娘が突然「今度、イルカに乗りに海に連れて行ってね」と言いだした。
娘は好奇心旺盛な2歳9ヶ月。絵本やテレビ、あるいは友達から得た知識はすぐに実践したがるタイプ。2歳半を過ぎた頃から次から次へと「私もやってみたい」を連発するようになっているのだけれど「イルカに乗りたい」には参った。
可哀そうだけど、嘘は付けないので「悪いけれど、それは無理。お父さんとお母さんはYを海に連れて行ってあげられてもイルカに乗せてあげる事は出来ないよ。絵本やテレビではイルカに乗ってたりするけれど、ノンタンやクマ君は動物でしょ? イルカはそんなに力持ちじゃないから人間を乗せて泳いだりは出来ないんだよ」と説明したら、娘の目にはみるみるうちに涙が溜まってきた。それは駄々をこねて泣いたり、怒られて泣いたりする時の涙とは明らかに違っていて「哀しみ」の涙だった。
参った。実に参った。
イルカショーなどで人間がイルカに乗る場面があったりもするが、たいていイルカは2頭いて、人間は右足と左足をそれぞれのイルカに乗っけていたりする。なので「イルカには乗れない」ってのは言い過ぎかも知れない。しかし娘がイメージしているのはアニメの『海のトリトン』みたいにまたがって乗るスタイル。シャチならともかくイルカでは無理だろう。観光地ではイルカと泳ぐプランがあったりもするけれど、あれは娘のイメージとは違う。「イルカには乗れない」と言いきってしまった私の対応はもしかしたら間違っているのかも知れないけれど、他の言葉は咄嗟に思いつかなかったのだ。
私はさらに説明を続けた。「残念だけど無理なものは無理。もし、どうしてもYがイルカと仲良くなりたいなら、大きいお姉ちゃんになって、イルカの勉強をたくさんして、イルカを育てる飼育員のお仕事とか調教師のお仕事をするようになったら、イルカに乗るのは無理でも一緒に泳いだりお世話したり出来ると思うよ」
2歳の娘にそんな説明が理解出来るかなぁ……と半ば諦めつつ説明したのだけれど、意外にも娘はそれで納得してくれた。今日はことあるごとに「Yも小学校行ったりしてイルカのお勉強する!」と宣言していた。
なんだか、ちょっと感慨深い物があった。娘はこんな風にして夢の世界から足を洗っていくのだなぁ……と。絵本好きな娘は夢見がちなところがあって、たいていの物は「お友達」のように意思があるものだと思っている。たとえば爪を切っても「爪ちゃんは、爪ちゃんのおうちに帰っていくんだねぇ」などと言ったりするのだ。だけど、いつしかそんな感覚からも卒業していくのだろう。
なんだかドッっと草臥れた。
明日から夫はお盆休み。夫は「今日はボチボチの時間(深夜にはならない)に帰れると思う」と言っていたので、とりあえず今夜は夫と晩酌でもしてのんびり過ごそう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。