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2017年08月26日(土)
フキコシ・ソロ・アクト・ライブ『  夜  』

フキコシ・ソロ・アクト・ライブ『  夜  』- la nuit - 〜俳優、吹越満の演芸 終わりの始まりを飾るシリーズ、1〜@東京グローブ座

『スペシャル』以来、なんと8年ぶりだそうです。人生の終焉へと向かう意味での夜。しかし夜は長く、そう自覚してから生きていく時間も長い。でも、夜っていいもんですね。と気づかされもする。

シティボーイズの“ファイナル Part.1”もそうだったが(思えばこれもグローブ座だったな)、身体表現の側面が強い芸人(吹越さんは役者でもあるが、ソロアクトについては芸人としての文脈で書きます)の舞台を長く観続けることは、その「衰え」の足跡を辿ることでもある。彼らがいつ迄舞台に立ち続けるかと、いつ終わるともしれぬ「終わり」「ファイナル」へと足を運ぶ。体力が落ちる。筋力が落ち、その「力強さ」だけでなく、体を動かす「速度」も変わる。それがかつての感覚を覚えている頭と一致しなくなってくる。ものをとり落とす、息があがる、脳に酸素がいかなくなって呂律がまわらなくなる。それをも笑いの要素にとり込んで見せる。しかしあまりにも弱っていると笑えないので、笑える表現になるような身体を最低限でも維持する。さて、それからどうしよう?

吹越さんは、観客を自室に招待してくれた。吹越さんの頭の中、吹越さんがひとり夜をすごす部屋へ。

夜。吹越さんが部屋でひとり、ネタを考える。アイディアをひとり、形にしては失敗する。成功して喜ぶ。あまりのくだらなさに我に返る。新しいネタ、かつてのあのネタ、このネタを披露していく。夜、ひとりで考えたネタは昼、稽古場でさまざまなひとたちの協力によって具体化される。映像とのシンクロ、照明と音とのタイミング、ひたすら精度をあげる作業。そしてまた夜(マチネもあるが)、ようやくステージで披露される。その夜はひとりではなく、スタッフと観客とともにすごす。そしてまたひとりの部屋に帰る。部屋と舞台のいったりきたり。今回はその「部屋」をも舞台に持ち込む。以前の公演では、ときどきカーテンコールでボツネタ供養のコーナーが設けられた。今回はそれを、「ひとりの部屋で思いついたはいいが、あまりにもくだらなくてふくらませることがなかったネタ」として本編にもってきた。ボツネタといっても、他のひとには思いつかないようなアイディアばかりが並ぶので、観るのはとても楽しい。吹越さんの部屋は吹越さんの脳内でもある。恥ずかしくて見せられないようなアイディアを生むところを、観客に見せてくれたのだ。

ご本人いうところの「ズドーンと落ちてる」体力を、どう見せているか観る。かつてのネタが繰り返されるとき、どこが変わっているか観る。ネタの精度は変わらない。上半身は以前より鍛えているようにすら見えるし(上腕にあそこ迄筋肉ついていたっけ?)、見た目の印象は変わらない。しかし演じているとき、演じ終えたあとの様子が違う。顔貌には深く皺が刻まれ、以前より汗をかいているように思う。その色気を観る。下ネタがガクッと減ったのは何故だろう。そんなことを考え乍らクスクス笑い、ニヤニヤ笑い、声を出して笑う。アイディアに毎回驚かされ、それを形に出来る身体をもアイディアに満ちていることに驚かされる。

吹越さんのネタ(アイディア)は、ライセンス制にしてさまざまなひと、身体の表現として観てみたいと思わせられることがある。しかしあのユーモアと、清廉さと、下ネタの気味のわるさ(笑)にこんな美しいものが潜んでいたのかと気づかされる驚きは、きっと吹越さんの身体からしか生まれないものだろう。一代限りの芸、について考えさせられる。

終わりの始まりはまだまだ長い。この時間がまだまだ続きますよう、またの機会がありますように。

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・カーテンコールのネタは日替わりなんでしょうか。この日はダブルアンコールで、一度目はロボコップ演芸(!)、二度目のときには「なんですか」「いやね、ひとにきてもらえるとうれしくなっちゃってね、やっちゃうんですよ……」なんてブツブツいい乍らもひとつネタを披露してくれました

・本日も最前ド真ん中でして、また客いじりされて失敗したら(『スペシャル』の頁参照)どうしようという緊張感がありましたがふられないでホッとした……