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2017年08月27日(日)
八月納涼歌舞伎 第三部『野田版 桜の森の満開の下』

八月納涼歌舞伎 第三部『野田版 桜の森の満開の下』@歌舞伎座

桜が咲き乱れているのに真夏の夜の夢を見たかのよう。目をあげるとそこに夜長姫はいない。鬼もいない。心に鬼をすまわせる男がひとり、そして彼もまた消えてしまう。今は空も荒れ気味だ、真夏に桜が咲くのも乙だろう。

『桜〜』というと、思い出すのは空間のことだ。吊られる早寝姫に日本青年館の天井高を実感し、駆けていく耳男に新国立中劇場の奥行きを感じる。歌舞伎座は、横長の舞台を桜で埋め尽くした。舞台の外は暗い。空はひとの手に届かない。「いやあ、まいった、まいったなあ」という台詞が今迄と違う意味あいで感じられたことがおそろしく、この作品が遂に歌舞伎で上演されたことに感慨を覚える。本当に美しく、恐ろしい作品。

昨年から観劇のモチベーションがおちているのは自分でも気づいていて、その理由は蜷川幸雄の逝去だという自覚がある。「記録・継承が課題で、誰がどんな形で上演していたかすら、時とともに散逸し、歴史の中に埋もれてしまう」演劇作品を承継するため、遺族はニナガワカンパニーを設立した。時間のかかることだ、成果はまだ見えない。あの演出家がつくりだしたものをどう継承していけばいいのか、誰もが模索し続けている。

演出家がまだ現役であること、そして劇作家でもあることから比べられはしないが、野田秀樹の『桜〜』はひとつの道を見出したように思った。演劇作品の継承には、とにかく役者の身体が必要だ。中村勘九郎と中村七之助という役者がそれをうけもった。歌舞伎は継承の芸術、そのために所作がある。型がある。『桜〜』は肉体と型というふたつの要素を手に入れた。そして歌舞伎座という容れものと、七五調に書き改められた台詞を得て、歌舞伎として引き継がれた。観客は継承するものを待っている。作品というもの、それを体現するもの、そのなかにすまう鬼を見たいと思っている。「いやあ、まいった、まいったなあ」と思い乍ら。

歌舞伎という芸能の強さを観た思い。次を考える。野田さんがいつの日か、勘九郎さんが、七之助さんが。それでもこの作品は引き継がれるのではないか。そして、あらゆる演劇作品がそうなるにはどうしたらいいのだろう? 歌舞伎にしても、その一代でしか観られないものがあることは理解している。それでも、あらゆる役者の肉体で語られることを前提(といってもいい)とする歌舞伎の力に感謝する。

どうにもこうにもこの日しか行けなかったのでリピート出来なかったのがくやしいが、千穐楽を観られたのはうれしかったな……終わったばかりなのにせっかちだけど、いつの日かの再演を待っています。

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その他。

・この作品の通奏低音ともいえるプッチーニの歌劇『ジャンニ・スキッキ』「私のお父さん」。思えば映画『異人たちとの夏』でも使われていた。異人と一緒にはいられない、ひとりで去り、ひとりでいかねばならない。耳男と夜長姫の別れに、原田と桂を思わず重ねる。映画の公開は1988年、『贋作・桜の森の満開の下』の初演は1989年。何故今になって思い出したのだろう。夏に観たからだろうか

・もう“贋作”として上演されることはないのだろうか?

・「狭き門より入れ」って台詞があったんだなあ。すっかり忘れていた。そうか、あの門は…ともなる

・事前に知っていたからという贔屓目もあるかもしれないが、冒頭、暗転の暗闇から聴こえてくるあの「音」は、観客を作品世界へと誘うのにうってつけだった。歌舞伎からスクエアプッシャー迄PAを愛しPAに愛された男、zAkさんいい仕事

・あとすごい本編と関係ないんだけど、前日にフキコシソロアクトでロボコップ演芸観たんですよ。猿弥さんがウィーンガシャンッってやりだしたときはすごいうろたえました。まさか二日連続で…ロボを……