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おとなの隠れ家/日記
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2004年01月15日(木)
メンソールは吸わないといったけれど



気になるので 久しぶりに吸ってみた
メンソールハイライトではなく
他のブランドを

男性社員にメンソール派がいるので
3種類あった中から 2つほど


好奇心の強さは健在らしい


タールやニコチンは メンソールかどうかに関わらず
種類があることを知る

タール7mgと1mgを試した


感想は
鼻の奥が すーすーする  (←博多弁)
タバコを吸っているというよりは
メンソール系の空気を吸っているような

「これなら 吸わなくてもいいかも」

わたし的には やはり違和感があり

「しかし これに変えれば 本数減るかも」

と一瞬思ったが
わたしの順応性を考えると
すぐに慣れるだろうと 
この考え方は却下

日頃吸っているタバコを1mgに変えたら
本数が増えてしまい
経済的に悪影響だわと思っていたものだから


社員のひとりが

「風邪ひいた時にメンソールを試して それから ずっとなんですよ」

と言った意味が わかった
鼻づまりが抜けそうな感じがする
風邪の時 胸に塗る薬のように


不思議なもので
体調が悪いと タバコが不味いにもかかわらず
喫煙者は タバコを吸おうとする
青汁の宣伝のように

「まずーい」

と 言いながら



風邪引いた時にでも また試してみるかな




2004年01月14日(水)
メンソールのタバコ




わたしはメンソールは吸わない。

メンソールの爽やかさとタバコの苦さが
同時にくちの中に広がるのに違和感があるのだ。
ライスにレーズンが入っていたり
普通のポテトサラダに 缶詰のみかんが入っているのと
似たような違和感だ。

そういえば ちょっと前には
男性がメンソールを吸うと ナニの元気がなくなると
噂が立ったことがあったな。


福岡・佐賀・長崎限定で メンソールのハイライトが発売された。
しかもパッケージのデザインは 昔のままで 色だけ緑。

わりとレトロだ。

くしゃっと潰れるパッケージは それなりに味があるもの。
1〜2本しか入っていなかったら そのまま捨てそうになる潰れ具合は
粋だよな と思ったりもする。

そういや ずっと前に
しょっぽを Tシャツの半袖の袖口に くるりと包むのが流行っていたような。
しょっぽのメンソールも どこかの地域で限定発売されるらしい。

吸いたいのかって?
いや わたしはメンソールは吸わないから。

ただ
昔からあるタバコの種類でメンソールを出すのには
何か理由がありそうな。

タバコは タールもニコチンも少ない数字に向かっている。
メンソールにすることで 何か効果でもあるんだろうか?
それとも メンソールの人気が上がっているのだろうか?
購買意欲増進のため?


タバコが嫌われるのは 煙と臭いだと思われるが
メンソールにすると 煙が少ないとか臭いを抑えてあるとか?

世の中では禁煙区域が増えた。
都市部は 屋外であっても喫煙が限られている場所もある。
喫煙者の肩身は どんどん狭くなり
禁煙する人も増加の傾向にあると聞く。

カラダには よくないみたいだから 仕方ないんだろう。

男性の服から香るタバコの匂いが 男っぽさの代名詞として
扱われた時代とは 異なってきたということだな。

まぁ わたしはオンナだけれど。 



その「メンソールハイライト」の写真を写真館に置いてみました。




2004年01月03日(土)
トモミ(仮名)




トモミは わたしの友達だ。
出会って十数年になる。

出身は九州なのだけど 子供の頃に大阪に移り住んでいて
本人は大阪人だと思っている 今は九州に住んでいるけど。
確かに ノリの良さと笑いを運んでくれるという点では大阪人だな。
バリバリの関西弁だし 彼女の九州弁は耳障りだし。(笑)


トモミは わたしがカフェで書いていることを知っているが
書いているものは読んだことがない。
話題提供者で 過去日記に数回登場している。

先日 電話で話をしていて「私(トモミ)のことを書いて」と
リクエストを受けたので書くことにした。
なんで書いてほしいんだろう。 
まぁ いいけど。


トモミとは前の会社で知り合った。 
社内恋愛で わたしと同期の男性と結婚したので 
旦那さまのことも よく知っている。


トモミは わたしに惚れている。(笑)
わたしと結婚できるのなら すぐにでも旦那と離婚して
わたしの奥さんになりたいらしい。


トモミは 人なつっこくて さみしがりやだ。
だから 頼まれごとは断れないし
全力で 人の為に動ける性分だ。
ただ それを感謝してもらえるというよりは利用されやすい。
しかも 利用しているやつらにムカつく人種が多く。

わたしは そんなトモミを鍛えてきた。
勘違いなおとなにならないよう
自分の意見を はっきり持つように。

最近 20代前半の女性にトモミが相談を受けた時に 
わたしが日頃 トモミに言ってきかせていることを
さも自分の意見のフリして相談に答えたところ
とても感謝されたらしい。

パクりやがったな。(笑)


「まーちゃんみたいに強くないもん」

そういって半泣きだった彼女も 今では ずいぶん しっかりしてきた。
ただ 回りと話が合わなくなったらしい。

「まーちゃんと話をすると すぐわかってもらえるのに」

「考えようとしない人と いくら話ても 話は合わないさ」

と言っておいた。

所詮 人生ってこんなもんだなんて諦めて居直っている人たちと
話が合わなくて当然なんだ。
だいたい 旦那さまに感謝の気持ちを持っていると言えば驚かれ
時間をかけて夕食を作るトモミに

「旦那の食事なんて適当でいいじゃない。 家政婦じゃないんだから」

などと つまらんことを言う人たちと話が合うようじゃ困りもんだ。
悪影響なので縁を切れと言いたいぐらい。(苦笑)



トモミは本を読むのが好きらしい。
寝つくまでの時間 布団の中に入ると毎日のように読むと。

「どんな本を読むの?」

と聞いたところ メインは恋愛小説らしい。
実際に ありそうなシチュエーションが好みらしい。
主人公になった気分で 本の中の恋愛を楽しむんだと。

読み方が変わっていた。
最後の2〜3ページを 真っ先に読むらしいのだ。
そこで話の行方を確認してから ゆっくり最初から読むと。

「先が見えないから 読んでいて ワクワクしたりするんじゃないの?」

そういうわたしの質問に トモミは

「ハッピーエンドか そうじゃないかを確認して読まないと落ち着かない」

とのこと。
先が気になると一気に読みたくなるから はまらないようにという
自己コントロールだと言うのだ。

初めて聞いたよ そんな話。(笑)


そうそう 
トモミは わたしがアメリカに居る時に遊びに来た。
もうひとり わたしの高校時代からの友達と一緒に
二人で来るようになってたのに
ドタキャンされ ひとりでくるはめになった。


「で あの時 なんで遊びに来たん?」

と 先日電話で聞いてみたところ

「えっ なんでって 忘れたの? まーちゃん ひどーい」

と ブーイングの嵐。

「まーちゃん言ったじゃない。 遊びにおいでって」

「そりゃ 友達には一応 そういうことは言ったさ」

「えっ わたしの為を思って 特別な思いで言ってくれたんじゃないの?」


何事も経験だ アメリカひとり旅をすると人生観が間違いなく変わるよと
わたしは言ったそうだ。(すっかり記憶にない)
どちらかといえば 引っ込み思案なところもあるトモミ。
わたしの言葉に 今までの自分から脱皮したい 自信をつけたいと
そんな思いでアメリカに来たらしいのだ。


トモミのアメリカひとり旅には 面白いエピソードがあるので
次に「わたしとアメリカ こぼれ話2」で書こうと思う。





2004年01月02日(金)
ネットの中のリアル



ネットはバーチャルな世界だと言う人もいるが
わたしは そう思って遊んでいるわけじゃない。


初めて出会った人でも あいさつをちょっと交わしただけで
あとは 気軽に世間話が出来たりするのはネットならではだろう。
それが何日も続いたり メールを何回も交換するようになれば
親しくなるまでに そう時間はかからない。

でもね
それはリアルでも同じだと思うんだ。
ネットで話したり やり取りしたり その時間と同じくらいに
面と向かって話していれば やはり親しくなるのだと思う。

たとえば10時間 話をしようと思えば
リアルなら数回かかるところを ネットなら1〜2回でカバーできたりもする。
そういう面で ネットでの時間の経過が早く感じられるんだと。

ネットでは 性別に関わらず 
出会いが簡単だというように言われているが
本当に そうだろうか。
ネットを始めて出会った友達を振り返ると
確かに リアル界では無縁な高校生と話ができたり
まったく違う環境であったり職種の異なった方々と出会うことも出来た。
それを思うと 出会いの枠というのは 広いと思える。

がしかし 出会いの数に比例して友達の数が増えるかといえば
それは どうだろうか。
出会うのは簡単だろうけど そこで作り上げられる人間関係は
リアルな世界と ちっとも変わらないと思うんだけど。

ネット上でHNしか知らないとしても 時間が過ぎて行く中で
一緒に考え 一緒に遊び バカ話しながら
時には励まし 時には元気をもらいながら
友達だという感情が芽生えてくるものだと わたしは思っている。

文字にすることで 口にするよりは わかりやすく話せたり
文字だから うまく感情が伝わらなかったり

そんなことを繰り返しながら 仲良くなっていくのは
感覚的にはネットが早いのかもしれないが 
費やされる時間的なものは ネットもリアルも同じだと。


顔が見えないから話しやすいという話を聞く。
話しやすいことはあるけれど 話す内容に関しては
顔が見える見えないは わたしの中では ほとんど差がない。
顔が見えない分 リアルでは言えない話でも出来るということはない。
リアルで人に言えないようなことが ネットなら誰かに話せるというよりは
ネット付き合いであれ友達だと呼べる信頼感があるから話せるのだと。

他の人がどうだか知らないが わたしはそうだ。
他の人がどう遊ぼうが わたしはそうだ。

ネットの中でも 嬉しかったり腹が立ったりするんだよ
わたしは ネットに居てもリアルな気持ちでいるのだから。


重くとらえているわけじゃないんだ
ネットならではの軽さを知らないわけじゃない。

でもさ なんやかんや言っても人間同士じゃないの?
ネットを使ってもパソコンの前に座っているのは
リアルな人間なはずだから。


わたしは そう思ってるよ。




2004年01月01日(木)
階段



人は それぞれ段の違う場所で生きているのかもしれない

何段か上に人がいて
何段か下に人がいて
同じ段には自分しかいなくて

その上下というのは人の上下という意味じゃなくて
段違いの所で それぞれ生きているという意味で


結婚して自由になるお金が激減すれば
独身で浪費できることが良く見える
ローン抱えている人にとっては
家やマンション 別荘や車を現金でポンと買える財力に憧れる

でも それって 段違いなところから見るから そうなのであって
目につく一部分だけを比べるから そうなんだと


簡単にいうと「ないものねだり」なんだけど


わたしが今考えていることは もちょっと先があって


段違いから見てしまえば 人には「差」というものがあって
それに憧れたり うらやましがったり
安心したり 満足したり
優劣を感じてしまうことは わたしにもある

ただ どの段にいる人も 目の前には階段があって
このくらいでいいだろうなんて立ち止まってはいないんだろうと

自分が変われば 風景も変わる
階段を上ると見える景色が変わるように


自分自身のステップアップの階段は 誰の前にもある

一段上ったら何かが変わっているはずなのに
前を見ると また階段が続いているから上ろうとする


どの段に自分が居てもいいんじゃないかな
上り続けることさえやめなければ

どの段に居る人も 同じ階段を上っているんだと
種類は違えど 似たような気持ちで
階段を見つめているんじゃないかってね


それが生きるということかな
なんて考えてみた