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おとなの隠れ家/日記
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2003年12月31日(水)
格闘技か歌番組か



昨夜は親友と恒例の飲み会だった。
やはり長崎の食べものやは美味しい。

長崎のお正月料理に欠かせないのが くじら系となまこで。

くじらはお正月に食べるとして
ふたりとも なまこは我慢できずにオーダーした。

長崎には「大村なまこ」と呼ばれるものがあり
サイズが小ぶりのなまこで 磯の香りが一杯
絶妙な歯ごたえなんだよな 硬すぎず軟らかすぎず
これに勝てるほどのなまこは まだ出会ったことないくらい
美味なのだ。

それから「すりみ揚げ」
魚のすり身に野菜が混ぜてあって さつま揚げ風なんだけど
これも長崎ならではのもの。
長崎の居酒屋では よく見かける人気メニューだ。

芋焼酎を飲みながら お互いに近況報告をしつつ
腹ごしらえをして いつものバーへ。
そう あの「お馬さん事件」の時に登場したバーテンダーさんがいる店。
そこで赤ワインを一本あけて うどん屋さんへ行った。
長崎で親友と飲むと 最後はうどん屋さんが締め。
おでんをつまみながらビールを飲んで。

ああ そういえば そこに親友の男友達が合流したんだ。
この方 いつものバーのお客様でもあり
わたしの噂を聞いていて「会ってみたかったっすよ」と
握手を求められたりしたんだった。(笑)

「あなたが あの まあこさん?」

あの というのが気になるなぁ。(爆)


それから部屋に戻ったのだけれど
エレベータからの記憶が飛んでいる。
起きたら朝だったし。(苦笑)

二日酔い症状はなかったが 朝っぱらからの長崎の階段は
こたえた。


31日といえば 我が家では正月用の刺身を買いにいく日。
長崎の台所と呼ばれる築町市場へ行った。

あの事件が起きた場所だ。


防犯カメラに映し出された商店街と市場を歩くと
例の駐車場が正面にある。


近づきたくないという母を少し離れた場所に待たせて
わたしは現場に行った。
テレビで観るのと同じ その細道に入ったところで胸がざわざわした。
お地蔵さんが置いてあるので そこで手を合わせてきた。

そこに行かなきゃいけないと思っていたから
なんとなく。



家に戻ってお昼を食べてカフェをのぞいて 
いつのまにか寝てて
起きたら あたりが暗くなってて
夕食の準備が出来てて
6時ごろに夕飯食べるなんて わたしには めったにないこと。
自動的に用意してもらえることは ありがたい。


一階のテレビは歌番組
二階のテレビは格闘技

一階に母を残し 親父と弟とわたしは二階に居る。
わたしは格闘技派というわけじゃなく 
パソコンが二階にあるから。(笑)


なんか微妙にヒマなのだ。
くちをきくのも面倒だし
帰省して初日から「帰りたい病」が発病している。(苦笑)




2003年12月30日(火)
これから




自分の中にある好奇心に いつも引っぱり回されていて
思うがままに日々を送ってきたけれど
それに初めて「疲れた」と実感する自分が居る


感情の動きが活発で 広い意味で敏感なわたしは
良いことも そうでないことも ハートに直撃するため
思考も いろんな方面で回転し過ぎることがある
そんな自分にも疲れてきたんだ


例えれば
いつも同じ距離を走っているのに 
慣れているはずなのに
カラダが きついと感じるような
体力 落ちたかな と思うような

実際には肉体的に疲れているわけじゃなく


今の自分で自分を動かすには限界と見た
いくつかの体内部品を別物に取り替えて
違う自分を見てみたい


今まで見過ごしていたものに目を向けようと思ってる
ストックになかったものを自分の中に新規で取り込んでみようと
変わるための心の準備はできたから


今 一番望んでいることは おだやかな気持ちでいること


そのために変わる




2003年12月29日(月)
黒い王者



駆け抜ける姿が最後のレースだとは思わせないくらいに力強く 
その華麗な走りに うっとり♪


2003年有馬記念でナンバーワンを勝ち取ったのは
シンボリクリスエス 


ちょっと危険な名前だ(笑)


もちろん買ってました
名前に惚れて(違)


競馬場に行ったことがなくて
いつもテレビで観ているだけだが
馬の美しい走りを見ていると しばし釘付けになる

案外簡単にゲートが開いてスタートし 
一斉に馬が飛び出し 
あっという間にレースは終わる

ラストの直線を走る馬の姿は 何度見ても気持ちいい
機械じゃなくて 馬が走るから感動するんだよね 


前評判でもダントツで一番人気の本命だったシンボリクリスエス
中盤までは 集団中程に位置をキープし 
第三コーナーあたりで ぐんぐんと先頭集団に食い込んできた
それより わずかに早く加速した先頭のリンカーンを追って
ラストのコーナーを回ったところで捉え そのまま抜けるかと思ったら
騎手がクリスエスの走りを 一旦抑えたように見えた

そして直線

馬たちが一斉にスピードを上げる中
クリスエスは 横に付けていた先頭のリンカーンを抜き 
その後寄せつけることもなく 一気に先頭に立ち そのまま駆け抜けた
有馬記念レコードの最速で しかも2番手に9馬身も差をつけての一位

他の馬とは ずばぬけて走りが違っていた
あれだけ後方集団に差をつけての走りは そう見られるものじゃなく
思わずテレビに向かって「すばらしい♪」という声とともに拍手をしたわたし


あの走りは見ているだけでも興奮した
いいもん見せてもらったよ 
お疲れさま シンボリクリスエス




2003年12月28日(日)
「深読み」 2003年12月版




区切りとして思い出すとすれば
やはり このタイトルだろう

記念に またトライしてみることにした
とはいっても
今回も似た所に たどり着いたよ
でも結論が ちょいと違う
先は長いけれど じっくり読んでみて


男って やっぱり謎だよ

(ここで取り上げる男とは わたしの知る範囲ということで)


どれだけ観察してみたところで
今までの経験を活用したところで
男は そういうもんだと思ったとしても

わたしには わからない


一番わからないのは 
聞いても返事がないことだね
おかげで わたしは何がどうなっているのか考えなきゃいけない
加えて「言わないでも わかるだろう」とか 
言い出された日にゃ もうお手上げ


ひとつの「わからないこと」に対して すぐ聞かないようになったよ
男は こうなんだよって話が頭に入り過ぎたんだと思う
男の考え方と女の考え方の間に挟まってしまって
聞きたいことがあっても その答えが きっと的を得ないものだろうと
予測をしてしまって 実際に そうだったりして
やっぱり そうか なんて 不完全燃焼に陥る
燃え残りが つまりは深読みとなって わたしの心に溜まるんだよ


過去日記にも書いたけれど「知ることで苦しくなる」そんな感じかな


わたしは あれこれ考えるのが好きなタイプだから
男と女の話や人間関係についてだけを 深く考えないと外すことは難しくて
だから 自分で自分の首を絞めているようにも思う 

人ひとりひとりが違うように 男と女の考え方が違ったとしても
それが ひっかかっているわけじゃないんだ
人と人とのコミュニケーションを繋ぐものは言葉だと思っていて
そこに不具合が発生した時に どうも どんより気分になるわけ
疑問が わくわけよね 「なんで?」って

それを すっきりできれば言うこと無いんだけど
それが なかなか簡単じゃなくて

わかり合いたいとか そんなことじゃない
不具合が起きた時に その状態が どういうものなのか
お互いが それに対して どう考えているのか
意見が分かれていても同意でも かまわない
そのやり取りが わたしにとっては意味のあることで
それが言葉のコミュニケーションだと思ってるんだ

でも これは男側からすれば不評のようだ
繰り返すと 男は先に土俵から降りる
どうでもいいことだと判でも押したかのように

また ある時は
聞いても無視する
疑問符が付いていることを 知ってか知らずか
これもまた 返事をするまでには及ばないと勝手に判断されたかのように

女の考えていることに対して
どの部分で 男が無反応だとか興味がないとか無視または放置するかも
なんとなくではあるが わかっている

意図的なのか 無意識なのか
わたしは男じゃないのだから 男のそういうやり方について
何故そうなのかは わからないけれど
男のやりそうなこととしての認識なら いくらかある

先日読んだ本にも書いてあった
男は結論を出そうとするから
女特有のプロセス話に 付き合いきれないんだとか

ああ そうだよな うんうん当たっていると思えば思うほどに
わたしの胸の中にあるモノは 置き去りにされてしまうような気がする

そんなんじゃ 精神衛生上 よろしくないと思われ
だから男の「言葉に換えられなかった部分」の意味を 
わたしは自己処理に走ろうとするんだろうな
これが深読みの入り口だね きっと

何かを わかりたいからというよりは
これ以上 わからないようになることを防ぐという方が近いよ
だから いっぱい考えるようにしてた
良い風に解釈したり 良くない方向もね
しかし それも最近疲れてきた


それから もうひとつ
言動には 必ず意味があるものと わたしは思っている
喜んですることも
イヤイヤながらにすることにも

行動したということは「する」と「しない」の「する」を選択したということで
無意識なのか 考えてのことか いずれにせよ 意味があると

その意味が つまらないこととか どうでもいいこととか 重要なこととか
そんな判断は後から考えればいいわけで

だから答えがないなんて ないと思ってる

わからないというのも答えだろうし
何も考えていなかったというのも答えのひとつだろうと
聞いても返事がないということも「何かの答え」なんだとね

その「何かの答え」は 自分で探さなきゃいけない 
わたし的深読みは 言葉が足りない部分を補う役目をしているから
でもそれは勝手に行われる作業じゃなく
必ず「なんで?」は 事前に相手に届けてあって
それに対する返事がない場合に深読み装置のスイッチが入るという仕組みだ
相手を分析するだの 詮索するだの そういうもんじゃなくて
わからないことを わからないと反応して
そこから抜け出そうとする いわば自己防衛装置と言ってもいいだろう


ひとつだけ 深読み装置の動きを止める方法がある
それは考えないこと
考えることを やめてしまうことなんだ
そんなもんだと決めてしまうこと
興味や好奇心を放棄することだ

子供が親と くちを聞かなくなるように
先生とは 本音で語り合ったりしなくなるように
会話の少ない夫婦間のように
言葉にしても伝わらない・通じないと決めること

差し障りのない会話を続けて形だけを残す方法だ

これは いいことじゃないと思っている
でも装置の動きは止まると思う



今年は 年頭から最後の最後まで 深読み装置がフル稼動した
精神的に とても疲れた一年になった
年末だし この装置 捨ててしまおうかなと思っている
新しい装置と入れ替えしようかなと

「無関心装置」

何事にも無関心になるってわけじゃない
考え始めたら 考えないようにリミッターが働く装置だ



区切りの日記にしちゃ ちょいネガティブになってしまったが
わたし的には 男は「謎」のままでも いいんだ
わからないから 興味もわくし 面白いんであって

ただ男が謎だということと
人として謎だということは別だから

わたしのことが どこかの本に書いてないように
人のことは 学ぼうと思ってもわからない
その人が 自ら自己表現を始めて 伝えようとするか
会話を繰り返すことによって わからないことを減らしていくしかない
ひとりで深読みしたって人形と対話しているようなもんだから

だから もういい


これが丸2年考えた「深読み」に対する結論だということにする


がんばりすぎないようにするよ
答え合わせできないことを考えるのは もうたくさんだ



「無いところには無い」

これ お互い 何度か日記で書いたように記憶しているけど
究極は やはりこれだね



人間関係に苦しんだ年だったので 
新しい年からは そうならないよう
ここに宣言する

「脱・深読みまあこ」


ドライマンゴーならぬ ドライまあこにでも なってみるかな(笑)


以上


宣言とは ちょいと大げさな気もするけど
これも ある意味 成長の記録として(苦笑)
多くのことを学ばせてもらったよ
区切りを機に 感謝の気持ちを込めて

「ありがとう 先輩♪」


自爆芸者より
 




2003年12月27日(土)
たまに書く読書の記録



読書宣言したので たまに こういう日記も書いてみることにした。


14歳からの哲学/池田晶子

帯に「人は14歳以後、一度は考えておかなければならないことがある」
と書いてある本。


出会いは偶然。
仕事で急きょ必要になった本を買いに書店に出向き
その店の売れているベスト10のコーナーで目に止まる。


そもそも哲学に関わる本など 触れたこともないわたしの
哲学という言葉のイメージは あまり良くない。 
堂々回りの考え方を意味することだと思っていて。

売れているのであれば 何かためになるのかなという
安易な発想から その本を購入。

「ある」と「ない」に こだわりながら
目に見えるものとそうでないものとの違いを説明した上で
すでに頭の中に植え付けられた考え方や物の見方を
本当に そうなんだろうかと いくつもの疑問を投げかけている。

14歳以後 という前フリにあるように
中学生が読んでいることを前提とした
語りかける口調の書き方をしてある所が大部分だけれど
中学生のみを対象にして書かれてはいないものだと思う。
わたしにも十分手強い本だった。

読んで行くと あっちこっちに思考をひっぱり回される感じ。
時には眉間にしわを寄せたりもした。


中でも わたしが興味深く読んだ部分は
兼ねてから考えている「死」について。
人は「死ぬ」というが 何をもって人が死ぬと思うのかという切り口から
死とは無を表し 無とはないということ つまり死は無いということだと。

この章を最初に読んだ時には 自分の頭に そのことを乗せられなかった。
もちろん書いてあることは読める。
しかしながら 何故「死=無」なのか 3回ほど読んでみたが
疑問は疑問のままだった。

本を読み終えてしまい 改めて考えると
なんとなくではあるが「死=無」だということに違和感が緩んでいた。


この本を 14歳で読めば どういう感想が出るのか興味がある。
わたし的には 今の年齢に見合う分の経験が やや邪魔することはあるだろうが
本を読んできていないことが逆に 先入観なしで受け入れられたかもしれない。
あの頃の純粋さは もうないかもしれないが。


思うに 今持って まだ謎だと わたしが思うことが
本の中の目次の中に いくつか存在しているということは
無意識のうちに わたしも哲学してるもんなんだなぁと
哲学という言葉に対する見方が変わったように思う。




*私的記録 5冊目




2003年12月26日(金)
ネコの気持ち翻訳機




クリスマスシーズンも後押ししてか 大人気で在庫切れ。 
予約入荷待ちで ようやく手に入った 「みゃうりんがる」
ここ3日ほど試している。

ネコの気持ちを翻訳するグッズだ。
一足先に犬用が売り出されている。

初期設定で猫の種類・性別・おおまかな性格を選択し 
設定するようになっている。
それでネコの鳴き声を拾い ネコの気持ちを分析。
満足・ピンチ・欲求・自己表現・喜び・求愛の感情を表示するらしい。


ここで ちょっとした問題があって。
うちのネコは なかなか鳴かないのだ。
鳴くのは
遊んで欲しいか
外に出して欲しいか
おやつが欲しいか
外から事務所の中に入れて欲しい時くらいで

「にゃおぉー」
と聞こえると すぐさま みゃうりんがるを手にとり
スイッチを入れて翻訳設定にし鳴き声を拾おうとするが
準備している間に鳴きやんだり スイッチ切った後に鳴き出したりと
なかなかタイミングが難しい。

音に反応する このグッズ。
人がじゃべっても反応してしまうので 
ネコの鳴き声だけを拾うには 静かにしてなきゃいけないしで。 

とりあえず おねだり系である「欲求」と
部屋ちらかすぞ という不機嫌な「自己表現」は拾うことができたが
状況と照らし合わせて考えると マッチしているかどうかは とても微妙。
元々ネコが何かを求めている時なんて 長く飼っていれば予測がつく。
このグッズで わかることぐらいは 
飼い主だったら容易にわかることなのかもしれない。


それよりも
オトコの気持ち翻訳機を誰か開発して。(笑)




2003年12月25日(木)
ユキのクリスマス




今年は ひとりぼっちのクリスマスになるのかな
そう思っていたら ケイスケからクリスマスディナーのお誘い

合コンで知り合ったケイスケとは妙に話が合って
その日に電話番号を交換したっけ
たまに電話が かかってきたり
笑えるメールが飛んできたりで

数回 飲みにいった
ケイスケといると 学生気分のノリで楽しめる

クリスマスを ひとりで過ごすよりは
ケイスケと ぱーっと騒ぐのもいいかなと
彼からの お誘いにOKを出したんだ



実はね 私には気になる人がいて

会社の先輩で
バリバリの営業マン
彼に憧れる人は 社内にも沢山いて
でも彼は仕事一筋という感じで
浮いた話は ちっともなくて 硬派で通ってる
そこがまた 魅力的なんだろう

いつだったか 会社のエレベーターに慌てて飛び乗ったら
そこに先輩が ひとりで乗っていて
走り込む私を見て くすっと笑い

「何階ですか?」

と聞いてきた
エレベーターに乗った途端にドアが閉まり
突然 狭い空間で二人っきりになったものだから
私 すごく緊張してしまって 何も言えなくて
すると彼が にっこり笑って

「大丈夫?」

と声を掛けてくれて
私は自分の降りる階を伝え 彼の後ろで小さくなってた

それからというもの 彼は
社内ですれ違ったり 
社員食堂でばったり出会ったりすると
笑顔を送ってくれるようになった

彼の笑顔は とびっきり素敵で
私は それだけで嬉しかった
高学歴と抜群の営業成績を持つ彼は 私からすれば高嶺の花
なによりも 美人でもなく可愛いとは言えない私では 
とうてい お声が掛かるはずもないだろうし


クリスマス当日
仕事が終わって 
ケイスケとの約束の時間までには1時間ほどあったので
街をぶらぶらしていたら 面白そうなお店が目に止まった
店内に入ってみると 星空をモチーフにしたグッズが揃ってた

薄暗くしてある天井に 星がキラキラ映し出されるライト
クリスタルグラスで作ってある サンタとトナカイの小さな置物
電気を消すと ぼんやり浮かびあがる蛍光色のクリスマスツリー

「クリスマスだから 何か買っていくか」

数回 食事をごちそうになっているケイスケに
気軽に もらってもらえそうな小物をプレゼントしようと思った

店の奥の方に歩いて ふと天井を見ると
星の形をしたシールが青白く浮かび上がっていた
心の中で きれいだなとつぶやいている私の横で

「うん きれいだよね これ買っていく?」

と どこかで聞き覚えのある男性の声に 私は首を右に向けた。

「えっ? 先輩?」

私から30センチも間隔をあけずに 先輩が立っていたのだ
私は びっくりして そのまま先輩の横顔を見ながらも
声を掛けられずにいた
すると先輩の向こう側から女性の声がした

「そうね 今夜は この星を眺めながら乾杯する?」

先輩が女性を連れていることに気付いた私は
見てはいけないようなものを見てしまった気がして
その場を立ち去ろうと動いた途端 
私のバッグが先輩の左腕に軽く当たり
先輩が ふっと わたしの方を見た

「やぁ」

いつもと変わらない 私が大好きな先輩の笑顔
その影から女性の姿が私の目に飛び込んで来た
先輩は女性の方を向き直し 
私を同じ会社の人だよと説明していた
その女性は ぺこりと私に頭を下げた
私も 同じく頭を下げた

「彼氏へのプレゼントかな?」

そう尋ねる先輩に

「あっ はい」

私は それだけ言って 失礼しますと頭を下げ
逃げるように店を出て 気が付いたら
自分のアパートへ帰る電車の中だった

「そうだよな 彼女いて当たり前だよな」

早く自分の部屋に戻りたかった
ひとりになりたかった


アパートの鍵を開け中に入りロックを掛ける
電気も点けずに まっすぐにソファに行き座り込んだ


暗がりの中で バッグからメロディーが聞こえてきた
携帯電話にメールが着信しているようだった
誰とも かかわりたくなかった 

誰とも.......そう考えていて 思い出した

「あっ ケイスケ」

腕時計を見た
すでに約束の時間から30分ほど過ぎていた

悪いと思った
電話しようかとも思った
でも断りの理由が思い付かなかった
しばらく考えて メールを打った

「メリークリスマス♪ ゴメンネ  ユキ」

そして携帯電話の電源を切った


頭の中は先輩のことで一杯だった
そして自分の気持ちが はっきりと わかった

本当は 高嶺の花なんて言いながら
いつかデートできたらいいなって

けれど
さっきの女性の方が 私なんかより 
先輩には うんとお似合いで


涙は出なかった
でも しばらくはソファから動けなかった


私の想いは消してしまおう
消してしまおう
消さなきゃ


「とんでもないクリスマスになったな」


大きく溜め息をひとつ ついたあと
私は ソファから立ち上がった

ハートはチクリと痛いけれど
先輩を好きになった自分はイヤじゃない

「乾杯でもするか クリスマスだし」


何に乾杯するかって?
先輩と出会えたことに乾杯するんだよ
届かなくたっていいんだ
好きなものは好き





2003年12月24日(水)
ケイスケのクリスマス



この階段を駆け降りたら
そこで君が待っているはずだから


約束したのは2週間ほど前
初めて迎える君とのクリスマス
まだ僕の彼女とは呼べないけれど
イヴの日にデートの約束をゲットした僕は有頂天さ

きっと君も僕と同じ気持ちだと
いや そうじゃなくても
僕のこと
特別な目で見てくれていると


朝は嘘みたいに早起きした
前の日から決めていた薄いピンクのカッターシャツに
二本のネクタイを それぞれ あててみる
濃紺に深い緑のストライプに 
エンジのラインが細く入っているネクタイに決めた
濃いグレーのスーツの上着に腕を通すと
テーブルに置いてある財布と携帯電話を
所定のポケットに納めたあと
忘れてはいけないリボンが掛けられた小さな箱をバッグに入れ 
黒っぽいコートを手に家を出た

「気に入ってくれるといいな」



仕事の段取りは上手く組み立てていたつもりだったが
日中の渋滞に邪魔されて
少し早めに着く予定が ギリギリになってしまった

息を切らしていた僕は
約束の公園に着いたあと ベンチを見渡した 
5つあるベンチは どれも占領されていた

すっかり暗くなっている公園を
ブルーのイルミネーションで飾られたクリスマスツリーが
ぼんやり照らしている

携帯電話を胸ポケットから取り出して時間を見ると
約束の時間の5分過ぎ
メール着信のマークも表示されていない

「僕の方が先に着いたみたいだな」

目立つようにツリーに近い場所に立って待つことにした



「ごめんね 遅れて」

弾んだ女性の声がするたびに 僕は振り返り
君じゃない姿がベンチに駆け寄るのを目で追った


いくつかのカップルを見送りながら
僕は 君が何と声を掛けてくるか想像してみた

「おまたせ」
「待った? ごめんね 電車に乗り遅れちゃって」
「ごめーん」

どの顔も 照れくさそうにしながらも笑顔いっぱいの君



体が ぶるっとした
ずいぶん冷えてきた
また携帯電話を のぞいてみる
約束の時間から35分過ぎていた

メールを打ってみることにした

「イマ ドコ?  ケイスケ」

それから10分経ってもレスが来なかった

「もう近くなのかな」

僕は 駅の方向を見つめた
その時 胸のポケットが振動した
あわてて携帯電話を取り出し着信メールを開いた

「メリークリスマス♪ ゴメンネ  ユキ」



君が来ないことなんて
少しも考えられない僕だったんだ
君は僕に どんなクリスマスプレゼント選んでくれたんだろうって
そんなことしか頭になくて





2003年12月23日(火)
街は人で いっぱい



街は人で いっぱい
ひさしぶりに 苦手な人混みに出てみた。
駐車場が どこも満車だろうと予測し
電車を使うことにした。

車通勤なので 車に乗り降りするまでに寒さを感じる程度。
車も乗ったばっかりは冷えているが
少し走り出せば すぐにあったまる。

一昨日からの強風と舞う雪で寒いだろうと思ってはいたが
今年初めて 耳の外側が痛いと思うほどに寒さを感じた。

ひょっとして これが原因だったのだろうか。
冬を体感していなかったから クリスマス気分になれなかったかと。
12月に入っても 福岡は暖かい日があった。
夜更かしして からだの芯まで冷えきったことはあったけれど。
毛布も無しで ソファーで朝まで寝ていた日もあった。
あっ これは寒くても寝たら鈍感になる わたしの体質からかもだけど。


長年付き合いのある美容院へ行った。
いつものように 店長と話が盛り上がる。
そこでは わたしは「嵐を呼ぶおんな」と言われており
悪天候の日に そこに行くことが多いから。
ひょっとしたら積もるかもと言われた今日も
わたしが予約していたこともあり 
雪が積もるかもしれないと 店側も わたしも思っていた。

積もらなくて よかった。


本の話を振ってみた。

「本を読んでいますか?」「本にはまった時代 ありました?」

美容院だけで聞くだけだが 
彼の生き方・子育ての話や結婚観の話など 共感できる部分が沢山ある。
彼の美容師としての技にも惚れ込んでいるが人間としても好きなタイプだ。

彼は言った。

「高校生の頃に哲学にはまったよ」

彼が言うには 何故自分が存在しているのか 何故生きているのか
死とは何か などなど 
ひとつ前に書いた日記の 本の中の話のような疑問を持ち
海外の有名な著者の哲学の本を読みあさったらしい。
その後 国内の著者の本は ほどほどにして
海外の小説に のめり込んでいったとか。

今は本を読む機会は激減したものの旅行の時などは忘れずに携帯するとか。

「息子がね 潮騒を しおさわぎって読んだんだよ」

高校生である息子が 本を ほとんど読まないらしく
漢字が読めないと 父は嘆いていた。

ふむ 潮騒は読めるけれど わたしにとっても痛い話だ。
一つ前の日記に書いた本のことは彼も知っていて
息子に読ませたいと言っていた。
やはり 彼は 良いおとなだ。


カットが終わった頃には そとは曇り空。
寒さが増している中を10分ほど駅まで歩いた。

10分歩くことは わたしの日常にはないこと。
襟に毛がふわふわと着いたジャケットの前のファスナーを首付近まで閉めて
両手をジーンズのポケットに突っ込んだまま歩いた。

家を出る時には十分と思われた服装は 外を歩くには寒過ぎたようだ。
厚着が嫌いなわたしは どうしても薄着になる。
ウール系のものをジャケットの下に着てこなかったことを後悔した。
自分が日頃 どれだけ暖房に守られていたか わかった。


電車で天神に到着。
駅で缶チュウハイを 一本もらった。
キャンペーン中のようだった。

直行で いつもの定食屋へ。
今日は煮魚定食とゴーヤサラダ。
煮魚は いさき。
豚ロースの味噌焼きと迷った。
食べたあと やはり豚ロースにすればよかったと思った。
くちの中で 魚の骨がウロウロしたから。
魚の骨は苦手。

気をとりなおして いつものコーヒーショップへ。
いつもなら 店に置いてある雑誌を読みながらコーヒーを飲むのだけど
自前の本を読むあたりが 数カ月前には想像できなかった姿だ。


今回は 大好きな大型書店に行く時間は取れなかった。
後ろ髪を引かれる思いで横断歩道を渡り 百貨店へ。

衝動買い一点と予定のものを数点購入して地下食品売り場へ。

また買ってしまった......食べきれないくらいの量を。
可愛すぎるクリスマスケーキに手を出さなかったのは偉かった。

こういうこと言っちゃ失礼だが
ケーキや甘ったるいお菓子系の店舗の前に群がる女性には
かなり太めな方々が多いように思うのは わたしだけ?
食べ過ぎにはご注意をと いらぬお節介をしたくなるような。


帰りの歩道でビラ配りしながら 
拡声器で大きな声を張り上げていた集団に遭遇。
一応 ビラは受け取った。
電車の中で読んでみた。
自衛隊の派遣反対しているグループのものだった。

両面印刷された片面には 訴えたいこと。
もう片側には新聞記事のコピー。

読むには読んだが わたしの考えていることとは合わなかった。
まぁ いいが。


そうそう やっと年賀状を買ってきた。
お年玉袋もね。
幸い 弟も未婚のため わたしは袋が3つしかいらない。
両親 そして 安月給で結婚の時期を延ばしている弟へ。

弟よ せめてあんたは親孝行しなさい。


街にくり出してはみたものの
誕生日の次に大好きだったクリスマスに 
まだ反応が鈍いわたしがいる。
寒さも味わい 体内季節反応装置も修正できたはずなのに。


そんなんでいいのか? ←自分へ。






2003年12月22日(月)
笑いの落とし穴




「美味いもん好きの落とし穴」に登場した2合炊きの鍋が本日届きましたー♪

以前から欲しかったんだけれど 急ぐものじゃないし
たまたま メールで案内が来ていたので買いました。


炊飯ジャーはタイマーがあることは便利なのだけど
ご飯を保温すると 臭いがつくのが苦手。
だから いつも炊きたてを小分けにして冷凍しています。
そうそう 冷凍室が満杯になるのには こんなものも入ってるから。
アイスも入ってるしね あははっ。

毎日炊くわけでもないし 保温の必要がなければ 
鍋で炊いた方がガスの火だから美味しいのかも
とか 考えているんです。

しかもね 美味しそうな新米を買ったし♪ ←これもネットで。

今年は天候のせいで 新米が手に入りにくくなるって
夏の終わりに言ってましたよね。
わたしは そう米の味がわかる人間ではありません。
でも 魚沼産は美味しいと思っています。
何度か お客さまに送っていただいて食べたことがあって。
今年は ネット通販に凝っていることもあり
10キロほど早めに予約して買ってみました。

それを その鍋で かまど風に炊いたら 美味いんではないかと。
週末にでも試してみます。


で........その本日届いた鍋なんですが
そのフタにシールが貼ってあったんですよね。
それが 笑った笑った ぎゃははっ。
まさに わたしの元にくるべきことが決まっていたかのように。

リンクの写真館に載せたので
よろしかったら ご覧下さいませ。 おほほっ






2003年12月21日(日)
美味いもん好きの落し穴 その3



困ったこととは 冷蔵庫の冷凍室が満杯になってしまったのだ。

冷凍で送ってくる商品は結構多い。
ししゃもも スパケティーソースも トルティーヤも そうだ。
たとえ 冷蔵で送ってきたとしても 食の細いわたしでは
とてもじゃないけど食べきれない量の場合が ほとんどで。
明らかに無理だと思われるもので冷凍可能な商品であれば
最初から冷凍庫へ直行なのだ。

最近 発表後すぐ完売になるラーメンを運良く手に入れた。
生麺が5食分入っていた。
賞味期限は5日。 
これは おそらく冷凍には不向きだ。
毎日ラーメンを食べなくてはいけなくなった。
味は噂どおり 確かに美味しかった。
だが きっと しばらく注文することは無いだろう。
2食分くらいで十分なんだけどなぁ。
冷凍する手も考えなくはなかったけれど
とにかく今 冷凍室にはこれ以上入らない。

お友達に振舞うという案も いただいたが
わたしの友達は残念ながら「遊びに来たよ〜♪」と
気軽に来れる距離には住んでなくて。

とにかく続けて食べることになるのには困ってしまう。
これがネット通販における 今の最大の悩みだ。


そして今年最後になるだろう到着予定の品がある。
豚肉と 米が2合炊きできる鍋。
まぁ 鍋は問題ないとして
豚肉だよな。
幻の古代豚らしく こちらも やっと手に入った。
どの部位か指定は出来ないんだけど 3種類が300グラムづつ。
これも 直行で冷凍室に行くこと間違い無しだ。
それまでに冷凍庫の中身を減らさなくては。
期限まで あと1週間。

クリスマスパーティーでも開くか?




2003年12月20日(土)
美味いもん好きの落し穴 その2



わたしは「無添加」という言葉が好きだ。

すでに何十年もの間 
さまざまな添加物を摂取しているだろうから
いまさらという気もしないでもないが
気が付いてしまえば 気になるもんだ。

そして「純国産」「昔ながらの製法」「数量・期間限定」

これらの言葉に非常に そそられる。

無添加の調味料 
純国産の蜂蜜
昔ながらの製法で作られた高菜漬けや梅干し
期間限定 国産ししゃも
○○セット限定のオリーブ

そして最近すっかり はまっているのが「特選素材」
某料理対決番組「どっち?」で使われた素材というフレコミにメロメロだ。
ソース カレー粉 マヨネーズ ケチャップ ラーメン 納豆 豚肉 

その他 添加物なしのスパゲティーソースに生パスタ
なまこを開くと わずかしか入っていない このわた
みぽりんがCMで食べてたという ただ茶豆(枝豆)
以前も紹介したメキシコ料理に使われるトルティーヤ
普通のスーパーでは手に入りにくい海外の調味料
本場の讃岐うどん キムチ ちりめんの佃煮などなど。

送料が かかることに諦めがつきさえすれば
食品なので そんなに高額になることはない。

ワインだけは やや高額になるけれど。
でも ワインは種類が多いため普通の酒屋では在庫に限りがあるし 
見つけたとしても重いから買うことを迷ってしまうことを考えると 
じっくり選べて送ってもらえるしで重宝している。

しかしながら 最近 ちょっと困ったことに ぶつかった。





2003年12月19日(金)
美味いもん好きの落し穴



もともと凝り性な性格だということは認める。
通販は過去にも数点購入したことがあって。

エアロバイクとか腹筋用のトレーニング器具とか。

この夏 シークヮーサーが体にいいことを聞き付け
ネットで検索してみた。

「ふむ 焼酎割りに使えるのかぁ」

お酒を飲みながら体にいいかも そう思ったわたしは
ネット通販で 手に入れた。

以前にパソコンはネットで購入したことがあったが
それは 日本のパソコン業界では何かと虐げられている
Mac愛好者であるがために 販売店が限られているという状況から。
なので ネットで物を買うということは ほとんど無かった。


わたしは食料品売り場が とにかく好きだ。
お気に入りのスーパーに行くと 最低でも1時間は
カートを押しながら うろうろしている。
何が楽しいかというと 素材や調味料を眺めていると
美味しいものが頭に浮かぶから。

「これが作れるよな  ああ あれ食べたい」

そして いつもカートに入っている量は 買い過ぎになっている。
考え無しに買っているわけじゃないのだけれど
たまに忘れるんだよね 家での食事の回数が限られていることを。
冷蔵庫の中で忘れられている素材は 結構あるかも。

「美味しい」←これが好きなんだ。 高価という意味ではなく。
買い出し自体を楽しんでいるので ネットで買うより現場でと思っていたが 
その土地ならではの商品を手に入れるのは困難だ。
それが ネットでは遠くにいても買うことができることを知ってしまった為に
わたしの美味しいもの探しに火がついた。




2003年12月18日(木)
息抜き話 お酒編




さっきまで おもーいこと考えてたから
ここでちょっと息抜きでも。(笑)


で 話というのは

最近 お酒 弱くなったような気がする。
しかもね 記憶が飛び過ぎ。


先日 他県で飲んでいた時のこと。

思った以上に上物の鯨ベーコンと脂の乗った鰯に
ご機嫌なわたしは 焼酎ロックを結構飲んだあと
2軒目の店で よせばいいのに赤ワイン。
これがとても口に合う味で調子に乗って飲んでしまった あはは。

ビジネスホテルに戻る迄の帰り道 わたしは言ったらしい。

「コンビニで買い物する♪」 ←飲んだ時の習慣

同僚が言ったらしい。

「このへんにコンビニとか ありそうにないですよ」

すると わたしは自信あり気に右側を指差し言ったそうだ。

「えっとねぇ こっちにある」

確かに 指差した先に道は続いていたらしいが 暗かったので
雰囲気的に無さそうな気がして 同僚は わたしに確認したらしい。

「まあこさん そのコンビニに行ったことあるんですか?」

わたしは にっこりして言ったらしい。

「んー ない♪」

同僚は呆れて言ったらしい。

「じゃぁ あるかどうか わかんないじゃないですかっ」

わたしは にやにやしながら言ったらしい。

「そうだね えへへ」



..................実は この会話 まったく記憶に無くて。(自爆)
もちろん コンビニを探すことなく 
同僚は わたしをひっぱってホテルに戻ったらしい。 ぎゃははっ


通常 飲み過ぎて部屋に戻ってからの記憶が飛ぶことは よくある。
翌朝の部屋の様子を見渡しながら なんとなく思い出すぐらいで。
しかし 帰り着く迄の記憶が消えているのは よくないよなぁ。(苦笑)

みなさまも 飲みごとが続く季節まっただ中なので
わたしのように記憶飛ばさないよう お気をつけくださいまし♪


えっ? わたしが一番危険人物だって? ぷぷぷっ





2003年12月17日(水)
昨日から考えていること




「殺人サイトを見て 試したくなった」

昨日 中学3年生になる兄が妹(小学6年生)を鉄棒で数回殴り 
重傷を負わせたという事件が起きた。
記事によれば 相手は誰でもよかったと。


殺人サイトで何を見て試したくなったかは わからないが
試したくなって実際に行動を起こすかどうかは
そのサイトの影響ばかりではないと わたしは思う。


試したいと思った衝動に対し 
超えてはいけないはずのラインで
何のストッパーも働かずに
そのまま行動に現れた


わたしにとっては驚くべきことだが
加害者にとっては やりたいからやったぐらいのものかもしれない。


長さ60センチ 太さ1.8センチの鉄棒で数回頭を殴れば
人が痛みを感じ血を流し死ぬかもしれないということを
わたしならば考えることが出来て
試してみたいとも思わないが 仮に試してみたいと思っても
それを やってはいけないことだと判断するスイッチが
何処かにあると思う。

しかし
モノを壊した時にモノが痛い思いをしただろうとか
モノが壊れてしまうことを死んで悲しいと思わないように

能の中での識別や判断を行う時に 
例えば人をモノと同じように考えてしまうと
わたしの言うスイッチは作動しないんではないかと。

それが生まれた後の外的要因なのか 生まれた時から そうなのか
わたしには わからないが
人それぞれの性格や考え方とは違う部分で
本来であれば自然に持ち合わせている部分に何かの圧力が加わり
それが形を変えてしまったのではないかと。



被害者である妹は重傷ではあるが命に別条はないらしい。
ふと頭に浮かんだ。

退院してきた妹と兄の会話。

「お兄ちゃん 私を鉄棒で殴った時 どんな気分だった?」
「結構 面白かったよ」
「私 痛かったんだよ。 でも面白かったのかぁ 私もやってみたいな」
「痛かったのか? 僕も殴られると あんなに血が出るのかな」
「じゃ 今度は私がお兄ちゃんで試してみようか」


あり得ないと思う反面 こういう将来もあるのかなと思わなくもない。

体内に取り入れられた不自然なものが
脳に悪影響を及ぼしているんじゃないかと
外見は同じ人間だとしても中身が違うんじゃないかなと
別の生き物じゃないかと思うんだ 殺人の欲望を妹で試すということが。

そうなった理由は 最近急にというよりも
何かの副産物とか副作用とか 時間をかけて今があるような。
関係があるとすれば くちにする物であったり環境であったり教育であったり。
漠然と考えているだけなんだけど 危機感だけは妙に感じる。


昨日の事件に例の長崎の事件がかぶり 
脳と体のバランスについて このようなことを考えていた。

そして共存できないと思うのは 
今 わたしが思う異常なことが増え続ければ 
自分が いつ被害者あるいは犠牲者になってもおかしくないからだ。






2003年12月16日(火)
balloon



思いっきり息を吹き込んで

いっぱいに膨らませるのは得意なんだけど

加減できないから

きっといつか破裂する


だったら針を刺すほうがいい

破裂しちゃう前に自分の手で




2003年12月15日(月)
嫌がらせの心理



日頃のストレスを無関係な相手にぶつけることにより
自分がラクになろうとしているのか

なんだか気に入らない
目障りだから?

ひとりよがりな発想で お門違いな感情を
正当化させたいがために やるんだろうか

嫌なことされたから
仕返ししないと?

被害妄想に走り やっていいことと そうでないことの
区別がつかなくなるんだろうか

いずれにせよ
何らかの形で自己主張したいんだろう
目立つことで注目を浴びたいんだろう
そして相手の反応を見ることによって
勝ち誇ったような気分になるんだろう


無意味だ


嫌がらせというのは 
意図的に人の嫌がることをするということで
自分がされたから 人にもするのか
自分がされれば どう感じるか知らずにするのか
卑劣な行為だと知っていながら成り下がりたいのか

わたしには わからないが

なんら関係のない人まで巻き込んで
自ら 人に嫌われるようなことをする人間の気持ちが
わたしには理解できない

実に不愉快だ






2003年12月14日(日)
ココは子供広場ですか(笑)



一番早く出勤してくる同僚の車の助手席に
チャイルドシートが取り付けてあれば
ちび太が出勤していることが わかる。

今朝もチャイルドシートが取り付けてあった。

「ちび太が来てるな」

最近は わたしが来ても ちび太のお迎えが無くなった。
以前はドアまで開けてくれ 満面の笑顔で おあよーと言っていたのに
近頃 彼の態度は つれない。 
もう わたしのこと 愛してないのねぇ。
変わり身早いんだから 男って。(笑)


「ちび太 おはよ〜♪」

ちび太が来ると いつも遊んでいるソファが置いてある部屋を覗いた。
すると ちび太が もういっこ 居るではないかっ。

今日は ちび太2号も出勤していた。

ちび太2号と会うのは今日が初めてだ。
1歳2か月で 歩きは達者だが まだ あーとか うーとかしか言えない。
1号とは 全く違う種類の顔をしていて 
写真で見る姿と同じく かなりキュート。
くりくりした目に長くて濃いまつげ。
こりゃ おんな泣かせな男になるぞという噂通りの美しい顔立ちで
人見知りなしに惜しみなく見せる笑顔に 誰もが悩殺されそうだ。

そんな2号も 所詮子供。
気に入らないことがあると 床に仰向けになって ぐぜりだす。
かまってもらえないとわかると やがて泣き出し 何かを訴え始めた。

ちび太パパは ぐぜる2号を しばらく放置していた。
わたしは 大泣きしている2号を観察していた。
すると 子供特有の美しい涙を ぽろぽろこぼしながらも
ときおりパパの方をチラリと見て パパの反応を うかがっている風。
両手で左右の目を こするように泣いている姿が
まるでアニメの泣くシーンのよう。

やがて パパが だっこするように両手を差し出すとピタリと泣き止み
嬉しそうにしている2号を見て さっきまでの涙が ある意味演技だと解る。 

ちび太1号はパパっ子なので パパが2号を抱いていると
自分もだっこして欲しいとヤキモチを妬く。
今日は あらかじめ パパが1号に言っていたようだ。
2号をだっこしなきゃいけないから お前は我慢していなさいと。
一旦は納得したものの 1号も まだ3歳。
聞き分けが持続するはずもなく。

1号曰く

「僕も だっこダメだから ○○ちゃん(2号)もダメ」

なるほど 平等にってことね。(笑)

2号をだっこすると1号が拗ね
2号を椅子に座らせると1号は納得するけど 2号が また泣き出す。
終いには ふたりをパパが片手にひとりずつ だっこ。
1号2号によるパパ争奪戦は 一応決着が着いたようだ。


それにしても ちび太パパは なかなか立派だ。
トイレのこと おむつのこと 食事 おやつ お昼寝と 
何一つ迷わずに世話をしているのを見ていると
日頃から 子育てに きっちり協力していることが うかがえる。

きっと今頃 ちび太ママも いい息抜きになっていることだろう。


おっと 静かになったか?
どうやら うまくお昼寝タイムスタートのようだ。
さすがに ちび太がふたりもいると ここは事務所じゃなくなる。
しばらくは わたしも休憩できそうだな。


ん? 仕事は?
まあ いいか。 あははっ





2003年12月13日(土)
破たんの話は めずらしくないけれど。




日刊で 倒産情報が会社に郵送されてくる。
メルマガとして 先に情報が届き
数日後 破たんしてしまった会社の債権者一覧が
その金額と共に掲載されたものが送られてくるのだ。

コーヒーカップを片手に読んでいた同僚は
もうちょっとで コーヒーを吹き出しそうになりながら 
それを かろうじて堪えて言った。

「あっ 旦那の会社が載ってるっ」

同僚の夫の会社が破たんしたわけではなくて 債権者一覧に  
つまり 引っかかってしまった会社の一覧に出ていたのだ。

数日前 同僚の夫は かなり不機嫌で帰宅したらしい。
話を聞くと 取引先に引っかかってしまったせいでボーナスが出ないと。

「仕方ないよ」

そう慰めた同僚であったが その情報誌を読むことで
夫の会社が ひっかかった金額を知り 
夫の会社の存続すら 危ういのではないかと不安を抱いたようだ。

もしも その不安が当たったとしても
幸い 同僚は ネコにも3000円のボーナスが出る 面白い会社で
楽しく働いているようなので 生活が急激に悪化することはないようだが
そろそろ子供でもと考えていたようなので
その計画は 少し先送りになるかもしれないな。


地場では大手ゼネコン会社なので これから連鎖して破たんする会社が
間違いなく出るだろうと言われている。
民事再生法が申請された二日後に債権者一覧が送られてくるのは異例の早さだ。
まるで そうなることが 用意されていたかのように。

今の時代に手形は不向きだろう。
3か月先 半年先のことなんて わからない。
危険度が高い支払方法だと わたしは思う。
上がコケたら あとに続く会社は たまったもんじゃないよ。




2003年12月12日(金)
心の中に同時にふたつの気持ちが発生する /男と女の違い5



この本を読んで 男と女って違うものなのね 
という感想では終われない自分がいる。
読む以前に 違うということだけは わかっていたから。 
それが生まれつきのもので 
人を動かす指令塔である脳の違いだということがわかったことは 
わたし的には収穫だと言える。
自分の考えていることに大きなヒントを与えてくれたのは嬉しいのだけれど
男と女の考えることや行動の違いが わかったとしても
自分が女である以上 男の思考回路を体験できないことも
同時に知ることになった。

それから 女的脳であっても やや男寄りだとかがあるらしく
わたしは その本を読む限りでは男寄りだという結果が出た。 
心の中でふたつの気持ちが同時に発生するのは これが原因なんだろうか。 
時々 男の気持ちがわかって 
でも それに流されたくない女のわたしがいて
これって結構 疲れるんだ。

ここであえて わたし的な結論じみたものを出すとすれば
男と女の違いがわかったところで 男は男で 女は女だ。

それはやめてくれと男が思うことを 女がするし
もっとこうしてよと女が思うことを 男はしない

違いを知っても やることは違ったままだ。


わたし的には 
それほどまでに違うものだから惹かれるんだと思うし
男の魅力は 男的脳があってこそだろうから
やはり わたしは男が好きだし.......ダメだな こんな結論じゃ。

ここは ひとつ「思いやり」という言葉で逃げてみるのは どうだろう。
男と女が お互いに思いやることで.........
しかし この「思いやり」ひとつとっても 
男と女の求めているものには違いが認められる。

「相手の立場になって 自分に置き換えて」

これは わたしがよく使う言葉だったのだが これも使いにくくなったな。
なんといっても別の星で生まれたかのように 男と女は違うのだから。

まぁ こんな調子で 答えは出せぬままに
あれこれ考え続けるのが わたし的ということで。

読んだ本は「話を聞かない男、地図を読めない女」でした。


おわり




2003年12月11日(木)
心の中に同時にふたつの気持ちが発生する /男と女の違い4



それじゃ 違いがわかったからどうよ 
という疑問が さらに沸く。

男の考え方や男と女の違いを 日頃から興味を持って観察していると
男の考えていそうなことが 想像できたりするようになる。
経験や それこそカフェで学んだことも含めてね。
もちろん男じゃないから 当たっているかどうかは わからない。
これに自分の持つ女的な考え方が加わることで
わたしは ますます混乱してくる。

つまりね 男的に合わせて行動すると 女的な自分が苦しくなってくる。
所詮 女なんだから。
タイトルにある「心の中にふたつの気持ちが同時に発生する」わけだ。
推測による男の気持ちと 自分が感じる女の気持ちとの葛藤とでもいおうか。

その苦しさから逃れるために わたしは言葉にしているんだと思う。
だから 聞いたら 答えてほしいと思う。

「言わなくても わかるだろう」 ←これは ある意味 禁句ね。

考えた上で わからないから聞いている。
わかろうとして聞いているのだから。

それでも わからないという結果が
脳の分析により解明されつつあるのだろうけど
自分が納得できるかどうかが目的ではなくて 
その考え方が知りたいんだ。

男と女に考え方の違いがあるのならば 時には答えあわせをしていかないと
食い違った部分を放置すれば 誤解やすれ違いを招くことになりかねない。
わたしのような深読み系の人間は 特に ひとつ道を間違えば
どんどん違った方向へ勝手に進んで行きがちだから 
それを避けるためにも やはり 聞かなくちゃいけない。
違ってもいいから どう違うのかを知りたい。

ただ あんまり突くと 男は不機嫌になる場合もあるのが厄介だ。

自分が伝えたいことが伝わっているのか確認したくて
男が伝えたいことをちゃんと受け取れているかを照らし合わせたい。
想いを理解してほしいんではなくて 考え方を比較したい。
その上で わからない 伝わらないんであれば 
わかろうとしないでいいのか 考えなくてもいいことなのか
また 考えればいいのだと。

「わたしのことを わかって」

これとは似てるようで わたしの中では はっきり違う。




2003年12月10日(水)
心の中に同時にふたつの気持ちが発生する /男と女の違い3



男と女の違いは 
DNAとホルモン系による作用で出来上がった脳の仕組みにより現れるとのこと。 
育ちも やや影響はあるんだろうが 
生まれた時から性別に分け隔てなく育てても 
やはり男的・女的考え方や趣向は
自然と身につくという実験の結果が出ているらしい。

多くは異性同士で恋愛するが その性別の判断も肉体的なものだけでなくて
例えば 体は男で脳が女的ならば その人は おおむね男を好きになるという。
脳が男的・女的になるかは 胎児の頃 脳が出来上がって行く途中に受ける
ホルモンの種類と量に関係するらしい。
ということは 外見的に決められた性別とは別に 
生まれながらに持った脳の性別が あるということ。

とすればだ。 
男の脳で考えられることと女の脳で考えられることに違いがあるのなら
男的な考え方を女的考え方をもって理解しようとするのは難しいと言えるだろう。
これは 全ての考え方という意味ではなくて「違う」と感じることについて。


ありがちな話を例題にるすなら

女が彼からの電話を待っているとしよう。
男は忙しくて その時間が取れず 気付けばもう夜中。
声を聞きたい気もするが その日はかなり疲れていて楽しい気分で話せそうもないし
そのまま 電話をかけずに寝てしまった。

女「なぜ電話してくれなかったの?」
男「忙しくてさ」
女「電話くらい かけられたでしょ?」
男「疲れてたし」
女「声を聞きたいと思わなかったの?」
男「それより寝たかった」

女は 男の声をききたかった。 
遅くなっても疲れていても求められるということに
相手の自分に対する想いを計ろうとする。
男は 疲れきって無愛想になるよりは 
改めて気分がすぐれている時にかけたほうがいいし
何よりも その日にかけないことが 
二人の関係に影響するなどとは少しも思わない。

この場合の女の立場になって わたしが考えるとすれば
ほんの数分でも 声をききたいと思えば かけてくれることを望む。
かけてこなかった理由を聞いて それが「忙しい」「疲れていた」ということでも
少しくらいなら 電話ぐらいなら そう思うだろう。
なぜなら わたしなら疲れた時にこそ 声をききたくなるから。
これは 女的考え方かどうかは不明だが 
自分がそうだから相手もそうじゃないかと。
ならば電話をかけてこなかったのは 他の理由があるのでは?
気持ちが冷めたんだろうか 他に好きな人が出来たんだろうか。
こういう考え方をするのは 女である以上避けられないことだ。

ちなみに わたしは上に書いたようなやり取りで 
直接相手ともめるかどうかは さておき
確かに似たような感情が わきあがるのは認める。

どんなに男と女の違いを理屈で理解しようとしても 感情までは抑えられない。
そして その感情は 生まれ持った女的脳に支配されているのなら
太刀打ちできないというか 手の打ち用がないということになる。

疲れて寝たいから電話をしなかった男の気持ちも
それでも好きならかけてほしかった女の気持ちも
いい悪いの問題でなくて どちらもの特徴が現れているだけだと。

「疲れていたんなら しょうがないね」と くちで言えたとしても心では
「付き合い始めには そんなことなかったのに」という不安を抱くのが女だ。

そして そんな不安に気付かないのが男なんだろう。




2003年12月09日(火)
心の中に同時にふたつの気持ちが発生する /男と女の違い2



「どうして?」
「何故 そうなの?」

女が得意とする この質問パターン。
男に これを投げかけて説明してもらったところで
納得のいく返事は めったに聞けないものだ。
違った畑で育てられた作物が
同じ形をしているようで質や味が違ったりするように
男なりの考え方で女に説明しても 
考え方が違うのだから わかりにくい。
わかるとすれば「そういう考えを持ってるわけね」ということぐらいだ。

しかも 男は感情を1から10まで言葉にするのは 女ほど得意ではなく
その不足部分を 女は女的考えで男は男的考えで埋めようとするもんだから
ズレや衝突は避けられないようで。

この辺りのことは 本に詳しく例題と共に書かれている。
わたし的に これってありだなと思った話が「大丈夫だよ」

本に書いてあったのは
女がいう「大丈夫よ」というセリフには 
たまに大丈夫じゃないことが含まれていて
言った先に 
更に男が「本当にそうなのか?」とか「大丈夫そうには見えないよ」とか
そういうふうに 自分に興味を持ってくれることを女は望むらしい。
ところが男は「大丈夫よ」と聞くと「そうか 大丈夫なのか」と 
あっさり納得する。
ここで男が引けば 女は「わたしのこと どうでもいいのね」と思うらしい。

なるほど。
わたし的には「大丈夫だよ」と言う強がりを たまたま 
わたしが付き合う男が見抜けないだけだと思っていた。
つまり 男はそういうもんだというよりは 
そんな男たちに出会ってばかりだと。

男の思考回路に訴えるためには「大丈夫じゃない」と
言わなきゃいけないわけだ。
ということは

「ああーん できない」とか「あなたじゃなきゃダメなのぉ」

などと言った方が得策だったわけで。
言わなかった分 鍛えられたんだろうと思わなくもない。
素直になりたい けれども なれない そんなジレンマは 
わたしの強がりと 求めてもあるはずのない男的考え方が
影響していたのかもしれない。


本には こういう男と女の考え方の違いを知ることで お互いが譲り合い
摩擦やすれ違いを少なくできるだろうと書いてあるのだが
わたし的には 疑問が残った。




2003年12月08日(月)
心の中に同時にふたつの気持ちが発生する /男と女の違い1



初期のウェブ日記に まるで男と女は別の星で生まれたようだと
わたしは 男女の違いを そう表現した。

その頃は漠然と そう思っていた。
そう言い切らないと わたしの中でのつじつまが合わなかったから。


最近 ある本を読んだ。
借りて 1年は過ぎるんじゃないかな その本。
読書宣言をしたので 読んで早く返さないと
他の本の話を その人にするのは失礼かと思い 先に読んでみた。

どんな本かと言うと
男と女の違いを書いてある本なのだが その違いは
DNAの話にまでさかのぼり 脳の作りや配線にいたるまで
男と女は違うということが書いてある。
脳というパーツが違うから それぞれの考え方や行動も違ってくると。


男と女の違い わたしはこれに とても興味がある。

女のことは あらかた わかっている。
自分が女なので たとえ 自分がしそうにないことも
同じ女として その思考は読めたりする。

男については 
付き合ってきた男たちを通して観察したり
仲のいいおんな友達との 男についての情報交換とか
男の友だちや仕事関係で知り合う男たちとの話ぐらいだろう。
ただ恋愛絡みになると 冷静に男を分析するのは難しい。
男と女の思考回路が違うことは わかっていても 
何が違うのか 何故そう考えるのか ちっとも見えていなかった。

ウェブで書くようになって かなり勉強になったのが この「男について」
男の考え方 男の心理 男がやりそうなことなどなど。
男がナマの声で日記を書いているのを読むのは ためになる。

普段の生活の中で 男の本音が聞けることは なかなか無いから。

もちろん性格や環境により 考え方は様々なんだけど
ばらばらではないんだよな。
男ならではの傾向が見えてきたりする。
女的考え方があるように 男的考え方がある。

恋愛をメインテーマに書き続けているカフェ友の日記には
相当勉強させてもらった。
恋愛を通して 彼自身の考え方ばかりではなく 一般論も登場するし
女が疑問に思いやすい 男の行動や謎だらけの態度について
答えに近いものを見つけることも出来る。
恋愛話の中に「男とは」という分析が出来る仕組みになっているしね。




2003年12月07日(日)
続・ネットで始まる人間関係



ネットの出会いから始まるものと 
現実の出会いから始まるものとでの
大きな違いを上げるとすれば それは感覚的な時間だ。

通信系は人と人とを簡単に繋いでいく。
しかも年々 そのスピードと使いやすさは向上している。
そして その簡単さと早さが 人間関係も急速に深めていく。

ネット上では 気があった仲間が見つかれば 
公開型だけでなく非公開型の付き合いも加わる。
いわゆる 一対一でやりとりされるメールやメッセなど。
これは 男女の関係ばかりでなく 友情関係でも同じだ。
人と人とが仲良くなるにつれ やり取りされる内容に
個人情報を含む話が多くなるからだと思われる。
非公開型では さらに話が盛り上がるもので
リアルな世界で言えば 
何人も同席している時には バランスを取りながらみんなと話すし
二人で話せば 話の内容が濃くなることに似ている。


ネット上では 会ったり話したりする機会がリアルに比べて圧倒的に多い。
これが逆に 時間が早く過ぎているように錯覚する原因だと思われる。

たとえば
ネット上で1週間会わなければ 何かあったかな?と思う。
リアル界の友達ならば 1ヶ月ぐらい音信不通でも さほど心配しない。
ということは ネット上での人間関係は 頻繁に連絡を取り合うことで
成り立っているとも言える。

ネットの出会いで始まった恋愛の場合は さらに この時間的錯覚が強く
毎日交わされているメールが1日無かっただけで不安になることも。
理由もなしに一週間連絡が無ければ 終わったのかもと思うだろう。


仲良くなるのが簡単で早い分 
縁が切れるのも簡単で早いということだね。


ネットもリアルも同じさと 言い続けてきた わたしだが
この時間的感覚には 大きく違いを感じている。
そして わたしにも 
その時間的錯覚が しっかりと染み付いているように思う。

ネットで遊ぶようになって めまぐるしく変わる人間関係と
一瞬にして消えていく繋がりを 何度となく経験していると
そこに違和感はあるものの 慣れようとしている自分もいる。

「所詮 ネット繋がりって そんなもんだよ」と。

でも実際には 頭で考えるほどに割り切れていない。
ネットでもリアルでも同じじゃないの?
消化しきれていない思いが自分を どんどん追い込んでいく。 

さらっと流すべきなのかな。
そんなもんさって。





2003年12月06日(土)
ネットで始まる人間関係



ネットで始まる出会いが 友情へ 恋愛へ
ネットの普及で 今までには無かった人間関係が存在している。

ネットを介して人と出会い 
いずれ実際に会ってみる世界もあれば
ネットの中だけで 人間関係が繋がっている場合もあって。

ネットでの人との触れ合いを全く体験したことがない友達に言わせれば
面識もない相手と友達になったり恋をしたりすることは考えられないことらしい。
わたしは 通信系で繋がる人間関係の中に身を置いて3年以上になるので
言葉のやり取りだけでも 人間関係が出来上がっていくことを
身をもって体験しているし 不思議だとは思っていない。

むしろ ネットだから どうこう言うよりは
人との出会いが 仕事関係や旅行先 同じ趣味の世界とか 
あるいは たまたまバーのカウンターで隣に座ったからというような
リアル界での出会いと同じように きっかけのひとつとしか考えておらず
面と向かって言葉を交わすのか 通信系で言葉をやり取りするのか
その違いはあるだろうが 沢山の話をするという点で
人と人とが仲良くなって行く道筋は似たようなもんだと考えている。

だから わたしはネット上であれ リアルであれ
同じスタンスで 人付き合いをする。

リアル界と同じく 気が合えば 沢山のやり取りをするし
リアル界の人間関係と同じく 深い浅いもあるだろう。
言葉を交わした分だけ 繋がりは太いものになる そう考えていた。

しかし そうとも言い切れないと 最近は感じている。






2003年12月05日(金)
泳げないので(笑)



見た目溺れている風なら やや泳げるけれど
足が着かないところでなんてごめんだわ系わたしは
今 マブからの ある指令にびびっている。


「一緒に飛び込むのよ♪」


マブー 
わたしは石橋叩いて渡る派だってばぁ(笑)

しかし がんがん泳いでいるマブの姿には 惚れ惚れする。
わたしも飛び込んでみるか......

そう思っていた矢先に
マブからの指令に対する注意事項があった。
なんでも わたしが飛び込むには
すでに飛び込む位置が 相当高い場所からだそうで
覚悟がいるらしい。(怖)


「もっと若い頃なら低かったんだろうけど」


って おいおい。
それじゃ ますます尻込みするじゃんかっ。(泣笑)


そうなんだよねぇ。
若くない分 うっかり頑固だったりもするんだろう。
変わるのは いいのよ 怖いわけじゃない。
変わり方が わからないの。

何年 おとなやってんだろうね まったくぅ。

で 振り出しに戻る。
ああ 素直じゃないよなぁ かわいげないよなぁって。


えっ? 何の話かって?
人生の泳ぎ方です。(逃)





2003年12月04日(木)
今のわたし




生きることを意識しなくても寝たら明日がくる

食べるために仕事をして
心を動かされたら恋をして
面白そうなことは始めてみて
意味があるのかないのか わかんないけど
そんなことを繰り返し続けることに特別な疑問は無い

影響されやすくても
何かが変わり始めても
自分で抵抗がなければ ちっともかまわない

思いが伝わらなかったら傷付くことだってある
悪いことしたつもりなくても攻撃される
うまくいかずに苛立つこともあって
涙が止まらない時だってある

全てを受け止めるには未熟だなと感じることもあるけれど
今のわたしが そうならば ありのままで行く
少しずつでも成長できることを願いながら


人を信じれなくても いいじゃない
わたしは自分を信じている





2003年12月03日(水)
どんな子供だった?




厳しいしつけの中で上品に育てられたと言ったら
厳しい自然の中でたくましく育てられたの間違いでは?
と会社で突っ込みを入れられてしまった まあこです。
ふむ そうだったのかっ(違)


自分が どんな子供だったか覚えていますか?
覚えているさ 自分のことなんだから......
そう思っていたわたしですが
なんと 自分で覚えている自分と
回りで覚えている自分が 違ったりしてたんですよ。
しかも 回りの意見は一致しているのが なんとも悔しい。

「どういう子供だった?」

両親と 子供のころ一緒に暮らしていた伯母に聞いてみました。

人さし指の先をペロリと舐めて障子に穴を空けたり
壁にクレヨンで 隙間がないくらいに落書きしたり
廊下の段に板を斜めに立てかけて 滑り台だーとか
近所の子供たちを集めて大将きどりだったとか

ちゃうちゃう わたしじゃないっ(無駄な抵抗)

家のお手伝いは小さい頃からやってた いい子だったでしょ?
小学校の時の先生が今でも まあこちゃんに会いたいって
自慢の娘だったでしょ?

それは認めてもらったものの まだ他にもワルサをしているようで。


ビデオがない時代に子供やってて 本当によかった♪


ひとつ驚きだったのは
今でこそ 凹んだり淋しくなった時には だっこ〜♪と甘えるわたしだが
子供の頃は それが一切なかったらしい。

ん? それって ある意味 かわいげのない子供だった?と聞くと
とにかく ちょこまかと忙しくしていたらしく 
そんな暇がなかったんだろうという話。

ふむ 昔っから 忙しい子だったのね。(笑)





2003年12月02日(火)
○○な人に会ったら結婚するかもね




そう自分が よく言っていたことを 最近まで すっかり忘れていた。
○○のところに入るのは......


その人の生き様を最後まで見てみたい人。


そう言っていた頃 
今のように結婚について深く考えてはなかったし
既婚者からの話を よく聞いていたわけでもなかったし
子供が欲しいとか欲しくないとかも考えていなくて
もちろん恋愛のゴールが結婚だとも思っていなかった。

ただ 結婚とは 自分が生きて行く上でのパートナーと暮すことだと
思っていたことは 今と少しも変わらない。

自分の人生という考え方をしているところをみると
誰かの人生に乗っかる気がないんだなと。
そもそも こんな考え方をしているから
結婚していないのかもしれないと思うわけで。

だってね
気づいてしまったんだよね。
相手の生き様を最後まで見れるかどうかなんて 
わからないってことにね。


まぁ 考え方としては 現在や ちょっと先までじゃなくて
老いてしまった ずっと先を想像した時にも
もう 働けないようになって 時間がたっぷり手に入った時にも
現在と変わらず 一緒に遊んだり語り合ったりしたいような相手が
わたしの望む結婚相手なんだろうと思う。

結婚に打算的な考えもなければ 家庭を作りたい願望もない。
かといって 結婚することで 
仕事を辞めなければいけなくなることや
家事や子育てを 拒んでいるわけでもない。
結婚生活の中で 与えられた役割りや自分の仕事だと納得できることは
やりとげる自信はある。
直面すれば それなりに こなせるタイプだからね。

自分の人生が 誰かの影響を受けたり 助けられたりしながら
厚みを増すことはあっても
自分で何もしないでも 誰かが道を作ってくれるとは思っていないから。
自分で歩いていくものだもんな 人生って。
独身であっても既婚者であっても 同じだと思うんだ
自分で選んだ生き方だってことは。


お互いが いい意味で影響し合って それぞれの人生を一緒に歩いていけたら
それが最高のパートナーだと思っている。
それが わたしにとっての結婚ならば 
過去に2度 結婚話が ふっとんでしまった理由も
今の自分の生活も なるほどと思えたりする。





2003年12月01日(月)
昼食と中食



昼食と中食
どちらも「チュウジキ」とも読むらしいのだが
ひょんなことから辞書を引いて ちょっと驚いた。

昼食(シュウショク)は お昼ご飯を指すわけだが
中食(チュウショク)は 外食の反対語らしい。
中食の意味は 外食に対し 惣菜や弁当などを買って帰り
家で食事をすることと書いてある。

昼食は中食だった と言えないこともない。(笑)
うちは夕食も中食である とかね。(苦笑)

ひとりとか ふたりとかだったら中食も安上がりになるんだろうが
体のためには 中食よりも正真正銘の手作り料理を食べることが
いいに決まっているし
何よりも 伝統的な日本の味を守るためには 
中食に頼ってばかりじゃ話にならない。

わたしだったら中食だらけの家に帰るくらいなら外食を選ぶだろう。
もてなしと笑顔付きだしね........なんてことを考えた。


ところで 
男が愛人宅で召し上がるご飯は「外で食べてくる」と表現されるので外食だ。
外食を辞書で引くと「家庭外でする食事」と書いてあるし。(笑)
ならば 手作りの料理を家庭内で食べることを何と言うんだろう。
中食と言う言葉があるくらいなのだから それに当てはまる言葉があるのでは?
「家食」? いや そんな言葉は わたしの辞書には載ってなかった。

家庭料理が消えつつある今 
そして家族揃って食べることが少なくなっている今 
手作りを家庭内で食べることに匹敵する言葉は必要ないのかな?



ついでといっちゃなんだが
「袖すり合うも他生の縁」にも驚いた。
多少じゃないのねぇ。
他生とは 前世からの因縁らしい。
だから どんなささやかな出会いも大切にせよ.....って 身がもたん。(謎爆)

ことわざの話を書くのは「隣の芝生」以来だな。(笑)



仕事さぼって何考えてるんだ? って?
いえいえ ここ数日 忙しくて追いつめられてたから息抜きです♪
ほんとですってば。(自爆)