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2017年08月11日(金) ■ |
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『ハイバイ、もよおす』 |
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ハイバイ『ハイバイ、もよおす』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ
公演案内のフライヤーには『ハイバイの裏メニュー、傑作中編4本一挙放出!!』とありましたが、当日来てみれば三本立てになっておりました。「4本で2時間30分くらい」と予告されていたので、この枠におさめるため「一人芝居」はカットされたのかもしれません。しかし岩井秀人が担当した前説やブリッジ部分をひとり芝居のパートと考えると面白いものがありました。出演に岩井さんはクレジットされているし、テキ屋な衣装もバッチリ決まってたし(金のチェーン、金の腕時計と徹底していた・笑)。
『RPG演劇のニセモノ』、つづいて『大衆演劇のニセモノ』。演劇を疑ってかかる、岩井さんをはじめとするハイバイの面々が嬉々としてニセモノを演じます。翌日に『プレイヤー』を観たのですが、これを岩井さんが演出したらどうなるかなーなんてことも後日考えました。何かを信じること、演じることをとにかく一度疑ってみる。意地悪な視線でもあるし、批評眼にもなる。一歩間違えば嘲笑になるそれを、「いやいや、これおかしくない?」という暴走への抑止力としてみせる。とはいっても結局それは抑止にはならず、暴走の果てが悲しくおかしいものになる。
実際ものごとを信じる、いや信じ込む力というのは恐ろしいもので、それは確かに演劇を観るにあたっての想像力と紙一重。それらを喚起する一種集団催眠のような力は使い方によって宗教にもなる。観る側の資質もあるが、演出家の提示方法によるところも大きい。娯楽として消費するか、自身の糧にするか、それが依存になるか。『大衆演劇のニセモノ』をそれはそれは恐ろしい目つきで(この目な。ご本人のコメント「シカーノ岩井、目の下デルトロ」には笑った)見つめ、ノートに何か書いていた岩井さん。ダメだし用のメモをとっていたのかもしれないが、敢えてそれを客席から見えるところでやっているところにも「演出家の演技」を感じて、この目はある種の安心になるなと思ったりもしました。
最後に上演されたのは『ゴッチン娘』。後藤剛範の肉体を逆手にとり、社会的/生物学的に与えられた役割に苦しむ人物を描き出す。切実なシーンに笑い乍ら思わず涙。ハイバイの笑いはいつも苦しい。同時に「そうだ、こういう見立てで笑うことも出来るのだ」という道にも気づかせてくれる。『山月記』な展開にドキドキしつつ、ゴッチンの人生に思いを馳せました。
といろいろと考えはするのですが、実際観ているときはとても楽しいというのもハイバイの魅力。RPG演劇では田村健太郎のキレッキレの身のこなしに見とれ、大衆演劇では上田遥のこどもっぷりに歓喜。あの格好なんていうんだっけ、こども作務衣みたいなの。あれが似合うのなんのでな…かわいくてな……声も大好き! 見得を切る平原テツと黒田大輔(痩せたよねー…健康ならよい)に向けられるスマホ(隣のひとはマジのいいカメラで撮りまくっていた)の「カシャカシャカシャ」という連写音がまた笑いを呼び、芝居の途中で役者名をコールする場内アナウンスに笑ったあと成程と思う。初めて出会う未知の世界をこう見つめ、そして「どう?」と提示する岩井さん、やっぱり怖いです(笑顔で)。
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・『ハイバイ、もよおす』 - Togetterまとめ 本家のマナーにならい、大衆演劇パートは撮影推奨でした。場面集としても楽しめます。見返してニヤニヤしてます
・It's a family affair. ハイバイ・岩井秀人と写真家・植本一子。家族の理想のカタチはあるのか? | feature | HOUYHNHNM 面白かった対談。植本さんはECDのパートナーでもあり、その著作は確かにハイバイと通じるものがある。実のところハイバイで上演してみてほしいと思ったりもするし、ではサンプル松井周が上演したらどうなるだろう? と思ったりもする。こわいこわい
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