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2018年01月27日(土)
『秘密の花園』

RooTS Vol.05『秘密の花園』@東京芸術劇場 シアターイースト

好きな要素しかなかった。唐十郎が書く熱を秘めた言葉、福原充則の膂力ある演出、肚を据えて身体を張る演者たち。この作品を舞台に載せる、この役を舞台で生きる、という情熱。こういう舞台が観たかった、だから自分は劇場へ足を運ぶのだ。

着席すると、ずいぶん高くに舞台と装置(美術:稲田美智子)が組んであることに気づく。やがて舞台上のカーブはトンネルを表し、左右に据えられた電柱と電球の位置からこの部屋がアパートの上階にあることがわかる。汽笛が響き暗転、あっという間に劇世界へ連れていかれる導入だ。唐戯曲ならではのテンポの速い、独特なリズム。暴れ馬のような台詞を柄本佑がクールに、しかし皮膚の下の熱を伝えるように声に乗せる。ピシャン! という音とともに開く引き戸、立ち現われる美しき立ち姿の女は寺島しのぶ。この時点ですっかりこの作品に魅了されてしまう。

そして思うのは、自分は唐十郎のフォロワー世代の舞台を観てきたのだということだ。状況劇場には間に合わなかった、唐組には間に合った。しかし紅テントを破るように野外から四畳半へなだれ込む群衆や、「唐!」という大向こうを体験したのは、南河内万歳一座=内藤裕敬の演出作品を観たあとだった。四畳半も、引き戸も、そして長屋に差し込む夕陽も、南河内で刷り込まれた。寺山修司の影を野田秀樹作品から、つかこうへいの姿をいのうえひでのり作品から感じとったときと同じだ。小劇場の歴史は、こうして受け継がれていくのだ。

福原さんの、照れをかなぐり捨てた作品への愛がほとばしる。ここ迄見せてしまった。心を開いて告白してしまった。もう戻れない。まるで作品中で語られる人魚との恋のようじゃないか。人魚と恋におちると語った男は、その後どうなったか。激しい雨、上階に迫る水位、畳敷きの部屋に流れ着いた小舟。泣きやまない赤子たち、温めていた哺乳瓶から火は上がり、粉ミルクの買いものから戻った男の目に映るのは炎に包まれた長屋。失われていく風景、行方不明のこども、停まった時間。火と水の記憶が目の前の現実となる。花園は坂の上にある。青い鳥を探しにいく、流しに現れる海から旅に出る。菖蒲の葉は生き別れのきょうだいや行方知れずのこどもを呼ぶ葉笛になり、聖剣にもなる。下町、流し、菖蒲は一時期の唐作品に頻出するモチーフだ。

田口トモロヲが、抑制された声で観客の想像力を喚起する。パンツを履いているより全裸の方が健全、とでもいいたげな、恥じらいを含んだ情景描写。柄本さんに「いい遺伝子持ってんだからさ」「あなたの倍生きてるんだ」などととばすアドリブも恥じらいの裏返しか。ふざけているのか、と感じさせるギリギリの線を維持し語られる託児所の火事の光景は、すっかり当時と現在を繋いでいる。笑いと慟哭、怒りとやりきれなさ。戻らない時間を喰い潰していくことに飽き飽きしている。その姿はどこか浮世離れしているトモロヲさんに重なる。

池田鉄洋と玉置玲央のやりとりが見事。台詞のリズム、テンポが血肉化され、唐戯曲のそれだ、と感じさせる。久しぶりにイケテツさんの怪演を観られたこともうれしい。玉置さんの身体能力はアングラでこう活きるか。観客の視線と心をかっさらう独壇場のシーンもある。福原さんもポイントとなる外界から介入する人物を力業で演じる。あの水量に打たれ乍ら女性を担ぎ続ける体力、そして気力! 苛酷としかいいようのない、本水に打たれ続けるあの状況で演出家が演者とともに舞台に立つ。共犯関係といおうか、あるいは心中か。心中なんてたまったもんじゃねえという演者もいるだろうが、この座組に関しては言葉にしない部分での信頼関係が頼もしさになっているように思う。

寺島さんの伸びやかな肢体、気風の良いものいい。通る高音、ドスの効いた低音。遺伝子がどうこうなんてどこ吹く風、とにかくカブキもんだ。戯曲の指定か、演出の要求かなどといったこちらの邪推など蹴散らす見得をきり、飛び六方を披露する。長い脚が裾から覗く、ワンピースが襦袢に見えてくる。台詞のキレと説得力。いんやつくづく私、寺島さん大好きよな……。柄本さんは、この作品の初演で父親が演じた役を担う。あの柄本明がこの役を? 想像がつかない。と思わせられてしまう人物造形。飄々と、しかし繊細に。水の女と火の男の間を迷い漂う男。純な佇まいに美が宿る。綺麗なひとだなあ、掃き溜めに鶴、と思う一瞬がある。下町のさびれたボロアパートに日々通うその姿は照明(斎藤真一郎)の力もあれど、自身が光を発しているようにも見えた。

福原演出ならでは! 本水の扱いに慣れており(この使い方に許可を出した芸劇側にも拍手だわ)、それに伴う音響(高塩顕)も見事。嵐を本水による音と雨音の効果音で構成し、台詞と衝突しないような配慮がある。役者が雨音に負けまいと無理に声を張るということがなく、唐戯曲の台詞の心地よさが際立つ。焦燥と刹那、戻らない時間を針でとめようとする情熱。二度と観られないのが舞台だ。それを思い知らせてくれた。

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・まーそれにしても本水の使いっぷり半端なかった。しかもこの季節に。皆さん千秋楽迄ご無事で…特にトモロヲさん、ご自分でネタにしてたように年齢的に……最年長だよね

・アーティストインタビュー 福原充則(劇作家・演出家)「現実に太刀打ちできるフィクションをつくりたい」│Performing Arts Network Japan
「お客さんに伝えたいのは役者が勝手に掘り下げた人物なんかじゃないと思っているので。観る側のどこかにある想像力のスイッチを押せればよくて」

・福原充則『秘密の花園』で“芸劇おっぱい”吸い尽くし宣言 そのままの形では返さない?│チェリー
「『演出家って戯曲変えていいんだっけ?』って思うところがちょっとあって。じゃあ、自分で書けよと思っちゃう(笑)。変えなくても演出で面白くできると信じてるんです。戯曲をいじらなくても演出でどうにかなる、役者の演じ方で面白くなるって思ってるんですよね」

・ブラームス「弦楽六重奏曲」第1番 第2楽章の思い出:映画<恋人たち>のテーマ│陸奥月旦抄
テーマ曲のように劇中何度も流れるブラームスの弦楽六重奏、第1番、第2楽章。この曲の背景、ヌーヴェルヴァーグにおける起用履歴をこのブログ記事で知り膝を打つ。唐さんもきっとこの映画を観たのだろう

・ちなみにもう一曲、テーマとして流れていたのは岩崎宏美の「すみれ色の涙」でした。これはギリギリわかる世代ですわ

・柄本兄弟、ここんとこ舞台で続けて時生くんを観ていたので、やっと佑くんが観られた〜という気分だった(笑)