白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年05月17日(水) 否定すること。

以前働いていた職場の同僚から電話があった。60代の女性で、苦労人だったせいか、私の事を何くれとなく気に掛けてくれて結婚する際も過分なお祝いを戴いた。私は彼女の人柄が大好きなのだけど、彼女は選挙の時に張り切ったり、新聞を読むようにすすめたりする団体の人だ。団体自体は嫌いだが、まぁ、しかし所属の云々はおいといて、けっこう長くお付き合いが続いている。

そんな彼女から今日、はじめて「新聞」のお誘いがあった。「良い読み物だから贈呈させて欲しい」とのこと。正直なところノルマがあったりして大変だから止むを得ず…ってところだったのだろう。

そんな話を夫にしたらば、いきなり全否定&攻撃しだしたので面食らってしまった。あの団体を嫌っている人は多いので、夫の考えがオカシイとは思わないけれど、なんと器量の狭い人なんだろう……とガッカリしたのも本当だ。

世の中には色々な考えの人や色々な所属の人がいる。そした互いに否定しあって生きている。「○○を信じている人は駄目」「若い頃に運動部じゃなかったヤツは信用できない」「独身者は駄目」「子供を産んでいない女は半人前」「専業主婦なんて遊んでるのと一緒」「オタク趣味の人はキショイ」「大学を出ていない人は駄目」等、書き出したらキリがない。実際、それらの偏見めいた印象は、的を得ている部分もあるのだけど、だからって否定から生まれることなど何もありゃしない。そして不思議な事なのだけれど、他者からの否定に敏感だったりコンプレックスを持つ人ほど、自分と違う所属のものを全否定したり攻撃したりするような気がする。

いきなりの否定ほど非生産的でくだらない物は無いと私は思っている。

まぁ、しかし「何でもこい」受け入れ態勢が正しいとは思っていない。良いことも多いが失敗も多い。ただ私は門戸が狭いと窮屈でたまらないと思ってしまうのだ。

今回の出来事については、自分自身が境界線を引いてしまえば済むことだし、もしもそれを侵されることがあれば、その時に攻撃すれば良いことだ。夫とは喧嘩した訳でもなんでもないけれど、いつか「否定すること」について話し合ってみたいなぁ(熱くなっている時は逆効果なので)…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2005年05月17日(火) はじめての遅刻
2004年05月17日(月) 結婚適齢期。
2003年05月17日(土) 馴染む・馴染まない
2002年05月17日(金) 大きな声ぢゃ言えないが。

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