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2012年12月22日(土)
『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』KERAバージョン

『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』KERAバージョン@シアターコクーン

演出対決、まずはケラさんヴァージョンから。

4時間10分オッケーオッケー、あとは観る側と劇場のコンディション次第かと。例えばこれをスズナリで、とかだったらもう無理です、私は。CBGK!でも無理だ、腰が肩がもたん=集中力がもたん。劇場のコンディションと言うのは、席の位置にもよるかも知れませんが、三幕目すごく暖房が効いてきて暑くて暑くて、のぼせそうになったのですよ…4時間半になってたら集中力切れてたと思う。

とは言うものの、実際スズナリで上演すると言うことだったら、そこは考慮されたと思います。劇作家としてのケラさんは上演時間の長さについて文句言うな、物語にはこんだけ必要なんじゃとよく言っておられますが、演出家としてのケラさんもいるわけですし。二回休憩の三幕と言う構成、通路を使った芝居、火薬を使う派手なドンパチ等にはコクーンで上演するからこそ、と言う演出家としてのサービス精神。冒頭のギリシャ悲劇に言及する群唱、コロス、伝令の登場、予言者としてのカッサンドラや両目を失うオイディプスと言ったモチーフが散見されたところには、この後蜷川さんが演出すると言うところを意識したと思われる作家としてのサービス精神を感じました。作家、演出家、そして興行のバランス。皆が納得いく形のギリギリと言ったところを模索しつつ、なおかつ書きたいものを書く作業の難しさを垣間見たようにも思います。

とは言うものの観客がそんなとこ迄気にしてどうするってのもある訳で。作品自体の面白さは変わりません。ある町の災厄―人災とも言える―を、途中から途中迄観測する。街の姿を通して住人たちの人生を俯瞰する、ただ見ていると言う神の視点。滅びの予感は自殺する鳥たちに顕著で、人々の祈りは怪物に姿を変え還ってくる。芝居にも絡むパスカルズの音楽も相まって、大人のおとぎ話と言う側面が強く感じられました。それが恐ろしいと言う意味でも。ケラさんが仰っていた『三人姉妹』『カラマーゾフの兄弟』のモチーフも組み込まれ、ロシアかぶれ中(しつこい)には楽しい空気。

興味深かったのは舞台美術が二層になっていたような…ってこれ見間違いだったら話にならんのですが、リピートする余裕がないので話半分で読んで頂ければ……。ケラさん本人がパンフで仰ってる「どうやって転換するの?」ってとこが可視化してるところがあったように思います。つまり、空間が分割されている。このシーンの上手が教会なら、下手にあるのは墓地の筈だが、違うものがある。こうしておかないと次のシーンに転換が間に合わないと言う必要があってのことかも知れませんが、観ている分には問題がない。『百年の秘密』でもありましたよね。こちらの場合は、年代からすると確実に死んでいる人物が登場し、自分が知る筈のないこと=自分の死後の出来事をも語る、と言うものでした。空間や時間の歪みを作品世界として自在に扱えると言うのは、演劇ならではの面白さだなと思いました。

役者陣は、えっ蜷川さんじゃなくてこっちなの、と言う出演者もぽつぽついてそこがまた面白い。公園くんがよかったなー。神職を離れていく迷いの多い青年。恋愛にも友情にも、富にも権力にも没頭出来ない。小出くんの揺れもよかった、心優しくか弱い青年だけど、状況によってゾッとする程の残酷さを見せる。白痴パキオテは、笑いをとる面とそれが切なさに転ずる面両方を表現しなければならない難しい役所ですが、大倉くんホントこういうの強い。倫理観、罪の意識がズレている三姉妹は、そういう世界に生まれ育っているからこその品の良さを併せ持たねばなりませんが、久世さん、緒川さん、安倍さんは納得の娘たち。銃を撃ちまくるシーン、怖くてよかったなあ。

わるい成志さんもよかった…ああいう下衆な役、このひとがやるとホンットにくらしい(ほめてる)。なんだろうなああのいやらしさ(ほめてる)。ところで私が観た回、成志さんが出て来た途端客席から笑いが出たんですが何故…特に何もおかしな言動してなかったのに。どうして!

あ、あとほんもののうさぎがかわいかったです。

欲望は純粋な祈りになる。祈りは怪物へと姿を変える。さて、蜷川さん版はどうなるかな、楽しみです。