白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2009年11月25日(水) 哀愁の大根

大根を干している家を見つけて以来、娘は散歩の行き帰りに必ず大根を見に行っている。「だいこんさぁぁ〜ん」と叫びながら走って行く娘は恋人に会いに行く乙女のように可憐だ。

昨日はついに大根を干しているお宅の人に行き合わせてしまった。毎日、大きな声で「だいこんさぁぁ〜ん」とか「だいこん、いっぱい!」「だいこん、ぶら〜ん」と語りかけているので、私達母娘が日参しているのは、たぶんお気づきのことかと思われる。身の縮む思いだったが「可愛い時期だね。いくつ?よく喋るね」などと、声を掛けて戴いた。子供好きの人のようでホッっとした。

大根は日に日に干からびている。干しているのだから当然なのだけど、大根が日々やせ細っていくのを目の当たりにしていると、なんだか物悲しいような気分に襲われてしまう。

たかが大根。されど大根。じわりじわりと大根が干からびていく様子は、人間の一生にも似ているような気がする。大根は干してお漬け物にするとのこと。なので、干された大根は枯れているのではなくて、次のステージへ移ろうとしているに過ぎないのだけど、傍から見ていると哀愁のような物を感じずにはいられないのだ。

……そんな事を考えながら、しんみりする私の横で娘は常にハイテンションだ。大根に例えるなら娘は「いま、まさに抜いたばかりの泥のついた新鮮大根」だろう。何を見ても楽しく感じるのも無理はない。そして私は「いま、まさに紐にくくられたばかりの大根」ってところか。次のステージはまだ遠く、宙ぶらりんの状態。

大根は日々干からびるけれど「美味しいお漬け物になる」という未来が約束されている。しかし私は大根ではないので自分の未来は自分で作っていかなければならない。薄らぼんやりと干からびるのではなく、人間として、ちゃんと成熟したいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2003年11月25日(火) 自虐ネタ。
2002年11月25日(月) だからこそ感じる孤独。
2001年11月25日(日) 「大丈夫ですか?」

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