2005年08月29日(月) |
言訳無用のボディブロー |
昨日は、ちょっとしたお楽しみのイベントの、ついにその日だったんである。 準備の期間の長さに比べて、本番の何と一瞬で断片的であることか。
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そして私はなんと、N先生が用意した貴重なフィルムの上映中に機械が故障するという致命的なヘマをやらかして、たくさんの人を心からがっかりさせてしまったのだ。
何とか全体としては成功をおさめたものの、喉に刺さった魚の骨のように、見られなかった映像の続きは、全員の頭の中にあるはずだ。 何よりもN先生に申し訳がたたず、私は重大な約束違反をしてしまった感じだ。
仲間の、お前が一番わかっているだろうから言わないけど、という感じの配慮ある空気に、本当のことを言ってくれ、いや言わないでくれ、と思う。
そういうヘマは、非日常のうかれた気分が落ち着くにつれじわじわと現実味を帯びてきて、今日はもう8ラウンド目のボディーブローのように足にきている。
成功だけでなく失敗も、結果ではなくプロセスに意味がある。 失敗へ至るプロセスをどこかで気づいていながら、 言訳をして何とかなるとないがしろにしたことが問題なんである。 思い当たる節はたくさんあって、ああ馬鹿だったとリフレインする。 だいたいこんな企画すべてが無謀だった、とさえ思ってしまう。
失敗してもいいからチャレンジすることだ、なんて、世迷言でしかない。 少しでも社会性をもつ物事の失敗は、してはいけないのだ。 失敗するぐらいなら、やらないほうがいい。 自分ではない、ちゃんとうまくやれる人がやればいいのだ。
ああ、誰かのせいにしたい。
2004年08月29日(日)
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