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2010年07月31日(土)
『FUJI ROCK FESTIVAL '10』2日目

今年は土日参加。直前に悲しいことがあるわヘルペスも出てるわでフジ参加史上最低の体調と気分で行きましたがとても楽しかった。行ってよかった。

途中でダウンするのがいちばん面倒なので熟慮の結果諦めたアクトもありましたが仕方がない。と言う割に絶妙のタイミング連発で、遅刻したステージでもいちばん聴きたかった曲はバッチリ聴けると言う運のよさ。ラッキーだったなあ、運使いきった感じ。今年のこれからはもうなんもいいことがない気がするよ(笑)。

シャトルバスを降りるとうぐいすが鳴いている。しかもたどたどしいの(笑)苗場でこの季節にホケキョ聴いたの初めてだわ、どういう…環境が変わりつつあるんだろうな。しかし事前にかなり言われていた山ダニやブヨには遭遇せず、ハッカスプレーも使わずじまいでした。JOHN BUTLER TRIO(あーフジに来たーって音で嬉しくなる)、bloodthirsty butchers(吉村さん絶好調!ホワイトは轟音が似合う)、羊毛とおはな(スティングの「Englishman In New York」やってた)を横目で見乍らFOHに到着。

■OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND(FIELD OF HEAVEN)
最近気になっているJOHNSONS MOTORCARのマーティンが在籍するバンド。と言うので観に行ったのですが、ブラフマンのメンバーが中心の…と言った方が通りがいいのかな。初見。マーティンはヴァイオリンメインだと思っていたら、かなり唄うんですね!そして主にMCをするのもマーティン。トラッドな空気もありつつ激しい曲調もあり。初めてライヴを観たのがフジ、と言うシチュエーションもよかったです。

THEATRE BROOK(「ツァラトゥストラかく語りき」でスタート、アガる!)をちらっと観てオレンジへ。

■MORIARTY(ORANGE COART)
FOHとオレンジって距離が近いので、FOHで轟音系やっててオレンジでまったり系やってるとどうしても音が被ってしまうんだよね…と言う訳でシアターブルックに罪はないが佐藤さんのMC迄聴こえてしまう環境でまったりモリアーティ、うわん(泣)。しかし途中からはいい感じで聴けました。
プランクトンとこのバンドです。架空のファミリーバンドとは言え、何か皆顔が似て見える…ホントのきょうだいもいるんだっけか……?アルバムタイトル同様、不思議な国に迷い込んだようなシアトリカルかつコンセプチュアルなステージングでしたが仰々しい感じがせず楽しく聴けました。ミュゼットかな?やハーモニカ、ウッドベースとアコースティックな楽器を使い、その日その場所限りの演奏をふっとやってふっと消えてしまうような雰囲気。幻を見ているかのよう。
座って聴いていると、スタッフらしき女の子が単独公演のフライヤーを配りにやってきた。演奏中です、でもそういうとこもなんかよかったな。ほら、放浪バンドだから、その場でお知らせしないと会えなくなっちゃうかも知れないもんね。

さて下山するぞ。THIRD EYE BLIND(丁度「Semi-Charmed Life」やってた!)を聴きつつグリーンへ戻る。

■JAMIE CULLUM(GREEN STAGE)
フルで観ました。やはりセットリストは決めていないよう、その場でメンバーに声をかけ乍らグイグイ進みます。ちょっとコンディション悪かったのかな?序盤やりにくそうだったような…何度もスタッフにモニターの音あげてくれって指示出してたし。イヤーモニター使わないからね。しかしジェイミーにイヤーモニターは似合わないよね、と言うかホントはこのひとのライヴはPAを介さず生音で聴くのがいちばんなのだろうなあ。それくらいピアノと声が魅力的。最前で観たのでマイクを外して唄う生声もよく聴こえてよかったー。あーホントこのひとの声大好き。
初見のひとにも訴える緩急自在の演奏力と本人のキャラクターで、徐々にひとが増えて来た。オリジナルとカヴァーの配置も絶妙で、レディオヘッドの「High & Dry」では前奏が始まった途端わあっと歓声、続けて「Mixtape」でほろり。これライヴ映えするなあ。
やんちゃっぷりも炸裂しており、ピアノに飛び乗ってジャンプするのは勿論、ステージから降りてモッシュピット(フェンスはあるけど)迄走って行ってしまい、スタッフが慌ててました。
最後は即興で「Singing In The Rain」、リアーナの「Umbrella」を。途中MCで「フジって雨の印象がある」みたいなことを言っていた。ニクい!しかしこれで雨降り出したら困る!と思った(笑)。

22-20sを外から聴きつつちょっと腹ごしらえ。さあ10年振りのFISHBONEだ!

■FISHBONE(RED MARQUEE)
えーと今何人いるんだっけ…アンジェロとフィッシャーしかわかんねえごめん。つーかアンジェロ太ったな!なんかキューピーみたいになってる!(笑)あのしなやかさが減ってはいたものの、身軽なところは変わらない。演奏もユルいところと切れ味鋭い(特にホーン!)ところの緩急自在っぷりが素晴らしい。考えてみれば元祖ミクスチャーで、この音楽をやっている中ではベテランもベテラン。破天荒の中にも風格が漂うと言う唯一無二の存在感。紆余曲折を背負っている歴史をこんなにも軽やかにポジティヴに見せてくれる。いろいろ思い出して、すごく楽しいのにやたら涙が出る(ここらへんから涙腺が異常に緩くなる)。やっぱりレピッシュのことも思い出しちゃったな。テレキャスのカッティングのとことか。そういえばタツが来ていたらしいけど、観てたかな。
またオーディエンスがいいんだ。フジは一度キャンセルがあったし、今回の出演もギリギリに決まった。待ってました!と言う明るい雰囲気がバンドの演奏とがっぷり四つに組んでる感じ。あー踊った、あー泣いた。
曲間ノイズのような音がする…と外を見るとドシャ降りになっていた。いつの間に!下を向くと足許がビショビショ。水が流れ込んで来てる。おいおい、これからロキシー行くんだよ、どうする……。フィッシュボーンを途中抜けしてロキシーを最初から観るつもりだったのが怯む(ヘタレ)。いや体調悪かったんでね…そしてフィッシュボーンがあまりにもよくてね……結局最後迄レッドに居座る。

■ROXY MUSIC(GREEN STAGE)
今年フジに来たのは「More Than This」を聴くためと言っても過言ではなかったのです。なんで「More Than This」に異常に拘るかはオンでもオフでも過去何度か書いているし、判るひとにはあああああ!と思うアレなんでそれはおいといて。アレが原因でこれが記憶に深く深く残っているひとは日本にどのくらいいるのかな。深く残り過ぎだよね……。そしてそれは来年再び聴くことが出来るのか。後ろ向きなので聴けなくても仕方がないと強がっているけどね、やっぱりね……。
で、まあ聴きたくて聴きたくて気が狂いそうだった訳ですが(笑)もしやらなかったらどうしようと思い、いややらなくてもロキシーを観たい気持ちが変わる訳でもないと思い、でも事前にやらないって知ったらちょっと落胆しちゃうかもしれない自分もイヤだし、とアホかと言うような自分内グルグルを経ておりまして、webで流れてくるロキシーが最近やったセットリストは敢えて見ないようにしていたんですね。やるならド頭かしら、と言う不安もあったのです。ところが。
フィッシュボーンが終わって即レッドを出て、グリーンエリアに踏み込んだ途端あのギターのイントロ。なんてタイミングだ!もう叫びましたよわあああああ!!!!!て。周囲のひと驚かせてすみません……あとは走った走った、泣き乍らぬかるみの中にもどんどん踏み込んで走った(それ頭おかしいひと)。こういう時長靴は助かる。
いやーもうアホかって程泣いた。脱水症状になるんじゃないかってくらい泣いた。おかげでステージがぼやけて見えません。バカですか。ああ本当に来てよかったな……。
しかしイントロが始まった途端あれ?と思ったのも事実で。なんか低くない?キー下げてたような……。でもここが記憶の恐ろしいところで、実際はこのキーだったかも知れないんだけど、こちらが散々聴いた“あの”「More Than This」はもうちょっとキー高かったんですよね。いかに“あの”「More Than This」が心身にたたっこまれているかと言うことも思い知りなんとなく赤面。いやもうこれは一生背負って行くよ……。
と言う訳で続いては「Ladytron」「Tara」と来て、ようやく落ち着きを取り戻しました。後日知りましたが序盤は雨の影響か、映像トラブルがあったそうですね。この頃には復旧しており、うわー80年代やーと言うイメージアートがステージ上の映像に被せられたりしていて、バンドメンバーも大所帯で皆さんスーツやドレスでビシッと決めてて、特にヴァイオリンとキーボード弾いていたサポートのお姉さんがちょーボンデージスーツでちょー格好よくてデカダンな雰囲気で、ああっ思い描いていたロキシーのイメージそのものだー!なんて感動したりして楽しかったです。
そしてフェリーはやはりダンディーでありました。立ち振る舞いといい洒落っ気加減といい。そしてやっぱり声がねー!ジョン・レノンのカヴァーとかもやったんだけど、最初わからなかったもん。色気ムンムンの声なので。
最後の3曲に布袋寅泰さんが飛び入りしてビックリ。経緯はこちら→『30年越しの夢  ROXY MUSIC』。衣裳替えにあたふた、のところが笑える。よかったねえ……。
で、そこで気付いたのが皆さんかなりの長身なんだー言うこと。布袋さんが混ざってもそんなに差がないのです。布袋さんのブログにも書いてありますが、フィルもブライアンも185cm↑なんだそうで。いやはやホント舞台映えします。
ROのブログで山崎さんが「深夜のテレビで名も知らない不思議な洋画をふと観てしまったような奇妙な感覚を与えるバンド」と書いてたけど、ホントそんな感じだったな。また会おうと思っても探し出せない、翌朝目が覚めて夢だったのかな、と言う印象。正に真夏の夜の夢。観ることが出来て本当によかった。
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セットリスト
01. Re-Make/Re-Model
02. Out of The Blue
03. If There Is Something
04. While My Heart Is Still Beating
05. More Than This
06. Ladytron
07. Tara
08. A Song For Europe
09. My Only Love
10. In Every Dream Home A Heartache
11. Jealous Guy (John Lennon Cover)
12. Virginia Plain
13. Love Is The Drug
[encore] with 布袋寅泰
14. Editions of You
15. Let's Stick Together
16. Do The Strand
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■CHRIS CUNNINGHAM(GREEN STAGE)
と言う訳で夢の中のまま帰ろうかと思ったものの、野外でグリーンでカニンガムって相当恐ろしいんじゃないの、と気になったのでそのまま居残る。しかしこれどういうブッキング…スマッシュ何考えてんの……(ほめてる)。夢は夢でしたが悪夢でした。いやー好きだなー。
エレグラや昨年のWarp20とライヴの進め方は同じでしたが、盛り上がり必至のスターウォーズネタとエイフェックスツインネタを封印、ナチスネタもなし。ええー?しかしあれやこれやのグロエロ映像は存分に流れ、ああ別に規制があった訳じゃないんだなと思う(笑)。既存ネタも多かったですがライヴですから同期の仕方は変えてきてるし、そして音が爆音!雨の中立ち尽くして最後迄観てしまった。
最後のアンビエント調の音と映像(このパートは初見)は情緒的でカニンガムとは思えない(失礼)清涼感。涸れ果てたと思っていた涙がまただーと出て来たりする程に美しい映像だった。意外ー、カニンガムなのに(無礼)。

RIVA STARRの格好いいトラックを聴き乍らごはん食べて宿へ。なんだかきつねにつままれたような一日でした。



2010年07月28日(水)
THEM CROOKED VULTURES

THEM CROOKED VULTURES@SHIBUYA-AX

ウォームアップギグとは思えん、地力あり過ぎ(笑)。そしてアルバムもよかったんだけど、ライヴはパワーも音の多彩さも桁違いだった。覚悟はしていたがすごすぎたわ…久々に“超弩級”を観た思い。凝った演出も仕掛けもなしに、ですよ。非常に身体的。これをAX規模で観られてしまう日本って!おら幸せもんだー。

OAはMGMT。若い子らしい謙虚さか遠慮か、ちょっと引っ込み思案な印象(機材トラブルもあったようだった)。でも一所懸命さが伝わって好感が持てました。しかしソールドアウトしてから発表されたこのOA、MGMTファンで逃したひとも多かったのでは…いろいろ勿体ないと言うか贅沢過ぎと言うか。フジではきっともっと盛り上がるよ!

さてTCV。じらしてじらして、ふらっと出て来たメンバーにフロアは大盛り上がり。アンコールなしで2時間、ガッツリやりました。ジョンジー、デイヴ、ジョシュにサポートでアラン・ヨハネスの4人編成。

まず驚いたのが、どバンドだったこと。ここ最近何故か多い、実績のあるひとたちが組んだ“スーパー・バンド”ではあるものの、ZEPとFFとQOTSAのメンバーが組みましたじゃあ済みませんよと言う。勿論足し算の部分はある。ZEP直系!ボンゾ大好き!「移民の歌」(やっぱ邦題で書くよねー!笑)なリズムパターンも大サービスなデイヴのドラミング、モンドでスモーキーでフリーキーなジョシュの歌(ハンドマイクでダンスし乍ら唄い出したのには大ウケ)、中低音でゴリッゴリにひずませたリフ連発のベースはもちのろん、様々な楽器(ベースはバンジョー型からカオスパッド付迄さまざま、ショルキーもエレピもヴァイオリンも!)を操りサウンドにグルーヴと色付けを加えるジョンジーは非常に優雅。そしてギターはジョシュとアランどちらが主導と言うのはなく、エフェクターも多用して交互に時には同時に強烈なリフを繰り出していた。

ベースの中低音が多かったせいか時々ギターのそれに近い音域が聴き取れなくなってた。まあこれは自分の耳が潰れていたのかも知れん…もう音がでけーのなんの、最高!そうそう、ジョシュすごく歌うまくなったね(無礼)!と言うか唄い方変わった?地声もすごくしっかりデカく出すようになってた。

なんかこう書くとうわあおもちゃ箱みたーい、キラキラ〜?て感じだが、実際に出る音はゴリッゴリの轟音、ハードでヘヴィー。しかし'80〜'90年代のハードロックともヘヴィーロックとも違う。'70年代のZEP的なサウンドや変拍子はあれど(追体験出来たようで楽しかった)、FFもQOTSAもド真ん中なロックではないごった煮っぷりなのでそこが出た感じかなあ…やはりモンドがキーワードになるのか?プログレな荘厳さもあり、後半はジャム展開。非常にオリジナルなバンドサウンドになっているように思いました。

パワフルで赤身の肉大好きドーナツとコーヒー大好き(何せデイヴは“FRESH POTS!”(後述)ですからね・笑)アメリカ人、てなデイヴとジョシュ(アランは肉好きかはわからんがドーナツは好きそう・笑)。ジョンジーは紅茶を嗜みそうな穏やかな、でもブラックユーモアを持ち合わせているイギリス人。実際どうかは知らないけど(笑)そんな彼らのやりとりが音になっているよう――イギリスとアメリカの交歓会を見ているようでもあり興味深かったです。

誰がフロントマン、と言う訳ではないけどヴォーカルのジョシュがMCをつとめていたところもバンドの不思議なバランスを感じました。メンバー紹介の時はジョンジーにすごく敬意を払っていた感じ、「ミッミスターJohn Paul Jones!」なんて噛んでいたところもチャーミング(笑・言い慣れてないんか)。でも演奏になるとジョシュの度量の大きさを感じたり。デイヴはドラマーに徹していました。演奏だけでなくキャラクターとしてもね。1曲終わった時点で、ペットボトルの水を頭からバシャー!口に含んで霧吹きブー!てなもんで。そしてよく笑っていた(これはいつもか)。ちょっと後ろ目の位置から観ていても、あの歯がよく見えました(笑)。いやーあの腹に来るドラムを久々に聴けて嬉しかった!やっぱりすごいドラマーだ。ジョンジーはデイヴの様子を注意深く窺い乍らベースを弾いていた。ちょっと猫背で、笑顔で。楽器を取り替える時、そおーっと、大事そうにローディに渡す様子も素敵でした。

フロアの年齢層は広かった〜。ここでは私も若手だぜ(笑)。ジョンジーが紹介された時の歓声(野太い)と拍手はすごかったなー。あまりに続くのでジョンジー照れてた(笑)。若手は“あのZEPの”ジョンジーの多彩な演奏を間近で観られたことに感動して、先輩方はジョシュとデイヴとアランと言う、こんな強烈なプレイヤーがいるのか!と唸ってくれてたらいい……。いやーよかった。金曜日フジで観るひとはお楽しみに!

んんん〜他にもいろいろあったが思い出せない…思い出したら追記する。しかしフジに行ってる間にどんどん忘れていきそう(泣)。以下小ネタ。

・近くにジョシュ大好きらしいゲイのお兄さま方(外国人)がいらっしゃって非常に面白かった…終始「I Love Josh!!!」つってた。時々思い出したように「I Love Jonesy!」と言っていたが、「I Love Dave!」とは決して言わなかった

・ジョシュ、デカい……195cmくらい?デイヴも180cm↑あった筈だけど、それよりもっと…ギターも小さく見えるよ。そんな彼がハンドマイクでダ〜ンスを始めた時にはもう大ウケ。勿論お兄さま方も大喜び

・エレピを弾くジョンジーにピンスポが当たった時は、ここだけちょっと企画もんぽかった(笑)

・終盤「Fresh Pots!」と声がかかってデイブとジョシュが苦笑い。元ネタはこれ↓。



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セットリスト

01. Nobody Loves Me(No One Loves Me & Neither Do I )
02. Gunman
03. Scumbag Blues
04. Dead End Friends
05. Elephants
06. Highway One(アルバム未収録)
07. New Fang
08. Bandoliers
09. Interlude With Ludes
10. Mind Eraser, No Chaser
11. Caligulove
12. You Can't Possibly Begin To Imagine(アルバム未収録)
13. Spinning In Daffodils
14. Reptiles
15. Warsaw or The First Breath You Take After You Give Up

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2010年07月27日(火)
広告とおかねと音楽の関係

■nau『Ken Yokoyamaと語る2010年の音楽業界』
(まずはこちらを。・『インタビュー販売という試みと、その理由。』
溜飲が下がった。インタヴューに需要はある。
お金を払う=発信者への敬意と言うのはきれいごとだろうか?タダで集めたもんをサワリだけ読んだり聴いたりして全部を知った気になることはある。だんだんそんな風潮に慣れてしまいがち。でもタダはやっぱりタダなのだ。そしてそれはやっぱり、自分の中に残らない。簡単に手に入れたものは、大事にすると言う感覚が薄い。
反面、お金を出したいものに限ってタダだったり(苦笑)、有料なのにこの内容か…と思うものも多い。
この記事は1本100円。雑誌を買うより割高だ。でも、読了して高いとは思わなかった。むしろ安い。代金の行方(アーティスト3、ライター3、カメラマン2、編集部2)がオープンにされているところもいいです。プロモーション媒体ではないメディアで、セールスプロモーションではないインタヴューを、新作リリースではないタイミングで読めたのも新鮮でした。キュレーター的なライターさんたちに面白いものを沢山紹介してもらった者としては、読みものからのきっかけにとても愛着を持っている。過去、雑誌の片隅に載った小さなレヴュー文がきっかけで今も聴いているバンドも多い。自分が出したお金がアーティストやライターに還元されるのが見えているのはちょっと嬉しい。
手続きがちょっと面倒と言うところがネック。100円と言う気軽な価格なのに、カードを持っていない若い子は購入出来ない。そして、音楽にしても読みものにしても、「お金を出さないのがあたりまえ」な感覚なのは若い子が多いんだよね……。

■asahi.com『毒に愛嬌あり 洒落っ気にしびれた』
「セールスプロモーションではないインタヴュー」については、最近朝日新聞夕刊に連載されていた『毒に愛嬌あり』を読んでいてリンクするところがあった。
広告主に話を聞きに行ったジャーナリストが「水俣病なんて騒いでるけどもね、水銀たくさん食った魚を食えば、そりゃなりますよ」とベラベラ話された。広告出してるんだからおまえは記事にしないだろうと言う訳だ。雑誌は広告で成り立っている。広告主の機嫌を損ねられないので、リスクは避ける。あたりさわりのない内容になる。その後ジャーナリストはその仕事を辞めた、と言うエピソード。
web上には第一回しか掲載されていない。第二回以降はタダでは手に入りません。購読するなり、図書館に行くなり。何かアクションを起こさないと読めない。反面これは新聞として、ウチに偶然届いた記事でもある。自分の読みたいコンテンツだけにお金を出す、ではこの記事は読めなかったことにもなる。

■rooftop『中込智子 娯楽に命を懸け続ける音楽ライターが監修した日本のオルタナティヴ・ロック総決算ガイド!』
『ジャパニーズ・オルタナティヴ・ロック特選ガイド』を上梓した中込さんのインタヴュー。「提灯できないバンドには触らないのが掟」、これもすごく解る。自分はデザイン業なので、広告の大事さ面白さは判ります。
最近いちばん気になるのは正にここ。提灯できないバンドに触りまくっている記事が多いと感じてしまうこと。ああ、仕方なくほめてるんだなー、なんて感じてしまうこと。プロフェッショナルなライターなら提灯しない書き方も出来る筈、でも媒体の特性上出来なかったり、編集にカットされたりしてしまうんだなと言うのが透けて見えてしまう。
Twitterでけなしていた数ヶ月後に絶賛する記事を書くライターとか、いるもん(つーかこのひとガード甘過ぎ)。それが判らない程読者ってバカじゃないと思うの。結構嗅ぎ分けられるもんですよ。

うーん、ジレンマ。



2010年07月25日(日)
『西原理恵子の人生画力対決ライブ〜バキはテンパリスト〜』

『西原理恵子の人生画力対決ライブ〜バキはテンパリスト〜』@新宿ロフトプラスワン

やっと会場で観ることが出来ました、今回のゲストは『グラップラー刃牙』シリーズの板垣恵介さんと『ひまわりっ!』『ママはテンパリスト』の東村アキコさん。進行はサイバラさんの担当編集八巻さん。あらゆるマンガや映画のキャラクターを、答えを見ずにどれだけ描けるかをライヴで競います。

これビッグコミックスペリオールの連載企画で単行本にもなってるんだけど、ライヴで観た方が面白いと思う……描き上げる過程がまんま観られるんだもの。掲載時にはサイバラさんが構成したレポートマンガになっているのですが、サイバラさんの主観になっている。サイバラさんの連載作品だからこれはこれでいいんだけど、会場ではそこに載らない空気…描き手同士の丁々発止のやりとりと、観客の反応がダイレクトに伝わるのです。その反応と言うのが、全部が全部いい方向に行く訳ではなくて、それが面白い。

例えばこの日自分たちがいた席の後ろには板垣さんのものっそい濃いファンと思われる男の子ふたりぐみがいて、サイバラさんの板垣さんに対するツッコミに結構本気で怒ってた時があったのね。「ちげーよ!」「ちゃんと読んでんのかよ!」とか大声で言ってて。あのヤジステージ迄聴こえてたのかな。もうスリル満点、こえー。このギリギリの緊張感は、掲載作に仕上げる際カットするか描き手(=サイバラさん)の返しを挿入するかでまとめられてしまうのですが、ライヴではそれが剥き出しなのです。場が時々「ちょ、それ言い過ぎ」ってひくくらいのツッコミと、それを瞬時に笑いとマジ討論に転換させる、サイバラさんの機転も堪能出来ます。流石空気読むの巧い。

それを返すゲスト陣も毒とユーモアを持っている。どんなにサイバラさんに突っ込まれても動じない板垣さんと、毒には毒で対抗していた東村さんの度胸も見事。これはゲスト選びますね、あのひととかあのひととか、冗談(と毒)が通じないひとは呼べんわ……そういうひとこそ観たかったりもしますが。とはいえこれってひとをあげつらう企画とはひと味違うからなー。

といろいろ思うところはあったのですが、その場では終始笑いっぱなしだった。板垣さん画の壮絶なドラえもんには笑い過ぎて過呼吸になりそうだった…サイバラさんに「こんなに大勢のひとに笑われたの生まれて初めてでしょ?」と言われて「…うん……」と答えたちょっと弱った板垣さんはキュートでした(笑)。そうそう板垣さん、最近『君に届け』(!)読んで泣いたそうですよ。刃牙の作者がきみとどを…作家のイメージの殻をも剥いてしまう恐ろしい企画です。

各々の描き方を生で観られるのも楽しかった。いきなり眉からじっくり描き始める板垣さん、脅威のスピードで(ホント早い!ビックリ!)サクサク描く東村さん。鶴の機織りと同じで、こういうのってひとに見られるのが苦手なマンガ家さん多いと思うんだけど、それを敢えて見せてくれたんだなあと思うと有難い。

ライヴの模様はこちらで(8月1日迄)。ニコニコ動画のプレミアム会員だとフルで視聴可能です。
http://www.ustream.tv/channel/garyoku
http://live.nicovideo.jp/gate/lv22041591



2010年07月24日(土)
CUBISMO GRAFICO FIVE『DOUBLE DOZEN』RELEASE TOUR

CUBISMO GRAFICO FIVE『DOUBLE DOZEN』RELEASE TOUR@LIVE HOUSE FEVER

これのチケットとった後、中込さんとこのTwitterが縁で十数年振りに連絡がついたひとがいたんだけど、チャーベくんのことってそのひとから教わったんだよなー当時(プレイグス→ニール&イライザの流れで)。で、初キュビズモでした。なんだか不思議な縁。てかチャーベくん、最近は東京ムードパンクスでしか観てなかった…しかもここ数本のムードパンクスのライヴでは「ビデオ屋のバイトが抜けられなくて欠席です」だったし。これ鉄板ネタになりつつある(笑)。

対バンがバックホーンでこれがまたレアなセットだった。中盤に「甦る陽」と「何処へ行く」入れて来た。「何処へ行く」のイントロ始まった途端後ろのひとが「ぎゃあっ!!!!!」と叫んで、それが私の耳許だったもんですっげえええビックリした…イントロにビックリする以上にビックリした(笑)。いやでもすごくよかったなあ…FEVERのキャパでバックホーン観られるのってのもすごいレアだよね。いいもん観た。山田くんの声も綺麗に伸びて気持ちがよかった。

立ち上がってハンドマイクでMCをする松田くん(しかも礼儀がよい)にキュビズモファンのひとたちは戸惑っていたようだった(笑)。ちょっと面白いよねえこの構図。バックホーンがゲストってのもすごい不思議だったのよね…何故この組み合わせ?どういう縁?と思ってて。そこらへん松田くんが説明してくれまして、バックホーンの面々は舎弟キャラとして兄さんたちからどこそこ呼び出されるそうで、「がおか会」(自由ヶ丘とか向ヶ丘とかで呑む)と言う呑み会でどうこう、と(笑)。今回初めて対バン出来て嬉しいですっ!とのことでした。

で、当方失礼乍らキュビズモのことはチャーベくんのバンドと言う認識しかなく、基本いきなりライヴで観てビックリしたいタチなので予備知識も入れずにおいたのだが(最近ex.ハイスタのツネさんが加入したと言うのはうっすら聞いていた)、出て来てみればフロントにTGMXが。ええっそうだったの!?(バカ)そしてあのメガネのくもっているベースのひとどっかで…と思っていたら□□□の村田くんだった。ニール&イライザやリミキサーとしてのチャーベくんの仕事のイメージでいたので、予想よりパンク色強くて意外(揃ったメンバーを見ればむべなるかな)、それがまたよかった。ゴキゲン。

それにしてもチャーベくん老けないなー。確か同学年とか1個上くらいじゃなかったっけ?私も腰がいてえスタンディングキツいとか言ってる場合じゃねえべ…と言いつつ体調ガッタガタだったので三宿webでのアフターパーティは断念。「(アフターに)さっき出たバンドのひとも来るかもよ…?」とチャーベくんが言ったのでうぎゃっと思ったが…てかDJしたそうですがバックホーンのメンバーがDJて!似合わない!想像つかない!(無礼)何かけたんだろう〜気になるわ……。

FEVERのいぬリーバとチロルをなでて、噂のバサノバグリーンカレーラーメンも食べられて満足(おいしかったー)。ふらふら下北沢迄歩いてケイトコーヒーでお茶、解散。



2010年07月19日(月)
The Birthday STAR BLOWS TOUR

The Birthday STAR BLOWS TOUR@Zepp Tokyo

ツアー最終日。と思ったら前楽でした。千秋楽は沖縄なんだって。この時期に沖縄、いいですねえ。

『STAR BLOWS』はゆったりめで長い曲が多く、聴き応えのある好きなアルバムでした。で、『STAR BLOWS』のナンバーをメインに据えた今回のツアーも、すごく聴き応えがあった。じっくり聴けた。聴き入ると言ってもいい感じ。必要以上にはしゃいだりせず、必要以上に騒いだりしないで、とにかく落ち着いて聴けた。それがよかった。PA卓近くだったので音もよかった。のうやんがニコニコしてフロアやステージを見ているのが時々視界に入ってきて、それも穏やかに観ることが出来た要因のひとつかな。

ここんとこのバースデイのライヴはヴォーカルエフェクトも多用し、ダブも入れる。今回初めてチバくんの声を「聴き取りづらい」と思った。今迄は、エフェクトをかけていても何を言っているかはハッキリ聴き取れていた。ガナらない曲が増えたこともあるのかも知れない。あれっと思った。でも、不思議なことにそれに不安や苛立ちは感じなかった。いい感じで肩の力が抜けたなあと思ったし、それが、余分な気負いやポーズを取り払った自然な姿にも思えた。

終盤チバくんがギターを持たず、ハンドマイクで唄っていたこともだ。邪推だが、ミッシェルが解散してからのチバくんは、ミッシェルとは違うスタイルでやることを自分に課していたように思える部分があった。勿論、ミッシェルと同じことをやっていたのではミッシェルを解散した意味がないし、それは当然の流れだったのだろうが、今はそのどちらのスタイルも自然に出来る、と言った風情。それだけ時間が経ったと言うことなんだろう。拘りもしがらみもない。

最後の最後でチバくんがオバQみたいになってた(脱いでも脱いでも物販Tシャツ・笑)の、あれって初期ミッシェルの頃のチバくんを思い出したよ(笑)そしてそれは勿論当時とは違う。ヘンに無邪気になる程子供じゃないけど、ヘンに大人ぶってクールを装ってもいない。当時は文字通り無邪気だったよね。でもそれは若さの特権なのだ。若い時じゃないと出来ないことなんだ。

RO山崎さんがブログで書いていたこととは反対のことを思った。あれは皮肉なんだろうな。いや、それにムッとしたとか、そういう訳ではないですけどね。先のことを考えても、明日死ぬかもしれないし、今日死ぬかもしれない。だから今、ここにしかなくていい。今、ここにしかないものにしっかり立ち会えばいい。

「風と麦とyeah! yeah!」の“今見た?あれ見た?”が空耳で“ハレルヤ”に聴こえるのもなんだか楽しかった。ニューウェイヴな音作りで、すごく好きな曲。あーこの曲、終わらなきゃいいのにと思ったくらい(笑)好きー。柔らかいギターのリフがずっと続けばいいのに、と思った。軽やかに走るようなスピードも心地よい。ずっと続く筈がないものが、今ここでだけ鳴っているもの。

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セットリスト

01. 六つ数えて火をつけろ
02. ディグゼロ
03. The Outlaw's Greendays
04. 風と麦とyeah! yeah!
05. Hey Johnny
06. ダンスニスタ
07. マディ・キャット・ブルース
08. シャチ
09. ピアノ
10. リトル・リル
11. BABY 507
12. GILDA
13. グロリア
14. マスカレード
15. FREE STONE
16. カレンダーガール
17. あの娘のスーツケース
18. 愛でぬりつぶせ
19. SUPER SUNSHINE

encore 01
20. 涙がこぼれそう
21. Nude Rider

encore 02
22. ローリン

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2010年07月17日(土)
『ファウストの悲劇』

『ファウストの悲劇』@シアターコクーン

ぴーとさんの言う通りだった。以下引用。


白いのが

勝つわ・・・! (無駄に2行)(ララァはかしこいな!)


もうおら卒倒したね……。なんでメフィストの方が白やねん。ファウスト黒やねん。そんでふたりでタンゴかーい(しかも後で知るに、ここのダンスはベジャールとジョルジュ・ドンの『我々のファウスト』がモチーフときた)!抱き上げてつれていくかーい!ひゃっほーい!

しかもあれですよ、ラストシーンでメフィストが呪(しゅ)を結ぶ仕草をして、その後You!みたくビシッと客席を指差しますよね、そのド真っ正面でした私の席。1階C列3番。目線の高さも一緒です。きゃあ私を見てる!と勘違いしてもいいですよねいかんと言われても勘違いします、勝村さんは私に向かって指を差した。オッケーイ!

………3時間弱の上演時間中、にやけてしまう顔の筋肉をひきしめて無表情を務めることに相当のエネルギーを費やしました。もう油断すると「ぐふっ」とか「ぐへっ」とか「うぬふふへああ」とか声に出そうでした。

しかしなんてえの、勝村さんの超人的な役者力を思い知らされた…身体能力的にも持久力にも。そして勝村さんは蜷川さんと本当独特な関係を結んでいるなあとも思いました。過去蜷川さんにはいろんな愛憎複雑に絡み合った歴代常連俳優との関係がありましたが(いやお仕事上でのことですよ)、勝村さんはその誰とも似ていない。あんだけ笑い含めて好きに動いている(ように見える)ひとって、蜷川さんの舞台で他にいるだろうか?蜷川さんも野放しにしている(ように見える)し。蜷川スタジオからスタートして、そこを出て行って、第三舞台で活躍してまた顔を合わせて、そして今この関係がある。これって素晴らしいことだよ…それを観られる幸せを噛み締めますよ。

この日のカーテンコールでは、勝村さんが挨拶する時、ひと際大きな拍手と歓声とともに何か声が飛びました。聴き取れなかったけどブラボーとかそういう賛辞だったと思うの、ニュアンス的に。いやマジですげいかった勝村さん。

と言う訳で勝村さんについて(いや勝村さん以外についても)の詳細はぴーとさんとこの感想をお読みください、リンクでドン→・ごめんね日常「ファウストの悲劇」

えーとえーと真面目な感想も書かねば…書ける自信がないが自分用メモとしても(書いとかんと忘れる)基本的なことは書いておこう……。わたくしゲーテのファウストしか知らなかったんですがこれはクリストファー・マーロウのファウスト。で、マーロウは、同時代に生きたシェイクスピアが作品中でオマージュを捧げる程の作家で、ブランク・ヴァース(韻を踏まない弱強五歩格)スタイルを生み出したひとだそうなんです。

で、事前に調べてみたらば『エドワードII』を書いたひとだった。ぎょへー、これ原作は読んでないけどデレク・ジャーマンが撮った映画は観たぜ!てえことは、退廃、耽美、破滅、と言う単語(ぎゃっ今タンゴで変換された。助けてメフィスト!)が浮かぶ訳ですが、これを蜷川さんが演出するとなると、『身毒丸』のような手法で来るかな、と思ったのです。寺山修司の見世物芝居的な世界。猥雑は持ち込むだろうなと。

それは一部当たっていて、もうむっちゃ見世物的な世界が繰り広げられていました。見た目規格外の肉体を持ち込み、フリークス的な面も見せる。マメ山田さんや日野利彦さんのちっちゃい組と、澤魁士さんや大林素子さんのおっきい組。そのアクを特効使いまくりでエンタテイメントの枠に持って行く。しかしこれを「ある歌舞伎一座が上演した『ファウストの悲劇』」と言う二重構造にして、舞台後方に楽屋を設け(マジックミラーによってシーンによって見えるようになっている)、奈落の断層も見せて魔術の仕掛けも見せる(奈落を見せるのは『四谷怪談』でもやりましたね)。口上はピエロにちょんまげと言う扮装。これで魔法や悪魔や天使や信仰や、と言ったあれこれは「芝居です!」と言う前提のもと観ることになります。そして芝居の中は限りなく自由です。芝居にタブーはないのです。

で、ここ迄ドッカンドッカン派手な舞台にしているともうお祭りですか?なノリになってしまいそうなところ、ストーリーがしっかり伝わるのは役者陣の力だなと。ここらへん蜷川さんは計算済みで、この“枠”を作ったのでしょう。ファウストとメフィストは時々アホかおまえらと言った狼藉もやらかす訳ですが、悪ノリギリギリのところで萬斎さんの言い回し、身のこなしでファウストの迷い、罪悪感を随所で表出する。こちらも我に返る訳です。そうだ、これだけの力を手に入れたけれど、ファウストには期限があるのだ、と。それを彼は後悔するのだろうか、と。この“揺れ”は人間ファウストの魅力にも思えました。

萬斎さん、白井さん、長塚くんと、三人の演出家が出演していると言う座組も面白かったです。そして白井さんと長塚くんはホンも書く。ここらへん、役者をやめ、ホンを書かない蜷川さんがどういった心持ちでキャスティングにゴーを出したのだろうと言う興味も湧きます。それにしても贅沢ですよね。ゴールドシアターやネクストシアターからも召集されており、特にギリシャ神話の絶世の美女ヘレナ役の鈴木くんはキャラが立ってきていて今後が楽しみです。ウソ胸と判っててもドキドキしました(笑)ちょースタイルいい。

よだん:大林さんのくびれに感動した
よだん2:後方楽屋で、長塚くんの角がとれなくなってひっぱってもらってる小芝居にウケた
よだん3:闘莉王って誰かに似ている…と思っていたが、そうだ清家栄一さんに似てるんだ
よだん4:メフィストの髪型、ヒットラーみたいだなあと思っていたが、後日ジェンヌに「(オードリーの)春日に似ていた。仕草も似ていた」と言われショックを受けた
よだん5:しかしそんな変な髪型なのに、そして変なメイクなのに何故にああ格好よかったのだよメフィスト!勝村政信恐るべし



2010年07月03日(土)
『センチメンタルな旅 春の旅』、キアズマ珈琲、『ザ・キャラクター』

荒木経惟『センチメンタルな旅 春の旅』@RAT HOLE GALLERY
チロちゃんの最期の日々。アラーキーのミューズ。ヨーコさんの時と同じように、棺の中の姿も、焼かれた後の骨も撮られている。ヨーコさんと同じように、チロはまっすぐカメラを見てる。日が経つにつれ、明らかに死の影が近付いてくるのが判る。毛づやが悪くなり、痩せて顔がどんどん小さくなり、あのおかっぱのような頭の模様がまるで違ったものに見えて来る。立てなくなる、アラーキーの作った寝床に寝たきりになる。それでもチロはレンズを見てる。絶対に逃れられないその迎えを受け入れ乍ら、最期の最期迄アラーキーを見詰めている。アラーキーはそんなチロを最期迄撮った。
2セクションで、小さい方のフロアではペプシ缶やスプライト缶を潰した“Pecchancola”シリーズと、昨年からの日々のスライド。こちらにはチロと、スタジオで撮られたヌードと、風景の写真が日付入りで淡々と続く。今年の2月からチロの写真が増え、3月5日辺りからは空の写真が続く。ヨーコさんが亡くなった後も、空ばかり撮っていた、と言っていた。
「チロちゃんは春日部のおばあちゃんとこから生後4ヶ月のときにヨーコ(妻)がもらった。」
3月2日、22歳でチロはヨーコさんのところへ行った。アラーキーは今も写真を撮り続けている。
モノクロの写真が続く中、一点だけカラーの写真があった。見慣れたアラーキーんちのベランダで遊ぶチロ。

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芸劇の前に、雑司が谷のキアズマ珈琲に寄っておやつ。キアズマって山下洋輔トリオ?と思ったらやはりそうだそう。手塚治虫が住んでいた並木ハウスの別館を東京R不動産が改装したところで、オープンして一年程なのにもう風景に馴染んでいる感じでした。コーヒーが好みの酸味少ない苦い系でうまかったー。
池袋方面ってこれ迄なかなか行かなかったけど、芸劇が野田さんのホームになったことで、ここにも寄ることが増えるかな。
近くに西洋釣具珈琲店 Reelsと言うお店もありこちらも気になる。何故釣具でコーヒー?

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NODA・MAP『ザ・キャラクター』@東京芸術劇場 中劇場

若干ネタバレあります。

重い。実際にあった事件を扱っている。知った上で観たがやはりキツい。『1996・待つ』でこの事件をモチーフにした1シーンがあって、こちらにも哲司さんが出ていたことを思い出した。台詞にもあったが「ひと昔前の話」だからこそ、スキャンダラスな面にばかり目を向けるのではなく、どうしてこういったことが起こったか、と言う面を冷静に見詰め、落ち着いて考え、忘れないようにしなければならない。そして、繰り返してはならない。しかし、誰もがそう思っている筈なのに、そのひと昔前の話がまた起こりうるだろうと言う予感が強くなっている。どうすればいいのだろう?

パンフレットに野田さんが『世界に通用しないものを創る』と言うタイトルでまえがきを書いている。「日本で育ち、そこで話されている言葉を、時間をかけて知っている者、つまりその土地の文化が体にしみこんでいる者にしかわからないもの」。知ろうとしなければ、手間暇かけなければ知ることが出来ないと言うのは、海外のひとに限らない。今回の舞台は知ろうと進めばその分だけヒントが見付けられる、ヒントが見付かれば感じることがまた増える。

逆に言えば、知りたいことは舞台上だけにあるのではない。言葉、文字、ひとつの漢字が持つ複数の意味。役者が発した音だけで全てを受け取れる訳ではないのだ。だからこそ観劇後に一刻も早く戯曲を読みたくなった(『新潮』7月号で発表されているが、観る迄は読まないでおこうと思っていた)。知ることが増え、知りたいと思うことで作品への理解は深まる。それだけの力がこの舞台にあるとは思うが、しかし作品の全てはここにはない。これは何なんだろう。演劇?戯曲?

劇場の環境にも困惑した。音が散るのだ。台詞が聴き取りづらい。この劇場では過去何度も観劇しているが、これだけ音の返りが悪いことに焦燥感を感じたのは初めてだ。野田さんの作品をやるのにこれは厳しい。しかも今後NODA・MAPのホームはここなのだ。来年から芸劇は改修に入るそうだが、この問題点が解消されるといいな……。しかし面白かったのは、古田さんと銀粉蝶さん(復帰されてよかった)の声はハッキリ聴き取れたこと。すごい。それはふたりの役柄にも重要な意味を持つ。いきあたりばったりで、俗の塊で、適当なことだけを言っているのに何故かひとを惹き付け、周りが勝手に動く家元と、誰も耳を貸さない時から必死に叫び続け、命を落とすことによって周囲を動かしたオバチャン。彼らの言葉が届くことはとても大事なことだった。

実際に動くにはいつも遅い、いつも間に合わない。後悔しても何も元には戻らない。ではどうすればいいのだろう。この作品に光明を見出すのは難しい。しかしオバチャンと言う存在があったこと、内ゲバと言ってもいい書道教室の中での出来事の裏にアルゴスとアポローンのやりとりがあったこと、閉鎖的な空間で孤立無援になろうとも声をあげたダプネーがいたことが救いでもあった。

声の通りを除けば、役者陣は皆熱演でした。宮沢さん既に声が嗄れているのが惜しい(『パイパー』では大丈夫だったのに!)、でも背負うものが大きいこの役にはその絞り出す声がドキュメントにすら映った。橋爪さんと哲司さん、池内さんとチョウソンハくんの、一瞬で立場が入れ替わる悲痛さには胸が詰まった。そしていちばん重いシーンを担ったとも言える、美波さん。野田さんの舞台でひとが死ぬシーンは、その苦しさを美しさに変換する演出があることも多いが(それは舞台で見せる、と言う効果を考えると納得出来る)、ダプネーが“変身”させられるシーンはリアル重視でとてもつらかった。男ふたりが細身の女性の自由を奪ってと言う状況もすごくキツかった。このシーンを美波さんは強烈に演じ切った。『エレンディラ』でも思ったけど、このひとホント強いし肝が据わってる。

前にも書いたような記憶があるけど、最近の野田さんのアンサンブルの使い方は、蜷川さんからいい刺激を受けているようにも思う。特に今回のような内容だと、無言の彼らの行動こそに謎が向かう。何故彼らはその場を選んだのか?何故彼らはそのような行動に出たのか?自分の知らないところで集団が大きな事件を引き起こした時、彼らはどこへ行き何を選択するのか?あの場の全てが虚飾ではなかった筈なのだ。教えが全て間違っていた訳でもない。彼らは今どこで何をしているだろう。黒田育世さんの振付けを得たアンサンブルは、集団でありながら個人に興味が行く訴求効果があった。

正直まだ消化しきれない。15年前の春、午前8時9分に起こったことはまだピリピリとした空気を持って思い出される。しかし忘れていっていることも多い。この作品のことを考え、戯曲を読み、当時のことを思い返し続けることで、『ザ・キャラクター』を自分の中で普遍なものにしたいと言う気持ちはある。