白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年11月11日(火) 伴侶の死

先週、列席した叔父の葬儀の際、叔父とはあまり面識の無かった夫が泣いていた。夫は叔父と2回しか会っていないのに、泣くほど思い入れがあったのだろうかと不思議に思い、帰宅してから訊ねたところ叔母が哀しむ様を見て、もらい泣きしてしまったのだと言う。

確かにあの時、叔母は言葉通り嘆き悲しんでいた。
亡くなった叔父は「THE昭和男」とでも言いたいくらい昔風の男だった。無口で頑固。家事は協力しない。妻に愛しているだなんて死んでも口にしない。サラリーマンだったが定年退職後「定年退職の記念旅行」なんてのも行かなかった。酒好きで喧嘩っ早く、浮気はしないようだったけれど、叔父と叔母は決して仲の良い夫婦ではなく、叔母はよく私の母に叔父の愚痴をこぼしていた。

叔母は定年退職をして家にいる叔父の存在をうっとおしく思っていたようだった。叔父の定年退職後は「お父さんが家にいるようになってからストレスが溜まっちゃって」となんてことを言っていたくらいだ。

しかし叔母は葬儀の時、確かに嘆き悲しんでいた。叔母の姿に40年連れ添った夫婦の絆を垣間見たような気がした。傍から見ていると分からなかったけれど、叔母は叔父のことを深く愛していたのだろう。40年も一緒に食卓を囲んできた伴侶がいなくなるって事は、とてつもなく大きいことなのだと思う。

父が亡くなった時、私は伴侶を失った母を本当の意味で思いやることが出来なかった。しかし夫を持った今なに、叔母の嘆きの深さを想像することが出来る。夫婦って、他人同士が一緒に暮らしているに過ぎないのに時を積み重ねることによって特別な存在になっていくのだろうなぁ。

「40年連れ添うって凄いことなんだね」と夫と話をした。

叔母が本当に寂しくなるのは、四十九日が済んだ頃だろうか。どんな手段を持ってしても、叔父の存在を埋めることは出来ないけれど、少しでも叔母の力になりたいなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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