浅間日記

2009年03月12日(木) 日本人にとって仕事とは何か

国道陥没の危険性を確かめる国土交通省発注業務で、OBが多数天下る財団法人「道路保全技術センター」のずさんな業務実態が明らかになった。
12日に開かれた参院予算委員会で、民主党の大久保勉委員もセンターのずさんさに触れ「国は天下り先のセンターに発注し、センターは多くの利益を上げているだけだ」と糾弾した、というニュース。


件の参議院予算委員会を、私もラジオ中継で聴いていた。

あまりにも熱弁をふるうので、この人はフェアネスを求めているのか、それとも、「この業界に割り込んで儲けたい何者か」の利便を求めているのかわからないなあと思いながら、ぼんやり聴いていた。

質疑はやがて、入札参加条件に資格要件を付すことに及び、議員が「結局それは天下りしか参加できない仕組みなんでしょう」と言って切り捨てたところでいよいよ、それは違うんじゃないかな、と強く思った。
同時に、これに反論しない国土交通省の役人にも、はがゆい思いがした。

なぜ、エンジニアのプライドを堂々と-さぐられた腹の痛みに耐えてでも-言ってくださらないのですか、という気持ち。



仕事をその内容に応じて引き受けられる者とそうでないものを仕分けるのは当然のことである。
資格であれ経験年数であれセンスであれ、人はそのための指標を用いるものである。

医師免許は不要、結局あれは医大関係者しか参入できない仕組みなんでしょう、と思うだろうか。

あるいは、病気を治してもらう病院選びで、見積をとるだろうか。



頼まれて引き受ける、これが日本人の仕事のやり方の原点である。
頼む方は受け入れてもらえる感謝があり、引き受ける方は役に立てる喜びがある。

仕事を通じてお互いの信頼を深めるられる喜びや、この分野は自分が支えるというプライドが、日本人を勤勉にし、技術の積み重ねを生んできたのである。仕事は信用第一であり、人と人が誠意をつくして永くつながることは、商売の上で正しいことだった。

プロジェクトXというTV番組があれほど人々の心をつかんだのは、それがどこかの企業の大儲けの話ではなくて、仕事に人生をかける人々の心根が映し出されているからだったはずである。

そして政治家という仕事こそ−本来は−、あなたにお願いしたいという一票に支えられ、仕事の使命感を金に換えることなどできない、というもののはずである。



私は決して、ある特定の人達だけが特定の利益を約束されることをよいと思っているわけではない。

けれども、仕事から「継続する使命」という魂を抜いて、その場限りの損得勘定だけに換算したのなら、この国の技術を生み出す土壌は損なわれ、新しい芽生えに輝きはないだろう。

それどころか、これまでの技術で生み出されたものの維持でさえ、ずさんで困難なものになるだろう。



かように、仕事に対する精神的・文化的背景は、押し寄せる何者かによって今や大変にはかないが、引き継げる者が引き継いでいけば消えることはない、そう信じたい。

2005年03月12日(土) 人徳ミラーサイト
2004年03月12日(金) バスクチーズ


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