国連防災世界会議が、神戸で始まった。昨日から週末まで。
トーストを食べながら、新聞に掲載されている小泉首相のスピーチ全容を読む。 日本が世界中の災害救援や防災インフラ整備にどれほどの貢献をしたか、 −つまり金を出したか、ということなのだけど−とか、 TUNAMIというのは日本語が起源である、というような、 そういう、おらが村自慢みたいな内容ばかりだったので、 少しがっかりした。
日本の存在感を示すのは結構だけれど、ちょっとさもしい感じだ。 巨大津波という災害が、まだ救援さなかである時に、 関係者一同を集めて「俺はいくら出したけど」と言うなんて。
災害というのは世界中の市民の、現在と将来に何をもたらすのか、とか、 そういう心根に染みとおるかたちで、説得力のある話をしてほしかった。 災害の被害を、政治経済のオーダーでしか訴えられないのは、 現実的でないし、想像力が未熟だと思う。
もっとも、そういう文化の香りがする草稿を役人が用意するのは難しい。 個人の能力として難しいのではなく、組織として書くことができないのだ。
そうだから、新聞には「防災意識の低い国の参画が今後の課題だ」などとでている。
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