2004年08月28日(土) |
勝って嬉しい花いちもんめ |
大学通い終了。 楽しい3日間であった。
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谷亮子が「ママでも金」、つまり、 自分は北京オリンピックまでに出産をして、そして再び金メダルをねらう、 という意味の発言。
彼女はメディアを利用し自らを追い込んでいるのだ、ということに、 恥ずかしながら数日後気づいた。
簡単にメダルがとれると思って、こう言った訳ではないと思う。 血のにじむような日々と内臓を吐き出しそうな緊張の世界へ、 仮に母になったとしても、私は未だ留まりますという、そういう話なのだと思う。
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呑気にオリンピックなど観戦しているが、 自分自身は競技経験や勝負の場面から、久しく遠ざかっている。 スポーツ分野に限るとさらにご無沙汰であり、もはや記憶にすらない。
だから、どんなハイビジョンの映像をかぶりつきで見ていても、 北島選手の「チョー気持ちいい」という言葉に、本当は共感できないし、 負けた選手の悔し涙というのも遠い世界にある。
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人生には、スポーツ競技のような、明確な勝敗ラインがない。
少なくとも自分はそう確信し、別にそれが悪いことだとは思っていない。 人生は「満足か不満足か」に意味があり、勝敗は存在しない。
ただ、そういう価値基準の曖昧さのために、逆にいうと切れ味が悪い。 迷ったり間延びしたりするんである。
これに比べて「勝負に臨む」という行為は、 シリアスであるが実に明快で美しい。
「いい試合で満足」というのは意味がなく、 とにかく勝つことだけが自己実現なのである。 それはまるで、ピカピカと研ぎ澄まされた刃物のような 生の瞬間のように思う。
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そういう行為を、十何年も切れ目なく継続している谷亮子の、 自らをきりっと追い込む姿勢をみて、 「勝負に臨む人」というものにたまにはなってみたいと、少しだけ思った。
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