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2018年04月11日(水)
『素敵なダイナマイトスキャンダル』

『素敵なダイナマイトスキャンダル』@テアトル新宿

芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった──

原作は末井昭の自伝的エッセイ。既読だったので答えあわせをするように観たところもある。というのも、原作には非常に曖昧な記述が多いのだ。病院に行ったとは書いても、誰の見舞いかは書かない。心配ごとがあると書いてあっても、その内容は書かれていない。しかし、そんな描写にはある程度の予想がつくものだ。映画は、それらの出来事をしっかりと、淡々と描く。殴りあいは小突きあい。慟哭はつぶやき。クレームは身の上話。修羅場は? ズルズルと続くだけ。小銭をバラまきゆらゆら小走り、創刊、発禁、休刊の繰り返し。部数と伝説は淡々と堆積する。金はいくらでも入ってきて、そしていくらでも消えていく。浮いたり沈んだり。それでもまだ人生は終わらない。幸せってなんだろう?

映画は原作の乾いた描写とは異なる肌ざわりで進んでいく。スエイさんがある種の達観を得てこの原作を書く迄の時間が、映画では進行中のものとなる。葛藤や含羞が、柄本佑演じるスエイくんの表情に顕れる。人生は続いていくので、結論は出ない。お母さんが爆発したことは、スエイくんに何をもたらしたのか? お母さんの爆発を売りにしたいのかといわれ口ごもり、すごいと笑ってもらえてホッとする。家族のことがわからないのはお母さんのせいか、おかげか。ひとつ思いあたるのは、あのちいさな村から出ていくきっかけをくれたこと。これが今のところの着地点。

監督は冨永昌敬。音楽は菊地成孔、小田朋美、ペン大。この映像にこの音、至福。登場人物たちの瞳はどれもみな濁っている。峯田和伸演じる近松さんの瞳でさえ、宿した光は潤み、澄んでいるとはいいがたい。男たちのメガネはどれもみな曇っている。寒気のためであったり、ベタつく埃や脂のためだったり。女たちのメガネは曇っていない。対象を、自分の行く末をしっかりと見据えている。前田敦子の凛とした瞳。三浦透子の、いつも遠くを見つめているような瞳。メガネをかけないスエイくんは、ボーヨーとした視点で母親を、母親の浮気相手を、父親を、妻を、浮気相手を見る。淡々とした表情に潜む高揚、狂気、虚無。それらにじわじわと侵食される興奮。柄本佑の面目躍如! この映画には不似合いな快哉を叫びたくなる。

私的目玉のひとつだった、菊地成孔演じる「荒木さん」。モデルは勿論荒木経惟なのだが、彼の役を演じるなんてとんでもない、とあるカメラマンの「荒木さん」というテイでなら、ということでスクリーンデビューでございます。細かいことをいえば2006年に兄上原作『雨の町』にカメオ出演したのが実質デビューになるのではないかとは思いますが(参照:菊地成孔がソロ名義によるシングル“愛の感染”発表│tower.jp)まあいい。このときはうしろ姿と手だけの出演だったので、顔が出て台詞もある(設定と流れだけ決めてあとはアドリブだったそうだが)となるとこっちも緊張するというもの。というかワンシーンだけの出演だと思っていたので予想より沢山出てて狼狽えた。

実際のところ、雑誌に参加した「芸術家」たちとスエイさんとの出会いや交流は、原作でも映画でも描かれない。観客はほぼ全員、あの荒木さんがどの荒木さんなのは承知している。彼を菊地さんが演じるというフックはいい効果になっていた。彼らの青春時代。ある時代のカルチャーに間違いなく名を残し、数々の告発を受け、新しい時代の到来をボーヨーと見つめ乍ら今も生き続けているひとたちの話。青春は終わる。ひとつの時代が終わる。さて、これからどうする? 死に支度だ。スエイさんは今も生きている。余生かはわからない。これが長い。