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2018年02月14日(水) ■ |
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『ロープ 戦場の生命線』 |
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『ロープ 戦場の生命線』@新宿武蔵野館 3
公開初日の二週間程前、たまたま武蔵野館の前を通りかかってこの作品のポスターを見た。ベニシオ・デル・トロが写っていて足が止まる。こんなタイトルの映画にベニーが出ているって情報、あったっけ? と思って観に行ったら……『A Perfect Day』のことだった。おおお通りかかってよかった! 公開に気づいてよかった! 本国公開から三年近く経ってるけど観られてよかったー! いやあ、なんでこの邦題にしたさ…味のある意訳邦題って好きな方なんですけど、これは『パーフェクト・デイ』でよかったと思うぞ……これについては後述します。まあ観られたのでよし。
ユーモアたっぷりの『ハート・ロッカー』、せつない『ノー・マンズ・ランド』のよう。とりあげられている題材は重い。暗澹たる気分になり乍らもクスクス笑い、最後の最後に爽やかな風が吹く。その時間もやがて過ぎ去る。星新一の言葉を思い出す。「われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア。」
和平条約締結後のバルカン半島に赴き、そこで生活しているひとたちを援助するNGOチーム。年齢も経験もさまざま、性格も勿論さまざま。顔を合わせた数秒後には協力して問題解決にあたる。チームのメンバーはずっと同じではない。疲弊して家へ帰る者、無自覚の麻痺あるいは依存を抱えて滞在して続ける者。ここでは「帰りたい」と思えることが必要なことでもある。「帰りたい」感覚がなくなっていることは、チームにどれだけ負荷がかかっているかのひとつの基準になっていると調査官は思っている。チームメンバーのひとりは「ビー」と呼ばれている。BeeかBeaという愛称なのかと思っていたら。「B」だった。もはや記号だ。
意見の相違で一触即発の朝、怒りの時間さえ勿体ない昼、へとへとで眠りにつく夜、山積みの問題がひとつ解決して快哉を叫ぶ朝、そして新たな問題が起きる昼。このほぼ一日が描かれる。決して広くはない土地のあっちへ行ったりこっちへ行ったり、効率が悪く、無駄ではないかと思われる方法で彼らは奮闘する。そうするしかないからだ。現地のひとびととのトラブル、UN(国連)との意見の相違。誰もが平和と安全を確保するために最善の方法を探している。それがまた衝突を生む。
井戸の底から見上げる青空、青空から見下ろす廃墟。こんな気持ちのよい空の下、理不尽で残酷な出来事が起こっている。助けることは出来ない。徒労に終わることも多い。チームがどんなに走りまわっても、身の毛のよだつような体験をしても。あのいぬは餓死してしまうだろう。バスに乗せられた捕虜たちには和平合意など役に立たないだろう。少年はあのお金をサッカーボール同様に奪われてしまうかもしれない。それでもお金を渡してしまう彼の甘さは今後命とりになるかもしれない。それでもここから笑顔がなくなることはない。チームが去ったあと起こるひとつの解決には苦笑しきり、これも笑顔だ。こういう見方もある。それを味方につければ、あともう少し未来を信じてみようかという気持ちになるのでは? 過去の歴史からペーソスを学ぶ。しかし厳しく酷い現実は続く。そんな未来にユーモアを。戦争が生まれる仕組み、援助の仕組みを暴きつつ、滑稽にも見える真剣なやりとりを淡々と開示する。切っ先鋭い長閑さだ。
この作品には「それはパーフェクトな(選択、情報、手段)なのか?」という台詞が頻出する。自分だけでなく仕事仲間、そして何より、自分たちが支援しようとしている現地のひとたちの命に関わることだからだ。そうしたことが伝わらない邦題がちょっと残念。字幕は英語の台詞以外にはつかず、現地のひとのいっていることが解らず困惑するチームや、あることを訳そうとしない通訳の心情を想像させるいい効果になっていた。終盤流れる反戦ソングの定番「Where Have All the Flowers Gone(花はどこへ行った)」の歌詞には字幕がついていました。いい仕事。
そうそう、音楽がまたふるっててですね。バルカンといえばのチョチェクとかを使わずに、バズコックスからラモーンズ、マリリンマンソンとロックがガンガンですよ。しかもアメリカのパンク主流。これがいい皮肉になってる……聴いてるのがティム・ロビンスってとこがまたいい。『ハート・ロッカー』でもミニストリーが効果的に使われていたが、スペイン人である脚本・監督のフェルナンド・レオン・デ・アラノアはどこからこのアイディアを得たのだろう。「この映画をジャンルで分けるとすれば(中略)ひとつ確かなのは、音楽で例えるならパンクロックだということ。速くて、ダイレクトで、気骨があって、時間と闘っている」と話している。
原案は“国境なき医師団”所属の作家、パウラ・ファリアスの小説『Dejarse Llover』だそうだが、遺体の傷み具合や臭いについての描写はドキュメンタリー作品を多数手掛けている監督の手腕だろう。映画において伝えることが難しい触覚と嗅覚を、ひとつのカットで「それがどのくらいのものか」想像させることで刺激する。快適な映画館から、一瞬にして紛争地に放り出されたかのような気持ちになる。そう、今この瞬間も世界のどこかで同様なことが起こっている。
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・A Perfect Day (2015) - Soundtracks│IMDb 使用曲一覧。ニヤニヤしますねえ。ルー・リードの楽曲は複数使われ、エンディングに流れる「There Is No Time」は深い感慨をもたらします。彼にはまさに、の「Perfect Day」というタイトルの曲もあるのですが、これを敢えて? 使わないところもニクいですね。『トレインスポッティング』で使われている印象が強いので避けたのかな?
・ちなみに「Where Have All the Flowers Gone(花はどこへ行った)」、唄っているのはマレーネ・ディートリヒ(!)。アレンジはバート・バカラックだとか(!)
・パンフレットのつくりがちょっと雑、残念。本編で意図的に曖昧にしている部分を断定形で書いていたり、間違いもちょこちょこある(ベニーが『トラフィック』でオスカーをとったのは助演男優賞だし、『デッドマン・ウォーキング』の主演はスーザン・サランドンとショーン・ペンでティムは出演していない)。無記名原稿がこうだと、編集の仕事とは…思ってしまうなあ……。しかし伊勢崎賢治氏の『殺戮の「日常」という寄稿はとてもよかった。UN(国連)とNGOの関係、そのジレンマ。映画では国連の立場をかなりシニカルに描いていたので(NGO側から見ればそうなるわなという流れでもある)尚更読めてよかった
・ちなみにこのコラムで「A Perfect Day」は「天晴れな一日」と訳されていました。この訳もいいなあ
・明るい屋外の光で、ベニーの綺麗なヘイゼルの瞳も堪能出来ます(ベニー好きにはここ重要)。それにしてもベニーも相当大柄なのにティムはもっと大きいし、通訳役のひと(フェジャ・ストゥカン)もベニーより長身だった。どんだけ
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