今日は、遅ればせながらボジョレー・ヌーボーを開けた。
おかげさまで、風邪も治ったことだし、失業中で時間はたっぷりあるしで
先日「ちゅうぼうですよ」ってな料理番組で出てきた
「チキンの狩人風」という料理を再現してみたりして
乙女な母(彼女は麦酒飲みなんだが)と、愚弟とで、乾杯した。
かぁぁぁっ。うめぇぇぇっ>まい・手料理
ボジョレー・ヌーボーは、新酒なだけに、素人が飲んでみても
美味しいんだか、どうだか謎な味が「チキンの狩人風」は美味しかった。
だいたいからして、料理ってのは手間暇かけただけ
ちゃんと反応を返してきてくれるあたりが、ありがたい。
ちょっと、数学に似ているかも知れないなぁ……と思ったりする。
↑ちなみに私は無類の数学苦手人間だが。
私の作った「チキンの狩人風」が美味しかったから
……か、どうかは激しく疑問だったけれども、楽しい夕食だったりして
居間のテレビで放映していた「自殺(殺害)現場処理行」についても
↑それを仕事とするプロの職人さんのレポートが放映されていた。
やたらと白熱した議論が交わされたのだった。
実体験にもとづいて……あるいは仮定的な問題において。
人が嫌がる仕事をするというのは
正直なところ、並大抵の覚悟では勤まらないと思う。
だが、しかし……である。
人間には、どうしても譲れないラインというものが存在するわけで
私の場合は、ものすご〜く金銭的に困ったとしても
死体及び死骸にまつわる仕事は、勘弁して欲しいと思うのだが
同じ家族でも、その辺の感覚は全く違っているらしく
乙女な母にしても、愚弟にしても
「どうしても譲れないライン」は違っていて面白かった。
「千差万別」ってな言葉があるが、まさに然り。
同じ空気を吸って生きていたって
同じものを感じているとは限らない訳で……
だからこそ、人は、どこまでも孤独を感じたりするのだろうなぁ。
たぶん、それはを分かり合うのは困難とと思われる訳で……
たとえ、誰かと集っていても「サミシイ」とか
そういう感情を持たずには生きられないのだろう……
なんてことを考えつつ、美味しくワインを飲み干した。
↑なにげ〜に陰気っぽくて嫌な感じだったりするが。
ウダウダと、つまらないことを考えつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。