今日は劇的に仕事が早く終わったので、自宅最寄駅のひとつ手前で降りて歩いてみた。
ひとつ手前の駅から自宅までは早足で30分。お散歩がてら歩くのには丁度良い感じ。今の職種になって腰痛デビューしてからは、意識的に歩くようにはしているのだけど、私にとって歩くことは「腰痛対策」と言うよりも、むしろ楽しみの1つになっている。
少しずつ夕闇が濃くなっていく川沿いの道を歩いていると、他所のお家から晩御飯の匂いが漂ってきて、なんだか泣きたいような気持ちになってきてしまった。夕暮れ時というのは子供の頃の記憶を掻き立てられる時間帯らしい。周囲が暗くなってきて「早く家に帰らなきゃ、お母さんに叱られる」という感じは34歳になった今でも、いまだ身体に染み付いているらしい。
子供時代に親からドッサリ愛された記憶は宝物だと思う。無条件に誰かから愛されるのは子供時代の特権。大人になれば「愛し・愛され」が基本。一方的に愛されているように見える人でさえ、よくよく紐解いてみれば何某かのものを相手に与えているものだ。もっとも、それは甘い感情だけでなかったりする事も多いのだけど。
ひとたび大人になってしまえば、あの時享受した無条件の愛情を味わうことは無いのだなぁ……と思うと少し寂しいけれど、そんな時代を過ごさせてもらったって事に感謝しなくちゃいけないのだろう。思えば、好き勝手して死んだ父のことも、乙女な母のことも、本気で嫌いになれないのは、その辺に起因するのかも知れない。愛情という名の感情は、年を重ねるごとに複雑化していくような気がする。
……なんて事を、つらつら考えながら30分歩いて帰宅した。お散歩は考え事をするには持って来いだ。涼しくなってきたことだし、もう少し歩く時間を増やしていきたいなぁ……って事でも今日の日記はこれにてオシマイ。