2012年01月19日(木) |
インチキな合意形成プロセス |
原発再稼動などをめぐる、いくつかの動向。
まずは、昨年末の収束宣言。
野田佳彦首相は、12月に事故収束宣言を行い、細野原発担当相(環境大臣)は会見で、(1)冷温停止状態、(2)放射性物質の放出抑制、(3)冷却システムの中期的安定――の三点をもって「ステップ2の完了」を宣言し、「オンサイト(事故そのもの)は収束、今後はオフサイト(除染や賠償など)の問題に取り組む」とし、「統合対策室を廃止し、新たに政府・東電中長期対策会議を設置する。統合対策室としての会見は今回が最後」と説明した。 原子炉の状況が確認できないままの収束宣言は、国内はもとより、海外からも疑問と批判の声が相次いだ。
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それから、昨日のストレステストに関する出来事。
原子力発電所の運転再開の判断の前提となる「ストレステスト」の結果を専門家が議論する原子力安全・保安院の18日の会議は、会議室での傍聴が認められなかったことなどから運転再開に反対する人たちが会議室に入り込んで抗議を続け、予定から2時間半以上たっても開催できない異例の事態となった。専門家2名は欠席。
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そのほか、東京電力が4月から企業向けの電気料金の値上げを発表。一昨日のことである。
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福島第一原子力発電所の事故があって、良識ある市民は、 これまでの原発政策に対する無関心や無知を悔いた。
原子力村を許容して地方にツケをまわし、 利便性に甘えてきた我々にも責任がある、などと思った。
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私も、一面的にはそうだと思う。 しかし、ここでそう言い切ってしまってはいけない、 考え足りない何かがあるような気が、ずっとしていた。
電力業界が厚顔無恥な態度をとりもどし、 政府与党や原子力・安全保安院が自己欺瞞を繰り返そうとしている今、 その「考え足りないこと」に気づいたので、記そうと思う。
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原発推進の可否を巡る論議は、醜く偏った環境でなされてきた。
原発推進に不利となる情報は、徹底的に非公開にされ、 反対意見は封印し、時には政治的、経済的圧力を加え、 逆に賛成意見に対してはインセンティブを与え、 御用学者により科学的事実をねじまげ、客観的な評価を妨げる。 巨額の資金をマスコミへ投じ、推進イメージを操作した。
原子力発電所とは何か?どんなリスクがあるのか?ということについて、 私達は客観的な情報も、正しい合意形成のプロセスも提供されていない。
このような、正しくない合意形成のプロセスで推進されたものが引き起こした災害について、その責任の一端を無防備に引き受けたくない、というのが私の正直な気持ちなのである。
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私達は、このインチキな合意形成のやり方を、もうお仕舞いにしなければいけない。
フクシマを自分のこととして反省するのならば、 私達はこの課題と向き合わなければ駄目なのである。
戦争といい、原発事故といい、このブラックボックスに投入されるお題は、確実に市民の命や生活を危険に晒すのである。
次の「お題」が投入される前に、それは摘発され、廃棄され、二度と用いられないようにするとともに、日本の政治が陥りやすい、前近代的な恥知らずで悪しき習慣であると、決定的な評価を下されなければいけない。
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