白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2009年02月11日(水) 楽しい時間は永遠に

娘は今日から1歳4ヶ月。最近、お別れの時に泣くことが多くなった。どうやら娘は「別れの寂しさ」を知ったらしい。

今までも、お気に入りの曲が終わる時や、大好きなTV番組が終わる時、あるいはお客様が帰る時に泣いたりすることはあったのだけど「気分良く遊んでいたものを取り上げられた」事に対して、抗議する意味で泣いていたのだけど、最近の泣き方は明らかに「お別れするのが寂しい」と泣いている。なので「バイバイしないさね」と促しても、バイバイを拒否したり、あるいはワーワー泣きじゃくりながら手を振ったりする。

娘はまだ上手くお喋り出来ないので、彼女の口から聞いた訳ではないけれど、娘は「楽しい時間がずっと続けばいいのに」と思っているような気がする。「これでオシマイ」あるいは「さようなら」という言葉に、とても敏感だ。

こんなに幼い子でも別れの寂しさを知らなくてはいけないなんて、人間は切ない生き物だなぁ。

娘が泣いてしまう気持ちは私にもよく理解できる。楽しい時間や、あるいは大好きな人と「お別れ」するのは寂しい。楽しい時間が永遠に続いていったら、どんなにいいだろう。大好きな人とずっと一緒にいられたら、どんなにいいだろう。

だけど、人は別れから逃れることが出来ない。たとえ、それが1歳4ヶ月の幼子であったとしても……だ。

別れは寂しくて切ない。泣きたくなるのも仕方がない。だけど、別れが待っていると分かっているから、その存在がよりいっそう愛しくて大切に思えたりもするのだ。娘にはまだ分からないと思うけれど、いつかその事を伝えたいなぁ……と思う。私はずっと娘と一緒にいてやれない。だからこそ娘とお別れするまでの時間は大切にしたい。

今日も娘は、おばあちゃんとおじちゃんにバイバイするのが嫌だと言って大泣きした。お別れが寂しいといつまでも泣いている娘が愛しくて、思わずギュッっと抱きしめてしまった。寂しさや、悲しみを覚えるのも成長の1つなのだなぁ。これから娘はもっと複雑な感情を知ることになるだろう。出来るだけそばにいて見守ってやりたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】
2007年02月11日(日) 写真館へ行く
2006年02月11日(土) 7日目
2004年02月11日(水) 28代目の戦隊シリーズ
2003年02月11日(火) 婆さまと介護保険と。
2002年02月11日(月) 夢見る建築士・2〜なんと家族が増えたのです〜

白蓮 |MAILHP