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■ 生き方のベースを
今日も朝から年賀状。 3年前の生徒達には, 「ボール落下」の授業で賞を頂いた報告を兼ねて。 早いもので,彼等ももう高校3年生になる。 どんな進路を選んでいくのか。
引き続いて,西岡常一氏の「口伝の重み」を読み始める。 一意専心とでも言うのだろうか。 人としての基本,生き方のベースをどう育んでいくのかに こだわっていることが,伝わってくる。 今の時代にも通じるもののはずなのに, 今の方が短絡的な発想で物事を考えている感じがする。 宮大工にするために,あえて農業高校に進学させることは, 今の時代,ほとんどの人にできないことだろう。 (昔でも,そうなのかもしれない??) 今の自分は,次の世代に,何をどう伝えているのか。 創造的な発想,それは確かに大事なことだ。 でも,本当にすべての人に必要な力なのか。 共感的な感受性を磨くことの方が, 幸せに生きる上では,それより大事なことなのかも知れない。 「誰もが将棋の差し手になろうとしている。 今の教育も然り。 駒として生きる生き方もあるはずなのに・・」 という,校長先生の言葉がよみがえる。 将棋なら,捨て駒の思いに共感を覚えこともあるだろう。 この冬,子ども達が買ったゲームwiiでは, その意識は生まれないことだろう。 自分がプレイヤー(主人公)で,相手は悪者。 それを倒すことばかり。 自分が犠牲になって,他を生かすゲームはないだろう。 この世の中で,誰もが主役として生きられるわけはない。 だから,自分が主役でないと満足できないとなると, 不幸な人がずいぶん増えることになる。 自分の人生においては,誰もが主役なのだが, それとこれとは違う。
「一隅を照らす,これすなわち国宝なり」という 伝教大師最澄の言葉に,自分は心を動かされた。 今もその思いは強いが, この言葉が通じなくなっている時代なのかもしれない。
2006年12月31日(日) 一年を振り返って 2005年12月31日(土) 一年を振り返って 2004年12月31日(金) 追われる中でも展望を 2003年12月31日(水) 一隅を照らす光に
2007年12月31日(月)
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