映画「男はつらいよ」の誕生40周年、つまり、 第一作が上映されてから40年だそうである。
作品がこうして人々から長く愛されることは、監督冥利につきるだろう。 今は亡き渥美清さんも、きっと天国で喜んでいるだろう。
かくいう私も、この映画の面白さについてはタテヨコナナメに語ることができるけれど、 陰の立役者としていつもいつも感心するのが、あの最初に流れる主題歌である。
なにしろ、最初の「チャーン」という一音だけで、 晴れ渡った冬の空、広々した江戸川の土手、 轟寅次郎の顔いっぱいの笑顔を想起させる。
つまり、芝居が始まる前の拍子木みたいに、 その瞬間に観客を俗世から解放し、 人情あふれる柴又へと連れて行くのである。
つくづく、山本直純という人は、やはりすごい人である。 よく知らない強みで言ってしまえば、この方は、 自分の才能の活かし方を知っていたのかもしれない。
2006年08月29日(火) 2005年08月29日(月) 言訳無用のボディブロー 2004年08月29日(日)
2008年08月28日(木) |
人にものを説くときは |
ラジオ子ども科学電話相談。夏休みの風物詩の感がある。
ユニークで可愛らしい質問を、恥ずかしそうにラジオの音声にしている。
先生方の回答も悪戦苦闘である。限られた時間での勝負である。
わかっちゃいるけど大変なんだよ、という感じで、 子どもにはわからない専門用語を羅列したり、 早口で別の話題にすりかえたりしている。 逃げるようにして、「図鑑を調べればわかるよ」などという。
子ども達はおしなべて、一瞬ポカンとした沈黙ののち、 もう許してやる、という感じで、わかりましたと言う。 センセイは力量不足を言い訳するように、電話が切れた後もなお、 アナウンサーに向かって追加の説明などする。
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学習というのは、問答、即ちコミュニケーションなのである。 そこから逃げるようにして何かを教えようとしても、ダメである。
教えた内容を子どもがよく理解しないという状況は、 子どもに咎があるとは限らない。
教育技術というものがあるのならば、 親は自分の子どもの成績が悪い原因を、教え方に求めてよいのである。 ある教科が「嫌い」などという場合は特にそうだと思う。
そして、よき研究者がよき教育者とならず、 よき教育者がよき研究者とならないのが、日本の現状なのらしい。
これはとても残念なことである。
2006年08月28日(月) 自壊する母子家庭 2004年08月28日(土) 勝って嬉しい花いちもんめ
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