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■ 学び合いを学んで
いつもより随分ゆっくり起床できるのは,上原さんのお陰。 バスで行ったら,どのぐらい掛かったのだろうか。 期待していた佐藤学先生の講演は, さすがに満席で立ち見状態とのこと。 別会場でスクリーンを通して聞かせていただく。
「講演では学校は変わらない。」 講演を普段はしないわけからスタート。
「授業を3000時間ぐらい見たあたりから, 見えるようになってきた」と言われると, 自分はおそらく100時間も見ていないことだろう。 1年で600時間ぐらいは授業をしているのだから, もう10000時間ぐらいは授業していることになる。 その割には上手くないのが恥ずかしい。 「自分ぐらい学校改革を失敗してきた者はいない」 と言えるのは,今はそうでない自信があるから。
「1人残らず,すべての子どもの学ぶ権利を保障する。 そんな野望が,本当に可能なのです。」 繰り返される力強い言葉。 混迷の日本において,すがりつきたくなる存在のお1人。
「研究紀要のような文を読んでも その学校のことがわからない。信用できない。 だから,教師にはだまされません。 子どもたちや教室の事実からは裏切られたことはない。」 「授業が見えるかどうか, これは職人芸的なことがある。」 さすがに痛いところを突いてきている。
これまで自分は発表を重ねているが, そんなにうまくはいかない。 失敗を山ほどしている。 だからこそ,朝露のようなきらめく一滴の光が見えたとき, これを広げていきたいという一念で, ここまで来ているのだと思う。
学び合いに関しては, 馬場先生のメールの内容がそのまますとんと落ちる話。 わかっているようでいて,分っていなかったことがあり収穫。 「何でも自力解決から集団解決だと思っていないか。 小グループの中で暗黙の了解のような知が生まれ, それをそれぞれが自分のものとして 自分の言葉で理解していく学びもあるのだ。」 スタンドアップとは,当然のことながら違う。 でも,そんなことが生まれる瞬間を自分も見ている。 今の生徒のスタンドアップは, 一方的な教え合いではない。
小グループで,互いの持つ力を合わせて, 問題を解決し,新しい何かを生み出していくのは, オランダのA-lympiadやB-dayのような感じか。 そんなことを自分も経験してみたい。
学ぶという字の 成り立ちを知り, 感動。 「師匠のいないところに, 学びは成立しない。」 岡本先生のお顔が浮かんできた。
同時に,自分も 生徒にとっての師匠であらねばならないという 責任の重さを感じる。
すべてのグループで学びが成立するのか? そのための手だては,何か? ゴールまで到達する時間差には,どう対処しているのか? 小グループから先は,どうするのか? といった疑問もある。 何とか本年度中に実際の授業を見ようと思う。
午後からの発表は, 学び合いをテーマにしたものが多かったけれど, 助言者を含めて佐藤学理論とは大きく異なるもの。 発表原稿は予め用意されたものとはいえ,何とも。
発表会の在り方も,さしずめ博物館並み? どうしたら,一方通行でない関わり合いから 何かを生み出す会にできるのかを考えたい。 プロジェクター等の見せる物を使わない発表が多いのも, この10年間が停滞した10年だったことの表れか。
ケーブルがあまりに短く困っていると, 上原さんに持ってきていただき,助けていただく。 質問が出て,二乗に比例の事例も紹介できた。 何とか責任を果たし,ほっとする。
これまで関わってきた生徒を初め, 多くの方に支えられて今がある。 歩みを止めることなく,次に向けてスタートしなくては。
2007年08月19日(日) 科学的な思考を 2006年08月19日(土) 強気で勝負できるのは 2005年08月19日(金) 現実に戻って 2004年08月19日(木) SPP事業 1日目
2008年08月19日(火)
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