「涙の数だけ強くなれるよ〜」なんて歌詞の歌があったけれど、一般的に苦労人や、傷ついた経験のある人は強くなれたり、人に優しく出来たりする…と言われる。私もずっと、そう信じて疑わなかったが、最近はそんなの関係無いんじゃないかと思いはじめている。
……とは言う物の、辛かったり、悲しかったりと言った経験を重ねる事で、それまでより強くなったり、他人の気持ちを推し量れるようになったりするって事は否定しない。だが、それはあくまでも「そういう事もある」ってだけに過ぎない。辛い経験をした事によって、いっそうダメになったり、冷酷になったりする事もあるように思うのだ。
今日、職場で「いくらなんでも、そんな言い方は酷い!」って言葉(仕事上の話ではなくプライベートで)を聞いた。それは私に向けられたものでは無かったし、本人のいないところでの発言だったけれど憤慨せずにはいられなかった。
私を憤慨させた言葉を吐いた人は若くもなく苦労知らずでもない。むしろ、他の人より沢山泣いたんぢゃないかな…って経歴の持ち主だ。苦労を乗り越える力のある人だけあって強い人ではあるけれど。
つい、何かあると「あの人は苦労人だけあって、人の痛みが分かるのだなあ…」的な発想をしがちだけれど、経歴なんて生かせなければ意味の無い話だ。結局のところ、そういう発想は、ある種の枠にはめて人を見ているのだと思う。少し厳しい言葉を用いるなら「偏見」ってヤツだ。
出来るだけ、人を枠にはめて見ないようにしたいと心がけているつもりだけれど、案外出来て無いものだなぁ…と思い知らされた次第。
苦労人や、逆境にあっても頑張ってる人には、つい目線が甘くなるのは私の悪い癖だ。眼が曇っちゃうのだと思う。『もののけ姫』のアシタカではないが、曇りない眼で物を見るようにしたいものだ。
長々と書いてしまったけれど、要約するとはある言葉を聞いて「酷い! この人は散々辛い経験してるのに、どうして他人の気持ちが計れないんだろう?」と一人勝手に必要異常に憤慨し「てか。そういう思い込みも、どうよ?」と反省した…って話。思い込みを払拭するのはムツカシイかも知れないが、今後は気をつけよう…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
【追記】
携帯から更新したときは問題ない…と思っていたのに帰宅してPCを見たらば文章が文字化けしていた。無念。修正を加えた。