白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2005年10月14日(金) それも余裕があればこそ

昨日は帰宅が遅かったのだがワンコがまだ生きててくれたのでホッっとした。

「私が帰ってくるまでに死んじゃってるんじゃなかろうか?」と思うと気が気ではなかった。が、その反面で「死んでてもしょうがない。それはそれで仕方ないし」と言い聞かせながら玄関の扉を開ける自分がいる。願わくば家族がいる時に逝って欲しい。1人っきりで逝くのは寂しすぎるから。もっとも、これは残される者の感傷で本人には何ら係わりのない話なのだけど。

彼女はどれくらい頑張れるんだろう。もうまったく食事を受け付けなくなっているので、近いうちにその時が来るのは確かなのだが、命って案外シブトイからなぁ。無理だと分かっているのだけれど「驚異的な回復力で持ち直したりしないだろうか?」なんてことも思ったりする。

ペットと人間を同列にして考えるのは間違っていると思うけれど、父の時はそういう感慨などまったく抱かなかった。日々の生活と資金繰りに精一杯で、亡くなった時でさえ「やれやれ」という感慨こそあれ、哀しみはほとんど感じなかった。弟が事故で死ぬかも……って時は「死なしてなるものか」と思うばかりで「死ぬかも」なんて想像は1度もしなかった。だから「大変だぁ」とは思ったものの、哀しいとは思わなかった。

死んでいこうとする犬を見て、切なくなったり哀しくなったりするのは、心身ともに余裕があるからなんだなぁ……と思う。心底切羽詰まっていたら、感傷に浸っているような時間なんて無いだろう。

今日は現場直行で朝がノンビリ。朝っぱらからウダウダと書き連ねてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年10月14日(木) 姿勢を正す。
2003年10月14日(火) 旅館の朝食と淡島神社の秘密
2002年10月14日(月) 新しい黄門様♪
2001年10月14日(日) たまには真面目に「臓器移植」の話題など。

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