白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年09月21日(土) 犠牲になるとか、ならないとか。

女・30歳・秋・退職……

10月に仕事を辞めるということを報告すると
仕事関係の人から、まずもって帰ってくるのが「結婚するの?」である。
年齢的に考えてみても、至極自然なことなので
「そ〜ぢゃないんですが通勤が大変になってきちゃって」なんて言いつつ
エヘラ・エヘラと笑って話を誤魔化している。
仕事も慣れてきて、職場の人間関係もスムーズだというのに
あえて、仕事を辞めるとなると、なにかと勘繰られてしまうらしい。
いや、探っても何も出てきませんってば……
本当に仕事と通勤に疲れたから辞めるんだって。

友人にいたっては「そりゃ、お疲れさんだったよね」ってな感じで
辞めることに対して、とやかく言う人は1人もいない。
友人ってのは、当たり前だか友人であるわけだから
私の色々な事情だの、成り行きだのを知ってくれているだけに
イケイケ・ゴーゴーな雰囲気でもって接してくれるのでありかだたい。

この辺までは、どってことのない話。
厄介なのは、中途半端に事情を知っているお節介な年配者達である。
彼らは、ある意味において善意のカタマリだったりするので
三十路女の行く末を心から心配してくれるらしい。

白蓮ちゃんも、もう30歳なんだから、結婚も考えなきゃね。
お母さんと弟さんが心配なのは分かるけど
2人の犠牲になったりしちゃダメよ。
白蓮ちゃんが幸せにならなきゃ、お母さんだって幸せになれないのだから。

なるほど、もっともな意見だし、それなりに有りがたく思うのだが
あまり五月蝿いと、いい加減、嫌になってしまう。
結婚するのはいいとして……だ。
愚弟はともかく、乙女な母の面倒は誰が見るよ?
……って言うか、いまの我が家から私が抜けたら
とたんに生活が破綻しちゃうんだけど、その辺はどうよ?

実際「家族の犠牲になっている」という見方が
正しいかどうかは、ともかく
それは押し付けられたものではなくて
私自身が選んだ選択なのだから
放っておいて欲しいというのが本音だったりするのだ。
犠牲になるとか、ならないとか、そんなのは大した問題じゃないし。

何もかも放り出して家を出る機会が1度もなかった訳ぢゃないが
少なくとも、今の私がそんな道を歩んだとすると
きっと後悔して幸せになれないような気がしたのだ。

そして、もう1つ現実的なことを考えると
いまだ不安定な乙女な母を捨てて家を出たりなんかすると
その時はいいかも知れないが、後々厄介なことになりそうで
大きな厄介よりも、小さな厄介の方がマシかもな
……なんて言う、レベルの低い計算があったのも事実である。
ようするに私は、今のところ自分の進んでいる道が
間違っているとは思っていないのだ。

それにしても、いらぬお節介ってのは鬱陶しいことこの上ない。
たとえ方向が間違っていたとしても出所が「善意」であるだけに
「ウゼェんだよ」と言う訳にもいかないところが辛いなぁ。
そんな訳で今日は日記に愚痴ってみることにした。
愚痴ってスッキリ・キッパリ・サッパリ♪
……ってな感じで、今日の日記は、これにてオシマイ。


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