「いけないんだー」を連呼するAは、実にもっとも小学生である。 規則違反を見つけ出しては、相手を追い詰めるネタとする。 閉塞感の表れ以外の何者でもないが、それに気付かぬ教師に、駄目だなと思う。
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「いけないんだー」は、今の世の中の風潮でもある。 コンプライアンスとか、それらしい名前を与えられている。
もちろん、罪は罪として罰せられなければならない。 けれども法律というのは、人がこしらえるものだ。神の与えたもう試練ではない。
つまり、間違った法律がつくられる可能性だって、十分あるのだ。 間違っていなかったとしても、真に本質から罪かどうかなんて、本当は誰にもわからない。 百年後には妥当性を欠く可能性を含みながら、人は人を今の世のならいとして、暫定的に罰するのである。
そのことの重さを、「いけないんだー」を連呼する大人の、ほとんど皆が分かっていない。そう思う。
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人はそれを罪にすることができる。 人はそれを国民の義務にすることができる。
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法律は−知らない強みで乱暴に言えば−、国家と国民の契約だ。
だから選挙では、自分に得をもたらしてくれる政党はどっちか、 などという甘っちょろい認識で臨んでいては駄目なのだ。
立法府を任せるに値する政党を慎重に選ばなければ、我々はまた新たな義務を負わされ、望まない法律で生活や人生をしばられてしまうのだ。
違反しようものなら、「いけないんだー」の槍玉にあげられ、裁判にかけられ、社会のどこにも居場所がなくなってしまう。
だから、候補者一人ひとりが国民とどんな契約を結ぼうとしているのか、法律をどのように駆使するつもりなのか、まずは疑ってかからなければいけない。
選挙は、国民が立法府の権限に対して真にネゴシエーションできる、 唯一無二のチャンスなのだ。
2008年07月25日(金) オンブラ・マイ・フ 2006年07月25日(火) 減る国創造 その2 2005年07月25日(月) 2004年07月25日(日) 想像力の欠如
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