここらへん巧いひとがやらないと「おめーに言われても説得力ないわい」ってなるし)、本谷さんって演者が介入しない小説でも評価が高いひとですよね。ここらへんのマジックってどうなってるんだろう。小説も食わずぎらいせずに読んでみるべきか……。

と、うだうだ書いてますが、これも痛いとこ突かれた!って自覚があるからなんだろうなー。あれ私だ!みたいな。ぎゃー、いやー!(泣)

いやそれにしても広岡さんを筆頭に凄腕の役者さんばかりだった。安藤さんもめんどくせー女の役を演じることが多いけどホントかわいいよね。頭わるいって言うけど実はいちばん深いところを知ってるし。それを説明するを方法を持たないだけで。小池さんも今迄舞台で観たなかでいちばん魅力的だった!あのしゃくれ、忘れません!(笑)大河内さんは前半のダメ親父と後半のさびしがりやさんの二面性が見事で、ありゃちょっとぐらっとなるわな。なっちゃうとまた大変な目に遭うんですけど。水橋くんはああいうフラットにネジがはずれてる頭の切れる役やらせるとほんっと輝きますね。いやあ、素晴らしかった。ほめればほめる程水橋くん本人の人間性を疑われそうですが(笑)そこがやっぱり天性の役者なんだろうなと思います。やっぱりこのひとはマヤ気質だよ…恐ろしい子!

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』?みたいな演出もあり(逃避としての脳内音楽と脳内映像)、入口と出口が曖昧な家の構造も面白かったです。どこから出てもどこから入っても元に戻ってきてしまう感じ。はー、面白かった。はー、ヘコんだ。



2010年06月05日(土)
“BULLET SOUND”の『鉄男 THE BULLET MAN』

『鉄男 THE BULLET MAN』@立川CINEMA・TWO スクリーンC

“BULLET SOUND”で上映されるのはここだけ、と言うことで立川迄行ってきました。す、すごかった。

“BULLET SOUND”とは、立川シネマシティ独自の音響システム“KICリアルサウンドシステム”を使用したもの。音響設計、調整をサウンドスペースコンポーザー/井出祐昭氏と音響家/増旭氏が手掛けています。KICリアルサウンドシステムについては下記リンクで↓
・N氏の映画館『立川CINEMA TWOリポート』
・立川 シネマツー

もう冒頭のドーンて音からしてどひゃーてなもんで、その時点で笑けてきましたよ。以降ずっとニヤニヤが止まりませんでした。なんじゃこりゃーなんでこれをメインシアターでやらんのか!いや、KICリアルサウンドはここにしかないのじゃよ…そしてシネマライズは好きな映画館だし、もうすぐ縮小されちゃうし、『HAZE』を上映した映画館(ライズXでの公開だったけど、ライズ本館でも『ひな祭りだ!塚本だ!「HAZE」公開記念プレミアオールナイト』(笑)でかかったんだよ)で『鉄男TBM』を観られたことはとても嬉しかったんだけど……でも〜でも〜〜!

逆に言えば立川迄行った甲斐があった。上映後一緒に行ったささんと「ちょ、何これ!」「ぜんぜん違った!」「来てよかったー!」と大笑い。

単純に音がデカいだけでなくクリアです。潰れたり歪んだりしない。台詞が明瞭。終盤のアンソニーと“やつ”の追っかっけっこ、音が違う(=台詞がハッキリ伝わる)ことで随分印象変わります。特に“やつ”が「カウボーイ!」て煽るとこ、カウントダウンするとこ。ギャー!とかキャー!てな絶叫や悲鳴も音割れせず非常によく通ります(笑)。でもキンキンはしないの。耳の可聴領域にフルでズバッと入って来る感じ。ゆり子がアンソニーをはたく時に鳴るカーン、ゴ〜ンて音も非常に美しい。あと鉄化に慣れてないアンソニーが時々どんがらがっしゃんって転ぶんだけど、その音もいい!(笑)はあーたまらんー。

効果音、音楽との分離もハッキリしていて、同時に鳴っても台詞がちゃんと聴き取れます。音楽自体も分離が綺麗。下の層で鳴ってる細かい音もしっかり拾えます。NIN好きはEDテーマを聴くためだけに立川迄行ってもいいと思うで。

そして圧がすごい。「え、地震?隣のひとの貧乏揺すり?」なんて思う程椅子が揺れたんですが、その時間地震はなかったし、前にも後ろにもひとはいませんでしたよ(…)。隣がささんだったけど彼女は貧乏揺すりなどしていない。と言うか、ささんも「誰だよ貧乏揺すりしてんの!」と思ってたそう(笑)。

こちらが詳しいです。
・嗚呼、テレ日トシネマ−雑記−『やはり「鉄男 THE BULLET MAN」@立川シネマシティの音響はすごいことになってるらしい』
・嗚呼、テレ日トシネマ−雑記−『「鉄男 THE BULLET MAN」を観てきた(@立川シネマツー)』
このレポート素晴らしい…コメント欄で塚本さんのたこ八郎ヘアについて言及しているところも素晴らしい…愛だわー!そして震動はモノレールのせい?との感想に、コメント欄でシネマシティの方が「防音はしっかりしているので、モノレールの音は入りません」と答えています。となるとやっぱり音響システムによるものだったのか…す、すごい……。しかも「2週間では終わらせません。ご存知の現状にも関わらず、次週も3回の上映をキープしてみせます(笑)」って!愛だわー!!

いやー行ってよかった…行ってよかった。大事なことなので二回言いました。音にドップリつかることで、映画に集中没入出来ます。そもそも映画って入り込んで観るもんじゃん、携帯プチプチ打ち乍ら「かっけー!」「神!」とか実況して観るもんじゃないじゃん、携帯打てるだけの余裕がある程度の神なんていらんわ。……はあはあはあ、興奮して普段の怒りをぶちまけてみました。

自分以外のひとが近くにいても、そんなこと忘れるくらい一対一で向き合える。そんな環境で観ることが出来てよかったー。そして大変だろう状況の中、こんな環境を用意してくれたシネマシティさん有難う!

気になったので帰宅後調べてみたら、知らないうちに井出さんのお仕事には触れていたんだなと気付く。大平貴之さんのプラネタリウム『メガスター』の音響開発もしているし、行ったところも結構ある。『Dialog in the dark』の音も手掛けてらっしゃるんですね。
井出さんのサイトはこちら→・EL PRODUCE
著書『 見えないデザイン ―サウンド・スペース・コンポーザーの仕事』も読んでみようかな。



2010年06月04日(金)
爆音映画祭『スローターハウス5』

先週の土曜日にとれず、今回代休使って再チャレンジもまたとれなかった爆音映画祭『AKIRA』。きゃ☆代休突っ込む程気合い入れちゃって私ったらオタク☆はずかし〜い☆なんて思ってたくらいで、まさかとれないとは予想してなかった。なんなんだよ…皆平日になにやってんだ(自分のことは棚に上げる)……。おそるべし『AKIRA』ファン。いやーでもそりゃ観たいよね、爆音で『AKIRA』なんてさ!

…追加上映を期待しております……(泣)。

と言う訳で、本日は『AKIRA』とハシゴの予定だったこれ一本だけ観てきました。

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爆音映画祭『スローターハウス5』@吉祥寺バウスシアター シアター1

原作は中学生の時読んでいました。これで“ドレスデン爆撃”を知った。自分の生涯のさまざまな場面を行き来し続けるビリー・ピルグリムのストーリー。カート・ヴォネガット・ジュニアの半自伝的小説です。映画は初見。

めまぐるしく変わる年代、場所。テキストの場合は、章や段落が変わることでこちらの頭も自然と切り替えられるが、映画のそれは無軌道のスイッチバックのよう。しかも猛スピード。つんのめるビートのように異なる時間と場面が目と耳に叩き込まれる。これには振り回された。自分の意志で時間を行き来出来ている訳ではない(んじゃなかったかなー。途中から操れるようになったんだっけ?記憶が曖昧)ビリーの困惑にぐぐっと寄ることが出来た。これは映画ならではだなー。あっと言う間に引き込まれました。

そして映像だと、命があっけなく消え、あっけなく灯る様子がシンプルに伝わる。ダービーは勘違いと言葉が通じなかったことで撃たれる。キャディラックをあれだけ暴走させても無事(無事か?笑)病院迄辿り着いたヴァレンシアは、衝突による怪我ではなく一酸化炭素中毒で死ぬ。ビリーとモンタナの間に生まれたこどもは、いつの間にか産着に包まれ、母親の乳房に吸い付いている。ドレスデンの美しい街並は歴史とともに確かに土地に根付いていて、だからこそ攻撃などされる筈がないと誰もが思っていた。たったの二日間で、それは多くの命とともに失われた。

それが全て目の前で起こる。自分の意志とは関係なく。本のように閉じることは出来ない。この先どうなるか判っていても止めることは出来ない。ダービーにそれを拾ってはダメだと伝えることは出来ないし、展示物であるビリーとモンタナを祝福することも出来ない。ただただ観て、聴くしかない。静かに座っているだけなのに、これだけ心の中がかき乱される体験は滅多にないものでした。この強制力も映画の魅力。

ビリーが時間旅行を出来るようになった遠因(と言っても確定されてはいない)が飛行機事故なんだけど、そのエピソードが中盤に組み込まれていて、謎解きにもなる構成になっていたのが面白かったです。

そして今回の主旨、爆音。タイプライターのキーを打つ音、ドレスデンを死の街に変える爆撃音、グールド演奏によるバッハの「ピアノ協奏曲第5番」が耳に飛び込んで来る。静かな轟音、すみずみ迄響き渡る繊細な微音。素晴らしかったです。爆音映画祭にこの作品をかけてくれたことに感謝!

ぽつん、ぽつんと浮かんではうたかたと消える悲劇と喜劇。全てがユーモラスに描かれる。生命が生まれること自体奇蹟だし、その奇蹟は大概コメディになる。宇宙は神の箱庭で、人間にとってそれは見える所迄しかなくて充分だ。いつでも起こっている、居合わせるのは偶然でしかない。“自由意志を持っている生物”だとしても、選ぶことは出来ない。しかしビリーは出来ると言った。それを多くのひとたちに伝えようとした。ヴォネガットはそう書いた。

ううーん原作読みなおしたくなった。実家においてきた…買いなおそう。と、バウスシアターを出たその足でBOOKSルーエへ。おお流石サンロード商店街の連携力、爆音映画祭フェアをやっており、即原作が見付かりました。

もう会えないひとたちは、違う時間軸の中で生きている。当時出会えたことには感謝しているけど、この小説はこれからの方が支えになりそうだな。手放さないでおこう、傍においておこう。