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2010年11月28日(日)
『パブリック・ドメイン』

フェスティバル/トーキョー『パブリック・ドメイン』@池袋西口公園

ロジェ・ベルナットがコンセプトと演出を手掛けたこの作品は、観客が出演者になります。と言う訳で出演してきました。観客参加型の演劇は少なくありませんが、観客のみで演劇を進行する作品は珍しい。参加者=出演者は約150人、上演時間は一時間強。

立ち入り禁止区域等指定していない公園のど真ん中でやるので、通常で言うところの観客はその公園に居合わせたひとたちになります。何やってんだとずっと見ているひとが結構いた。あと公園周辺が根城らしいホームレスのひとたちも見てたなー。上演途中、披露宴の帰りか引き出物っぽい紙袋を持ったいい気分の集団がなんだなんだ何やってんのと笑い乍らエリアの真ん中を横切っていくハプニングもありました(笑)。

会場である池袋西口公園に着くと受付があり、名前、電話番号と交換でヘッドフォンを受け取ります。スタッフのホイッスルが開演の合図。ヘッドフォンを装着して、そこから聴こえてくる質問や指示に従って動きます。質問、指示は合計250。この質問と言うのがひとくせある。

最初ささんと行こうと言ってたところ日程が合わなくてひとりで行ったんだけど、いやこれはひとりで参加してよかったわ…非常にパーソナルな質問が続くのです。居住エリア、年収、家族について、宗教観、セクシャリティ。他者を意識せざるを得ない質問もあり、嘘をつく局面もあります(つかないひともいるだろうが)。これ知り合いと一緒に参加したら結構気まずくなりそうだでー。実際複数人で参加して、動きに迷っているひとがちらほら。反面、タブー気味な質問に堂々と応えて行動するひとが妙にドヤ顔になっていたり(笑)。それを見ているひとたちの視線も興味深いものでした。

そうこうするうち、外国で生まれたひとには蛍光色の黄色で背中に赤十字が描かれているベスト、東京出身者にはオレンジ色のジャケット、地方出身者には紺色のジャケットが配布され、それを着ることを指示されます。それ迄クラシック曲が流れていたヘッドフォンから『宇宙戦争』のサントラが流れ始め、次第に不穏な雰囲気が漂い始めます。そこで出演者は、着ている服が何を意味するのか、自分が何者を演じる役割なのかを知ることになります。

公園の広場はデモやテロが起きた現場になり、紺=警官とオレンジ=囚人が対峙し、警官によって撃たれた囚人には黄=看護師が介抱に向かう。オレンジ色のジャケットと黄色のベストを両方着ているひと(外国生まれ東京育ちってことでしょうか)などは、迫害を受けつつ介抱すると言う複雑な役回りに(役の割り振りは細分化され、同時に行動を起こす場面はありませんでしたが)。名指しで個人を動かす場面もあって、これにはビックリしたわー。名前呼ばれたひと「ええっ!!!」と悲鳴あげてた。あれはビビるわね…いきなりヘッドフォンから自分の名前が聴こえてくるんだもの。しかもそのひと、死ぬ役だった(苦笑)。和やかに、時には笑いも交えて行動していた出演者の間に困惑と緊張が走ります。怪我人を助けたい心境でいても、囚人をレイプしたり処刑する立場だったりするのです。

この心境と役割の乖離は、他者の介入を許さない自分の中で、自身と対峙することを促します。それとともに、自分と他者の共通点にも気付かされる。自己が希薄になり、パブリックドメインそのものになっていく。

音楽にもヒントがありました。ポイント毎にヘッドフォンから流れてくるモーツァルトの『魔笛』には、ひとつずつ解説が付加されていきます。『魔笛』は収入を得るため=金のために作られた、フリーメイソンを暗示している、芸術に対価はあるのか……それをあなたは了解していますか?作曲の過程を知った上で、この曲に高揚感や好意を持ちますか?もしそうなら、広場の中央に進み出てダンスを踊ってください。解説を聴く毎に、曲に対する印象も揺らぎます。

こう書くとややネガティヴな印象を受けますが、この作品には意外にも暖かみや包容力を感じる幕切れが用意されていました。終盤観客=出演者たちは、広場にあるステージの裏に誘導される。そこにはミニチュアの広場と人間たちの模型が置かれている。ヘッドフォンには質問が流れ続ける。しかし出演者はもう動くことはない。ミニチュア模型と、ステージ裏に張られたスクリーンにただただ見入る。スクリーンには、ミニチュア模型の世界が映し出されている。銃を向けるひと、両手を挙げるひと、倒れているひと、それを介抱するひと……。

今自分は警官の役を演じる立場にいるけれど、意識は別のところにある。自分のこころは誰にも侵略されることはない。同じ質問を聴いていても、その答えは出演者全員違うものなのだ。『パブリック・ドメイン』は、共通性を持ち乍らただひとつとして同じものはない出演者たちそれぞれの物語を持ち帰る作品になる。

スクリーンにエンドロールが流れ始める。『本日の出演者:登場順』として、参加者の名前が映し出される。受付で渡した名前がここで使われるとは(笑)上演中にスタッフが入力してるんですねー。毎回のことだから結構な手間、ちょっと嬉しくなったりしました。全てが終わると、出演者たちから自然と拍手が起こりました。この拍手は誰に向けられたものなのかな。穏やかな表情の出演者たちは劇場にやってきた観客に戻り、集団は分解し、ぱらぱらと広場へと散っていきます。ヘッドフォンを返却すればもうどこにも出演者たちの関係を証明するものはない、やっぱり心の中にしかない。一期一会。

ベルナットはこの作品について語るとき、ランシエールの本に引用されていたフレーズ「劇場とは過去においても現在も、集団としての観客が自らと対峙する唯一の場所である」をあげていました。ひとりひとりは、必ず何かと共通点を持ち、決して物理的な孤独は有り得ない。同時に、それでもひとりでしかないのです。それは悲しいことであると同時に、喜ばしいことでもあるのだと感じました。

・Time Out Tokyo『観客演劇「パブリック・ドメイン」』

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今回のフェスティバル/トーキョーのテーマは『演劇を脱ぐ』。舞台上でおこることを観に行く、だけでは済まない作品が多く非常に興味深かったです。『パブリック・ドメイン』を筆頭に、飴屋さんの『わたしのすがた』、やなぎみわさんの『カフェ・ロッテンマイヤー』(『パブリック〜』後ちょっとだけ覗くことが出来ました。盛況だったよー)もそうだな…高山明さんの『完全避難マニュアル 東京版』に参加出来なかったのがこころのこり(登録はしてたんだけど行く暇がなかった…)。次回は一年後。楽しみです。

そういえばこの記事面白かった(笑)→・日経ウーマンオンライン『HOOTERSとロッテンマイヤー』