2006年06月13日(火) |
人生最後のアジテーション |
地域のイベント。 先々週末のことである。
団塊の世代、とおぼしき方々の無防備な元気のよさ。 アロハを着て、サングラスをして、エレキギターを弾いている。
彼らがリタイアするまで、もうあと数年である。 これを、何かやかましいことが始まるような、 あまり良い出来事と思っていなかったのだけれど、少し考えを改めた。
人生最後のアジテーションとして、世の中をよくする理屈を、 その底抜けの元気でもって、やっていただきたい。そう思う。
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これは推測というか、体感であるけれど、 日本国民全体の平均的な教育・教養レベルが最も高いのが、現在である。 否、ピークは既に、もう少し前かもしれない。
いずれにせよ、 識字率は相当高い。投票所では誰でも候補者の名前をかける。 計算は、暗算でできる。ややこしいのは、書けばできる。 情報や教養を、現在や過去の書物から得ることができる。
小学生から主婦から老人まで、こうした教育・教養レベルが保たれている。 字が読めないおばあさんへ、学校へ行っている子どもが新聞を読んで聞かせる、ということはあまりない。 女性は学がない、という社会通念も、とうの昔にない。
それどころか、昨今のおじいさんおばあさんは、 語学も堪能、政治経済にも明るい、口は達者、ときている。
現代日本は、極めて特殊な、人材に恵まれた時代なのだ。 そして、にもかかわらす世の中は良くならない。希望がない。
教育水準の高さは、必ずしもよい社会をつくらない、ということだろうか。 そうだとすれば、ではあと何が必要なのか、何が不要なのか。 それを私は、しっかり考えなければと思う。
2004年06月13日(日) テレビ市場開放
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