白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2010年04月16日(金) 最近のニュースを観て思うこと。

最近、子供の虐待死のニュースが多いような気がする。

なんかもう…いたたまれない。私は基本的に子供が好きなので独身の頃から、この類のニュースを聞くたびに憤っていたのだけれど、娘を産んでからは殺された子が可哀そう過ぎて泣けてくる。

実際、子育てをしてみると楽しいことばかりでは無い…ってことくらい承知している。特に周囲に助けてくれる人がいなくて孤立無援で子育てをしている母親の話を聞くと、他人事ながら「なんとか助けてあげたい」と思ってしまう。

私は実家の近くに住んでいるものの、その理由は「実家の近くにいると甘えられるから」ではなくて「近くにいないと助けてあげられないことが多いから」だ。夫と結婚する時に出した条件は「母との同居か、もしくは実家の近くに住んでくれること」だった。実家の母は病持ちの上に足が悪いので、甘えることは出来ないのだ。なので育児に疲れて虐待してしまった人に同情する気持ちはあるけれど、実際は「それ以外」のケースが多いような気がする。

ニュースを見ていて「虐待」って都合の良い言葉だなぁ……と思わずにはいられない。

「1歳児が虐待を受けて死亡した」と書くのと「1歳児が暴行を受けて死亡した」と言うのでは随分と印象が違う。たとえば……親が子供に暴力をふるって死なせたら「虐待死」と報道されて「児童相談所の責任が…」なんて話になるけれど、仮に血縁関係の無い他人が、見ず知らずの子供に死ぬほどの暴力をふるって死なせたりしたら、もっと凄いニュースになるだろう。実際にやっている事は同じなのに「親がする」のと「他人がする」のとでは意味合いず随分と違ってくる。

たとえどんな理由があろうとも相手を死に至らしめるほどの暴行は決して許されることではない。こんな当たり前のことが「当たり前のこと」として認知されないのだろう?(もっともこれは親が子に対する虐待だけでなく、イジメ等、全ての暴行事件に適応されるのだけど)

人殺しは人殺しでしかない。

最近のニュースを見ていると加害者の立場ばかりを考え過ぎるのではなかうか? 事件の背景を考えることも大切だとは思うけれど、報道番組等でやたら犯罪の背景ばかりを取り上げているのを見ると心底ウンザリする。日本のマスコミは罪に甘い……と感じているのは私だけだろうか?

私は特に信仰を持っていないし、生まれ変わりを信じている訳でもないけれど、もし人が生まれ変わることが出来るなら、親に殺された子供達が次は彼らを普通に愛してくれる人のところに生まれてきて欲しいと思う。ここのところ、テレビでニュースを観るたびに思っていた事をぶつけてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2004年04月16日(金) ぶっ飛んだそうです。
2003年04月16日(水) 1人で出来る?
2002年04月16日(火) 使うも、老ひるも左から。

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