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2003年11月17日(月)
『A Man Named TENNESSEE WILLIAMS ― テネシー・ウィリアムズという名の男』

『A Man Named TENNESSEE WILLIAMS ― テネシー・ウィリアムズという名の男』@青山円形劇場

16日夜と17日に上演された、『欲望という名の電車』休演日企画。「朗読と音楽で綴るテネシー・ウィリアムズの世界」なんつー仰々しい触れ込みでしたが、企画意図としては、テネシー・ウィリアムズの人物像を、学会のようなかたくるしいものではなく、楽しめる舞台として紹介・提供すると言うものだそうです。

『欲望〜』や『ガラスの動物園』でよく知られているテネシー・ウィリアムズ。ゲイで、ヤク中で、犬好きの彼はどんなひとだったのか。彼の著作や研究文献等からテキストを抜粋し、それを朗読する構成です。朗読者は久世星佳さん、ウィリアムズ本人として、鈴木慶一さん。休演日だと言うのに楽しんで参加されていたようです。

で、ここでひとひねりあるのが鈴木勝秀演出。ザズゥシアターで定期的にやっていた、生演奏と朗読の『ウェアハウス』シリーズの発展型とも言えるものでした。『ウェアハウス』は、エドワード・オールビーの短編戯曲『動物園物語』を2人の役者が演じ、サウンドトラックとして横川理彦さんの生演奏を挿入する形式からスタートしましたが、シリーズが進むにつれ、どんどん仕様が変わって行きました。朗読形式になり、演奏とのかけひきを含めたセッション的なものになり、ストーリーからはどんどんかけ離れて行くにも関わらず、その主題はくっきりと浮かび上がる。篠井英介さんが参加したヴァージョンはCD化もされています

今回の公演も、横川さんがその場で即興演奏したものをループさせたり、サンプリングした音を久世さんがランダムに選んで鳴らしたものに慶一さんが応えるライヴ形式。慶一さんがウィリアムズ本人の言葉として、名声の見返りとしての不自由さを愚痴る朗読をしている時に、久世さんが歓声のサンプリング音を鳴らすと、ウィリアムズは著名人としての顔を取り戻し「Thank you!」と応えたりするのです。このパートはかなり面白かった。それ迄神妙な顔で朗読を聞いていた客席が一気に和みました。久世さんはいたずらっ子のような笑顔で、慶一さんの表情を伺ってサンプラーをいじっていました。

『ウェアハウス』からまた新しい展開を感じたのは、この久世さんの力が多大でした。ダンスパフォーマンスも含め、身体と言う存在が舞台に絶大な影響を与えていたと思います。ウィリアムズを傷付ける無責任な傍観者であり、拍手を送る観衆でもあり、そしてウィリアムズ本人にもその存在は姿を変えました。こーれーはー凄かったなあ。セッションでも久世さんが仕掛けることが多かった。2日目は観客を舞台にあげちゃうし(笑)またそのあげられたひとがノリのいいひとで、いい展開になってました。面白かった!

う〜ん贅沢だったなあ。2回だけの公演なんて勿体ない。スズカツさんや哲司さん、石橋さんも客席から楽しんでおられました。

これを通して感じたウィリアムズの人物像は、名声を失うことへの恐れ、他の才能ある劇作家たちへの嫉妬、ゲイとしてのマイノリティーをひがむ部分もありながら、そのマイノリティーにも馴染めない孤独なひと。瓶の蓋(一説によると目薬の蓋)を喉に詰まらせて窒息した死に方からして、なんだかこどもみたいなひとだったんだなあ。だから傷付きやすい。だからあんな物語を書けたのかも知れない。ブランチは彼自身でもあるのだ。

帰り道に『テネシー・ウィリアムズ 最後のドラマ』買っちゃった。『テネシー・ウィリアムズ 回想録』も読み直してみよう。