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2024年08月24日(土) ■ |
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イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』 |
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イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』@東京芸術劇場 シアターイースト
開演前は場内暑いな! と思っていたのに、カーテンコールの頃には冷たくなった手を叩くことで温める始末。さて、これは体感のみによることか? 「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」といった小泉八雲の短編が、とある事件の謎解きとなり……さて、はじまりはじまり。
2009年初演の感想はこちら。終演後のロビーや客席の「なんかすごいものを観た!」って熱気、今でもよく憶えてる。あーそうだ、この年の7月って『異人たちとの夏』にも通っていて、幽霊ものの作品ばかり観ていたんだ(笑)。いい夏。 ・『奇ッ怪〜小泉八雲から聞いた話〜』 ・補足
このとき前川さんが「意識していなかった」という夢幻能の劇構造を指摘され、そうかそれなら、と2011年に『現代能楽集』シリーズの一本として上演した二作目がこちら。 ・現代能楽集VI『奇ッ怪 其ノ弐』
三作目は柳田国男『遠野物語』がモチーフ。これはちょっと毛色が違うかな。 ・『遠野物語・奇ッ怪 其ノ参』
今回は一作目と二作目のハイブリッド版という感じでしょうか。ストーリーは一作目のもので、能楽を意識した演出、美術等は二作目。演者は摺り足で入退場、能楽の所作が取り入れられている。ステージは通常より高めに組まれており、能舞台構造ではあるのだが本舞台より後座の方が広く取られているように見える。これは自分の席が最前列だったためそう見えただけかも知れない。本舞台が二分割されているようにも解釈出来る。上手に椿が咲いた枝、下手に祠が据えられている本舞台には、開場時からひとすじの流砂が降り続けている(美術:土岐研一)。サー…という音を耳に馴染ませ乍ら開演を待つ。真後ろの席にいる小学生らしき子どもふたりが「あれ偽物だよね? じゃないとびちゃびちゃになっちゃうよ」などと話している。どうやら砂を水(ミスト)と見間違えていたようだ。成程いわれてみればこのルックと音は水に喩えられる。枯山水ですね。開演直前、止まった流砂の音を引き継ぐように摺り足の音が聴こえてくる。登場人物が現れる。
さて始まってみればその本舞台、作家が長逗留している宿の中庭として機能する。巧い! 中庭の景色を眺め乍ら、作家と客人(実は彼らは事件を追って捜査にやってきた検視官と警察官なのだが)はその土地にまつわる不思議な話を持ち寄り語り合う。彼らは本舞台(中庭)に足を踏み入れることがない。そこへ降りるのはそれぞれ一度だけ。斯くして作家は一線を超え、客人は事件の全容を知る。
今回は能楽もさることながら、連想したのは落語のことだった。安井順平の滑らかな語り口から連想したこともあるが、「宿世の恋」は『牡丹灯籠』として落語でも有名という台詞から。円朝の『牡丹灯籠』は通しで上演すると30時間かかるという。この30時間という長さ、浪人のもとへと通ってくる旗本の娘とそのお付きが現れる時間と符合するのではないか……一日につき4時間ちょっと、それを七日間。偶然だろうが、その時間を耐え抜くか享受するかはこちらの心構えにかかってくる。享受は地獄へと繋がるが、「それが不幸とは限らない」。観劇という業を思い知った次第。
そしてもうひとつ。今回あっと思ったのは、劇中登場しない人物のこと。ここには検視官と警察官が来る前に、もうひとり誰かが訪れている。あの手紙を読み、彼らを葬った「旅の方」がいる筈なのだ。死体遺棄になりますね。しかし、その者は果たして此岸に存在するのか……? ますます報告書を書くのが難しくなりますね(にっこり)。後味もお見事。余韻の深い作品でした。
ドラムのみで進める緊迫感あるパートと、エモーショナルなメロディで進めるドラマティックなパートと、音楽(かみむら周平)もしっくり。しかし! 静かな感動が身に沁みていくのを感じていたラストシーンで、砂を落とす装置が起動するガコン、という音が聴こえてしまったのが惜しい! 現実に引き戻された(笑)。仕方ないんだけどねえ。
浜田信也の人外らしさが活かされた作家像でした。観客を虚構へと誘い、あの世とこの世をぐーるぐる。もともと浮世離れした人物を演じることが多い。前川知大がそう当て書きしているのかもしれないし、どう書いても浜田さんからアウトプットされたものがそうなってしまうのかもしれない。その「結果」が面白い。何かを見ていても何を見ているかわからない目をする。怖いですね。安井さんと盛隆二、ふたりの刑事のキャラクターも魅力的。祠を掘り起こしたときの臭いに安井さんは過剰に反応するけど盛さんはさほど動じず、観察に移る。検視官だからね。こういうさりげないところが見事。神は細部に宿りますね。
余談ですが、前述の子どもたちはどうやら浜田さんの関係者だったらしく(ご親戚か、ご友人のお子さんかな?)、カーテンコールではけるときこちらを流し目でゆったり見て微笑まれたんです。そのときの視線や表情の動きが、一度目と二度目(ダブルコールだったので)で寸分違わず同じだった(ように見えた)のにゾクッ。人間をきっちりコピーして化けた狐かなんかっぽかった。これは人外といわれても仕方がない…役者としてすごい技術を持っているといえばそうなのだが……その美しさと色気にも見惚れてしまった。それにしてもお前……小学生に向かってそんな色気の塊投げてくるかと恐ろしくもなりましたよ(笑)。無意識って罪ね。
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初演もデッドぐまだったっけ……? 思い出せない!
・前川知大×安井順平×森下創×大窪人衛「小泉八雲は”聴覚の人”だと思うんです」〜イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』インタビュー┃SPICE 前川 語り手によって語られている物語が演劇として立ち上がっていく、というような手法を、この作品以降ずっと続けてきたので、語りと演劇のシームレスな演出とかが、異常に進化したと言っていいぐらいみんなうまくなったんですよ。 現実世界から虚構へ、そしてそれが現実への出口になる。このぬるり感がイキウメならでは。そしてそうなのよ、こちらも聴覚を研ぎ澄ませていたからあのガコン、で我に返っちゃったのよ〜(重箱の隅をつつくみたいですみませんね……)
・イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』┃前川知大&浜田信也&盛隆二 インタビュー┃ローチケ演劇宣言! 盛 怪談って、馴染みやすいと思うんですよ。宇宙人に乗っ取られる、とかって想像力がかなり必要じゃないですか。でも、怪談は日本に根付いているものだから、自分で頑張って風呂敷を広げて物語の立ち上がりを作っていかなくても、わかってもらえる。そのカロリーをほかに使えるんですよ。 前川 100%で嘘をつく必要が無いもんね、怪談なら。もう妖怪はいるけど、いいよね、っていうところから始められるんです。 ああ〜この説明、膝を打つわ。そこで思い出したのがこれ↓
・最近SNSで、どうして耳に日焼け止めを塗り忘れてしまうのかという流れから『耳なし芳一の話』でも耳にお経書き忘れたじゃん、忘れるところなんだよ耳は! という話を目にしまして。日本人のくらしに教訓として残っていく伝承と文学作品というものに思いを馳せました
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