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2019年12月21日(土) ■ |
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『神の子』 |
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『神の子』@本多劇場
はーつくづく赤堀雅秋の書くもんが好きだ。芝居納めにいいものを観た。神の子たちはいつでも右往左往、神は見ているだけ。何かがちょっと起こって、誰かがちょっと動いて、状況がちょっとだけ変わる。人生は続く。召される迄の時間はまだちょっとあるみたい。
どの登場人物にもひとついいとこがあるんですよね。あのサラリーマンにしても「女じゃなかったら殴ってる」という(まあ男だったら殴っていいんかというとそういう訳でもないが)。それでいて、近年はやりの「自己責任」を逆手にとる。ホントにダメなひとってのはいる。どうしようもなくて追いつめられていくひともいくけど、自分から追いつめられる状況をつくってしまうひともいる。「偽善者」と罵られた彼は、その言葉どおりに受けとるにはもっと複雑な含みがある。女性へ抱く好意には憧れがあり、命を譲るのは生きる意欲が消えかかっているからだ。生きるのめんどくさいもんね。
台詞にもあるとおり、白か黒かにならないものごとはごまんとある。でもグレーで通すには厳しい現実もある。あるひとにとっての善行が、誰かにとって虫酸が走るようなことだったりね。ごんぎつねよろしくおにぎりがドアノブにひっかけられているというくだりには、客席からちいさな悲鳴があがった(笑)。
そんな「しょうがない人」たちが「生きたい」と思ったとき、傍には何があればよいか。やっぱり神は沈黙している。本人がそれに気付いたとき、何かが変わる。
「グラタンみたいなの買って来てよ」といった台詞を書ける赤堀さんにいつもガツンとやられるんですが、今回その台詞を乗りこなす、いや、もはや乗りまわすといった方がいいかも知れない江口のりこが圧巻。あの台詞量、もはやモノローグなんだけどそうは聴かせない、ちゃんと存在する相手へ投げる言葉の痛いこと笑えること。修羅場の悲喜こもごもは、旨味のある台詞、緩急と間を習得している役者により、それはもう上質なコメディの域に達する。
「家が家だから」という台詞もかなりパンチがありました。昨年蓬莱竜太が書いた『消えていくなら朝』と併せて観たいとも思ったり。蓬莱さんが具体的な宗教団体を描いているのは確実ですが、赤堀さんのそれはちょっとアレンジしてある。教義が違ったからね(ワタシも「家が家だから」そういうとこは気にしますよー)。ただ、そこにいることで安全を得るひとがいるのも真実だ。バレエを諦めた彼女がよすがにしているのが今となっては神ではない、というところもポイント。教義を守るということが目的になってしまうのも危うい。
坂東智代による衣裳が絶妙でした。このひとはこういう服を着るだろう、というのが見事に表現されていた。
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・赤堀・大森・田中・光石(五十音順)の四人で「自分たちのやりたい芝居を上演したい」と始めたこの企画、当の光石さんが参加してないってのにちょっと笑ったんですけど、スケジュールの都合かな。次回は四人揃うといい!
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