START NEW INDEX MAIL BBS


おとなの隠れ家/日記
marko

MAIL
BBS


クリックすると
ランキングに投票されます♪

My追加


2001年09月16日(日)
それぞれの言い分



なぜ 彼はこんなことをするのだろう とか なぜ何も言わないんだろう とか
頭の中で何度も何度も考えていると、いつのまにか、頭の中で相手にそれを話しかけていたり、問いかけてる自分がいる。
もちろん頭の中での話なわけだから、相手からの答えはないけれど。 
女友達と、彼の態度や発言で「...こうなのよ。 どう思う?」と話したりすると、「うんうん、わかるよ」という話に始まって、「男ってそうよね」とかいう結論になったりする。

こんなことばかりやってると、「こうなのかな?」という疑問が、「きっとそうなんだ」という勝手な納得にかわり、相手にその気持ちが届くころには「こうなんでしょ?」という、なかば決めつけみたいな、言葉にすりかわってしまう。
考える時間が多い分、ややひとりよがりの思い込みがあるのも事実だ。

いきなり「どうなの?」とつめよられた男側にしてみれば、それに答えるのは容易な事ではないだろう。 あやあふやな答えをしようもんなら、充分に考えて言葉を用意している女側からさらに、つっこまれることになるわけで。

言葉の足りない男もよくないが、あーでもない、こーでもないと考えてる女の気持ちを男は知らないのかもしれない。
「たったそれ位のこと、悩んでいたの?」
「そんなの、どうでもいいじゃん!」
と言われたことない?

ここには、男と女の考え方の違いがあるのかもしれないな。男は、問題が起きれば、それを解決することが一番だと思い、その方法を探そうとしがちだけど、女は解決法や結果よりもまず、なぜそうなったかが重要で、問題の渦の中で原因を見つけようとするのが先だから。

もともと、ちょっとした気持ちのすれ違いから起こる疑問や不安。 それらが大きくなる前に、しっかり向き合うことができれば、思い悩む時間も減らすことができるのだろう。 

自分を振り変えれば、相手の言葉が足りない事を常に不満と思っていたけれど、下手な我慢をするよりは、ぶつかっていくのもいいのかな? と思う。 どうせ最後まで我慢できるしおらしいタイプではない。
溜め込んで一気に爆発するよりは、まだ心穏やかなうちに、相手に自分の思っていることをちゃんと伝えたほうがいいのかもしれない。 言葉が足りないのはお互い様なのかもね。



2001年09月26日(水)
つじつまの合わないこと



人の話を聞いていると、「つじつまが合わないよな」 ってことにでくわすことがある。
例えば、女同士で話している時に、「最近、ふとったみたい」といっていた人が、
男の前になると、「食べてもあんまりふとらないのぉ」なんて言ってたり。

私はつじつまが合わないと妙に居心地が悪い。
それが、通りすがりの人であれば、「ふーん」と言って流せるが、それが自分の大切な人であれば、そうもいかない。

聞いた話を自分の頭の中で組み立てていくうちに、「ん?」とひっかかるものがあった時、つい、思ってしまう。
「おかしい...」

ちょっと前までは、そう思っても、いちいち口にしないのが「いい女」なんだと勝手に理解していたけど、今は、いいか悪いかは別として、ひっかかったままでは、
ますます可愛げのない言葉を口にしてしまう自分を発見したため、「早めに尋ねて即解決策」をとろうと考えを改めた。

だが、これがまた難しい。
男は、この「尋ねる」をなぜか「尋問されている」と取りがちで。
尋ね方をちょっとでも間違おうもんなら、逆ギレされる恐れも.....

私は声を大にして言いたい!
やきもちがゼロだとは言い切れません。
でも、それよりもまず、尋ねることを恐れて妄想の世界に取り付かれるよりは、
その前に、どうもひっかかる という部分を解決したい! という思いが強いのです。
だから、わからないことを、「わかんないから説明して」という気持ちを受け止めてほしいな。
そこに多少の不愉快な点を見つけても、おとなしく話に耳を傾けるから。



2001年10月13日(土)
素直さ



素直さについて 考えてみるよ とは言ったものの、素直さって?

広辞苑によると...
飾り気なくありのままなこと。曲ったり癖があったりしないさま。心の正しいこと。正直。おだやかで人にさからわないこと。従順...などなど。

なるほどね。 
この中でいくつかは当てはまる。

あとになって、「素直じゃなかったよな」と思うことはあっても、「素直にいこう!」と考えながら行動することはないなぁ。
「そんなとこが素直じゃないんだよ」とか「素直になれば?」と人に言われることはよくある。 
では、どんなところが素直じゃないんだろう。

やきもちやいてるくせに、それを隠したり、早くぎゅっと抱き締めてほしいくせに、そんなこと思ってない態度とったり、やりたい事があっても、照れくさくて出来なかったり、好きなくせに好きだよっていえなかったり.....

でも、もしこんなことが「素直でない」というのなら、素直って、思った事をはっきり伝えてしまうこと?
考えれるほど「素直さ」って、わからなくたってきた。

あなたのいう、私に求めている素直さってどんなものなんだろう。
いじっぱりなとこや頑固なとこ、直せってことなんだろうか? 
でもね、これに手を加えると違った自分になってしまいそうだよ。
意地と頑固さでくぐり抜けてきたこと、いろいろあるし.....
従順で はむかわない私なんて、おもしろくなさそう。

そうは言ってみても、たまには「素直だね」と言われてみたいな。 (..*)



2001年11月04日(日)
旅の話



アメリカのテキサスに10日ほど行っていた。 
そこに住む、女友達(日本人)の結婚式に出席するために。

時期が時期だけに、飛行機に乗ることさえ怖かった私は、アメリカ行きを迷った。
結婚式の招待状がきて、2日後に、あのテロ事件が起こったのだ。

事件は、炭疽菌の話までふくれあがってしまった中、「いこうかな」と友達に電話すると、その先に喜ぶ彼女の声。
私は行く事を決心した。

アメリカにいく話は、会社やほんの少しの人にしか告げなかった。 もちろん、両親にも内緒。
本人が一番びびっているのに、「大丈夫? 危ないんじゃない?」なんてコメントは聞きたくなかったから。

行ってみれば、事件の影響は、たいしたことはなかった。
日本やアメリカの空港の警備が、通常よりややきびしくなっていた程度。
それよりも、目的地についた私は、そのとたんになつかしい思い出にひたっていった。

アメリカで暮らしたとき、その友達と出会った。
そのころ、私はそこに住んでいた。 
今までの人生の中で、一番冒険をした1年間。 そこで出会った2人の友達。 
その後、2年ほど連絡はとりあっていたものの、最近はぷっつりととだえていた。

でも、顔をあわせるなり、ハグ。
そして、すぐさま話が盛り上がり、あまり気を使いあうでもなく、いろんな事を語りあった。
私は思った。 「あー、彼女らとは、本当の友達なんだなぁ」と。

おとなになってからの友達は、なかなか出来にくいものだ。 仲良くなっても、縁は切れやすい。 音信不通の時間がありながら、話題に遠慮はなく、まるで学生時代からの友達のように話がはずんだ。

でも、話せば話すほど、私はさみしくなっていった。 
彼女らは、私と違って、日本でしっかり学び、アメリカでさらに学び、そして、職についている。
自分の力で、いくつもの大きな壁を乗り越えて、さらに大きな目標に向かって進んでいる。 
そんな がんばり屋さんの彼女達の話は、とても刺激的だったが、一方では、私に問いかける。 「あなたは一日を精一杯いきていますか?」と。

彼女らを見ていると、自分が精一杯生きていないことを思い知らされる結果となったのだ。

私は、日本へ帰ってきてからの2年、今の仕事を覚えるために、夢中で働いた。
でもその後は.....
彼女らがアメリカで、自分と戦いながら、勝ち取り、身につけている間、私はいったい何をしていたんだろう。

友達は思い出させてくれた。 
くり返される平凡な毎日に流されていくのではなく、そこで自分はどう生きていくかと考えること。
今おかれている状況は、決して与えられたものではなく、自分で選択した道なのだから。 
自分で進んでいかなくてはならないのだ。 
今、目の前にある生活と向き合って、自分で切り開き、自分で答えを出すべきなんだ。
楽な道に逃げてしまっても、問題は解決せず、いつまでもそこに残ってしまうから。

時は過ぎてしまうと取り戻せない。
今回の旅でそれを実感した。 



2001年11月10日(土)
始まりと崩壊寸前



私の友達(ゆき/仮名)は外国人と結婚した。 
彼の家族は、ほとんどアメリカに住んでいるため、これまでに、ゆきは彼の親戚とも、
交流を深める努力をしたようで、すっかり溶け込んでいる様子。

ゆきが結婚式の前に言っていた。「私、踊れないかも」
その意味が結婚式に出てわかった。
彼のお国では、お祝い事となると、みんなで踊るのである。
その動きは上半身と下半身が微妙に違い、腰はフリフリ状態。
しかし、彼女はみごとに役割を勤めていた。 
みずからフロアーに出て、彼を誘い2人で見つめ合ってダンス。 
それから、回りにいる人達を次々に誘い込み、あっという間にフロアには円ができて、
みんな踊り始めた。 
結婚式は、花嫁が踊り疲れてギブアップするまで続くそうな。 
夜7時ぐらいから始まったダンスタイムは12時過ぎまで続く事になる。 

結婚とは本来そういうものなのだろう。
本人同士のものだけでなく、家族がつながっていく。
ゆきが彼の家族も大切だと思っている気持ちが伝わってきた。
お国が違うことで生まれるいろんな苦労があるだろうに、
ゆきはそれを自然に乗り越えているようだった。
「そんなこと、結婚するんだから当たり前よ」とゆきの声がきこえそうだ。  

私は今回初めてゆきのお母さん、そしてお兄さん家族を紹介された。
数日間一緒に行動して、私は初めて、嫁姑問題、冷えきった夫婦関係を目の当たりにした。

ゆきは、とてもお兄ちゃんっ子で、歳が離れているせいかお父さんの代役でもあるようだ。
お兄ちゃんも彼女にはとても優しい。
私が思うに、お兄ちゃんは笑顔の素敵なナイスガイ。
ところが、嫁に向けられる態度は氷のように冷たいのである。
聞けば、離婚寸前まで話は進んだものの、子供達のために留まったとか。
冷めた夫婦の話は珍しくない。 ただ、一度子供のためにと踏み止まったのであれば、
せめて表面づらだけでも取り繕ってほしかった。
両親のトゲだらけの会話をきづかっている
子供達の態度がわからないんだろうか?
あれでは、子供のため というのも、おとなのエゴのように思えた。
姑は姑で、私をつかまえては、嫁の悪口。 その内容は、憎んでいるとしか
いいようのないもの。

私は、結婚の始まりと崩壊寸前の両方を同時に見た。
何がよくて、何が悪いのか?
結婚とは、人生のパートナーをみつけて、
一緒に生きていくものではないの?
そのパートナーって容易にはみつからないと思うんだけど。
世の中には、適齢期や、回りが結婚していく焦りを理由に目の前の相手に
飛びついてしまう話が多くある。
結婚するだけで、その先に幸せが待っているわけではないのに。
結婚とは契約に近く、「手を取り合って2人で築きあげていきましょう」と
誓い合うスタートにしかすぎないんじゃ?
できれば、その後に起こるさまざまな出来事をお互いがちゃんと向き合って
乗り越えられればよいのだけど、それが出来なくなってしまった時には、
その結婚生活にケリをつけてもいいんじゃないかな。
たまには選択ミスってこともあるでしょう。
私には、くずれた信頼関係の中で無理に生活を続けていく意味がわからない。

結婚とは...とあまりにも深い問題提起をされたような結婚式だった。




2001年12月24日(月)
ハウステンボス



ハウステンボスに行ったのは何度目だろう。
プライベートで行ったのは、1回だけ。
それも、後輩とその彼氏と3人で。(苦笑) 
あとの6〜7回は仕事上、おつき合いのあるお客さまを接待で。
この位行くと、見どころはわかってくる。

到着したのが夕方4時くらいになり、限られた所しか見れないので、
ガイドマップを見ながら少々焦った。
なんせ敷地はだだっ広いし、移動に時間がかかるし、
日が落ちると寒くなる。
子供相手なら簡単に喜んでくれるが、大人相手だとそうもいかない。
何度も遊びに来るわけでもないだろうから、少しでも好印象を与えないと。

さすがにクリスマスシーズン。
クリスマスが大好きな私は、まさにクリスマス!という飾り付けに
仕事も忘れて見とれることが何度も。
クリスマスにちなんだイベントも用意されていた。
たまたま見ることの出来たライティングセレモニー。
ハウステンボスの一番突き当たりに位置する「パレス ハウステンボス」
と呼ばれる宮殿をライトアップ、
その庭をクリスマスイルミネーションで飾ってあった。 
馬車で現われた、真っ白な服のサンタさんが印象的だった。
こんな時期に ここでデートできる恋人たちは幸せもんだ。
そんな幸せもんがゴロゴロしていたのだが。

私はツアーガイドではないですが、個人的意見で、
はずしたくないものをちょっとだけ。
ハウステンボスは、 そこに入場したらまるで別世界。
小さな子供たちにはあまり向かない場所が多いかもしれません。
ややアダルト向け。(エッチ系とは関係ありません。^^;)
アミューズメント施設では「ホライゾンアドベンチャー」がお薦め。
それから、夜のレーザーショーと花火は是非見てほしいなぁ。
花火は9時PMからだけど、これはすばらしいです。
とても近くで見れます。 色も鮮やかで綺麗!
通常は4分ぐらいのイベントなんだけど、
これだけは何度見てもいいな〜♪

あっ、それから、ハウステンボスの従業員さんたちは みなさんすごく親切ですよ。
言い方を変えると、よく教育されているというか。
気持ちよく楽しめます。
最近は経営があまりよろしくないみたいですが、
なんとしても立て直していただきたい。
みなさまもじゃんじゃん遊びに行ってくださいね。 (^-^ )
特別イベント時も素敵だけど、5〜6月はシンボルの花
チューリップが咲き、風も心地よく、
わたし的にはベストシーズンではないかと思います。
ところで私、ハウステンボスのまわしもんじゃありません。 
(^○^) アハハ



2002年01月04日(金)
深読み



言葉が足りないとその先に何が続くのか考えないといけない。
過去形の文章、途中で切れて止まってしまう文章。
その続きが気になる。
「〜だったけど」 こんなところで言葉を止められては、
先にいい答えがあるとは思えない。
「逢いに行こうと思ったんだけど」「電話したかったんだけど」「好きだったんだけど」
やはり、その先は、悪い答えばかりだ。(苦笑)

言葉を使ってコミニュケーションをとっている以上、
相手に伝わらなくてはいけない。 
伝えたいから書いたり、話したりするわけで。
口にしない部分を解ってくれといわれても、それは難しい。
もちろん、その途切れた言葉の先に、何を言いたいのかを想像するのは可能だ。
でも、そうやって、言葉にしないで避けて通ろうとする時に、
カンを働かせたりすると往々にして誤解が生じるものなのだ。

言葉を交わすことを避け、誤解を抱いたまま、進んでしまったら
心が通じあってるのに、そんなハズはないよな なんて
半ばあきらめた状態で歩いていけば
そこにはもっと貴重な時間が存在したはずなのに、
それを無駄にすることになるのではないだろうか。
そもそも、男性は、自分の気持ちを相手に伝えたいと思わない?
伝わっているかどうかなんて、どうでもいいんだろうか?

言葉をほしがるのは、女性特有のものらしく、
かといって、私も、言葉だけで全て信じることは出来ないし。
じゃぁ、私は何に苛立っているのだろう。
「深読みし過ぎだよ」 そう、このフレーズなのだ。

深読みしているのではなく、伝わってこないから自分で考えているだけなのに。
言葉を変え、言い方を変え、あれこれ尋ねてみても、こちらへ返ってくる言葉は
「それって、わざと?」というほど的外れ。
「そうか、こっちの意図がつかめないのね」 そう思って
また言葉を選びなおしてなんとか伝えようと努力する。
でも、こちらが納得するような結論が出ることは ほとんどない。
どこが深読み? し過ぎだから 何? 本当のところ、どうなの?
「深読みし過ぎだよ」の言葉のあと、説明がつけられることはない。
そして、私の読みは、さらに深い所へはまっていく。
男と女の違いだ というのが、また結論?

私はきっと繰り返す。
そのうち、「うるさい」と言われるかもしれないな。
でもね、何を考えているのか、どんな気持ちなのか、知りたいと思うじゃない。
お互いが近くにいる確認をしたいし、自分の気持ちも伝えたい。
批難しているわけでもなければ、責めているのでもない。
ただ、言葉が足りないから、説明不足だから、自分で考えるしかないだけ。