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おとなの隠れ家/日記
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2002年04月30日(火)
男友達 その2 現実問題



友達とはいえ 異性であれば 男女の関係に流れることもある。
男友達であった人が恋人に。 世間でも聞く お話。
それを考えると どちらかに恋愛感情が発生する可能性を秘めた
関係という点では 同性愛を除けば 男友達と女友達とは やはり別もんだ。

私の経験上 相手が結婚していたり 彼女がいたりすると 二人っきりならば 
遊びにいくことですら容易ではない。
こっそり やり取りしているのが ばれた日には 誤解をとくのが大変。
関係者にも他人の目にも それが異性の二人なら 友達だと説明が必要だ。 

私の友達の話を参考にしてみよう。
飲み友達(男)がいる彼女が言うには
「みんなといる時は友達感覚で付き合えるけど 食事に行こうよ
 って誘われたら 断る男友達っているよ」
うんうん まさに これ。 つまり 二人っきりになってもいい
男友達っていうのは ある意味 男としてOKを出していると思われる。
そこに下心があるとまでは言わないけど。
「そんな相手じゃないと 二人っきりで食事とか飲みに行ったりとか しないよね」
と お互い 同調したのは言うまでもない。

男性にとっての 女友達もそうなんだろうか?

もっとリアルな考え方をしてみよう。
素敵な男友達がいて それで一線を超えそうになったら どうしよう。
いや そこまでいかなくても 恋しちゃったら どうしよう。
ここで すでに考え方が歪んでる なんてのは置いといて。
...........考え中..........

そりゃ 私のことだから いっちゃうっしょ。(自爆)
あ〜 こんなところが「突っ走る」ってことなのねぇ。
ここで いっちゃうから 男友達を語れないのかもしれない。

考えてみれば 友情と好意なんて 繋がっているものだろうし
私だって 流されない男友達はいたけれど それは その相手のことを
人として見ていたからで。
なるほど まず初めに異性として映るかどうかが キーポイント?
男として認識した時点で「特別な男友達」として存在するのかもしれない。
ああ そうか。 特別ね そう考えればいいんだ。(笑)
ただの男の友達と特別な男友達。
友達ってのは 性別を問わず男女含めて友達で それとは別に
男友達という席があるのかも。
言葉としては ちょっと変だけど 私の中には そんな区別がある。
結局 私にとっての男友達って 超お気に入りな男達ってことか。
だからって 狙っているのではなく 関係は お友達ってことで。
ただ そこには 曖昧で 言葉では説明がつかない思いがある。
所詮 枠決めなんて無意味かも なんて考えつつ わたし的男友達ってのが
わかってきた。 自分勝手な考え方って気はするんだけどね.....(苦笑)



2002年04月29日(月)
男友達 その1 わたし的区別



同僚を友達や弟みたいに感じる特殊な環境で仕事をしている私は
純粋に友達感覚でいける男性を 今はその中にしか持たない。

かつて いた 男友達とはほとんど縁が切れた。
相手が結婚した もしくは 相手が恋愛感情を持ってしまった
という理由だ。
同窓会での再会を除けば 現実の世界で長く続いている男友達はいない。

男女を問わず おとなになってから 利害関係に煩わされることのない
友達は 出来にくい。
趣味などを通して 頻繁に会っていれば別だけど 学生時代からの
友達のように 連絡が途切れて ほったらかしにしていても
会えば友達という 純粋な友情は 社会人になったら 
なかなか出会うことができない。

ここで書く男友達とは そんな おとなになってから出会った
男友達の お話。

男友達って どんな位置にあるんだろう?
私の場合は 女友達とは 全く別もんだと思っている。
まず 友情が成り立つ過程で近づきあうのは 共通の何かが
存在しているか 話が合うか。
何度も交流を深めながら 次第に仲よくなっていく。
これは男女問わず 似た始まり方だけど その後は
別の存在になっていく。

まず それぞれに話す内容が違う。
男に語ること 女に語ること。
次に 交流を求めている時の自分の状態が違う。
男でなくては埋められない心の状態がある。
これには 女ではダメだというのではなく
異性であることが必要な時がある。
たまには 彼氏と似たような交流を求めることもあれば 
彼氏には 話せないことを 話したりする。
同性ではわからない 男の気持ちを聞いてみたかったりもする。
食事や飲みに行く時 男友達と女友達とでは どこか 気分が違う。
酔った時の電話やメールの相手に 男友達を あえて選ぶことがある。

こうして考えてみれば 私の中では 男友達と女友達の役割が
はっきり分かれている。
ただ この男友達という存在が なかなか難しい。
友達とはいえ 女性と二人っきりになる場合と 
男性と二人っきりになる場合
これは自分的にも 回りが見ても 大きな差があると思われる。

to be continued



2002年04月27日(土)
release



たぶん あまりにも 自分を振り返ることなく
生きてきたせいなのか 
感情の意味を 自分でわかっていない あるいは
わかることを避けてきたように思います。

例えば 悲しいとか寂しいとか......
くよくよする 落ち込む マイナス思考 だとか。
自分では そんなことないって
そんな感情を あまり感じないタイプなんだと思って
いたけど そうでもないのかもなぁ。

この負の感情ともいえるものは 生きて行く上で
私にとっては 邪魔でした。
回りも そんなところを見せる私を望んではいない と
勝手に決めていたのかもしれません。
それが いつの間にか 溜まっていったのかなぁ。
無理に気丈な女を演じていたんだろうか?
実は すっごく よわっちだったりして。(苦笑)

当たり前のことから逃げるのは そろそろ やめに
しないといけないのかも。
いつまでもダダこねていないでね。
十分過ぎるほど いい おとな なんだから。
少し自分を解放するつもりで........
今以上に解放? それだけ自分勝手に生きてきて?
いえいえ 心の解放です。(笑)



2002年04月26日(金)
分かれ道の選択



日々過ごしながら 目をそらしていること
気づかないふりをしていること いろいろあって
何が正しくて 何が悪いのか
自分の中で消化しきれなくなってきた
って 泣きいれたところで 回りが何か変わるでもなく
そんな私を取り残すように 時間は過ぎていく

目の前にあることから 自分なりの選択を繰り返してきた
それが間違っていなかったとは言い切れず
だからといって後悔しているわけでもない
幾通りの選択があっても その中からひとつを選んだ時点で
他の道はすべて消えてしまうと思っているし
もし あの時 違う道を選んでいたら と想像することは
可能だけれど それは 現実の世界じゃない

自分の歩いている道が ところどころで何本かに分かれていて
その度に 自分で選んできた
それは一度っきりの選択でなく 何度も何度も用意されていた

だから 今 自分の置かれている状況は 間違いなく自分で選んだ道
それをどうこう言ったって始まらないわけで
その現状を受け止め 流され続けながらも またきっと訪れる
選択しなけらばならない分かれ道
その機会が きてほしいような ほしくないような



2002年04月18日(木)
男の優しさ



よく聞く話だけれど 男性は直接的な甘い言葉を あまり
ささやかないと いわれている。
もちろん「落とす」などという世界は あっちに置いといて。(笑)

神経を集中して 男性の話や言葉を ひとつひとつ取り上げてみると
そこには な〜んと 結構 優しさが隠れている。
この隠れている という表現は 男性にやや失礼な気もするが
女性からしてみれば 隠れている という言葉が ぴったりで。
つまり 言葉だけでは 見つかりにくいから。
「好き」だとか「愛している」とかの言葉ではなく
まして こちらがそれを言ったら おうむ返しのように 戻ってくる
言葉でもなく
ただ 普通の言葉の中に 男の優しさだとか 思いやりだとかが
詰まっていることを 発見してしまった!
私が気づくのが遅かったのかもしれないけど。(苦笑)

例えば 相手の電話やメールを待っていたとしよう。
待てども来る様子もない。「なんで 連絡してこないの!」
ここで なんで といいながら 多くの女性は 待っている時間に
妄想を膨らませ とんでもないことまで考えていることが多い。

経験上「なんで?」と男性に聞いてみると 返ってくる言葉は 
誰もが ほぼ同じ。
仕事していたとか 疲れていたとか うっかりしてた とか。
これは 女性にしてみれば 本当は納得いかない返事だ。
でも 男性は そこに特別な意味を持たず 言葉通りらしい。

それを 男性とは そういうもんだ ということを学んだり
男性の そんな行動から想いを計っても 意味がないことを
認識するだけで 女性は厄介な呪いから開放される。

私は実践してみた。
無理や我慢とかではなくて 男の言い分ってやつを受け入れつつ
そこに並んだ言葉を 丁寧に読み取ってみた。
すると......見えてきたんだな〜 言葉では言い表せない 
男の優しさってやつが。
お互いが 歩み寄ろうとしている関係での男女は 基本に
相手を思いやる心が存在する。 
恋愛感情ばかりでなく 人としても。
それさえあるのなら 感情的に なぜ? どうして?
って尋ねるのではなく 疑問を解決したい一心で尋ねたら 
案外 男性は 答えてくれる。
その答えが 理解できるか どうかに焦点をおくのではなくて
その答えで その人が成り立っている ということに気づけば 
それをもとに観察していくと その人なりの想いの表現は 
自然と見えてくる。
誰かと比べるんではなく 普通はこうだという概念を捨てて。

相手の話をよく聞く って まるで小学校で習うようなことだけど
男女の間では おざなりに なりやすいのかもしれない。



2002年04月10日(水)
誰でもいい?



恋愛は探すものではないと思うんですよ。
「恋愛したい」というのは わかるけど
「恋愛しよう」というのは変ではないかと。
始めようと意気込むものではなく
自然に生まれるものなんだと思うんですが。

恋愛したい って 思うことは いいことらしい。
そのアンテナを立てていないと 出会いにも気付かなくて
チャンスを逃がすらしいんです。
でもね 恋愛したいからって どの人にしようかな? って
選んでいるのは おかしいと思うんです。
この人はダメそうだから あの人はどうだろう ってね。
狭い範囲の中で まるで品定めしているかのように
相手が その気があるか ないかを確認するみたいな。
誰でもいいんだなぁ と思ってしまいます。

人を好きになる って そんなことでしたっけ?
まぁ 若い時には それもそれで ひとつの社会勉強でしょう。
でも おとなになっても それって なんだかなぁ。
ないものねだりで始める恋愛は「ごっこ」のようなものだと
思うんですが。
「お互い楽しければいいんじゃない?」
そう言われても 
そうだねぇ と心からは言えない自分がいます。

恋愛の形を作るだけでよければ 簡単なことです。
大げさに宣伝して 沢山の男達にお花を おねだりすればいい。
それに気付いて お花を贈ってきた人達の中から お相手を
選べばいいのだから。
でもね 私は思うんです。
宣伝につられて お花を届けてくれた人達は 他のところにも
届けているんじゃないか ってね。
「そんなことないわ。 だって私のこと好きだって言ってくれるから」
ああ そうですか。 では お好きなように。(苦笑)



2002年04月07日(日)
好きな気持ち



人を好きになると 自分の気持ちを伝えたくなる。
最初に発見した自分の気持ち。 
ほんとに好きなのかどうかさえ自信がなくて 
でも明らかに惹かれている自分に気付いたら
その気持ちを大切に育てようと思う。
それが生かされるチャンスがくる時のために。

もしも そのチャンスがきて うまく伝えることが出来て
相手もそれを受け入れてくれたからって
その気持ちは いつも同じ形をしているのではく
少しずつ成長して やや形を変えていく。

ちょこっと好き だんだん好き かなり好き いっぱい好き
そうやって変わっていく気持ちを その時々に うまく
相手に伝えられたらいいな。
たまに思う。
こ〜んなに好きって きっと知らないだろうな って。
その「こ〜んなに」っていう部分は表現しようがない。(笑)

友達が言った。
「ときめく気持ちは大切にしたいよ。 たとえそれが報われなくてもね」
うんうん わかるよ。
相手も同じ気持ちでいてくれたら それは もっと嬉しいんだけど
たとえ それがかなわなくても 好きになった喜びは自分のもの。
出会って 好きになって それだけでも たくさん いいことある。

好きになったら その自分の想いを なでなでする気分で。
涙で濡れることがあっても それを ふきふきしながら。
好きな人がいる ただそれだけで 私たちの毎日は輝いている。



2002年04月05日(金)
桜の木



昼間に車で移動していると この季節 住宅街の桜に目がとまります。
それまで そのお家にあった木が桜だと気付かなかったり
忘れていたのに。
今年は お花見のチャンスがなかったので 
桜の木が自宅にあるのが 
特に うらやましく思いました。
「お花見が 自分んちで のんびりできるじゃん」
回りを気にせず 昼間っからビール飲んで 桜の花を見上げる。
舞い落ちる花びらを目で追うと グラスにひらり....
そんな想像をしてしまいました。
そして思ったのです。
一戸建ての家を持ってる人は 桜の木を植えたらいいのに って。
行きつけの居酒屋の奥さんに その話をしました。
すると 桜は普通の家の庭には向かないらしい。 
虫がつきやすく 大きくなりやすく 落葉樹の仲間だから
花びらも葉も散ってしまうので 掃除が大変だと。
しかも おっ 咲き出したな と思ってから 散ってしまう
までが早い。
つまり 開花の日数が少ないわりには 手がかかると。
それでも その奥さんは 桜の木を植えているらしいのですが。

たまたま そこに居合わせた お客さんが言いました。
「桜の木は 折れやすいしね」
えっ? 折れやすい? なんでそんなこと知っているんだろう。
ある年のお花見の宴会で 桜吹雪を披露しようとして 
酔った勢いで桜の木に登って枝を揺すり始めたら 
宴会の料理の上に 花びらではなく その人が降ったらしい。 
「子供の頃 桜の木に登って 枝が折れて落ちたこと すっかり
忘れていたよ」

そこへ その店のマスターが奥から出てきて。
「桜の木が お家にあるといいですよね」と私が話をふったら
そのマスターが 眉間にしわをよせて一言。
「折れやすいからなぁ」
そこで思わず聞いてしまいました。
「ひょっとして 登って落ちたことがあるとか?」
マスターは にやっと笑っていました。 経験者がここにも!

桜の木は折れやすいそうです。 
木登りにはむかないらしい。(苦笑)
今の子供達って きっと知らないだろうなぁ。



2002年04月01日(月)
さらに こだわって  『好き』その2



「好きだよ」って言わないタイプの男性には それなりの
理由があるようだ。
これは きっと説明してもらっても 女性にしてみれば
理解するには難しい部分かもしれないな。
とにかく 理由があるらしい。(笑)

私は というと 元来この言葉に縁がなく それでもなんとか
恋愛をこなしてきた。
相手が その言葉に変わる何かを渡してくれていた?
そんな自覚や記憶は あるような ないような。
どちらにしても 私の勝手な受け取り方で 相手の気持ちを
代弁するしかない。

いつのまにか それが身についたかな。
私の妄想であれ 憶測であれ 自分で判断するしかないのだ。
そこで思い上がろうと そこで誤解しようと。
でも これって 私のせい?

女性が言葉を待っているのは 相手の気持ちが見えない時が多い。
不安なんだ。
不安にさせないなら いいのだろうが これまた 男性にとっては
女性がそういう感情に陥る仕組みが わかりづらいところだろう。
不安な時は 相手の気持ちを確かめたくなる。
「あの人は私のことを どう思っているんだろう」ってね。
言葉の全てを信じて求めているんじゃない。 
それが一番わかりやすいからだ。

この場合 言葉で伝えることをしない相手だったら?
こちらで その想いを観察するしか 手がない。
しかも自分の考え方が基本になる。 
男性の考え方なんて わかるわけないから。
すると そこに間違った解釈が発生してもおかしくないのでは?

出会った頃の新鮮な気持ちで......確かに一理ある。
でも 想いが通じ合ったと確認した直後から その気持ちは
必ずしも一定ではない。
静かに流れていくもの 急激に熱くなるもの
やがて下降するもの 熱さが冷めて落ち着くもの...形はさまざま。
恋愛は生き物だ。 
付き合うという形をとったら そこからスタートして
いろんな姿に変わっていくはず。
想いだけでは かたずけられない。
人と人のかかわり合いが発生するのだから。
友達だって 恋人同士だって 夫婦だって どれもそうなのでは?
相手がある ってことは 相手に伝わらないと 関係が成り立たない
ように思うんだけど。

ようやくわかってきた。
言葉でも何でもいいから どういう想いなのか知りたいんだ。
その想いが見えないから 気になるんだと思う。
見えない ってことは態度や行動で伝わってこない時。
だから 言葉にこだわるんじゃないかと。

目に見えるものなら いいのにな。
レベル70とか80とか。 50以下だったらショックかもね。(苦笑)