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2019年05月01日(水)
『ハイ・ライフ』

『ハイ・ライフ』@ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター2


いやはや、久しぶりのクレール・ドゥニ監督作品はやっぱり強烈。

序盤から見るからに糸吊って撮ったんだなーという無重力の表現があり、「SF映画ってお金かかるもんなあ、手づくり感がかわいいなあ」なんてちょっとクスッとしたりして。そういう箇所は本編中何度かあったのだが、それすらも濃密な鑑賞体験にしてしまう強度がありました。怖い怖い、あっという間に虜です。どなたか「ソダーバーグ版『ソラリス』、『月に囚われた男』、『アンダー・ザ・スキン』に通じる、好きな人はとことん好きなんだろうが自分にはよさが伝わらない」とツイートされてましたがそれそれ、まさにそれ。実際観ている間ソダーバーグ版『ソラリス』のことを思い出していました。ワタシの人生ベストの何本かに入る映画です。

宇宙を漂う「7」の船。乗組員は全員重犯罪者で、死刑、終身刑を免除される代わりにある実験に参加している。その指揮をとる医師も犯罪者。船は他の星に降り立つこともなく、地球へ帰る保証もない。あらゆる欲は船のなかで消費され、リサイクルされる。排泄物は水と飼料になる。乗組員たちは実験体として再利用される。自慰用の「箱」からの分泌物は廃棄されているようだったが、果たしてどうか。想像もつかない高所での生活、ハイソサエティな生活? ハイ・ライフをすごす彼らの長い旅。ジュリエット・ビノシュの肉体と、ロバート・パティンソン、ミア・ゴスの面構えの説得力。

それでもリサイクルには限界がある。閉塞的な空間での人間関係にも限界がある。脱出の先の死と、留まり続け死を待つことの違いは何だろう? 父と子がとった行動には未来という名の可能性があった。一度「ここから逃げ出したらどうなるか」という場面を見せられていたにも関わらず、つい笑顔になってしまう。開放感がこんなに爽快なものだとは、その開けた場所というものが、絶望的な「無」の隣にあった場合、それでもひとは扉を開けてしまうのだ。生まれるのは肯定ばかり。

終盤出会う「9」の船は、ライカやベルカ、ストレルカへのオマージュもあるだろう。一時期(今でも断続的に、か)ソ連の宇宙開発に関しての文献を読みあさっていた。その興味は何かというと「地上からの助けが絶望的となったとき、その船の乗組員は何を考え、何をし、どうなったか」だ。今作におけるミア・ゴス退場シーンのようなこと。つい声に出す言葉、一瞬の間と突如起こる変化。名シーンだ(編集も見事!)。実際(物理学的にも)こうなるかは怪しい。つい「ブラックホールに人間が吸い込まれたら」なんて検索してしまったが、見ることが可能だったとして、人間の目にはこうは映らないらしい。何せ光をも呑み込むブラックホール、目に出来る時間の流れも変わってしまうからだ。実際に目撃することはまず叶わない。宇宙空間で孤独に命を落とした者が何をしたか、誰も知らない。

それがどんなに残酷なものでも、知らないものを見たい欲を満たすことが出来るのは、自分が安全圏にいるからだ。好奇心は留まるところを知らない。この作品はそうした欲をも満たす。作品中の食欲や睡眠欲、性欲と同じように。近年、ライカはロケット発射直後にはもう死んでいたという説が有力だ。そのことに少し安堵していたりもする。「9」の乗組員にも、「7」の彼らにも、等しく死は訪れる。それが少しでも安らかなものであることを願う。
(20190708追記:しかしこういう記事を見つけてまた悲しくなってる。しかもこれMAGUMIのRTで知ったの。当然上田現のことを思い出す訳でね……→・片道切符だった、宇宙で死んだ犬の話┃VAIENCE

映画の闇は宇宙の闇を見せることが出来る。宇宙にも映画にも、畏怖の念を浮かべずにはいられない。この作品の闇、登場人物の表情は、これからもことあるごとに思い出すだろう。

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各国予告編。うう、夢に出そう

・映画『ハイ・ライフ』にオラファー・エリアソンが参加!?┃Casa BRUTUS
監督とビノシュ出演ということ以外何の情報も入れずに行ったので、エリアソン参加というのもエンドロールで知りました、予期せぬプレゼントという感じ。美術、音楽、どれもがシビれるほど魅力的でした、つーか好みで好みで

・クレール・ドゥニのSF新作『High Life』(2018)、ついに公開へ┃IndieTokyo
パンフレットにも載っていましたが、当初にキャスティングは主人公=フィリップ・シーモア・ホフマン、医師=パトリシア・アークエットだったとのこと