2011年04月05日(火) |
東日本大震災 自己否定できない人々 |
東京電力福島第1原発の事故を受け、全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)会長の河瀬一治・福井県敦賀市長らは4日、首相官邸で福山哲郎内閣官房副長官らに会い、菅直人首相宛ての要望書を提出した。まず原発事故の事態の収束に取り組むとともに、緊急時の代替電源確保などを要請。首相が原発増設計画の見直し方針を示している点に関しては、時期尚早との思いを伝えた。というニュース。
驚くべきことに、「引き続き原発を我が方へ」と官邸へ陳情した一行の中には、福島県双葉町の井戸川克隆町長も入っている。
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東京電力に「そう言え」と言われたのだろうか。
それとも、もっと根の深い気持ちなのだろうか。
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原子力発電所とともに歩んだこの土地や人々にとって、 それは既に自分達のアイデンティティであり、自己否定するのは難しい。 そんな風にも想像する。
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都市に電力を供給し、それを誇りに思い暮らしてきた。 偉い会社の偉い人が、片田舎まで足をはこんで自分達に平身低頭する。
自分か家族か知り合いには必ず原発で仕事を得ている人がいて、 厳しい環境での仕事もみごとにやり遂げる彼らの専門性へ敬意を抱き、 その子ども達は、原発のおかげで自分が育ててもらえたと思っている。
整備された道路や橋や東京並みの豪華な文化ホールが、それらの感情を具象化する。
深く根を下ろしてしまった草は、そう簡単には引っこ抜けない。
とりわけ「自分達は国のために頑張ってきた」という実感は、 「意味がない、むしろ害悪だった」という事実を決して受け入れないだろう。まるで侵略戦争で息子を亡くした母親のように。
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かくして、福島第一原子力発電所は、まるで「靖国」のような重力をもちはじめる。
権力のある者は、そのことを利用する。 上記の記事から、そのように思う。
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自衛隊も然りでありである。 いずれ憲法改正論議や自衛隊のあり方を議論する時に、ある立場の人間は、 今回のことを「貸し」として見返りを求めてくるだろう。
現場の自衛隊隊員や消防隊員や電力会社の作業員を賞賛するのは、 平和と安定を願う一般市民だけでよいのだ。
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