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2009年11月22日(日)
『4.48サイコシス』

『4.48サイコシス』@あうるすぽっと

飴屋さんの舞台に行くと、必ずあの舞台に立っていたひとたちにまた会いたくなる。でも、会えることは絶対にない。

鬱病を患った果てに自殺した劇作家、サラ・ケインの戯曲。自己嫌悪とこの世での生きにくさと他者への妬み、憎しみを頭の中に渦巻かせ乍ら、あらゆる薬物漬けになり(それは処方薬ではあるのだが)混濁した意識状態の続いていた彼女が、午前4時48分に明晰な頭脳を取り戻す。憑かれたように彼女は書いたのだろう。これを書き留めておかなければ、これを遺さなければ、これを他者の目に触れさせ、他者の身体を通して声にしてもらわなければ。私はこの世界ではもう生きていく気力がないけれど、せめてこの世界にいた痕跡を遺したい。劇作家なら、おそらくそう思い作品としてこのテキストを生み出したと推測される。劇作家の作品は、記されて完結するのではなく、他者が演じ、そしてその舞台に立ち会う観客がいてこそ現存し得る。

舞台上で起こる出来事は、呪詛のようなモノローグ、理解し合えない精神科医への憎しみと、理解しえない乍らも一瞬の意識のふれあいを慈しむような繊細さと、現実世界との距離の遠さと膨大な悲しみ。

実際のテキストがどう記されていたかは知る由もない。知っているのは翻訳家と演出家のみだろう。そして演出家はこう構成した。誤読であるかどうかは判らない。しかし誤読だと言えるひとはいない。イギリス人であるサラ・ケインの作品は、こうして初冬の日本の、池袋の舞台に立ち上がっている。この作品を観た誰もが彼女のことを思い、舞台に立った人物たちのことを思い、ラストシーンで客席にいる筈の自分が舞台上の人物として見つめ返される時、その視線の交差によって自分のことを思う。二度と会えないわたしたちは、しかし、今ここで会うことが出来たのだ。また会いたい。でももう会えない。

以下具体的な状況をメモしておきます。楽日も過ぎましたのでネタバレしています。

・ロビーに血のプールと、転倒しプールに半分程沈み込んでいるバイクの展示
・TECHNOCRATの『Dutch Life vol.4 COMING OUT』を思い出した
・『COMING OUT』とは、1993年にレントゲン藝術研究所で発表された作品。腐敗防止用の冷却装置付きの浅いプールに、100人以上の人物から採取された50リットルの血液が、抗凝固剤を加えられた状態で循環している。そこにはHIVポジティヴとネガティヴの血液が混在している。水面(血面?)には、“I am transmitted with HIV.”と言うテキストが映し出される。「私はHIVウィルスに感染しました。しかし、このウィルスは空気感染しません」。血液採取に参加した全員の名簿も配布された。田口トモロヲさんや、嶋田久作さんも本名で参加していた
・サダヲさんも参加したってどこかで読んだ気がするけれど、名簿見たら載ってないな…
・展示作品を観る際、HIV展示への確認と自己責任に関して同意署名が必要だった

・整理番号順に並ばされ、開演15分前に入場すると舞台上に椅子が設置されていた。つまり客席側が演技エリア
・ステージと客席の間にまたもや血のプール
・出演者は『転校生』『3人いる!』に参加していたひとたちと、ホーメイ歌手のパフォーマー山川冬樹さん、計12名。他にもいろんなところから参加しているのだろう。年齢も国籍もバラバラ
・自分が観た『3人いる!』×2公演から、3人が出演していた。立川貴一、小駒豪、ハリー・ナップ(敬称略)。皆が重要、皆が替えがきかない
・違う人物を演じていることになるけれど、なんだか一方的に再会出来たような気分になって嬉しかったな…
・ステージ(つまり客席側)頭上の、従来は照明オペレーターが照明を操作するようなエリアにパーカッションが2セット設置。演奏もありました。演奏と言うか…ビートを刻む役割
・スピーカー配置もかなり独特だった。音に包まれるような感覚。音楽の他に、コオロギの羽音や心音が流れていた
・音響設計とミキシングはZAKさん。サポートで浜里堅太郎さん

・終演のアナウンスとともに、客席に観客たちが入場して来る(初日直前、急遽エキストラを募集していた)。彼らは席に座り、ステージ(つまりこちら側)を見つめる。しばらくして幕がひかれる

舞台上の演者と音響、照明を通して、観客はサラ・ケインの頭の中にダイヴする。彼女の意識とともに、限りなく死へ近付く。その縁を覗き込む。死にたい、死にたい、この世界で生きていられない。でも何故?何故自分はここで生きていけないの?死んではいけないとか、生きておかなければいけないとか、そんな教訓めいたことなど浮かばない。ただただ、彼女の心に寄り添って立っているだけ。観ているだけ。何も出来ない、引きずり込まれる、疲弊が澱のように積もっていく。

彼女の叫びと観客の間に存在するのが山川さん。彼は天井から逆さ吊りになって登場し、言い争う患者と医師(の役を演じる人物)を前に叫び呟き、唄う。そして最後には血のプールに沈んでいく。長い長い髪が次第に血に沈み、見えなくなる。

あなたを助けることは出来ない。でも、この世界はあなたを拒絶してはいない。そんなふうに聴こえたのは勝手な解釈かも知れない。しかし彼の声は、生命力に満ちていた。

サさん曰く「あんなに倍音出てるひと、チベットの坊さん以外で初めて観た」。私もチベットの坊さんのホーメイはジンガロの『ルンタ』でしか生では聴いたことがないけれど、確かにあれに匹敵する…いや匹敵とかそういう言葉では括れないな……あれは山川さんだけの声だから。文字通り身体が震えるような声だった。共鳴して震える感じ。ブレス、ロングトーンと続けるところがあったんだけど、アタックの声をひずませるのね。それが皮膚にビリッときた。うおー今思い返していたら涙出ちゃった(おい)。

生まれ変わりを信じてはいない。しかし、今度サラ・ケインがこの世界に来ることがあったら、4時48分が来て、彼女の意識が晴れ、ここにいられるかも知れないと思うことがあったら。今度はひょっとしたらうまくやっていけるかもしれない。いや、そもそもうまくやっていけるひとなどいない。たまたま今回はこうなってしまった。でも今度は違うかも知れない。そう思わせてもらえるなんて、こんなに苦しい舞台だったのに、まるで心が軽くなるかのような終幕だった。二度と観られない、あのひとたちにはもう会えない。でも、あの時あの場にいることが出来てよかった。