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おとなの隠れ家/日記
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2002年05月31日(金)
いつも変わらぬスタート地点



終わった恋は振りかえれても
現在進行形の恋は語らない
だから
終わってしまった恋で学んだことを
新しい恋に 生かせない

そもそも 過去の恋愛を振り返るヒマは あまりなく
結構行き当たりばったり
何度か恋に落ちていれば そのパターンが読めてくるけど
実際は 友達の指摘で気づいたことのほうが多く
自分が成長しているかどうかすら わからない

できれば 何も考えず 自然と生まれた その感情を
そのまま 温めたいと 思っている
先読みをすることもなく 企てることもなく

頭で考えて 行動なんて できないから
駆け引きなんて できないし
何かに ぶつかったら その時考える
過去の恋愛なんて あっちに置いといて

感じるままに いつものように




2002年05月30日(木)
ありのままで



どうやったら 好きになってもらえるだろう なんて
考えたことがない。 これは おとなになってからの 話。

高校生の頃までは 相手が どんなタイプが好きだとか
それに近づきたいとか
中身でなく 外見に気を使うことが多かったけど。

考えてみれば 合う合わない なんて 感性の問題で
今くらい生きていれば 性格なんて そう簡単に変えれないし
外見を取り繕ってみても 裸になれば 同じだ。
シェープアップは 大切だけど。(苦笑)

ありのままの自分で勝負だ! 
これで 今まで生きてきた。
結構 いけるもんだ。(爆)
演じることは 私には必要ない。
というよりは 演じられない。(自爆)
それでも 恋に 途切れのない人生を送れている。 えへへっ。



2002年05月29日(水)
時間が経って わかる言葉



聞こえた時は その時の気持ちで考えて 返したつもりの言葉が
時間が経つと いや まてよ ということがある。

耳に残った言葉が 繰り返し 頭の中で ぐるぐる回りながら
自分のくちにした言葉と混ざり合って 途中で違和感を感じることがある。
いや 違うだろう みたいな。
ふっと思い出してしまう 気になる言葉たち。
言いたかったことを 伝えられているんだろうか。

自分の感情を表現することが 結構 下手だ。
言葉に換えることにも苦労する。
いくつもの言葉を並べながら ピンとこない と自分でも思っている。

すっきり説明できなかった自分の感情を
あとで 他に言い方はなかったのかな と考えながら
自分の言葉を思い出して んー そういうことじゃなかったのにな
ということが よくあって。
本音の言葉と そこから逸らすための言葉が 入り混じって
その統一性のなさに 的をはずしたような ぼんやり感だけ残る。

伝えられなかった言葉たち というフレーズを 思い出す。
私の場合は 伝えられなかった というよりは
自分の中で 言葉に換える作業に問題があるような気がする。

時間が経って わかる言葉のもつ意味。
ここから 私の深読みが始まるのかもしれないな。
いかん いかん こんなことしていたら また沈む。(苦笑)



2002年05月28日(火)
嫉妬



銀行で週刊誌を読んでいて 目に止まった この言葉。
おおまかに ふたつの形があるらしい。
簡単にいえば 良い嫉妬と悪い嫉妬。
嫉妬とは 自分より 優れたものに対する感情らしいのだが
これは 人として 当たり前の感情らしい。
ただ 嫉妬して その先が問題らしいのだ。

自分より優れたものに対する うらやましさ 悔しさ ねたみ など。
これが良い嫉妬であれば それをバネに自分へのエネルギーに
変えて その優れたものに追いつこうと努力するらしい。
悪い嫉妬の場合は ねたみやうらみばかりが残り それを他人に
むけて 足をひっぱったり いやがらせをする行動にでるらしいのだ。

う〜ん なるほど 世の中には この悪い嫉妬が蔓延しているではないか。
例えば 成績がいい人をねたんで 足をひっぱる。
出世した人を ねたんで 陥れようとする。
自分よりも好かれる人を ねたんで いやがらせをする。
こんなことに 何の意味があるのだろうか。
良い成績を出したければ 勉強し
出世したければ 人より倍以上 働いて
好かれる人の人柄を学び 自分も それに近づこうと 自分を振り返る。
これで解決するんでは?
もし 解決しなくても それは 他にむける感情ではなく 自分の中で
処理されるべき感情。
自分より優れたものに出会うことは 自分を高める目標にもなる。
優れたものを吸収するチャンスでもある。
わざわざ 自分を貶めて きらわれる標的になることも ないだろうに。

たかだか これくらいの感情のコントロールが できなきゃ
人と かかわり合って生きるのは不可能なんでは?
とはいっても どこにでもいるんだよなぁ こんな おとな。
欲しいものが手に入らないから って ダダこねるのは
子供の頃で卒業しておく感情だと思うんだけど。




2002年05月27日(月)
selection



何が本当で 
何が確かなもので
どれを信用して
どれを選んでいくのか

迷いながらも 頭の中は高速回転し
瞬時に ひとつのものを 取り上げていく
それが よかったのか 悪かったのか
ずっと先で わかることかもしれない

ただ 取り上げた瞬間から 時は進んでいき
その 前と後では 世界が変わっていく
取り上げてしまったら そこから何かが始まっている

いいとか 悪いとか 考えていることが 滑稽なくらい
新しいところで また 何かを取り上げている自分がいる
迷っていたことすら忘れて 



2002年05月26日(日)
月が



綺麗なんですよ 今夜は。
まんまるだと思うんだけど。
月を見ることなんて ほとんどなくて
偶然 窓を 開けたら ちょうど 私の ほぼ正面の
延長上に 月があって。
なんだか 不思議な気がしました。
まるでね 私が 窓をあけるのを まっていたような。
そして じっと こちらを見ているような気がするんです。
私の心をのぞかれたようで。

しばらくして また 外を見てみると
少し高い位置から 私を見下ろしています。
なんかね 君のことは すべて お見通しだ と
いつのまにか 月が 男の人口調で 私に語りかけてきて。
  
気になって また 外を見てみると
顎を少しあげないと 目があわない位置まで 月が高いところにいて
今度は 好きに生きろ ここで見守ってやる と 横柄なことを
語りかけてきて。

生意気な月だな と思う反面 その月にドキドキしたりして。
月とお話するなんて 危ない夜だわ。
ひょっとしたら 私には 狼の血が 混じっているのかしらん。(笑)



2002年05月25日(土)
わたし的 恋  その5



さすがに 向き合わなかった相手に実印を押すことはなかったようで。
振り返ってみれば 実印まで使った男は ほんのわずか。
今でも その男達を思い出せば にっこり出来る。

わたし的 恋は こうして繰り返される。
恋する先に 人を好きになった先に その相手の気持ちは どうなのかと
いうよりは そういう人に巡り合えたことが 一番のしあわせで。
たとえば つき合う 恋人になる 一緒に暮らす というのは 
お互いが向き合った上で 進化していく形だと とらえている。
好きだからといって 必ず その進化した形になることと思わず
むしろ 進化した形になるには お互いの気持ちがあれば 
ほっておいても そうなるんじゃないかと 思っている。
人を好きになって そこで接点が全くないのも 楽しくないけど なにか
つながりがあれば それは どんな形をしていても いいと思っている。

暗いのはダメ 重いのも勘弁。
もちろん 恋をしていたら 感情の起伏は いつも以上に大きな動きを
するけれど できるだけ笑顔でいたいな。
ぎゅっと抱きしめられる腕の中で あ〜 この瞬間のために恋をしてる
そう思う自分で ありたい。

昔から こんなこと考えて 恋愛してきたんじゃない。
いつのまにか こう答えを出すことが 自分が自然でいられることに
気がついた。 だから「わたし的 恋」

想いの熱さは 昔も今も 変わらない。
ドキドキして いつも頭から離れず 胸がキュンとする私は 
今も しっかり存在している。
相手の言葉や行動に振り回されてしまうビギナーな私もね。(笑)

おわり



2002年05月24日(金)
わたし的 恋  その4



ふたり歩きの観察とは.......
それまで 想像の中にしか なかったものを ひとつ ひとつ 
現実と比べてみる。
視覚はもちろんのこと 臭覚 触覚 ばんばん使いまくり。
どこまで 相手の行動を受け入れることが できるだろう と
いろんな角度から 観察を続ける。
近づいて 触れてみて わかるものが ある。
そうしないと わからないものが ある。

この頃になって ようやく「好き」という気持ちの扉をノックする。
私は この人のことが 好き? これまた 自問自答を繰り返す。
「好き」には 段階がある。
持っている情報により 時間的なものにより どこに位置しているのか
チェックしてみる。
これもまた こんなことをしている時は「好き」だという気持ちに
気がついているのかもしれない。
ただ 惚れっぽい自分の性格上 石橋を叩いてみたりして。
ここまでくれば もう銀行印 使ってもいいのかも。(爆)
自分の気持ちが 大筋で確定しているのがわかるから。

でも 実際のところは まだまだ ひとり歩きの状態で。
いや その人の気持ちなんて はっきり言えば どうでもいいのかも。
自分の気持ちを知りたい そんなとこなんだろうなぁ。

恋をする 好きになる これって わたしの中では とても単純なことで
お互いが向かいあうことがなければ ないで
近づくことがないなら ないで 
自分の気持ちは コントロールできる。
もともと 多くを望まないタイプだから。
ずーっと一緒にいたい という感情に 時として背を向けるタイプだから。
それって ホントに その人を好きなの? と 突っ込まれたら
返事に困るかもしれないけど わたし的には そんな感じ。


to be continued



2002年05月23日(木)
わたし的 恋 その3



ひとり歩きを始めると それまで以上に その人のことを観察する。
それが その人が いつも 頭の中に存在する理由なんだろう。
観察することは その人のことを考えているということだから
すっかり 恋にはまったから その人のことばかり というのではなく
自分が その人に注目しているから 当然 その人が いつも自分の中に
いるわけで......などと観察することの副作用に言い訳をしてみたりする。

それから先は ほんのちょっと温度が上がったり下がったりしながらも
一定の温度を保つようにしている。
できるだけ静かに というよりは 勘違いして 突っ走らないように。(苦笑)

とはいいながら もし デートするチャンスがあれば それは逃さない。
それが社交辞令的な お誘いであっても 逃さない。(笑)
発展するかも と その先を読むことはなく 目の前にある 
ふたりで過ごせるであろう時間に わくわく。 
なにがなんでも動く。(爆)

でも それをきっかけに なんて 作戦ではなくて。
理由は何でもよくて でも きっかけを意図的に作ろうとはしない。
理屈っぽいから なにやら かけひきしそうだけど 
このへんは いたって直球。 
犬が しっぽふって 喜んでいるような。
誘われて嬉しい ただ それだけ。

ここいらから ひとり歩きを卒業し ふたり歩きを想定しての
観察に切り替わる。
ふたり歩きとは お互いの時間を部分的に共有するということ。←わたし的


to be continued



2002年05月22日(水)
わたし的 恋  その2



恋に落ちてるのかどうか 確認作業をするけれど
その作業が終わるまで じーっとしているわけではない。
気づいていないようで 気づいている状況の中
とりあえず はんこを押す。
認め印みたいな軽めのはんこ。(笑)
恋に落ちました と 仮の はんこを押すことによって
心にわき上がる感情を 自然に受け止めることが出来るから。

明らかに 恋をしている症状が自分に出てしまえば
頭では どうなんだろう と思っていても
行動に現れてしまえば 認めざるをえない。

そして そこから 一人歩きの 恋の始まり。
別名 片思い。
結局 この頃が一番楽しい時期なのかもしれない。
自分で勝手に描く事ができる想い。
嬉しさも 悲しさも そして 寂しさまでも自分で演出できる。
たとえば 目が合っただけで ドキドキしたり
偶然の出会いを運命だと感じ
自分と相手の共通点を血眼になって探し
「〜だから 〜に違いない」
「〜ということは 〜のはずだ」
と 相手の行動を分析しては 自分に都合よく
たまには そこまで考えなくても と自分を追い込んだり。
自分が主人公のドラマが そこに生まれる。

この時期 わたし的には 片思いで十分楽しい。
自分の心を動かしてくれる人に出会った喜びが大きくて
自分の想いを伝えることよりも 刺激的な毎日が嬉しくて。

でも ここまで来ても まだ認め印。
そう 私は自分が傷つくことを恐れている。
発生した恋心を簡単に認めながらも 手には消化器を
もっているような。
恋の炎は まだまだ消せる みたいなね。(笑)


to be continued



2002年05月21日(火)
わたし的 恋



さて 恋の始まりが どこからか と考えると
ここから って線は 見当たらないけど
あとになって あ〜 あれかもな というのはわかったりする。
ただ 恋に落ちた と感じる瞬間 これは どれだか わかりづらい。
それは落ちた気がしても いや まて と 声をかける自分がいるからだ。
恋に恋する これは ある。 私の場合 ある。(笑)
だから 恋しちゃったかもぉ なんてことになると ホント?
と確かめる作業が必要で。

チェックポイントといえば 自分の行動 心の揺れ具合い
どのくらい自分が占領されているか とか。
疑ってかかるんだな 自分の気持ちを。

若い頃とは違うんだから なんて自分に言い聞かせながら
たぶん 気のせい 勘違いだろう なんて 自問自答を繰り返す。
恋に落ちました と はんこを押してしまったら なにかと
大変でしょ エネルギーいるし。
だから 自分を自分で観察してみる。
友達に話して 「ねぇ どうよ 私って恋してるっぽい?」
などと反応をうかがってみる。
こちらから聞く前に「怪しいぞ。 また?」と突っ込まれることの
方が多いけど。(苦笑)
「いや そんなはずないっしょ」
と とぼけてはみるものの 恋に落ちる予感というものは
なくもない というか かなり感じる。(笑) 

自分の気持ちを否定しながら そのリバウンド具合を確かめつつ
恋していそうな感情を分析する。
こういった確認作業に手間がかかるほど ホントは恋に落ちている。

to be continued




2002年05月20日(月)
わたし的 想い



伝えようとしても伝わらないのが想い
伝えようとしなくても伝わるのが想い

私にとって想いとは 伝えることよりも持つことのほうが はるかに重要。
好きだよ っていってもらうことよりも 相手を抱きしめたくなるくらいに 
自分の心が熱くなっていることの方が大切。

そこに言葉の表現があろうが なかろうが お互いが向き合っていれば
ふたりが お互いに必要だと感じれば 近づき合おうとするわけで。
そこで交わる ふたりの時間に 理由づけすることは無意味で
その時間に お互いが持ち寄った想いの形なんて どうでもよくて。
大切なのは 相手の気持ちじゃなくて 自分が ときめいていられること。
想いは 自分で持っていればよくて ねだるものではなく 自然に届くもの。
届くかどうかも わからないもの。
私はそう考えている。



2002年05月18日(土)
relax



考えても気分が晴れなければ いい答えが見つかるわけもなく
あれこれ 悪い方向に考えている時に出す答えなど 
たいしたことなくて
溜息が多い夜は 実は 悩んでいるようで そうでもなく
ただ自分に酔っているだけなのかもしれない。
そんな時は 自分で呆れるほどに いつもの自分と違った発想を。

心に潜めている欲望をくすぐってみるのも よし
妄想の中で ラブストーリー描いてみるのも よし

もっとラクに行こうよ って 自分に声かける。
私らしく.....それが何かを探しているんだけど。(苦笑)




2002年05月16日(木)
想いの送受



送られてくる想いと受ける想い
送るほうは自分の意志で
受けるほうは自分の意志ではなく

送るほうは 求めることを正当化し
受けるほうは 与えることを強制される

送ることを求めることと区別し
受けると受け入れるの違いが認識されれば
想いの送受が自然な形で出来るのに



2002年05月15日(水)
想いの重さ



自分で持っている時は それが私の正直な気持ちだからと
でも相手に届けると それが重かったりするときがある
どれが重く どこまでがセーフか 
それを知らせるのは 相手の困った顔と沈黙

想いのまま語ると 時として傷つけ
地雷を踏むことを避けて語ると 時として優しさに

どちらで語っても 心にあるのは同じ想い
どちらで語っても 想いの深さも大きさも変わらない
自分のわがままを通すのか
相手の気持ちを優先させるのか
ただ それだけの話 

重さを届けられると わかる
それが すぐに 終わりをむかえることにならなくても
それが 終わりへの道標になることを




2002年05月14日(火)
想いの おねだり



自分の想いに見合う あなたの想いを。

お互い向き合っていても
ちょっとしたすれ違いや 些細なケンカで 
眠れぬ夜を過ごしたりすると 目の前の恋に迷う
自分の気持ちを落ち着かせたいから
ホントは想いが届いているのに おねだり

冷めはじめた現実を知りながら
終わりを予感しながらも
それを受け入れたくなくて
もう そこには想いが ないのに おねだり

溢れる想いを抱いて それを伝えても
受け入れられず 宙に浮いてしまった自分の想い
最初から そこには なにもないのに おねだり

おねだりは そこにあるものに 翳りを落とし
おねだりが 終わりの時間をはやめ
おねだりして こわしてしまう

おねだりは 取り扱いが難しい
でも ちょっとくらいなら......えへっ



2002年05月13日(月)
game over の予感



恋の第二ステージは用意されていなかった
そう彼女は呟いた 
二人の想いが重なった時間は確かにあった
でも その想いの道のりと頂点がずれていた と

第一ステージでは彼の方が一生懸命で
ようやく彼女の気持ちが始まり出して
第二ステージへ歩き出そうとした時
少しずつ二人の想いが すれ違い始めたのかもしれない

彼が最初に行動を見せたから
彼女が それに答えたんではない
彼の行動によって 彼のことが気になり
彼を意識して目で追うようになり
そこで見つけたものに 彼女は惹かれたはずだ

第二ステージは 存在していたのでは?

手に入る彼からの少ないメッセージを大切に拾い集め
自分に向けられるであろう彼の心を期待し
彼女は待ち続けた
でも 彼女の望む彼の姿は どう探しても見あたらない
考えて 考えて 眠れない日々を繰り返しながら
結局 答えは見つからない
きっと尋ねても 答えは見つからないのかもしれない


第二ステージとは 彼への想いとの葛藤の日々を指すんじゃないでしょうか。
数々の出来事を 自分のいいように取ったのは 決して悪いことでは
ありません。 私も同じようにしているでしょう。
先のことを考えて動かないよりは 悩みながらも自分の想いに
前向きだったこと それは いいことだと思います。
求めるものが そこになかった それは誰のせいでもありません。
あるか ないかは 求めてみないと わからないこと。

第三ステージが始まりました。
今度は 彼があなたに求めているものを 探してください。
その求められているものが あなたの望むものと違っていても
それが現実であることを受け止めて そして答えを出してください。
形なんて どうでもいいから。
もし 次の恋が始まれば game over という答えを出すのは
あなたかもしれません。
まさか 後悔なんてしてませんよね? 始めなければよかった なんて。
弱いから.....いえ 大丈夫。 あなたは 自分で思うほど弱っちじゃありません。
私が保証します。

親友へ



2002年05月12日(日)
タイミング



確かにタイミングは よかったのかもしれない
でも そうなることは見えていたんじゃないし
予測もしてなかった
ただ 自分の気持ちを確認するために
そこに何があるのか探すために
私は動いた

今までの恋から学んだものなんて何ひとつ使わず
誰かの言葉に左右されることもなく
自分の置かれている状況なんか気にも止めず
私は走り出した

道はなかったはずなのに
私には見えていたのかもしれない
空に続く階段や 水面に架かった橋のように
ただ ぼんやりと見えていたのかもしれない

私はタイミングなんて計れないよ
ジャンプする前に一瞬目を閉じるだけ
かっこよく飛ぼうとか 転んだあとのことなんて
私には計算できないから



2002年05月11日(土)
想いのサイズ



「好き」でも「愛している」でも いいんですが
その想いの大きさ 深さを 人はどうやって知るのでしょう。

私の場合 自分の想いの大きさなんて 途中までは どれも
さほど変わらないように思います。
終わってしまえば ああ たいしたことなかったかも なんて
思うこともありますが。

大きさ 深さは それを持っている人と受ける人の感性だと
思うんです。
大きいとか深いとか 基準なんてないし 状況判断にたよると
間違った方向に進むこともあるし。
それぞれが 感じるままの気持ちだと思うんです。

そもそも 自分の心に宿った想い。
恋愛は 楽しいばかりではないことを 誰もが知っていると思います。
私の中では 辛いな とか さみしいな とか 苦しいな とか
全部含めて 恋愛だと思っています。
だって 相手があることでしょ?
思い通りに相手の気持ちを操作できるなんていう話は 何かを
企てないと無理なわけで。

相手がある ということは まず お互いが向き合うことから
始まると思うんです。 それも自然にね。
でも それから先 どのくらいのスピードで近づいていくのかは
誰にもわからない。 
近づくかどうかも わからない。 
反対方向にいってしまうことだってあるわけで。
だから 怖い。 好きになれば なるほどね。

でもね 思うんですよ。 それって自分の気持ちだと。
私は これだけあなたのことを  誰よりもあなたのことを だから.....
とは考えられない。
それは そういう想いを私が向けられた時 それに答えられなかったから。 
きっと私に対して不満があったのでしょう。
相手の想いに比べると 私の想いが足りなかったとか。
もし そうであっても どうしろと言うんでしょう。
人の心に 調節ボタンなんて あるはずないし。

求めたものが手に入らなかった時 誰が悪いんでもなくて 最初から
そこに それはなかったんだと 思います。
私に向けられない相手の想いを ねだろうとは思いません。
それは 恋愛の中に打算を持ち込みたくないから。
無条件に相手のことを好きでいたいから。

自分の心にある「好き」という気持ちを ただ それだけを大切にしたいんです。
その気持ちが受け入れられるなら もっと嬉しいけど 
そうでなくても 自分の心の中から その想いが消えないのなら
しばらくは そんな自分とつき合っていくでしょう。
何も求めず 出会ったことに ありがとう という気持ちで。

サイズなんて気にしてたら 恋愛なんて できないな ←わたし的本音。



2002年05月10日(金)
心のラック



探してもいないのに ぶつかってしまう恋心。
恋愛したいわ と 目をキョロキョロさせているわけでもないのに
それは 突然やってくる。
ああ またかよ と思う気持ちもあるし
なるほどな と納得する場合もある。
人を好きになることは 私にとって そう複雑ではなく
むしろ その後が ややこしいんだけど。(苦笑)
とりあえず 出会ってしまった その気持ちを そっと手にとって
心のラックに並べる。 
ふむふむ 輝きは 悪くない などと つぶやきながら
そこに並んだ想いの形を ひとり眺めては ぼーっと したりなんかして。(笑)
少々ほこりをかぶったものもあるけど かすかに輝いているのなら 
そのラックから 取り除かれることはなく 最近並んだものでも 
輝きを失えば即 そのラックから消えていく。

恋をすることを覚えてからずっと そのラックが カラになったことはない。
とはいっても 並んでいる想い全部が どこかへ届けられるわけでもなく。
つまり 私の観賞用。
だから 思いのままに 感じるままに 想いをラックに飾る作業を続けている。
一度に何個まで 並ぶんだろ? ぷぷぷっ。





2002年05月09日(木)
想いの形



「男は最初の恋人になりたがり 女はだれも最後の愛人でいたいの」
これは あの有名なユーミンの曲の中に出てくるフレーズ。
はは〜ん 男って 自分の惚れた女の最初の男でいたい わけね。
つまり 処女であってほしいのかな? 自分の色に染めたい願望が
あるから サラの状態を好むんだろうか?
女が 自分が愛した男の最後の女でいたい というのは 永遠に自分だけを
愛してほしい という気持ちの表れなんだろう 
これを初めて聴いた時に 私はそういう風に理解していた。

最近 この曲を久しぶりに聴いて 新たな発見をしてしまった。
それは このフレーズに続く次のフレーズ。
そこに 最初のフレーズの説明が隠されていたみたいなのだ。
「だから所詮 同じ気持ちで 求め合っていると思っちゃいけない」
う〜ん これには気づいてなかったな。
男が求めているものと女が求めているものは 違うものだと。
男と女が求めているものに どんな差があるか その内容は別として
その差があることを 私は当時 わかっていなかったと思う。

いくつかの恋愛と出会いながら つまずく場所は同じようなところで 
しかも それを何度となく繰り返していく。
女性の気持ちにありがちなのは 自分のことを相手がどう思っているか
どのくらい好きなんだろう 私の気持ちと同じくらい? などと 自分の
気持ちすら 計る武器などないのに 相手の気持ちに探りをいれる。
でも 求めているものが違うという認識があれば もし その計る武器が
あるとしても 男用 女用と なくてはいけないだろうし 
また それぞれタイプ別にも必要だろう なんてことを考えてみた。
膨大な数となるに違いない。(笑)

この作業のおおもとは 女性側の女性なりの考え方から始まるわけで。
私は こんなに想っているのに とか言いながら 
相手の気持ちの証明を求めてしまう。 
その結果といえば 女性にとって満足する答えなど 
そうそう 返ってはこないのに。
そこには 想いのサイズを思い描く時に そして表現する方法に
すでに男と女の差が あるんじゃないだろうか?

誰もが 好きな相手から想われていたい。
でも その想う気持ちの形は 算数のように同じ形をしているんじゃなくて
図工の粘土細工みたいなものかもしれない。
お互いが ちゃんと向き合ってさえいれば 何をすることもなく いろんな
角度から伝わってくるような.......想いとは そんなものかもしれない。
伝わってこない気がするのは 自分が向き合っていない 
もしくは 求める想いが そこに ない のかも。

いつの頃からか 計る作業から足を洗った。
気にならないのではなくて 計りようがない と知ったから。
今でこそ 少し わかってきた「求めるものの違い」
せっかく ユーミンがずいぶん前から教えてくれていたのにね。
でも その頃 同じフレーズを聴いても 私の心には響かなかっただろう。
そう考えてみれば 恋に落ちることを繰り返している中で 
私も何かしら 成長しているのかもしれない。(←自己満足)






2002年05月07日(火)
自分探し  最近思うこと編



何かを乗り越えながら生きてきたに違いなくて
でも だからといって深く悩んだ気もしないし
どうやって? と聞かれれば 答えに困って
自分の生きたいように 生きてきた と答えることが 
ラクだということが いつのまにか身に付き
そうみたいだね なんて妙に納得されるし
で ホントのとこ どうなんだろう
恋も人生も どう乗り切って いや どう渡り歩いてきたんだろう

人に恋の相談をされれば 返事はいくつか持っている
でも それを何処で憶えたとか 誰から学んだ という自覚はなく
恋愛経験が無数にあるわけでもないし.....
だから こうやって言葉に換えていく作業をすると なんだか
自分でも わけのわからない状態になる
自分の進路を決める時も 我が家の経済状態との照らし合わせは
したものの 決められた道ではなかった
習い事も学習塾も 自分の意志で通い始めた
今の社会的立場は 昔に思い描いた夢とは全く違うけど
社会人としての不満は ほとんどない
でもな どう考えても 先のことを考えながら生きてきたとは思えない
どうやって 今までやってきたんだろう
最近 こんなことを繰り返し 考えるようになった
それって これからが不安だから?(苦笑)



2002年05月04日(土)
電話機



電話機を見つめながら ふっと思った。
これって ただのモノなのに 着信の音が鳴りだして
ぴっと ボタンを押したら 声が聞こえてくる。
聞きたいな と思っている心地いい声が聞こえてくる。
すごいと思わない? いやぁ これはすごいことだわ。
どんなに遠く離れていても ナマの声が聞こえてくるんだよ。
切ったあとに 電話機を じっと見ても やっぱり ただのモノ。
不思議だ。 さっきまで お互い 話をしながら笑っていたのに。
一度切ってしまったら 振っても こずいても 声は聞こえてこない。

不思議なことは もうひとつある。
電話できない夜に おやすみ って 耳に残っている声が囁くの。
それは 電話が ただ声を聞くためだけではなくて
そこで交わされた言葉と声が重なって 頭の中に残るからなんだろう。
電話は その時間を二人で過ごすことができて 声と一緒に心を
届けてくれる。 もちろん笑顔もね。 
やっぱり すごい♪
電話機を見つめながら 思わず ありがと っていう自分がいる。



2002年05月03日(金)
人を好きになる仕組み



いい感じの人だな とか あの人なんだか嫌い とか
どちらにしても 何故か気になって その人の様子を
観察している自分に気付く。

いい感じだな と思っていた人にますます興味をもったり
嫌いだと思っていた人の意外な行動に惹かれたり
そうやって 意識していないところで その人の存在が 
自分の中で だんだん大きくなっていく。

ある時 そんな二人に何かの接点が出来て 少しずつ
近づいていきながら それがいい方向に向かえば 
知らず知らずのうちに 恋愛感情が生まれていく かもしれない。

そして それは いつも二人が同時に進行していく感情ではなく
どっちかが早かったり 片方だけが盛り上がったりしながら
思い通りに事が運ばなくて悲しんだり
ちょっとしたことで 喜んでみたり
その感情の上り下がりに手をやきながらも 相手のことで
いっぱいになる。

さてさて ここからが問題。
人を好きになったからって 相手が必ずそれを受けてくれるとは
限らない。
受けてもらえない理由は いくつかあって。
タイプではない 恋愛対象に思えない すでに相手がいる などなど。
では その自分の心に芽生えた気持ちはどうする?

勇気を出して告白。 でも 返事はNOだった場合。
好きになった気持ちを葬っても 心に抱いたままでも どちらでもよく
やってはいけないことは 報われなかった自分の気持ちを哀れんだり
受けてくれなかったことを 相手のせいにすること。

勇気を出して告白。 そして返事がOKだった場合。
とりあえず入室許可が出た って感じで。
それから二人で 二人の思い描く恋愛に進んでいけばいいし。
やってはいけないことは 相手の想いのサイズを計ろうとすること。
やるときは こっそりね。(笑) 

好きなら好き それでいいんじゃないかと。
相手が自分のことを好きかどうかなんて 気にならない わけではないけど
そこに お互いの想いさえあれば 自然に寄り添うもんじゃないかなと。
少し気の抜けた 投げやりのようにも取れる この考え方。
でも しみじみ こんなことを感じるのです 最近。
原点をね 振り返っています 私の恋愛の.....きゃははっ。



2002年05月02日(木)
強い味方



連休に入ったとたん 高速道路が走りにくくなったのは言う間でもない。
私の苦手なドライバーの量が増えている。
延々と続くロースピードの列。
車線からはみだし気味で前方を確認すると.......
5〜6台前の車の前があいている。
「んー アイツがガンか」
しかし へたっぴぃが多いこの時期 あまり無理な追い越しを
するのも自分が危険だ。
なんせ 突然予想もしない動きをする若葉マークが初の
長距離ドライブに挑戦する時期でもあるしね 要注意だわ.......
が しかし こちらも そう気が長いわけでもなく。(笑)
当然 3車線使って右左。 あははっ。

そんな私に強い味方が♪
それは『ETC』(にっこり)
まだ搭載している車が少ないため 車線はガラガラ。
しゅぱっと入って しゅぱっと出る。
その気分のいいこと!

まだタイミングつかめないので ブレーキを踏んでしまうけど
いずれは すいすい〜〜
まだ使い慣れていないせいで えっ? このまま出ていいの? みたいな
ズルして 逃げているような感じがするのが面白い。

ひとつ寂しいのは 支払うところで あいさつ交わしていた数人の
おっちゃんとのコミュニケーションが無くなってしまうこと。
「おっ ひさしぶりやん 元気しとったね」
「ちゃんと毎日会社にきよっとね?」
「今日は遅かね。 遅刻じゃないと? あははっ」
そんな やり取り 楽しかったんだけどなぁ。